序章
序章
雨が夜を連れてくる。
日暮れにはまだ充分余裕があったはずなのに、空は暗くなり、森の黒さが深みを増してゆく。
沛然たる雨に打たれ、細い田舎道は瞬く間にぬかるんだ。滴が跳ね、泥を飛ばす。歩みを速めた靴の下で砂利が鳴く。
城塞都市ノヴァルクと東のチェルニュク村を結ぶ街道は、常から寂れ気味だ。今や見える範囲には誰もおらず、人家の影もない。ただひとりの旅人は、外套の頭巾を深くかぶり直した。若い横顔は不安に曇り、唇は休むことなく動き続けている。
「……守りたまえ、聖御子と主の御名によりて……魔の影を払い光をもたらしたまえ」
神とその御子に救いを求める祈祷の聖句。外套の下で、司祭の証たる銀環を握り締め、刻まれた紋様を指先でなぞりながら、彼は一心に祈る。
それを嘲笑うように、小道の両側から森が迫りつつあった。
雨音に、軋るような異音がまじる。
「我らの魂を導きたまえ、誘惑を退け《聖き道》へと立ち返らせたまえ」
息が荒くなり、祈りが震え高まる。呼応するように木々がどよめいた。
――無駄ダヨ……哀レナ……無力デ弱イ……
くすくすくす。
悪意に満ちた囁きに耳を貸さぬよう、司祭は断固として前を睨んだまま、さらに足を急がせた。榛色の瞳が映すのは、不鮮明に煙る世界。道はもうほとんど見えないが、間違えたはずはなかった。子供時代の確かな記憶、この先にはふるさとがある。
――ナイヨ……行ケナイヨ……
「御名は我が護り、我が光、あまねく地上を照らしたもう……」
振り返れば喰われる。茂みから魔のものらが身を乗り出し、すぐ背後にまで迫っているのをひしひしと感じながら、彼はひたすら祈り続けた。
雨が声をかき消してゆく。暗がりの奥に獣の目が光った。




