【愛欲】の母神
まだ眠くてやる気が起きないし、先輩達も昨日の奥さんとの戦いで疲れていたので今日は1日好きに休む事となった。
せっかくの海だし、海らしい事がしたいので釣り竿は借りて、エサは買ってのんびり釣りをしているつもりだ。
つもりと言うのはまぁ……全く魚が釣れないからである。
まぁどのポイントが釣れやすいのか聞いたわけじゃないし、ただボ~っとする口実のような物でしかない。
それより朝出かけた奥さんは大丈夫かな~っと思っていると、ちょうど浜辺に奥さんが上がってきた。
俺は奥さんに手を振りながら「お帰り~」っと言うと、奥さんもにこやかに手を振り返しながらこっちにやってきた。
「ただいま~、柊ちゃん。今日は走らなくていいの~?」
「今日はみんな休みらしいから俺も休み。のんびり釣りをしてたんだが……全く釣れん」
「あらあら~。ちょっと残念ね~」
「で、奥さんの方は大丈夫だったんですか?」
「大丈夫よ~。ちょっと地元の子の事を驚かせちゃったかもしれないけど~」
そう言いながら俺の隣に座る奥さん。
驚かせたがどれくらいの規模なのか気になるが、結局俺にはどうする事も出来ない事なのは間違いないから気にしても意味ないか。
「ま、奥さんが無事ならそれでいいか」
「柊ちゃんは本当に大胆ね~。これでも私、世界を滅ぼした存在の1柱なのだけど~?」
「直接見たわけじゃないし、その前に死んでるから何とも言えん。でもまぁあれだ。きっとみんな同じ感じだと思うぞ。自分が死んだ後の世界がどうなったのか、知りようがないんだから多分平和になってるだろうって感じだと思う」
「……滅ぼしたって言ったのよ、私」
「それも結局俺以外の人間がお前らの事を知ろうともしなかったのが原因だろ。でも俺はお前達の事を知っているから共存の道もあったんじゃないかと思うが、他の連中はそうしようとはしなかった。なら殺し合いになるのも仕方ない。そして物語じゃないから正義が勝つとは限らない」
前世の事はぼんやりとしか覚えていないが、俺以外みんなに歩み寄ろうとすらしていなかったことだけは状況から察する事が出来る。
何故他の転生者達は前世の事をはっきりと覚えているのに、俺だけぼんやりとしか覚えていないのか分からない。
きっと理由と呼ばれるような事を全くしていなかったからだろう。
それはそれで何でみんなの事だけははっきりと覚えているのか分からないが。
「……そうね。きっと正義は私達の事を倒そうとした人達で、物語なら倒されないといけなかったのよね……」
「その辺の事はよく覚えてないけど、それでも俺は奥さん達が生きてくれて良かったって思ってる。まぁ本当に他の事が思い出せないからなのかもしれないけど」
「……柊ちゃん」
「でも前世の頃の事を無理に思い出そうって気も実はしないんだ。忘れたって事は大した事のない、モブキャラA、もしかしたらモブキャラにすらなれないような生き方してただけかもしれないし、ぶっちゃけどうでもいい。今が幸せだと思えるのならそれでいいかなって思う」
そう言っていると奥さんは俺の肩に頭を置いた。
今は座っているため奥さんの頭は俺の肩より少しだけ高い位置にある。
こんな風に奥さんが甘えてくるのは珍しい。
「……しばらくこうしてていいかしら?」
「しばらくと言ってももうすぐお昼だからそれまでだぞ」
「それじゃそのあとも一緒にお魚釣りさせて。こうしてすぐ隣にあなたがいる事が、本当に安心できるの。だから……またさせてね」
「好きにすればいい」
釣りをしながら穏やかな時間がただなんとなく流れていく。
――
私、レディ・マザーは子供たちの様子を見るために私の世界に戻った。
そこは一見すれば近代日本と何も変わらない世界。私はこの世界の主として君臨している。
「あ、マザー様。今日もお元気ですか?」
赤ん坊を抱いた女性が私に話しかけてきた。
「ええ今日も元気よ~。みんなも元気~?」
「はい。今日もこの子と一緒にお散歩です」
「あらそ~。赤ちゃん産んだばかりなのだから、あまり動きすぎちゃダメよ~」
「はい。ありがとうございます」
そう言って彼女と別れた。
この世界には私の考えを肯定してくれたあの世界の人間の一部が暮らしている。
文化レベルは私達が滅ぼす寸前のレベルであり、もう発展はないが退化もしていない。
常に一定であり、何も変わらない日常。
そして私は最近この世界に招き入れた子に会いに行く。
その子は海が大好きなので海で暮らしている。
「坊や。顔を見せてちょうだい」
堤防で少し声をかけると坊やは顔を出した。
ついこの間アンノウンとしてあの世界に迷い込んでしまった海を泳ぐ恐竜に似た赤ちゃん。
既に体の大きさは50メートルを超えているが精神的はまだまだ子供。1人は寂しくて、母親がいないといけない。
私の本当の姿も海を泳ぐ恐竜に近いからこの子に受け入れてもらうのに時間がかからなかったのだけど。
この世界は私にとって理想郷だ。
基本的に愛を理由に私の信者を集め、救い絶対の存在である事を教え続ける。
この世界のほとんどが家族で私を崇める存在だ。
例えば子供が難病になり、余命いくばくである状態の家族の元に駆け付け、この世界に移住すれば元気に成長する事が出来る事を伝える。
そうすればその家族は子供のためにと私の世界に来て住人となり、今まで苦しんでいたはずの難病がどこかにきれいさっぱり消えていくのだから似たような環境の家族達もみんな私の元に来る。
そうやって人口を増やしてきて出来た世界がこの世界。
成長した子供が大人になり、正しい愛し方を教え、健康で健全に過ごす。
私が支配する未来のない世界。
子供が大人になって年を取り、死んでまた子供からやり直す。
この世界の中で死んだ子供達は必ずこの世界で生まれ変わる。すべて前世の頃と変わらない姿形で。
思考も私が教えた事だけは忘れず正しい愛し方を覚えているので私の言葉が間違っているという子は全くいない。
私に絶対的で従順な理想の子供。
きっと柊君がこの世界を見たらそう皮肉るかもしれない。
でも完全な否定もしない事を私は知っている。
柊君は、前世の頃から私の考えを聞いたうえで共感できるところは共感し、共感できないところは否定する。
当たり前と言えば当たり前だけど、世界から否定されていたあの頃はそんな当たり前すらできない環境だった。
話し合いの場すらなく、私の考えは世界を永遠の停滞に追い込む思考だと言われ、私が生んだ実の子供達からも否定された。
だから私は神の座を蹴落とされ、子供達にまた会いたいと願っても子供達は見ないふりをし、聞こえないふりをし、いつの間にか本当に捨てられてしまった。
それが今でもトラウマで、愛しているのに愛で返してくれない事に絶望し続ける。
だからまた話して愛して愛で返してくれる彼の事が――本当に好き。
「なんだよ奥さん。こんな事して」
あの日の彼も私の我儘で仕方なく膝枕されていた。
彼はため息をつきながらも私の膝に頭を乗せて過ごす。
そんな彼の頭を撫でるが彼はされるがままだ。
「こんな事したって俺は奥さんの事を母親だって思う日は絶対に来ないぞ」
「何でそんな寂しい事を言うの~?あなたはもう私の子供なのに~」
「奥さんの子供になったつもりはないって。それに、個人的にだがその間延びした言い方辞めてくれよ。なんかイラつく」
「そんな事言われても~、これもう癖なのよね~。……こう話せば怖くないでしょ~?」
子供達にいつの間にか怯えられるようになってから、言葉使いだけでも優しく、また昔のように愛情を持ってくれたらと思って話している間に癖になった。
昔はもっとはきはきと話していたし、こんな媚びるような間延びした話し方はしない。
でも幼い子供にはこうして間延びした話し方の方が警戒されにくくなる。
それを今もやっているのだが、イラつくものだろうか?
「癖なら仕方ねぇけど……と言うか奥さんの考える理想の子供像がマジで怖いんだけど。マザコンって言葉が生ぬるく感じるくらい闇が深いんだけど」
「そうかしら~?でも私はやっぱり子供はいつか母親の元に帰ってくるものだと思うけど~?」
「まぁ似たような事は他の所でも聞くが、それでも奥さんはやりすぎ。独り立ちしたならある程度放っておけばいいじゃん。俺も同じ男だからさ、分かるよ。いつまでも母親が介入してくるとなんかこう、落ち着かないというか、子供扱いされたくないというか」
「……子供扱いっているとどんな事かしら~?」
「えっとうちの親で例えると……学校の友達は大丈夫かとか、学校でいじめられてないかとか、見ず知らずの人と喧嘩したりしないのかとか。いや本当に俺今いくつだと思ってるんだよ。もう高校生だっての。そんな意味もなく暴れるような年じゃないから」
「でも~今こうして学校サボっちゃってるじゃない~。心配するのは当然よ~」
「頭じゃ分かってる。でもな、やっぱり子供扱いは嫌なんだよ」
「どうして嫌なのよ~?」
私は彼の言葉を一字一句聞き逃さないようにする。
子供たちはどうして嫌なのかと聞いても怒ってすぐにどこかに行ってしまった。
もしかしたら彼の言葉の中にそのヒントがあるのかもと思ってしまう。
そして彼は話し出す。
「だって子供扱いされるって事は信用されないって事じゃん。自分で間違っていないと思う事をしていても、自分の考えを否定されているような気がするんだよ。そりゃ俺はまだ10年ちょっとしか生きてないから親から見れば当然なのかもしれないけど、それでも生きたんだよ。生きてる間に自分なりの価値観って奴はもうあるんだよ。生きて死ぬまでずっと親の価値観を押し付けられて生きていくなんて息苦しすぎる。だから今日もここに居るんだよ」
自分の考えの否定。
価値観の違い。
自身の価値観の押し付け。
………………なるほど。
「言いたい事は分かったわ~。それであなたのお母さんからはなんて言われてるの~?」
「そりゃまぁ『私の方が長く生きて社会の事をよく知っている。だから知らない子供は私の言う事を聞いていればいいの』ってよく言われる。んな生きてる年数言われたらどうしようもないっての。俺は10数年で、母親は何十年も生きてるんだから実体験の事言われたらどうしようもないって。生きた年数使ってくるのはズルいって。同じだけの時間生きてきた訳じゃねぇんだからよ」
「なるほどね~」
どうやら彼の母親は私とあまり変わらない価値観のようだ。
過保護で、母親より経験がないから弱い存在と決めつけている。
きっと私も同じように子供たちに接してきてしまったのだろう。
だから私も嫌われた。
謝りたいけど、もうあの子達は私の事をいなかった物として扱っているだろう。
もう、とっくの昔に忘れているかもしれない。
「…………それじゃどんなお母さんだと良いかしら~」
「どんなって……そりゃこっちの考えを認めてくれる母親が良いな。頭ごなしじゃなくてこっちの考え方をちゃんと聞いてくれる母親が良い。でも全肯定じゃなくてもちろん間違ってる事だったら間違ってるって言ってほしいけど」
「それは難しいわね~。それこそ否定するときは自分の経験や価値観が入ってくるもの~」
「分かってるけどさ、ただの理想なら別にいだろ。自分でも行っててかなり難しい事求めてないか?って思ったくらいだからさ」
そういう彼はふと気が付いたように、他人事のように言った。
でもこれもまた子供の主張だというのなら、私の考えも改めなければならない。
自分で行っておいてなんだが、確かにこの世界は永遠の停滞に突入してしまった。
私がそういう世界を求めていたから。
母親にとって都合のいい素直な子供だけを求めていたから。
だからそんな間違いを気付かせてくれた彼が殺された時、本当に悲しかった。
苦しかった。
怒り狂った。
死にたくなった。
彼がいない世界なんてどうでもいいと、本気で思った。
だからこそここの世界では彼を絶対に守り抜く。
恩人であり、もう間違ってはいけない私のエゴを正すために。
それから私だって“女”だ。
他のみんなと同じように彼といつまでも一緒に居たい。
彼だけは特別に、子供としてではなく、夫として、夫婦として生きていきたい。




