第76-1話 消しゴムを拾ってもらっただけで恋に落ちるお年頃
廊下で待っているあいだ、013はスマートフォンをぽちぽちと弄っていた。
以前、月から買い与えられたものである。
「ゴミ処理場から消えた百台のルンパ……東京で二度の爆発事故でけが人多数…………世の中って物騒なんだな」
今後に役立つ情報はないかとニュースサイトを巡ってみる。
さすがに黒獣の目撃情報はなかったが、工作活動に長けた家が動いている可能性もある。
「おっ、なになに? 『厳選エッチなお姉さん画像 (メイド編)』、こいつは調査の必要がありそうだ…………!」
だんだんと飽きてきたのか画像サイトへ迷い込みそうになった矢先――
「ねえ、ちょっといいかしら」
「はいっ!?」
急に話しかけられ、思わず手が滑った。
手からスマートフォンが零れ落ち、そのまま床板に直撃する。
カシン、と鋭い音。
悪い予感を覚えつつ拾い上げてみれば、画面には無数の亀裂が走っていた。
「あっ……」
013の脳裏をいくつもの思考が駆け巡る。
修理しないと。でもどこで? 代金は? まさか未亜たちから借りるのか? やべえ仕事もしてないのに金だけせびるとかマジでヒモじゃん。くそっ、物質的には満たされてるけど精神的にはヒモじいぜ――などなど。
だが。
「あら、ごめんなさい。……でも安心して、このくらいならすぐに直せるわ」
細い指がヒョイとスマートフォンをつまみあげた。
「――《回想回帰の引用修復》」
淡い燐光が広がり、あっという間に画面のヒビが消えていく。
それを為したのは013の正面に立つ女性であった。
「ありがとうござ…………」
視線をあげたところで言葉を失う。
見惚れるほどに美しい女性だった。
穏やかに整った目鼻立ちもさることながら、まるで幻想の世界から抜け出してきたような金色の長髪。
それは窓から差し込む陽光を受け、形容でも比喩でもなくきらきらと輝いていた。
「どうしたの? 【魅了の魔眼】は使ってないはずだけど……」
女性は身体ごとわずかに首を傾げる。
たったそれだけの仕草が、013にとってはひどく可憐に思えた。
「い、いえっ、大丈夫です! ありがとうございます!」
なぜだか耳のあたりに熱がこもるのを感じた。
ピシリと背筋を伸ばして佇まいを直す013。
「ふふ、まるで門番の兵隊さんみたい」
女性はくすくすと笑った。
たったそれだけのことで013はひどく幸福な気持ちになる。
「私はフィリスイリス・F・クラシア。ミアに会いたいのだけれど、この部屋でよかったかしら」
「は、はいっ! ここであります!」
「もしかして貴方も用事? だったら一緒に行きましょうか」
コンコン、コンコン。
ノックを4回。
「フィリスよ。やっぱり日本って遠いわね。入ってもいい?」
『どうぞ』
ドア越しに聞こえたのは未亜の声。
アルカパとの話はひと段落ついたのだろうか、穏やかな響きを伴っていた。
* *
「はい、これお土産。王室御用達のショートブレッド (スコットランドの伝統菓子。バター風味の強いクッキーで紅茶に合う) と、うちで作ったマーマレードジャムよ。それから大英博物館謹製の名画キーホルダー (全12種コンプリート済)と、このマーマイトは嫌いな人に食べさせるといいわ。あとは――」
未亜、フィリス、013。
3名は畳の上に車座で座っていたが、中心の空間にはどっさりとお土産の山が生まれていた。
「い、いっぱい買ったんですね……」
さしもの未亜もこれには度肝を抜かれたらしく、表情も声も年相応のものに戻っている。
「そうかしら? これでもかなり絞ったつもりなのだけど」
事もなげに返すフィリス。
ちなみに013はそれを聞いて「お嬢様育ちなんだなぁ」と憧れの視線を送っていた。
「他にもお土産はあるけど、先に話を聞かせてもらいましょうか。芳人くんの《泥》が暴走したのよね」
フィリスイリスは高名な魔道研究者のひとりであり、元来、《無貌の泥》は彼女が所有していたものだった。
しかしながら1年前、どういうわけか《泥》は伊城木芳人と融合してしまう。
以来、フィリスは定期的に芳人の“検診”を行っていたが、
「直近の診察は2週間前、そのときのデータに異常はなかったわ。やっぱり原因は――」
「兄さんの《時間術式》と思います。綾乃ちゃんもアルカパ様もそう言ってました」
「私も同じ意見よ」
未亜の言葉に頷くフィリス。
「それにしてもアルカパ、ね」
「どうかしましたか?」
「まさかこの年になって本物の神様に会うだなんて思ってなかったわ。ほんと、長生きはしてみるものね」
数日前、フィリスは夢の中でアルカパと対面を果たしている。
その際に芳人の危機を知らされ、こうして日本を尋ねてきたのだった。
「で、アルカパはどこにいるのかしら。私、彼女に用事があるのだけれど」
「ごめんなさい。さっきまで一緒に喋ってたんですけど、朝輝さんたちに呼ばれたみたいで……」
「ミアが謝ることはないわ。女神のわりになんだか忙しそうね。神様ってのは奥でドーンと構えているものと思うけど」
芳人もとい黒獣が行方を晦ませてからおよそ6日が過ぎている。
この間、女神アルカパの働きは凄まじいの一言に尽きた。
――いきなりの急展開に戸惑う未亜たちを導き、芳人が置かれている状況を説明し、
――鴉城朝輝と白夜を説き伏せ、対黒獣のために退魔師を集めさせ、
――フィリスとそれからもうひとり、芳人に縁深い女性を日本へと呼び寄せた。
曰く、黒獣――終神のカケラが降臨したことで、その眷属神たるアルカパも力を増した。
おかげで現世への積極的な干渉が可能となり、昼も夜もパタパタとあちこちを飛び回っていた。
「まあいいわ、アルカパが戻ってくるまでここで待たせてもらうから。それで……えっと、貴方?」
「オ、オレですか?」
いきなり話を振られたせいだろう、013の声は上擦っていた。
「貴方も何か用事があってここに来たのでしょう? 何か訊きたいことでもあるのかしら?」
「ええっと……」
さてこのとき、フィリスのほうは「 (未亜かアルカパに対して) 訊きたいことでもあるのかしら」という意図だった。
しかしながら013の脳内は目の前の金髪美人さんでいっぱいであり、距離が近いせいかなんだか華やかな香りが漂ってくる。理性がヤバい。彼はクローンだが年相応の少年なのだった。クラクラする思考の中、飛び出してきた言葉は、
「フィ、フィリスさんって、彼氏、いるんですか……?」
本人すら予想していないものだった。




