第59.5話 003は拗らせている。
003視点、過去込み。
――オレは忘れない。
例えば、それはアリシアのこと。
ハイリア皇国の第二皇女。
本来なら数多くの従者に傅かれ、誠実な若公爵のもとに嫁いでいたはずの少女。
けれど彼女はそれらをすべて擲ち、皇帝暗殺の濡れ衣で処刑寸前だったオレを助け出してくれた。
「ヨシトは私の命を暗殺者から救ってくださいました。なら、同じもので応えるのが道理でしょう?」
牢獄からの脱出。
手に手を取り合っての逃避行。
と言えばロマンティックに聞こえるだろうが、実際のところ、その旅路は泥と血反吐に塗れたものだった。
次の皇位を狙う黒幕、第二皇子ゼスの放った刺客たち。
そいつらを退けながらコソ泥のように這い回る日々。
いや。
『退ける』なんて婉曲表現はやめよう。
殺したんだ。
首を絞めたり、心臓を突いたり、高いところから突き落としたり――。
人間の取り得るありとあらゆる方法で、人間の命を奪ったんだ。
それだけじゃない。
たまたま手に入れた魔導書を参考に、捕らえた刺客へ《精神干渉》をかけたこともある。
ただ、当時の俺はまだ未熟で――ろくに情報を引き出せないまま廃人ばかりを生み出していた。
罪悪感はあった。ありすぎた。
「殺さなければ殺される」
そんなテンプレじゃ誤魔化せないほど精神的に追い詰められていた。
眠れば悪夢に魘され、起きていても死者の呻きじみた幻聴が聞こえてくる。
自分ひとりだったら、きっと早々に自殺していただろう。
「貴方に罪はありません」
けれど何とか死なずにすんだのは、アリシアが傍にいてくれたおかげだろう。
「ヨシトは私たちの都合でこの世界に召喚されて、私たちのくだらない権力争いに巻き込まれただけ。
不当な凌辱に対して抗うのは、むしろ当然の権利です」
何の衒いも照れもなく、毅然として彼女はそう語る。
「それでもなお苦しみが癒えないのなら、私のものになりなさい。
貴方の心も、身体も、その罪も、すべてこのアリシアが引き受けます。
――生きるために必要なことを、あらゆる手段でもって実行しなさい」
けれどアリシアは死んだ。殺された。
暗殺者の手から守りきれず、オレはただ無様に逃げることしかできなかった。
アリシアだけじゃない。
オレが不甲斐ないばかりに死なせてしまった人たち。
師匠、フィリシエラ、シャルロッテ、エリィマーヤ、シオン、澄香、ネネコ、エステル、ヴァネッサ、シェリール、アャム、マウ・マウ、ラナ、ミルフィ、フランシスカ、エリザ・アルファ、エリザ・ベータ、ミンスレット――
大鉄塊剣を手放すまでに限っても、その数は20人を下らない。
みんな、オレのせいで命を落とした。
その罪業は、決して忘れるべきじゃない。
オレの命が尽きるまで、否、尽きてもなお背負うべき永遠の咎だ。
なのに。
コイツは何をやっているんだ。
生まれ変わってからというもの、女に囲まれてチャラチャラ、チャラチャラ。
許せるものか。
認められるものか。
己の過去と真摯に向き合っているなら、そんな腑抜けたツラなどできるはずがないだろう。
――なら、貴方はどうするのかしら? どうしたいのかしら? よければ教えてくださいな。
ここに来る直前。
オレたち“失敗作”を直樹のもとから連れ出した和装の女は、そんなことを問い掛けてきた。
答えは決まっている。
伊城木芳人を、殺す。
* *
それはあと一歩のところで叶うはずだった。
昂る感情。
期せずして訪れた魔力の暴走。
しかしそれはヤツに致命的な消耗を強いることができた。
オレの頭をよぎるのは、ボロルル砦でのできごと。
あるいはフィリシエラが冥府からオレに力を貸してくれたのかもしれない。
「冥府でせいぜいアリシアたちに土下座し続けろ」
大鉄塊剣を振り下ろす。
それは一刀のもとにオリジナルを叩き潰す――はずだった。
だが。
「五月蠅い」
刃は、オリジナルの左手に受け止められていた。
「いい加減にしろ、邪魔だ。”過去”の分際で“今”の足を引っ張るんじゃない」
「チィッ……」
オレは柄に力を籠めるが、剣はピクリとも動かない。
馬鹿な。
こんな力が、まだ残っていたのか。
「でもまあ、感謝してないわけじゃない
自分がとっくに結論を出したつもりのことでも、改めて誰かに問われりゃグラつく。
グラついて、考え直す。我が身を振り返るいい機会だったよ」
驚愕するオレをよそに、ゆっくりと立ち上がるオリジナル。
全身は傷だらけ、黒鎧もひしゃげて原型を留めていない。
それなのにまるで巨竜のような重圧を漂わせていた。
「勘違いを正させてもらうけど、俺は別に過去を忘れたわけじゃない。自己憐憫丸出しの回想系モノローグを撒き散らして、暗い顔で念仏みたいに女の名前を羅列してりゃ死者に向き合ったことになるのか? ……違うだろ」
「ッ!?」
オレは剣を手放すと後ろに飛び退いていた。
何か攻撃をされたわけじゃない。
だが――
距離を取らなければ恐ろしいことが起きる。
本能が大きな警鐘を鳴らしていた。
「他人はみんなノーテンキなバカばっかり。自分だけが賢くってものごとを真摯に受け止めている。そんな風に周囲を見下して、ひとりシリアスぶって悦に入る。14歳のテンプレだな。ああ、間違いなくおまえは俺の過去だよ」
だから、おまえの本音もとっくに分かってる。
オリジナルは、苦笑しながらそう続けた。
「要するに羨ましいんだろ、幸せそうにしているヤツが。同じ自分だからこそ許せない。引きずり降ろしてやりたい。けれど嫉妬心丸出しじゃカッコ悪い。だから死者がどうのこうのと理屈をこねる。
いい加減にしろ。それは回り回って死者を貶めてるんだよ。
アイツらがそんなおまえを見て喜ぶのか? 喜ぶわけがないだろう」
「――黙れッ!」
こいつの主張だけは絶対に否定しないといけない。
なぜだか分からないが、そう感じていた。
「勝手に決めつけるな、このクズがァ!」
「だったら俺がアリシアたちを悼んでないなんて決めつけるのはやめてくれ」
「この……ッ!」
口ばかりよく動く。
冷静に考えてみればコイツの魔力はとうに尽きている。
何をするつもりか分からないが、その前に叩き潰してしまえばいい。
「――ァァァァァアアアアアアアアアッ!」
殴り掛かる。
躱されるが、別に構わない。
一瞬の隙を突いて、再び剣を拾い上げる。
次で必ず仕留める。
オレは息を大きく吸い込んで魔力を練り上げた。
が。
「綾乃が言うには、神様ってのは過去や未来の自分自身から魔力を借りてくるらしい」
オリジナルが、そんなことを呟いた。
「どこまで真似できるか分からないが、久しぶりに正式な詠唱でもやってみるか。
……中二病は、卒業したつもりなんだけどな」
一体、何をやるつもりだ。
雨はいつの間にか止んでいた。
違う。
止まっていた。
宙に浮かんだまま動かない雨粒。
遠くで落ちた稲妻が、消えないまま空にずっと残っている。
まるで時間が止まったかのようだった。
「《我は刻々の軛を越えるもの》」
そのフレーズは《時間術式》における正規の呪文。
「《我は死の深淵を絶翔するもの》」
オリジナルの影が、陽炎のように揺らめく。
知らず、歯の音がカチカチと震えていた。
悍ましいという感情が湧き上がる。
理解できない。
理解できないまま、「ここから逃げなければならない」という直感ばかりが膨れ上がっていく。
「《満ちる月》《満ちた月》《満ちていた月》《いずれも等しく月ならば》 」
それはオレの知らない詠唱だ。
どのような現象を引き起こすのか、まったく予想がつかない。
「《熾天・接続》――《時間術式》・《我が大杯は三世因果の理を汲む》」
瞬間。
爆発的な魔力の奔流が、すべてを塗り潰した。
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