第64話 フォアグラ教ならソシャゲで毛根が死滅することもありません
「ここは……?」
001は混乱していた。
未亜と綾乃を探していた矢先、突如として何者かの襲撃を受けた。
ここまでは覚えている。
だが、そのあと自分はどうなったのか。
意識を取り戻してみれば、身体の自由を奪われていた。
魔法で神経系を遮断されたらしく、四肢にまったく力が入らないのだ。
あたりに広がるのは無明の闇。
ただひたすらに黒、黒、黒――。
何も見えず、何も聞こえず。
せめて視界を確保しようと、001は魔力を練り上げた。
「――《発光術式》・《我が禿頭は天照地輝の曙光である》!」
彼の頭皮からまばゆいまでの光が放たれる。
だがそれは何かを照らすでもなく、深淵のごとき暗黒に呑み込まれるばかり。
「どういうことだッパ……?」
異様な事態に生唾を吞む001。
そこに、
「無駄なことはやめておけ」
鋭く、冷たい声が届いた。
年若い少女のものだ。
しかしながら華やかな印象はなく、むしろ息が詰まりそうなほどの威圧感を伴っている。
「貴様はもはや羽をもがれた蝶だ。芋虫と変わらん」
「誰だッパ……?」
「気持ち悪い語尾はやめろ、聞くに耐えん。話はそれからだ」
闇の中に浮かんだのは、青い髪の少女。
その容姿は端麗にして端正であり、稚気と威厳が奇跡的なバランスで同居していた。
黒紫色のドレスがよく似合っている。
「私の名前が分かるか? もし当てられたなら、このまま帰してやってもいいが」
「……っ」
001は己の記憶を振り返る。
わざわざ問うてくるということは、知っているはずの相手なのだろう。
だがその顔に見覚えはなく、思考はグルグルと空転するばかり。
「時間切れだ。兄さ……勇者のクローンとは思えん鈍さだな。毛根のついでに脳細胞も死滅したらしい」
少女は傲然と言い放つ。
細められた瞳はひどく嗜虐的な印象を漂わせていた。
「まあいい。貴様の知っていることはすべて吐いてもらう。
裏にいるのは誰だ? 目的は? 他にクローンは何人いて、どういう力を持っている?」
「……オレがそう簡単に話すと思ってるのかよ」
「さあ? だが、じきに話したくなるだろうさ」
パチン。
少女が指を鳴らすと同時、001を包んでいた暗闇が消え去る。
そこは洞窟のような場所だった。
ゴツゴツとした岩壁が左右に広がっている。
「ひっ……!」
か細い悲鳴を上げる001。
無理もあるまい。
いつのまにか彼は取り囲まれていたのだ。
銀色のねとついた触手を持つ、軟体生物じみた怪物たち――。
それらはみな崇拝めいた視線を少女へと向けている。
「私はあまり暴力は好かん。だが仲間たちは辛抱が効かない質でな。
あまりにも非協力的なら、思わぬトラブルが起こってしまうかもしれない。
それに、こちらに手を貸してくれるというのなら、貴様の望みを叶えてやらんわけでもない。さあ、どうする?」
001との「きわめて友好的な歓談」を終えた後、少女――吉良沢未亜は洞窟の外で大きく背伸びをした。
いまだ綾乃と同化したままであり、その影響であろうか、髪は青白い燐光を放っていた。
『未亜ちゃん、普段とキャラ違い過ぎじゃないかな』
『仕方ないよ。交渉は嘗められたら終わりだし』
『交渉というより脅迫だったような……』
『そう? 昔に比べたらずっと優しいつもりだけど』
繰り返しになるが、未亜はかつて魔王軍を率いる立場にあった。
捕虜への尋問を行ったことも一度や二度ではなく、その手腕は、父である魔王すら「ワシですら怖い、ほんと怖い」と震え上がるほどだった。
『クローンの数は11人だから、残り10人。
001の話だと兄さんもこっちに向かってるみたいだし、合流する前にあと1人くらいは削りたいな』
『そうしたら4対9だね』
『……?』
首を傾げる未亜。
ちなみに綾乃との同調率は時間を経るごとに上昇しており、今は念話じみた方法でやりとりを行っている。
『あたしと兄さんと、あと2人はだれ?』
『静玖ちゃんと、それから玲於奈って人かな』
綾乃と玲於奈のあいだに面識はない。
とはいえ執事の時田から報告は受けており、存在自体は把握していた。
013についてはまだ情報が届いておらず、ゆえに4人という主張である。
『どうしたの、未亜ちゃん。なんだか納得してなさそうだけど……』
『多分、来るのは兄さんだけだよ。その子たちはお留守番だと思う』
『うーん。少なくとも静玖ちゃんは連れてくるんじゃないかな? 芳人くんほどじゃないけど結構強いし』
『……綾乃はまだまだ兄さんのことが分かってないね』
未亜は確信している。
兄は静玖も玲於奈も連れてこない、と。
これはただの思い込みではない。
前世においては「勇者ヨシト」を打倒すべく情報収集と分析を重ねてきたし、とある事件で顔を合わせてからは、彼の過去の女性関係までも調べ尽している。
そういった諸々を踏まえた上での、根拠ある推測だった。
伊城木芳人は臆病だ。
身内を失うことをひどく恐れている。
それは今まで数多くの知己を亡くしてきたせいであり、つまりは過去に縛られている。
だが彼はそのような己を認めず、時には自身に《精神干渉》を施してまでも前向きであろうとする。
何故なのか。
その理由については未亜なりに見当がついていた。
芳人が召喚されて間もないころに出会った女性――ハイリア皇国のアリシアか、師匠のセレンティーナ。
このどちらかが、厄介な遺言でも残したのだろう。
過去を振り返るなとか、前を向いて生きろとか。
その結果が、今の通り。
過去と未来で不安定にぐらつく天秤のできあがりだ。
ちょっとしたトラブルなら他人を頼ったりもするだろうが、いざというときは地が覗く。
大切な人間を遠ざけて、自分ひとりで無理をする。
もしも芳人が誰かを伴うとすれば、それはおそらく「身内の近くに置いておけない危険人物」だろう。
仮に「敵を欺くにはまず味方から」の精神でこちらに寝返ったクローンがいるとすれば、そんな相手を放置すまい。
間違いなく地獄への道連れにするはずだ。
ともあれ――
『こっちは兄さんと2人のつもりで動いたほうがいいと思う。
ああ、いや、やっぱり3人だね。
せっかく願いを叶えてあげたんだから、001にも働いてもらわないと』
* *
011は精製段階において2つの物品を添加されている。
一つ目は、人間の皮によって装丁された魔術書。
二つ目は、伊城木月の血液。
これらがどう作用したのかは不明だが、011は他のクローンとは桁外れの魔力容量を誇っていた。
戦闘能力も相当に高く、彼自身は己こそ最強と信じ切っていた。
――オリジナルを打ち倒し、ついでに他のニセモノ連中も捻り潰す。“ヨシト”は自分だけでいい。
内心で011はそう考えていた。
『おい、聞こえるか。聞こえるな、011』
森を進んでいると、ふと、念話が届いた。
魔力の波長からすると001だろう。
あの個体は「作戦がうまくいったら髪の毛がほしい」などと呟いていたが、笑止。
だからおまえは失敗作なのだ。さっさと死ね。
密かにそう毒づきつつ、返事を送る。
『どうした、001』
『吉良沢未亜と真月綾乃を見つけた、捕まえるのを手伝ってくれ』
『わかった。すぐにそっちへ行く』
011は《加速術式》をかけて疾走する。
鬱蒼とした木々の向こう、001がひっそりと身を潜めていた。
『早かったな、011』
『当たり前だろう、オレは最強だからな。それで、ガキどもはどこにいる』
『この先の洞窟だ、ついてきてくれ』
001は先立って歩き出す。
その背中に向けて、
『情報提供に感謝する。――お前の仕事は終わりださっさと死ねカス』
刃を突き立てた。
自らの影を物質化し、その切先で001の心臓を貫いたのだ。
『なっ……』
『この程度の奇襲も避けられないのか。これだから失敗作は困るな』
吐き捨てるように言う011。
『オレが、オレこそがヨシトだ。他の誰でもなく、このオレが。
消えろ紛い物。お前らのような、直樹の捌け口にしかなれないゴミに存在意義はないんだ』
力を籠め、刃を捻るようにして抜く。
穿たれた傷からは血が流れ出し……出さない。
『……まさかおまえのほうから裏切るなんてな。ちょっとショックだよ、011』
ゆらり、と。
何事もなかったかのように振り向く001。
傷口からは無数の細かな触手が伸び、一瞬にして再生を成し遂げていた。
それだけではない。
001の禿頭に毛根が蘇り、みずみずしい黒髪が天を衝くようにして現れたのだ。
『いい髪だろ? 未亜様に貰ったんだ』
『未亜様、だと。寝返ったのか、001?』
『仲間殺しのおまえよりはマシだよ』
001は身構えると、大きく首を振った。
いまや何十メートルもの長さに達した黒髪が、周囲の樹木を薙ぎ払いながら011に迫る。
『ああ、髪があるって素晴らしいな! 011!』
『調子に乗るなよ、失敗作が!』
011は即座にその場を飛び退いた。
身を反らし、ギリギリのところで黒髪を回避する。
そのまま反撃に転じようとした、ものの、
「貴様の存在は兄さんへの冒涜だ、燃え尽きろ」
疾風の如き速さでもって、吉良沢未亜が肉薄していた。
「《爆裂術式》・《我が焔は天壌劫却の喝采である》」
ゼロ距離で放たれたのは地獄の業火。
011は人間の形こそ保っていたものの、その皮膚は真っ黒に炭化していた。
未亜さんが「こんなところで朽ち果てる己の身を呪うがいい」とか言い出しそうで怖かったです。
次回、芳人暴走の顛末について。
6章はあと1,2回で終わります




