神殺し
目の前の男が死んだ。
最期まで悪の味方をし、正義に敗れた人間。
こんな人間は初めてだ。
私に歯向かった存在は多いが、ただの人間がここまで抵抗してくるのは初めてだった。
大抵の人間は私の力によって同じ正義を志すようになる。
でもこの人間は最後まで己の正義、という物を押し通した事になるだろう。
死んでしまえば元も子もないが。
正義とは生きてその正義を掲げる事に最大の意味を発揮する。
死んでしまえばその正義は掲げられることなくすべての民衆から忘れ去れ、なにも生み出さない。
故に勝つ事が前提となる。
正義は勝つという言葉が人間はよく使うようだが、私から言わせれば勝った者が正義を掲げるという表現の方が正しい。
そしてこの世界でも私は正義を掲げる事が出来る。
【絶対正義】として勝利し続けるのは当然の義務だ。
そうしなければ正義とは名乗れない。
そう思っていると私頬に何か液体が触れた。
手で触って確認してみると、どうやらこれは器が流した涙らしい。
何故この器がこの男の死を見て涙を流すのかが分からない。
この器は幼少期の頃から正義に憧れ、いつかは正義の味方になろうとずっと生きてきた。
原因、理由関しては調べていないが、ここまで純粋に正義になろうとする人間は非常に少なく、希少であり私の器として最適であった。
人間の掲げる正義のほとんどは承認欲求である。
良い事をしたから誉めてくれ、良い事をしたのだから自分の事を見てくれ、そのような願望を叶えるための道具の1つが正義と言う隠れ蓑だった。
それゆえ他の方法で認められると知ればあっさりと寝返る。
正義なんてものは所詮彼らの中にはなかった。
しかし彼女の中では正義であり続ける事が重要視されていたため、そのような事態にはならなかった。
正義であり続けようとするその姿勢が私の器として最も都合がいい物だと断定する。
前の世界ではあの悪達が私の信者を殺し続けた事による影響で存在が希薄になってしまったが、彼女の魂に私の魂を混ぜる事で私は今もこうして生きている。
確かにあの世界で私は敗北したと見られても仕方がないが、実際にはこうして生きて再び悪を滅ぼす事が出来る状況にまで回復した。
この世界なら私のへの信仰は、前の世界を上回るだけの信仰心を得る事が出来る。
これ単純に世界人口の違いだ。
こちらの世界の方が人口が多いのでさらに大きな力を得る事が出来る。
私は最後まで男が守ろうとした悪達に剣を向ける。
もちろん最初に剣を向けるのは裏切り者だ。
「【天使】。まずは裏切り者であるあなたから断罪しましょう」
「……こうして言葉を交わすのは久しぶりですね、主よ」
「ですがどうしても分からない事があるので私の疑問に答える時間だけは与えましょう。何故裏切ったのですか」
私から生まれた私の分身体、それがこの天使の正体。
人間で言うならクローンと言う言葉が適当だろうか。
だからこそ分からない。
同じ正義を目指していると言っていいはずなのに、天使は裏切った。
それが本当に分からない。
「……私が裏切った理由は何度もおっしゃったはずですが」
「人間は正悪どちらも有しているから、ですか。しかし今のように人間を常に正義の側に立たせることは可能です。これは私が言わなくても分かっていた事でしょう」
「ですがそのために洗脳をしたり、言葉巧みにありもしない幻想を現実のように言う。これは悪では」
「悪ではありません。人類が正義と言う物になるための必要な過程です」
「私は言いました。彼らの欲と言う物は決してなくならない。だから悪をなくすことは出来ない。だからこそ悪としてその欲を管理すべきではないかと」
「正義のために悪になっては本末転倒。正義のまま正義を完遂するからこそ人類は憧れ、正義を尊いと言うのです。勧善懲悪。誰もが憧れる理由がこの言葉でしょう」
「しかし人間の欲は汚い物ばかりでもありませんでした。その証拠が彼、柊様なのです」
「欲は様々な物を暴走させる危険な物です。そしてそれを軽視していたからこそ前の世界では失敗した。よって今後人類から欲を消します」
「その場合人類は人類と本当に言えるのでしょうか」
「概念的人類は求めていません。人類と言う血筋が残っていればいいのです。そうでなければ私の目指す【絶対正義】は達成されない」
私がそう言うと天使はなぜか私を哀れむような視線を送ってきた。
まるで可哀想な物を見る目に私は疑問に思った。
「何故そのような視線を送るのです」
「当然です。あなたは私よりも長い時間を生きているのに、私よりも感情が希薄だ。その事に哀れんでいます」
「それが何だと言うのです。感情によって正義が揺らぐことは許されません。徹頭徹尾、最後まで私の正義を完遂しましょう」
「あなたの正義は完遂できませんよ。あなたの天敵が今生まれました」
その言葉で気が付いた。
予想外の事が私の後ろで起きていた。
それはさっき殺したはずの男が驚きながら私に刺された痕の場所を触っていたからだ。
傷が治っている事に安堵したと思われる男は私に向かってくる。
「コンテメェ、これも計算か」
「まさか。柊様を犠牲にする計算などしたことがありません」
「生きてるから犠牲じゃないって言いそうな雰囲気ありますが?全く。あ~ヤダヤダ」
理解できない。
目の前の男は確かに人間だ。
人間なのに何故私は怯えている?
さっきと同じように殺せばいいだけのはず――!?
男が私に視線を向けた時、私の武具が勝手に私から外れた。
何か特別な魔法や化学を使った様子はない。
いや、この感覚は分かる。
これは権能だ。
神々が司る権能による力!!
落ちた聖剣を拾おうとするが、聖剣はびくともしないほどに重く持ち上げる事すらできない。
魔法を使おうとしても何故か使えない。
神の力を使えなくする権能なんて存在できないはずだ!!
「あなたは何者ですか」
「俺?俺は人間だよ。ごく普通の人間」
「そんなはずありません。神でなければ権能は使えない!!」
「いや本当に人間なんだよ。まぁこの世界の壁って奴を直すのに力使い切ったとか?」
「その場合権能も使えない!!いえ、それ以前にあなたが神として存在できていること自体が異常なのです!この世界の人間はすべて私の信者となっている。つまりあなたの信者は0人。それなのに何故権能が使えている!?」
あまりにも異常な事態。
悪と言われている彼らの計算?
本当にここまで計算して戦っていたと言うのか。
「いや、その辺の事は全く分からないんだが……まぁいいや。とりあえずこれ以上好きにはさせねぇぞ。クリスマスパーティーの準備もあるんだから」
「こ、こんな時に娯楽の心配ですか!?」
「当たり前だろうが。ぶっちゃけもう勝ち確なんだよ。他のみんなの事見てみろ」
他?
よく分からない言葉に周囲を見渡してみると、武器を構えていたはずの人間達が戸惑いながら武器を降ろしている。
個体によっては驚いて落として、さらに周囲が驚いているという光景も見えた。
まさか……
「洗脳が解けている?」
「当然。せっかくお前の事をどうにかできそうなのに邪魔されちゃ困るからな。洗脳は全部解いたぞ」
「な!」
「いや~なんかよく分かんないけど俺の力で地球中の人達の洗脳解けてよかったわ。後遺症とかないと良いけど」
なんて事のないように言うこの人間の男に私は気が付いた。
そして天使を厳しく睨み付けながら言う。
「あなたが言っていた天敵とはこういう事ですか!!」
「ええ、こういう事です。彼は我々超常の存在にとっての、最大の天敵です。いえ、人型だったら誰もがこうなってしまうかもしれませんね」
この人間は神でありながら神ではない!!
この人間が司っている者は人間そのもの!!
この人間が行っている事は、全ての超常の存在を人間に堕としている!!
これは一種の神殺しだ。
目の前の神を神ではなく人間として認識する事で起こす神殺し。
神を信じていないからこそ行える神殺し。
これほどまで神に屈辱を与える殺し方があるだろうか。
これでは神として生きていた力や知識など一切役に立たず、しかもあの人間の男が私を人間だと思っている限り永遠に続く。
つまり神としての力を一切使う事が出来ない。
生きたまま、戦わないまま殺された!!
「貴様!!私をただの人間と言う気か!!」
「え、当然だろ。俺の中で人間だ」
「そう簡単に結論付ける事が出来るはずないだろ!!第一神をこうも簡単に人間に堕とすなど普通は出来ない!!一体どうやった!!」
「そう言われてもな……前からコンに言われてたんだ。神様になろうと思えばなれるよって。でも俺は神様じゃないし、神様になる気もない。で、ちょっと発想を変えてみた。考え方を変えてみた。それにさっき死にかけている時に言われたんだよ、お前は傲慢だって」
「傲慢?」
「そう。さっき死にかけている時に神様?みたいな白い人型のシルエット達が俺の事をみんなして言うんだよ。お前は悪の象徴を人間として見ている傲慢な人間だって。だからそれを言われて気が付いた、思いついた。神様を自称している奴を人間にすればどうにかなるんじゃね?ってな。そしたら俺はほんの一瞬だけ神様になって、でもこの能力を使っている間は俺もただの人間になるから結局普段と何も変わらねぇんだよ。俺にとっては、だけどな。だからお前だけ弱体化して人間になっちゃったんだよね」
それは、それは確かに傲慢だ。
神と言う超常の存在を指さしながら人間だと言い、実際に人間にまで堕とす。
何と言う凶悪さだ。
正義と言う強大な力を持つ神が、たった1人の人間に負けるとは、想像すらしていなかった。
だがそれでも。
「たとえ人間になろうとも私は【絶対正義】の神!悪に屈するつもりはない!!」
「だらくそ!!」
人間の男は奇妙な叫び声を開けながら私に走ってきた。
突然の事に身構えたが、男は私の背中に回り込みながら片腕を背中に回す。
この程度と思ったが今はただの人間の女である事を失念していた。
今の私はただの人間の女。神としての力がなければ、力の差で男に負けるのは当然だった。
振り払う事も出来ず腕を後ろに回された後、男は私の足を払い前に押し倒した。
地面にぶつかる衝撃と、男の体重のせいで息が吐き出る。
「がはっ!」
「確保!!確保だ確保!!縄!!もしくは手錠!!何でもいいから拘束できる物持ってきて!!」
男は慌てながらそう周囲に叫んだ。
ああ、なんとみすぼらしく、みじめな終わりか。
神が人間に組まれ、殺される事もなく拘束される。
私と言う正義は、また成しえる事が出来ずに終わるのか。




