第59話 伊城木芳人も本音をこぼすことがある。
少しだけ本当のことを話そう。
黒騎士に変身するとかつての感情が蘇る。
その説明に嘘はない。
けれど、すべてを語ったわけでもない。
師匠にフられた悲しみ?
イケメンに対する憎しみ?
リア充への嫉妬?
どれもこれも表層的なものだ。
その根源にある一番危険なモノ――自殺衝動すら生み出しかねないそれだけは、魔法によって厳重に封じている。
そう、魔法だ。
変身中、俺はずっと自分自身を《精神干渉》している。
持続時間は3分、これが一種のタイムリミットだ。
3分を過ぎれば《精神干渉》が解けてしまうが、同時に魔力切れによって気を失う。
おかげで自殺だけは避けられる。そんな仕組みになっている。
ここまでして抑え込んでいるモノが何かと言えば――
後悔、だろうか。
異世界ではたくさんの人々が俺を助けてくれた、支えてくれた。
にもかかわらず、守れなかった。
誰も。
誰一人も。
心を許した相手は男も女もいっさいの区別なく命を落としている。
振り返れば屍の山。
血の轍の果てに俺は立っている。
みんな死んでしまった。
生き返らない。
帰ってこない。
志半ばで生涯を終え、死という深淵に呑み込まれてしまった。
やがては俺もそうなるはずで、それこそがせめてもの贖罪と思っていた。
けれど。
俺は新しい人生を手に入れた。
深淵を飛び越えて、その向こうに辿り着いた。辿り着いてしまった。
許されることなのだろうか、それは。
ああ、そうだ。
003の糾弾は正しい。
ヤツの叫びは、俺がいつも心の底で感じていたことだから。
* *
――同刻。
「芳人さんは昔からひどい嘘吐きでしたものね」
和装の女はひとり静かに呟いた。
「せっかく無断で複製品を持ち出してきたのですし、本音のひとつでも吐いて頂かないと割に会いませんわ」
その言葉は囁くように小さく、ラーメン屋の喧騒に吞まれて消えていった。
彼女はいまオフ会のイベントのひとつとして、一条寺――京都において有名な店が軒を並べる一角――を訪れていた。
ここは3件目である。
店のウリは大量の鶏肉を煮込んだスープ。
麺にからむ濃厚な旨味はもちろんのこと、鶏の「のどごし」を味わえるのは全国でもここくらいであろう。
「……さすがに三杯目になると疲れてきました。次はつけめんでも食べて体力を回復させましょうか」
* *
先に動いたのは003だった。
「オマエが過去を忘れても、過去はオマエを忘れない。――屍山に埋もれて、血河に溺れろ」
大鉄塊剣を担ぐように構え、こちらへと突進してくる。
師匠――セレンの教えに忠実な、加速度を乗せた斬撃。
それを迎え撃つべく俺は、
「《変成術式》・《我が刃は森羅万象に遍在する》――《付与》――《時間術式・《汝に幾星霜の時を与える》」
ここまでの戦いで無残にへし折られた大木を圧縮し、高密度の剣へと変える。
ただの木剣と侮ることなかれ。
《時間術式》によって数千年の時を付与されたそれは、いわゆる「伝説の武具」と同等の存在と化している。
やりようによっては邪神の類であっても葬ることも不可能じゃない。
「この反則野郎が……!」
「うるさい、文句があるなら後でいくらでも聞いてやる」
毒づく003に俺はそう返す。
未亜が、綾乃が危ないんだ
邪魔しないでくれ。
「なんでこのタイミングなんだよ!」
俺は叫ばずにいられない。
「空気を読めこの自己中コピーが!」
「今だから意味があるんだよ」
嘲笑する003。
「こいつは因果応報だ。昔のことなんてなかったみたいにヘラヘラ笑ってるテメエが悪い。
失え、取り零せ、後悔しろ。悲嘆に暮れて絶望の中で死んでいけ。じゃないとアリシアたちも納得しねえだろ、なあ!?」
ヤツの斬撃は、もはや「切る」というカテゴリを逸脱していた。
叩く。
潰す。
そういった形容のほうがよく似合う。
大鉄塊剣という桁外れの質量が、音速の壁を越えて俺へと迫る。
一度は凌いでも、すぐさま二度、三度――。
まるで流星群の激突に出くわしたかのような有様だった。
「人族と魔族の戦いを終わらせて、邪神を倒してハッピーエンド?
生まれ変わったボクちゃんは現代日本でハーレム作って好き放題に楽しく暮らしてます?
みっともねえ。何を寝惚けてやがる。目ェ覚ませこの極楽トンボが!
テメエが不甲斐ないせいでどれだけ死んだと思ってやがる!
平和ボケどころかマジで痴呆になっちまったか、おい!?」
激情のままに大鉄塊剣を振るう003。
いくら《時間術式》で速度を補っているとはいえ、隙は完全に消しきれるものじゃない。
ましてやこれは同キャラ対戦だ。
自分の弱点は、俺自身がよく知ってる。
紙一重の見切りで、爆撃じみた白刃を躱す。
そのまま相手の手元を狙って刺突を繰り出す、が、
「読めてるんだよ、テメエはオレだからなぁ!」
003は何の躊躇もなく大鉄塊剣を手放すと、交差法じみた動きで拳を放つ。
魔力を乗せた打撃は、術者によっては巨獣の突進に等しい威力を発揮する。
マトモに受ければ比喩じゃなく首が飛ぶ。
だから。
「――――!」
たぶんこのとき俺は咆哮していた。
後ろに退くでもなく、左右に避けるわけでもなく。
あえて、前方へと踏み込んだ。
剣を投げ捨てて肩口からぶち当たる。
カウンターへの、カウンター。
「ま、だだッ……! まだッ!」
そう吠えたのはどちらだったのだろう。
俺の拳が、003の顎を跳ね上げる。
003の拳が、俺の鳩尾に突き刺さる。
「グ、ァ……ッ……」
「カ……クゥ……」
死神の鎌にも似た裏拳に脳を揺らされながら、胴を突き破る心算で蹴りつける。
視界がぐらつく。
ひしゃげた兜が視界を遮る。
邪魔だ。
脱ぎ捨てた。
003も同じことを考えていたらしい。
寸分変わらぬ顔が双つ、外気に曝される。
互いに一瞬だけ視線を外した。
剣を手に取ろうとして……しかし、実際に起こったのは拳の応酬。
鎧越しに肉体が砕けて絶命し、次の瞬間には《時間術式》で蘇る。
文字通りの「殺し」合い。
どちらの攻撃力も極大である以上、HPなど問題にならない。
先にMPの尽きたほうが負ける。
……形勢は、明らかに003へと傾きつつあった。
「ほらほらどうした、さすがの勇者サマでも過去のテメエにゃ勝てねえか!?」
「ちぃ、っ――」
足元にできた血溜まりは、俺のほうが明らかに多い。
再生が間に合っていないのだ。
俺も003もスペックはほぼ同等。
けれど、こっちは余計なことをしている。
自分自身への《精神干渉》。
それが大きな足かせとなっていた。
「女にチヤホヤされてヌルくなったテメエなんぞに! オレは絶対に負けやしねえ! 負けてやるものかよこのゴミクズがッ!」
瞬間。
003の全身が紅に輝いた。
俺はこの現象を知っている。
かつてフィリシエラの胸へと顔を突っ込んでしまった時、ベッドごと壁に叩きつけられた。
あの時と同じだ。
極度に昂った感情による、魔力の暴走。
まるで太陽に投げ込まれたかのようだった。
あまりに暴力的な熱波の奔流。
全身が蒸発し、再構成され、再び蒸発する。
何度となく生と死を往復し――
「まだ、生きてやがったかよ」
鬱陶しげな表情を浮かべる003。
俺はまだ死んじゃいない。
まるでミサイルの爆心地みたいにまっさらな荒野の中、なんとかその命脈を保っていた。
「けどな、これで終わりだ」
003は剣を手に近づいてくる。
カシャン。
カシャン。
鎧の金具が立てる音は、さながら死へのカウントダウンか。
「あばよ、オリジナル」
振り下ろされる大鉄塊剣。
俺の魔力はほぼ枯渇していた。
満身創痍。
次に死ねば、もう、取り返しがつかない。
だったら諦めるか?
自業自得だから仕方ない。
そんな風に受け入れるのか?
「あの世でせいぜいアリシアたちに土下座し続けろ」
刃が迫る。
真の死を目前にして、生き足掻くように思考回路が奔る。
ああ。
なんだ。
簡単なことじゃないか。
いつだったか、綾乃と交わした会話。
そこに答えはあった。
――《時間術式》のちょっとした応用だよ。
俺はこんなところで呑気にくたばってられない。
未亜と綾乃が待っているんだ。
だから。
過去の分際で、現在の足を引っ張るんじゃない。
どうしてこの人たちは鎧を着てるのに殴り合いなんかしてるんでしょう(素朴な疑問)




