第69話 直樹くん絶対絶命(1かいめ)
なおきくんと黒獣くんのおいかけっこがはじまるよ
タイトルは誤字じゃないよ
「あれ、おかしいな……」
行けども行けども鬱蒼とした木々が続くばかり。
伊城木直樹は迷いつつあった。
「僕は水華の契約者だし、無条件で里に入れるはずだけど……」
猫又たちは日本各地にいくつかの隠れ里を作っている。
そのうちのひとつが伊城木直樹の目的地であり、名前を御嘉と呼ぶ。
場所としては岐阜県北部、飛騨山脈の奥深く。
独特の結界によって外部からの侵入を拒んでいるものの、里の猫又と契約した人間であれば辿り着けるはずなのだ。
「やれやれ、これはちょっと本気を出さないといけないかな」
そう呟きつつ、魔力を練り上げる。
結界のほころびを探し、そこをこじ開けるつもりだったが、
「僕は運がいいね」
少し離れたところに人影を見つけた。
小さな女の子だ。
古めかしい花柄の着物を纏っている。
だがそれより目を惹くのは、頭。
こげ茶色の三角耳がぴこぴこと揺れている。
幼いまるみを帯びた臀部、着物の隙間から伸びるのは二本の尻尾。
猫又である。
おそらくは里の周りを探検しているのだろう。
好奇心旺盛なところは人間の子供と変わらない。
「《地霊術式》・《だるまさん転べ》――」
魔法によって地面を小さく隆起させる。
狙い通り、少女はそれに躓いて転んでしまう。
そこに、気を付けなきゃだめだよ
「――《加速術式》・《かけっこ一等賞》」
風のような速さで割り込む直樹。
少女が地面に倒れ込みそうになったところを抱き止める。
いわゆる自作自演、マッチポンプである。
「えっ……?」
もちろん少女は真相になど気付いていない。
うっかり転んだと思ったら、目の前には見知らぬ人間。
当然ながら混乱する。
耳も尻尾もピンと張り詰めていた。
直樹は少女の警戒心を解きほぐすべく、にっこりと柔らかな笑みを浮かべる。
「大丈夫だったかい? 気をつけなきゃだめだよ」
ぽんぽん、と少女の頭を撫でる。
――同時に、《精神干渉》を発動。自分に対する慕情を植え付けた。
「あ、ありがとうございますっ……」
少女はポッと顔を赤くした。
干渉は滞りなく成功したらしい。
「あの、貴方は……?」
「僕は伊城木直樹。御嘉にいる水華って子と契約してるんだけどね、どういうわけか里に入れないんだ。よかったら案内してくれるかな?」
「水華お姉さんの、ですか? わかりました、ついてきてくださいです」
「……ちょろいもんだね」
「何か言いましたですか?」
「いいや、君の耳が可愛くってね。ついつい見惚れてただけさ」
「な、な、なにを言ってやがるですか! 早く行くですよ!
と、と、ところで、契約の枠って他に空いてたり……な、なんでもないでございますでやがりますっ!」
そうして少女の後ろをついて歩くこと5分。
まるでRPGのように視界が切り替わった。
結界を突破したのだ。
森が消え、それに代わって長閑な田園風景が一帯に広がる。
立ち並ぶのは茅葺きの家屋。
線路も道路もなく、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような光景だった。
「ありがとう、助かったよ」
再び少女の頭を撫でる直樹。
「ついでと言っては何だけど、水華のところまで案内してくれるかな」
「お断りですよ」
「うんうん、君はいい子……あれ?」
思いがけぬ返答に困惑する直樹。
この少女は操り人形に変えたはずだというのに、どうして。
「ははっ、冗談はいけないなあ」
動揺を押し隠しつつ、再度の《精神干渉》を行うべく手を伸ばしたが――
「なっ!?」
突如として、少女の姿が掻き消えた。
足元に藁人形がポトリと落ちる。
「式神……妖術か!?」
直樹が臨戦態勢に移った時には手遅れだった。
すでに何十匹もの猫又に包囲され、逃げ道などありはしない。
「みんな、敵は罠にかかったニャゴ! このまま棒で叩くにゃ!」
「「「「「「「「「「「「ニャー! イエス、ニャー!」」」」」」」」」」」」
里長の号令とともに猫又たちは丸太を振り上げた。
「徹底的に叩き潰すニャ! こいつはおやさいの肥料だニャッハー!」
「「「「「「「「「「「「ニャー! イエス、ニャー!」」」」」」」」」」」」
御嘉。
景観こそ懐かしい日本の農村だが、そこに住む猫又たちの精神は世紀末であった。
もとからこうだったわけではない。
5年ほど前、とある猫又が里に戻ってきたが、彼女はかなりのマンガ好きであった。
密かに集めたコレクション数百冊を持ち帰り、他の猫又たちに布教しまくった。
その結果がこれである。
「ど、どうなってるんだ! 水華! 僕を助けろ! 説明しろ!」
直樹は叫ぶ。
かろうじて防御魔法が間に合ったものの、まったく訳が分からない。
『嫌です』
念話が飛んでくる。
その“声”は水華のものだった。
『馬鹿を言うな! 僕はおまえの主だぞ! ――契約をもって命じる! こいつらをぶちのめせ、水華!』
術式が発動し、強制的に水華を動かす。
……はずが、何も起こらない。
『まだ気づいていらっしゃらないのですか? 直樹様との契約はとうの昔に切れております』
『嘘だ! あれは絶対に解除できないように組んだはずだ! 第一、契約に異常があるなら僕がそれに気づかないわけがない!』
『現実を受け入れることです。五年前、この契約は芳人様によって書き換えられています』
『……なんだって』
芳人。
その名前を耳にして、直樹の心が冷え切っていく。
『また、あいつなのか。あいつはいつも僕から、いつも、いつも、何もかも……ッ!』
『どのような因縁があるのかは存じ上げませんが、少なくともこの現状は直樹様自身が招いたものかと』
水華はあくまで淡々と告げる。
外から帰ってきた猫又は、その間のできごとについて委細漏らさず里長に報告せねばならない。
結果、伊城木直樹は要注意人物と判断され、その人柄を見るために式神が派遣された。
それが彼を案内したあの少女である。
まっとうにコミュニケーションを試みていればまだ話し合いの余地はあったものの、直樹が行ったのは自作自演からの《精神干渉》。
排除すべき敵として扱われるのも無理はあるまい。
だが直樹自身はまったくそう考えておらず、
『あいつのせいだ。あいつが僕からすべてを奪っていく。だったら取り返さないといけない』
逆恨みじみた怨念をよりいっそう強くしていた。
『僕は被害者だ。例えるなら勇者の陰で踏みにじられた弱者。だから牙を剥く。報復としてその喉を食い破る権利がある。――《復讐するは我にあり》』
それは自分自身に《精神干渉》を用い、身体能力および魔力のリミッターを外す術式である。
およそ3分しか使えないが、それでも効果は絶大。
たかが隠れ里ひとつくらいなら、ものの1分で滅ぼせるだろう。
「――《振動術式》・《我が拳は轟破崩落の独奏である》」
両手の拳を打ち合わせる。
そこから放たれた振動波が丸太と共鳴し、その分子結合を崩壊させる。
射程距離はおよそ半径10m、無機物しか対象にできないものの、包囲された状況にあっては起死回生の一手となる魔法だった。
「慌ててはならんニャゴ!」
すぐさま里長の声が飛ぶ。
「丸太隊は後退、弓矢隊、あのキレイな顔をフっ飛ばしてやるニャ!」
「「「「「「「「「「「「ニャー! イエス、ニャー!」」」」」」」」」」」」
サッと隊列が入れ替わり、弓を構えた猫又たちが前に出る。
別にどこかと戦争をしようというわけでもないが、歴史物マンガの影響でなんとなく練習していた成果である。
しかしながら矢が放たれるよりも先に、直樹は第二の魔法を編み上げていた。
「《黙示術式》」
その右手に巨大な光弾が生まれる。
ひとたび放たれれば灼熱の雨となって里に降り注ぎ、すべてを灰燼に帰するだろう。
直樹はもはや水華を人質に取ろうなどと考えていない。
――この女は芳人のお手つきだ。
潔癖症、独占欲、嫉妬。
諸々の感情が絡み合った末、殺意一色に染まり果てていた。
それが裏目に出た。
水華に対して直接的に危害を加えようとしたために、とても依怙贔屓な邪神に居場所を嗅ぎつけられてしまったのだ。
「《天からふりそそぐものがすべてを滅ぼす》!」
直樹の魔法がついに発動する。
光弾は音速もかくやという速さで天に昇り、そして。
「――――――――――――!」
空間を引き裂いて現れた怪物によって叩き潰された。
鋼鉄の黒獣。
暴走状態が悪化しているのか、未亜たちと交戦した時に比べてさらに人間離れした姿となっている。
鋭く吊り上がった紅の双眸。
鎧は皮膚と完全に同化し、野獣の獰猛さと鋼の冷徹さを同時に漂わせている。
四肢はひとまわり大きくなっただろうか。
少し鍛えた程度の男なら、その手の一撃で容易に肉塊に変えてしまうだろう。
黒獣は、その巨体に似合わぬ軽やかさで地面に降り立つ。
ギロリと直樹を睨みつけた。
「ぁ……ぅぁ……」
重力が十倍、いや、百倍になったかのような威圧感。
直樹はその場にへたり込んだ。
先程までの威勢は消え失せ、ひたすらに怯えるばかりである。
なんだこのバケモノは。
見たことも聞いたこともない。
どうして僕に目をつけるんだ、ここにはたくさんの猫又がいるんだ。他に獲物はいくらでもいるってのに――。
「グ、ぁっ…………!」
だが直樹の思考は、慮外の激痛によって遮られる。
左足を抉られていた。
アキレス腱を断たれたのだろう、足先がくたりと脱力する。
それを為したのは黒獣ではない。
“彼”の影から現れた眷属である。
山伏じみた衣装を纏い、短刀を逆手に構えている。
髪は長く、かなりの細身。
その姿に直樹は見覚えがあった。
「……深夜、なのか?」
自分の愛人のひとり。
鴉城深夜。
だが彼女はもう死んでいる。
あらかじめ仕掛けておいた術式によって邪神に捧げられたはず。
なのに、
「な、ぜ……ッ」
返答はなかった。
代わりに深夜は小太刀を一閃させる。
「あァ……うぁ……っ…………」
頚動脈を断たれ、そこから血が噴き出す。
己の身体から急速に熱が失われていくのを感じつつ、直樹は目を閉じ――
* *
「……何事も備えというのは大事だね」
同時刻、まったく別の場所で直樹は目を覚ました。
憑依やクローンに関する研究を生かし、彼はスペアの肉体を複数用意していた。
そのうちのひとつに魂を移したのだ。
「あのバケモノが追いかけてきても、たぶん、ここなら大丈夫だ」
なぜならここは鷹栖本家の屋敷。
その地下に用意された研究室である。
伊城木直樹と鷹栖家は盟を結んでいた。
直樹のほうは「鷹栖家が鴉城家を追い落とすための方法」を。
鷹栖家は「十分な研究環境と情報操作」を。
互いに求めるところを補う形で協力体制を築いていた。
* *
さて黒獣のほうだが、御嘉の猫又たちに危害を加えるようなことはなかった。
当然である。
“彼”にとっての敵は、大切な者たちを傷つける輩なのだから。
逆に言えば伊城木直樹は完全にロックオンされており、今から30分後に鷹栖本家の屋敷もろとも二度目の死を迎えることになるのだが、それはさておき。
「芳人様、随分と大きくなりました、ね……?」
水華はおそるおそる黒獣に声をかけた。
“彼”が芳人であると分かったのは、かつて結んだ契約のおかげである。
しかし5歳児とは思えぬ姿……というか人間かどうかも怪しいため、どうにも確信を持ちきれない。
「やべえニャ、水華のやつすごいのと契約してるニャ」
「かっけーニャ。似顔絵書くにゃ、似顔絵」
「最近の人間さんはずいぶんと野性的ニャ」
敵意を向けられていないおかげか、もともとの気質ゆえか、他の猫又たちの対応はかなり暢気なものだった。
しばらくすると黒獣は己の足元へと手を伸ばした。
中から何かを取り出す。
ダンボールの箱を、いくつも、いくつも。
中には自動で動く円形の電動掃除機が入っていた。
5年ほど前、ルンパという名前で売られていた商品である。
黒獣は過去というものに囚われている。
もちろん水華がルンパに乗って遊んでいたことも覚えており、道中、たまたまこれらが不法投棄されている場所を見つけて回収してきたのである。《時間術式》を使うことで包装ごと新品同然に戻している。
およそ100台ほどのルンパを取り出すと、黒獣は何も言わずに里を去っていった。
他方、猫又たちは大喜びだった。
水華の報告にもあった「乗ると楽しい電気掃除機」が里にもたらされたのだ。
彼らは黒獣に深く感謝し、やがてそれを崇め奉ることになる。
後にこの世界の暗部を牛耳ることになる邪神教団の始まりであった。
次回、なおきがしにます。




