第70.5話 Rt ボロルル砦の退き口 (後編)
黒獣くんのスキルが発動します。
「どけ……! そこをどけ……ッ!」
「フゥハハハハハッ、お断りじゃよ馬ァ鹿ッ! ほれほれ、師の仇はここじゃぞ! ワシを殺してみい、屠ってみい!」
くそっ。
最悪だ。
俺の読みは甘かった。甘すぎた。
フィリシエラが崖から落ちたと聞き、俺はすぐさまボロルル砦を放棄した。
彼女を助けるべく山に入ったところで予想外の展開。
はるか後方にいるはずの“銀色の騎士”。
ヤツが最前線に出てきたのだ。
「ええのう! ええのう! 必死の形相が堪らんわい!」
歓喜の声を挙げる銀騎士。
「前途ある若者を踏みつけ、心を絶望に染め上げる。ああ最高じゃ、これ以上の娯楽などあるものか。不死者になった甲斐もあるというものよ!」
「この、老害がッ……!」
俺は大鉄塊剣を叩きつける。
袈裟、切り上げ、横薙ぎ、唐竹割り――斬撃はすべて刃鳴を散らすばかり、銀騎士の剣に弾かれ、その命までは届かない。
「ワシが憎かろう、鬱陶しかろう。なのにオヌシは無力、ただただ無力じゃ! 情けないのう情けないのう!」
「ちぃっ……」
俺は舌打ちする。
銀色の騎士。
かつての名はエルダル・ディザス。
剣聖として有名な人物であったが、実態はその真逆だった。
彼の率いる騎士団では“若者潰し”が当然のように横行し、エルダルはそれを止めるどころか率先して行う始末。
真相が明るみに出た後は部下にすべての責任を押し付けて失踪する。
そのまま魔族領へと逃げ込み、今や魔王軍四天王の一角だ。
いくら剣士として優秀でも尊敬などできそうになかった。
「ほれ、もっと全力を出さんかい! これでは弱い者イジメではないか! そう、弱い弱い、おまえは弱いのゥ!」
悔しいことにエルダルの言うことは正解だ。
俺は何ひとつ決定打を放てないまま、ひたすらコイツに足止めされている。
フィリシエラは無事だろうか。無事であってほしい。
もうこれ以上、自分に関わった人間を失いたくないんだ。
「そろそろ誰ぞが女を見つけておるかもしれんなァ?
ゴブリンなら全身バラバラ、オークなら慰みモノ、スライムなら苗床じゃ!
どれじゃ? どれが見たい? 言えば希望をかなえてやるかもしれんぞ、ん?」
「全部、お断り、だ……ッ!」
捨て身の刺突。
だがそれすらも防がれ、カウンターのあびせ蹴りを食らってしまう。
地面の上を何度も転がり、背後の大木にぶち当たった。
「グ、ぁっ……!」
「未熟、未熟、未熟ゥ! 青い果実を踏み潰すのは強者の特権よなァ! ヒィ―、フハハハハァッ!」
声に愉悦を滲ませ、銀色の騎士は高らかに嗤う。
「なあに安心せェ、おまえは玩具としては上々じゃ。ここで殺しはせん。
女がボロボロになったあたりで見逃してやるから、ほれ、安心してかかってこんか」
* *
当時の芳人はまだ未熟であり、どうあがいても銀騎士に打ち勝つことはできない。
ひたすらに嬲られ弄ばれ、フィリシエラが助からぬほどの重傷を負った頃にようやく解放される。
その怒りと悲しみがやがて《時間術式》を生み出すことになる……のだが、
「―― 《$-:'; `;'》・《#=:'/_"*;^*;=>^#:=》」
ここに新たな分岐点が生まれる。
* *
そいつは何の前触れもなく現れた。
頭上に大きな魔力反応が生じたかと思うと、黒い流星が地面に落ちた。
轟音。
たったそれだけのことで周辺一帯の木々が薙ぎ倒されていた。
俺も、咄嗟に魔力障壁を張らなければ無事でいられなかっただろう。
眼前にはクレーターが生まれていた。
その中心部に立っていたのは、今まで目にしたことのないような怪物だった。
例えるなら鎧を纏った野獣だろうか。
荒々しい暴力の気配をその巨躯に纏っている。
獣はこちらに背を向けたまま、その大きな右腕で遠くを指さした。
「――――――――」
低い唸り声。
人間の言語ではなかったが、「行け」と命じているような気がした。
「わかった」
俺は頷いて走り出す。
どうやら銀騎士も無事だったらしく、
「そうはさせんぞォィ! ……ぬうッ!?」
こちらの行く手を阻もうとする、ものの、逆にそれを黒獣に邪魔される。
「すまない、恩に着る!」
「――――――――――」
獣が一瞬だけこちらを振り返った。
相変わらず何を言っているかは不明だが、銀騎士を引き受けるという意思は伝わってきた。
ならば俺がすべきことはひとつだけ。
フィリシエラのもとへ向かう。
一刻でも早く。
一秒でも早く。
「間に合え、間に合え…………ッ!」
祈るように呻き、幾重にも加速魔法をかけて疾走する。
行く手を遮るものはすべて斬り捨てた。
木々も、魔物も、何もかも。
頭の中が真っ白になるほど無我夢中で、ただ一直線に、駆けて、駆けて、駆けて――。
その果てに、辿り着いた。
「……ヨシト、様?」
オーガとワーウルフの大群に取り囲まれながらも、なんとか抵抗を続けているフィリシエラ。
煌びやかだった金髪は血泥に塗れ、衣服も破けて白い肌が覗いていた。
けれどその命脈は尽きておらず――どうやら俺は間に合ったらしい。
「……よかった。ほんとうに、よかった」
安堵のため息が漏れる。
目頭がやけに熱い。
いつの間にか涙が零れていた。
男としては情けない話だけど、命を取り零すよりはずっとマシだ。
「ヨシト様、大丈夫ですか。もしや、どこかお怪我でも……?」
「違うよ」
俺は首を振る。
「嬉しいんだ。――君が生きていて、すごく、嬉しい」
それは嘘偽りのない本音だった。
異世界に来てから、ずっと負け続けてきた。
守りたい人を護りきれず、失うばかりの日々。
けれど、もう、終わりにしよう。
「フィリシエラ、俺のそばにいてくれ」
「あの、それはどういう意味でしょうか……?」
「大丈夫、すぐ終わらせる。奴らを全滅させたら、そのままマルライトのところに行こう」
「わ、わ、分かりました。そ、そういうことでしたら、ええ…………不束者ですが、よろしくお願いします」
んん?
なんだか誤解が生まれているような気がするが――まあいい。
今はこの場を切り抜けるのが最優先だ。
俺たちを取り囲むのは数百の魔物ども。
あるいは千に達するかもしれない。
だからどうした。
もう誰にも、何者にも、俺が大切だと思う人たちを奪わせない。
――やっと立ち直ってくれましたか、我が勇者。それでは生きるために必要なことを始めましょう。
――アタシが教えた通りにやれば勝てるよ。しっかりやりな。
剣を構える。
アリシアと師匠の声が聞こえたような気がした。
* *
「くうッ、なんじゃ、おまえはいったい何なんじゃ!?」
銀騎士――エルダルは恐慌状態にあった。
勇者ヨシトとの戦いに突如として割り込んできた黒い獣。
どれだけ斬りつけようとも傷一つ負わせることはできず、隙を衝いて逃げようにも延々と追いかけてくる。
「オヌシ、魔族じゃろう!? ワシは味方じゃ! 乱心するでない! ――ひぎぃッ!?」
裏返った悲鳴。
黒獣の鉤爪が剣ごとエルダルの左腕を叩き潰していた。
「や、や、やめろォ……! し、し、四天王に手をあげて、許されると思うておるのかァ……ッ!?」
その脅迫は意味をなさなかった。
無言のままに黒獣は手を伸ばし、エルダルの右足を掴んだ。
握り潰す。
「ガッ…………ァァッ………!?」
さらには、引き抜いた。
激痛に失神しかけるエルダル。
「なぜ、じゃ。なぜ、ワシが、こんな目に……ッ!? 助けて、くれっ! 今なら魔王様に報告せんでやる! 四天王の座も譲ってやる、だから、な? な?」
必死の命乞い。
エルダルは剣の実力に加えて口も上手く、政治的な立ち回りにも長けていた。剣聖の座もそのおかげで手に入れたようなものである。
だがこの場において舌先三寸は通用しない。
「――――――――――――!」
なぜならば敵は狂える邪神。
“彼”にとってエルダルは何度殺しても足りないほどの怨敵だった。
拳を振り下ろす。
左足が醜くひしゃげた。
足で踏みつける。
右腕が肉塊と化した。
それから頭を潰して絶命させ、
「《$-:'; `;'》・《&*^=#:%;/_"*^=%$-;>;^=!^%=#=:'》」
次の瞬間、【時間】の権能によってエルダルを復活させる。
あらためて四肢を捥ぎ、心臓を踏み潰した。
「《$-:'; `;'》・《&*^=#:%;/_"*^=%$-;>;^=!^%=#=:'》」
稲妻を落として灰に変える。
「《$-:'; `;'》・《&*^=#:%;/_"*^=%$-;>;^=!^%=#=:'》」
地面に何度も叩きつけてペーストにする。
「《$-:'; `;'》・《&*^=#:%;/_"*^=%$-;>;^=!^%=#=:'》」
まるで儀式のように蘇生と殺害を繰り返した果て――
「ァ…………ゥ……ァ……」
エルダルは発狂した。
もはや言語らしい言語を発することはなく、白眼を剥いたまま呼吸を繰り返すばかり。
それでようやく黒獣の気も済んだのだろうか、
「《$-:'; `;''》・《:*:`;:^ ;=:*-^~/;;:》」
最後の一撃。
右手から放たれた火球が鎧ごとエルダルを燃やし尽くした。
後には灰すら残らない。
《淨華灼滅》。
不死者の不死性すらも否定する、絶対消滅の力である。
「――――」
エルダルの最期を見届けると、黒獣はその場から跳躍した。
少し離れた崖の上からあたりを俯瞰する。
やがてその視線は一転へと注がれた。
山のように積み重なった魔物の屍。
その向こうに芳人とフィリシエラの姿がある。
2人とも満身創痍だが致命傷までは至っていない。
どちらも生きている。
本来ならフィリシエラはここで命を落とすはずであり――歴史はほんの少しだけ変わったのだ。
「……………………」
影からひとりの眷属が現れ、そっと黒獣に寄り添った。
“彼”にとってのフィリシエラである。
時間を遡って過去に干渉したとしても、それは新たな平行世界が生まれるだけ。
自分の歩んできた足跡を変えることはできない。
とはいえ黒獣にとっては何らかの救いになったのだろう。
歩み去っていく芳人たちを見送る視線は、ほのかに暖かなものだった。
次回、本編に戻ります。黒獣が登場した理由もそこで。




