第72-1話 伊城木直樹はろくでもない
5000文字を越えたので高度な政治的判断によって2分割します。
直樹くんの内心がとても読んでられない場合、マーニャさんの感想パートだけ見るという手もあるよ!
4歳か5歳のころだったか。
とあるアニメで「飲むと女の子になるジュース」というアイテムが出てきて、その回はやたらとドキドキしたのを覚えている。
見てはいけないものを見ているような気持ち。
リビングには誰もいなかったけれど、親がやってくるんじゃないかとビクビクしていた。
妙に照れくさくなってチャンネルを変えて、数十秒後にはやっぱりチャンネルを戻してしまう。
そうして結局、最後まで見てしまった。
――あの時、自分の中で何かが決定的に歪んだ。
月日は流れて、小学2年生の夏。
伊城木直樹はテレビのヒーローじみた少年に出会った。
八矢房芳人。
以後何十年にも渡る因縁と妄執のはじまりである。
彼らの関係にはひとりの女性が深くかかわっている。
神薙真姫奈。
直樹と真姫奈は幼馴染である。
4歳のころに結婚の約束をし、引っ越しで離れ離れになってからも互いにそれを覚えていた。
けれど直樹は恋をした。八矢房芳人のことを好きになった。
そして真姫奈も恋をした。八矢房芳人のことを好きになった。
歪な三角関係は、やがて予想外の結果に辿り着くこととなる。
直樹は失恋のショックで《精神干渉》の力に目覚め、それを芳人に対して行使した。
自分と真姫奈のことを忘れさせ、その深層意識に「恋人を作るな」という命令を刻みつけたのだ。
* *
(ひいい、なんかとんでもない闇が出てきちゃったんですけど!)
直樹の話はまだ始まったばかりだが、すでにマーニャは後悔し始めていた。
今まで知らなかった彼の一面は、あまりに病みすぎて怖気が走るほどだった。
同性愛は、まあ、よしとしよう。
そういう趣味はあちらの世界にも存在したし、元夫だって男妾を何人か囲っている。
ただ、恋に破れたからといって相手の記憶を弄ってしまうのはどうなのだろう。
しかも自分に惚れさせるのではなく、恋人を作れなくするあたりが陰湿というか捻じ曲がっているというか……。
(私、男を見る目なさすぎでしょ……)
今まで直樹のことは「魔法の研究にやたら熱心で、それ以外については優柔不断な優男」としか思っていなかった。
まさか、こんな本性を隠していただなんて。
ここから先もドス黒いエピソードが続くのだろうか。
おぞましい。
今すぐにでも逃げ出したい。
(でも、最後まで聞くって言っちゃったし、うん……)
諦めに近い覚悟のもと、マーニャは話の続きを促した。
* *
伊城木直樹は引っ越しを余儀なくされた。
これは芳人に対して《精神干渉》を使ったのとは無関係で、祖父の直久が強姦未遂を起こしたためである。
故郷の久板市は関東北部にあるが、そこから遠く離れ、近畿圏の地方都市へ。
名を生原市という。
かくして2学期からは新たな環境で新たなスタートを切る、はずだったが、
「芳人先輩、この前チカンを捕まえたんだって」
「チカンって、あの裸コートのオジサン?」
「うん。バスケ部の子が襲われてたんだけど、そこに駆けつけて、思いっきり蹴り飛ばしたみたい」
「どこを?」
「えっと……うん、ほら、アレ」
「うわ、痛そ……」
これはどういう偶然だろうか。
転校した先は、八矢房芳人と同じ小学校。
学年は向こうが2つ上なので顔を合わせることはなかったが、直樹としては己の罪を突き付けられるような心地である。
芳人はあいかわらず派手に暴れているらしく、いつもクラスメイト達の話題になっていた。
――頭のネジはトんでいるけれど、眺めている分には面白い。
扱いとしては珍獣めいたものである。
しかしながら時折、熱烈なファンが生まれることもあった。
「みんな芳人センパイのこと分かってないよ。あの人、ほんとはすごいんだよ」 (8歳女子・バスケ部)
「ヨシトくんのことを理解してるのはわたしだけ、わたしだけ、わたしだけ…………」 (12歳女子・委員長)
「上履き、こっそり交換しちゃいました。おいしかったです」(9歳男子・将棋部)
なんだかやたら愛が重い (穏当表現) 男女ばかりだが、彼らの存在は直樹の心をやけにざわつかせた。
「どうして僕はこんなにイライラするのだろう」
改めて考えてみれば、男を好きになるなんておかしいじゃないか。
気持ち悪い。
あの夏のことは気の迷い、そう、気の迷いだったんだ。
芳人なんかどうでもいい。
「僕はふつうに女の子と恋愛して、ふつうの大人になるんだ」
直樹は己にそう言い聞かせる。
彼の容姿はとても端正なものだった。
やや影のある儚い美少年。
おかげで女子からの人気は高く、告白されることも多かった。
にもかかわらず、直樹はすべて断っている。
なぜか気持ちが乗ってこないのだ。
どれだけ想いを寄せられても、相手への興味はゼロのまま――。
* *
(今度はモテ自慢が始まった件について)
苦い笑いを浮かべつつ、マーニャは相槌を打っていた。
(いやまぁ確かに顔はいいし、気遣いもできるし、私もそれでコロッといっちゃったけど……)
ドロッドロの内面を聞いた今では、「ないわー」と思う。すごく思う。
要するに八矢房芳人という少年への恋愛感情をこじらせにこじらせて、ややっこしいことになってしまったのだろう。
ちなみにマーニャは直樹の研究から遠ざけられており、その知識には多くの抜けがある。
当然ながら八矢房芳人と伊城木芳人が「魂としては同一人物」ということも知らず、「好きだった男の名前を自分の子供につけるなんて、ねえ?」などと考えていた。
* *
直樹にとって転機となったのは、小学校6年生の冬。
彼は卒業アルバムの製作委員であり、その日は遅くまで学校に残って写真の整理をしていた。
「うー、つかれたー」
ぐい、と背伸びしたのはもうひとりの製作委員。
出席番号1番、藍島香織である。
女子の中では背が高く、大人びた雰囲気の姉御肌。
明るい性格もあり、彼女のまわりにはいつも人の輪ができていた。
「ねえ伊城木くん、男の人って、どんなふうに告白されたら嬉しいのかな?」
帰り支度をしながら、藍島香織はそんなことを尋ねてくる。
「えっと、ウチらって来年から中学だよね。そしたらまた八矢房先輩と一緒だし、えっと……彼女になれたら嬉しいかな、って」
どうして自分にそんなことを相談するのやら。
告白を片っ端から断っているせいで「安全な男子」と見做されているのだろうか。
呆れかえりつつも――なぜだろう、ひどく、苛立つ。
「前にガラの悪い人に絡まれててね、その時に助けてもらったの。
でもでも、それだけじゃなくて、八矢房先輩、なんか放っておいたら無茶して死んじゃいそうだし。
そばでお世話してあげたいなー、って思ったり、思わなかったり、みたいな……」
「ふうん」
直樹は席を立つ。
自分でもよく分からない衝動に駆られていた。
こちらに背を向けたまま、芳人について陶然と語る藍島香織――その頭に、手を伸ばす。
人生二度目の《精神干渉》。
芳人への想いも記憶も、奪い去る。
それからほどなくして直樹は藍島香織と付き合い始めた。
三ヵ月ほどで別れることになったが、なぜか、胸には奇妙な充足感が満ち満ちていた。
過去編が長いとダレるので次回、「高校時代のエピソード」「研究の目的」を一気に明かすよ。




