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The Holy Evil  作者: 風羽洸海
第三部 いざ、この手で悪魔を滅ぼさん
65/133

1-2 暴露


 旅の荷物を館に預け、徒歩で聖域へと向かいながら、エリアスはぽつぽつと短い言葉で師の話を促した。

 この村の人々と、どのようにかかわりあってきたのか。外道に立ち向かう際、どんな態度で臨んだのか。何を語ったか。


 カスヴァはできるだけ率直に答えた。

 村の頑固な老司祭と衝突しないよう、その厳格さを和らげる方向へ助言してくれたこと。領主一家と食卓を囲み《聖き道》の教えについて語らったり、故郷ユトラルや聖都の風物について聞かせてくれたりもした。

 そして、最後の戦いに向かう前の長く静謐な祈り、決して取り乱さず冷静に戦ったこと……


 カスヴァは能弁ではないし、エリアスも口数が少なく話は弾まなかったが、気詰まりではなかった。飾らぬ言葉で伝えられる断片的な師の姿を、エリアスはひとつひとつ噛みしめているようだった。


「見えてきました。そこの猟師小屋で準備を整え、街道に円陣を描いて待ち受けたのです」


 カスヴァが指さして教えると、エリアスは足を止めた。西へ続く街道。灼熱の炎で白く焼かれた土も、雪に覆われる冬を経た後の今、あまり周辺と区別がつかなくなっている。

 人影はない。西を向いて立っていると、左手の牧草地から微かに羊の声が届き、右手の森からせわしない鳥のさえずりが聞こえる。エリアスは無言で街道の先を睨み、じっと立ち尽くしていた。湿った風がそよぎ、血のように赤い髪を揺らす。


 もしかして彼には、あの日の出来事が見えているのではないか――あり得ない想像が兆し、カスヴァは身震いした。

 その恐れを嗅ぎ取ったのだろうか。エリアスはわずかに眉根を寄せて振り向いた。


「カスヴァ殿。我が師はなぜここにいたのです」

「……え?」

「司祭ユウェインの報告書では、師がチェルニュクに居合わせた理由について、偶然の一言で済まされていました。それを聖都まで回送したノヴァルクの司教からも、補足説明はなかった。しかし、通常の巡回経路であれば我が師は西からこちらへ向かってきたはずです――各地の教会で確認を取りましたから」


 意外なことを聞かされて、カスヴァは正直に驚いてしまった。

 ノヴァルクの司教が何も言わなかった? モーウェンナから要請を受けたからこそ、グラジェフを急遽チェルニュクへ向かわせたのだろうに。なぜ黙っているのか。

「……責任問題だからか?」

 思案が唇からこぼれ落ちた。カスヴァは自分の声で我に返り、急いで言い繕った。


「失礼、ただの憶測です。グラジェフ殿は、司教の要請でチェルニュクに戻ったと言っていましたが、それについては何も?」

「はい」

 短く答えてエリアスは忌々しげに舌打ちした。カスヴァは憶測が正しいとの裏付けを得てうなずく。

「どうやら教会内部もあれこれのいざこざがあるようですね。司教がなぜ黙っているのか、本当のところはわかりませんが……実は、私の妻があちらに相談の手紙を送っていたようなのです」

「相談?」

「ええ。妻は、いわゆる幽霊の類が見える性質でして。魔女ではありません、むしろ彼女はとても真面目で敬虔な信徒でした。見えるからこそ、些細なまじないひとつすら嫌がるような」

「村に幽霊がいるから浄化特使を呼んでくれ、と奥方が要請されたわけですか」

「おそらく。正確なやりとりは存じません。私は……去年の春に戦から帰ったばかりで、自分のことに気を荒立てていて、妻の悩みに向き合えなかった。だから彼女は独りで何とかしようとしたのでしょう」


「後で奥方にも話を伺えますか」


 当然といえば当然の流れだったが、カスヴァは予期していたにもかかわらず怯んだ。

 彼女はもういない。何者も二度と、彼女の声を聞くことはないのだ。

 喪失の痛み。同時に、一緒に墓に埋められた己の罪が暴かれずにすむという後ろめたい安堵、暴かないでくれと願う恐れが入りまじる。

 複雑に歪んだ苦笑を浮かべ、カスヴァは答えた。


「無理でしょう。昨夏、水の事故で亡くなりましたから」

「それは、……お悔やみを」

 エリアスは気まずそうに言葉を詰まらせたが、すぐに頭を下げて魂の平安を祈る。カスヴァは礼儀として低頭したが、黙祷はせず、話をさっさと進めた。

「ともあれ、結果としてグラジェフ殿は幽霊でなく外道と戦うはめになり、おかげで村は守られました。墓はこちらです、足下に気をつけて」


 手振りで促し、街道を外れて聖域に向かう小道を辿る。

 猟師小屋を通り過ぎて森に入る手前、開けた草地の片隅に、黒ずんだ灰色の石がぽつんと佇んでいた。その周辺はきれいに草が刈られ、菫が寄せ植えされている。

 エリアスが早足になり、もうそれしか見えていない様子で墓に向かっていく。カスヴァは静かに離れ、木立の奥へ入った。ユウェインはどこまで行ったのだろう。早く見付けて知らせなければ。


 大声で呼ばわってエリアスの祈りを邪魔したくないのもあり、カスヴァは木々の間をあてどなく歩き回った。小声で名を呼んでみたりもしたが、反応はない。

 しばらく探して諦め、彼は草地へ戻った。

 赤毛の青年はまだ墓の前に膝をついていたが、足音を聞きつけて立ち上がった。泣いているのではないか、とカスヴァは慮ったが、無用の心遣いだった。エリアスの目に涙はなく、ただ冷え冷えとした敵意と鋭い追及の意志だけが光っている。


「カスヴァ殿。ここには村の者の耳目は届かず、司祭ユウェインもどうやら近くにはいない様子。包み隠さぬ真実を答えてもらいたい。……グラジェフ様はなぜ死んだのか。貴殿はその場にいたのだろう、ならば我が師が銀環に術を施したことも知っているはずだ。その時の詳しい状況を教えて欲しい」

「……」

「虚言を弄して逃れようとはせぬことだ。貴殿からは隠し事の匂いがぷんぷんするぞ」


 厳しく決めつけ、エリアスは剣の柄に手を置く。カスヴァは瞑目し、眉間を揉んだ。そんなに自分はわかりやすい人間なのだろうか。

 緊張した沈黙が続く。カスヴァは爪先を見つめたまま、言うべき言葉を探した。ユウェイン――否、悪魔エトラムであればさぞかし巧みな嘘で切り抜けたろうが、その当人をここに呼ぶわけにはいかないと来る。


(いや待て、そもそも俺があいつを庇ってやる必要があるのか? あいつが悪魔だなどと瀬戸際まで気付かなかった、村の危機を盾に契約を迫られた、と言えば、少なくとも俺は罪を逃れられる。事実その通りじゃないか)


 姑息な考えがちらりと脳裏をよぎった。そう、嘘ではない。何も間違っていない。悪魔を売って、我が身と息子と村の安寧を買うべきではないのか。

(だがそれでも、あいつはユウェインで……オドヴァの命を救い、村を守ってくれた)

 苦悩するカスヴァの耳に、微かな足音が届く。同時に、目の前でスラリと剣が鞘から抜かれた。


「その沈黙こそが答えであると理解して良いのだな」

 神銀の刃のきらめきが、戦の記憶を呼び戻した。カスヴァは口の端を歪めて笑う。

「剣を抜くのか。まだ何も定かでない状況で、罪のあるなしにかかわらず、信念のみに依って斬る。ふん、子供たちの判断が正しかったようだ――父上を殺しに来た悪魔だ、と」


 悪魔呼ばわりされた当人は、さすがに不快げに顔をしかめた。反論しようとしかけ、だが、はっとして振り返る。草地の奥、森との境に、いつの間にかひっそりともう一人の司祭が佇んでいた。


「な……貴様」

 エリアスがかすれ声を漏らし、たじろぐ。カスヴァは二人の司祭を見比べながら、無意識にうなじへ手をやった。じんわりと熱い。

(勝算があるから出て来たんだろうな?)

 カスヴァがユウェインを睨みつけると、腹立たしいほどいつも通りの柔和な笑みを返された。ユウェインは待ち受ける二人の緊張などお構いなく、むしろ肩から提げた鞄が灌木の枝にひっかかりそうなのを気にしながら、平然と草地へ進み出た。

 エリアスが顔をひきつらせ、後ずさる。明らかに恐怖の反応だ。一方のユウェインはまるで無頓着に近寄り、カスヴァに並んだところで足を止めると、銀環に手を添えて一礼した。


「ようこそチェルニュクへ、特使殿。主と聖御子の祝福があらんことを」

「……っ」

「ああ、看破の術をかけたままでは、眩しすぎるだろうね。何しろ今しがたまで、せっせとそこらじゅうを清めていたもので」

「ふざけるな、白々しい!」


 エリアスが怒鳴り、顔をしかめたまま剣を構えた。脅しではない、攻撃の体勢。だがその切っ先は小刻みに震えている。恐れゆえか激昂ゆえか、いずれにしても危険には違いない。カスヴァは身を守ろうと己の剣に手をかけた。


「よしなよ、カスヴァ。君まで抜いたら収拾がつかない」

「だが……」

「大丈夫。彼がグラジェフ殿の弟子なら、話せばわかる相手だよ。そうだろう? 目を開き耳を澄ませて多くを知れ――それとも案外、不肖の弟子かな。グラジェフ殿は僕の正体を見抜いた時も、そんなに動揺しなかったけどね」

 しれっと『正体』だとか暴露した悪魔に、カスヴァは苦虫を噛み潰す。

「おまえ、そんな不用心に」

「仕方ないよ、とても穏便にお引き取り願える様子じゃないんだから。それに僕も、現役の浄化特使にはひとつふたつ尋ねたい事があってね」


 二人のやりとりを聞いていたエリアスが、忌々しげに小さくつぶやいた。看破の術を解いたのだ。ひとまず剣を下ろし、改めてユウェインに向き直る。


「なるほど、魔道士か。司祭が堕ちたなら告発する者もいない道理だな。カスヴァ殿はそ奴の正体を知っていて庇うつもりか」

「惜しいけど外れだよ、弟子君。もしかして、まともに話の通じる悪魔に出くわしたのは初めてかい? 一目でわかるほど霊力に溢れている悪魔。そういえば僕もここしばらく会ってない気がしてね……ああいや、僕の疑問より、君に説明するほうが先か」


 まるで他人事のように淡々と、身の上を語る。どうにか隠しおおせないかと頭を絞ったカスヴァが虚しくなるほどに。


「たまたま僕は、外道に襲われて死にかけの司祭を見付けて、助けることにした。願いを絆に肉体を乗っ取る悪魔のやり口は、説明するまでもないね。ところがその願いが『良き司祭でありたい』なんてものだったせいで、僕は司祭ユウェインとしてふるまうしかなくなった。ろくに力も使えない。そんなところを外道に襲われて、偶然グラジェフ殿が来てくれたけど、もう全滅する以外の未来はなかった。だからカスヴァが魔道士として契約し、僕の代わりに力を振るって外道を倒し村を守った。納得してくれたかい」


 油断していると流されるがまま認めてしまいそうな、滑らかな口調と声。だがむろんエリアスは違った。無言のまま、本当か、と質す目つきでカスヴァを睨みつけてくる。


「すべて事実だ」カスヴァはため息と共に認めた。「浄化特使として悪魔を討たねばならないのは承知だが、頼む、見逃して欲しい。悪魔憑きとは言っても、今ここにいるこいつは、確かに司祭ユウェインの身体と魂をまだ持っているんだ。悪魔エトラムだけを引き剥がして滅ぼすわけにはいかない」


 真面目にそこまで言った途端、エリアスがぎょっとなり、横でユウェインこと悪魔エトラムが渋面になった。

「あーあ。敢えて言わずにおいたことを、つるっと言っちゃうんだからなぁ、君は」

「何のことだ?」

「名前だよ。霊と言えども名前の持つ力は……」

 やれやれと悪魔が説明しかけたのを遮り、エリアスが狼狽の声を上げた。


「エトラムだと? まさか、あの『炎熱の大悪魔』エトラムか!?」


 叫ぶように言って、彼は再び身構える。カスヴァは驚きに目を丸くして、横に立つ者を見つめた。教会の記録に名を残し、あの、だとか強調されるほどの大物だったのか。

 しかし当の大悪魔は相変わらず人間ユウェインにしか見えなかった。曖昧複雑な顔でちょっと頬を掻き、ちらりと拗ねたような視線を幼馴染みにくれて一言。


「笑わないでよ?」

「――っ」

 直後にカスヴァはふきだしてしまい、怒ったユウェインに背中を殴られた。

「ちょっ、ひどい! 人が笑うなって言った途端に笑うか! 友達甲斐がない!」

「馬鹿野郎、おまえが余計なこと言うからだ! 黙っていれば聞き流したものを! 大体なんだ、炎熱の大悪魔だと? そんな御大層な二つ名があるのなら、窯がどうとか大騒ぎしないでパンぐらい指先ひとつで焼け!」

「熱伝導の原理から説明しなきゃ駄目!? じゃなくてそもそも僕が名乗ったわけじゃないよこんな恥ずかしい渾名!」


 状況そっちのけで言い合う様子は、まるきり悪童がそのまま大きくなっただけの二人である。エリアスの肩から力が抜け、構えていた剣がよろめくように下がった。落ちた切っ先が地面の小石に当たってカチンと音を立て、それで我に返った二人は決まり悪そうに口論をやめる。


 気まずい沈黙に、エリアスのため息が重々しく響いた。

「随分、馴染んでいるようだが……悪魔憑きと魔道士、共に見逃すことなど許されない。契約を破棄し、正しき道に立ち返るならば、魔道士に対しては慈悲もあろう。だが悪魔は滅するのみ。それが大悪魔であろうとも」

 己に言い聞かせるように告げ、きっ、と顔を上げる。その引き締まった表情を見てユウェインが眉を上げ、同情的な声音で残酷な言葉を放った。


「君には殺せない」

「いいや、殺す」

 浄化特使の双眸に憎悪の火が点り、カスヴァの手が反射的に剣の柄を握る。独り冷静な悪魔憑きが、悲しげに首を振った。

「無理だ。今は私の『願い』が悪魔としての力を抑えているが、悪魔だけを引き剥がせない以上、この肉体ごと殺し、私の魂を砕かなければならない。だがそうした瞬間、悪魔は自由になる。……悪魔エトラムの力は人間一人ではどうにもできない。巨大な山を匙一本で崩そうとするよりも無謀だよ」


 愕然としたのはエリアスよりも、カスヴァのほうだった。思わずがっしと司祭の肩を掴み、強引に振り向かせる。唇がわななき、嗚咽じみた声をこぼした。

「……ユウェイン?」

 返事はなく、ただ儚い微笑のみ。瞬きひとつでそれは消え、奥歯の痛みを堪えるような歪んだ笑みに変わる。

「ああ、まったく聖職者というのはしぶといよね。すっかり混じりあっているかに見えて、時たまこうして結晶する。願いが成就されない限りずっとこのままかな」


 自嘲まじりのつぶやきに、直後、エリアスがあっと叫んだ。

「だからか! だからグラジェフ様は、『司祭ユウェインの地にある限り』という言葉を」

「なんだって?」

 今度はユウェインが血相を変えて聞き返し、カスヴァの手を振り払ってエリアスに詰め寄る。

「どうしてそれを知っている。まさか読み解いたのか、あれを? いったい誰が!」

 彼の驚愕と動揺に、エリアスは余裕を取り戻して笑う。

「ほう、随分慌てるな。よほど知られたくなかったか。貴様のその顔、グラジェフ様がご覧になればさぞ満足なさるだろうとも」

 だがそれも長続きはしなかった。ユウェインは焦りや恐怖に駆られたのではなく、いたって真剣に、理性的に続けたのだ。


「何を言っている。元より発動してしまった術を後から読み解くのは至難のわざだ、しかもあの銀環には僕がさらに《霧》をかけておいた。つまり、悪魔しか知らないほど古い術で、それとわからないように隠蔽しておいたんだ。なのに暴いて、術の正確な文言まで明らかにしたとなれば、まともな人間ではありえない!」

「――」


 エリアスが声を失い、カスヴァもまた衝撃に打たれた。

 麻痺したような息苦しさが落ちる。重い沈黙の鎖を断ち切って、カスヴァは言葉を押し出した。


「どうやら、腰を据えて話し合うべき事柄があるようだ。特使殿、剣を収めてくれないか」

「悪魔と話し合うことなど!」


 言葉尻に被せてエリアスが吼え、誘惑を断ち切るように剣を大きく一振りする。慌ててユウェイン飛びすさったが、エリアスも本当に斬りつける意図はなかった。空を切った剣先を睨んで舌打ちし、忌々しげに鞘へ収める。

「……だが。目を開き耳を澄ませるべき局面ではあるようだ」


 ほっ、と二人分の安堵が吐息になる。エリアスはじろりと睨みつけ、薄らがぬ敵意をぶつけた。

「言っておくが貴様を許したわけではないぞ、悪魔エトラム。師の仇は必ず取る」

 仇、と言われて、一瞬だけユウェインのまなざしが揺れた。無意識に横を見そうになったのを寸前で堪えた、ごくわずかな変化。だがそれだけで充分だった。


「……貴様が殺したのか」


 激怒のあまり蒼白になったエリアスが、魔道士にひたと目を据える。強烈な視線を受け止めかねたカスヴァは、小さくよろけた。唇を噛んでうつむき、何も言わずただ手を拳に握る。


「そこで黙ってしまうのは君の悪い癖だよ」ユウェインが割って入った。「いったん憎悪が確定されてしまったら、後から実は違いますと釈明したところで、感情を覆すのは不可能に近い。言い訳じみていようが見苦しかろうが、事実は事実として伝えるべきだ。でなければ、お互いに後悔するよ」


 むろんカスヴァは押し黙ったままだ。諭されて素直に口を開く性分なら、こんな大人に育っていまい。幼馴染みもそれは承知で、やれやれという顔をしつつエリアスに向き直って代弁した。


「さっきざっと説明したように、僕ら三人と外道との戦いは絶望的だった。最後の手段として、カスヴァは契約を選んだんだ。自分の魂ひとつでチェルニュクが救われるなら安いものだ、と言ってね。英雄的だろう? ともあれ、おかげで外道を灼き尽くすことはできた。その時にはグラジェフ殿も恐らく、もう助からない深手を負っていたろうね。だからこそ最後に彼は、せめて魔道士だけでも殺しておこうと襲いかかった。幸いこの大悪魔は今、契約者なしではろくに力をふるえないらしい、ならば……とね」


 穏やかな語り口が、場の空気を緩める。次に彼は友人に思いやり深い声をかけた。


「グラジェフ殿は決して、君を邪悪と断罪したのではないよ。どんなに誠実で利他的な若様でも、悪魔と契約してしまえばいずれ毒され堕落する……そうなる前に、ということさ。戦い終わって放心していた君が、敵を誰かと認識できなかったのはやむを得ないし、グラジェフ殿も反撃は覚悟していらしたろう」

「それでも、俺がとどめを刺したことは」

「間違いない、うん。でもグラジェフ殿は恨み言なんか遺さなかっただろう? むしろ君に後を託した。だったら君が自らを罰するのは、遺志に背くおこないじゃないかな」

 柔らかく優しい口調ながらも、その言葉は力強さをもって心に響く。カスヴァは瞑目し、言われたことを噛みしめた。


 二人のやりとりを聞いていたエリアスが鼻を鳴らし、冷ややかに水を差す。

「さすが、悪魔は口が達者だな」

「ひどいな。純粋に友人として、司祭として、話していたつもりなんだけど。君には悪魔の詭弁に聞こえたのかい。グラジェフ殿の弟子にしては随分、頭が堅くて無慈悲だね」

 言い返されたエリアスがぴくりと頬をひきつらせる。あからさまな挑発ならまだしも、ユウェインの表情は淡泊にただ呆れていたのだ。相手をするにも値しないとばかりに。


 エリアスはぎりっと歯を食いしばった。

「貴様が師の何を知っていると言うのだ」

「確かに僕は一度会っただけで、弟子の君ほどよく知っているわけじゃない。それでもね……僕は彼に、司祭ユウェイン個人としての重大な秘密を打ち明けた。その時の対応を見て、柔軟な考え方のできる懐の深い人物だというのは充分わかったよ」

 彼が何のことを言っているのか、カスヴァは察してごほんと咳払いした。気まずくなる前に切り上げてしまいたい。

「ともかく、いつまでもここで立ち話しているわけにもいかない。殺し合うのでなく話し合うのなら、館に戻ろう。客人の食事や寝台の用意も言っておかないと」

「ああ、そうだね」

 ユウェインはうなずき、それから遠慮を思い出したように一歩下がってエリアスに問うた。


「もう少し時間が要るかい?」

「……いいや。結構だ」


 人間らしい気遣いを示されて戸惑ったように、エリアスは顔を背け、最後に短い黙祷を捧げてから決然と墓に背を向けた。


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