閑話3-4 ボロルル砦の退き口(中編2)
今回でいったん閑話は終わります。
フィリシエラの姓を『バスタス』という。
古い言葉で『混血児』を意味し、その高い身体能力ゆえにカヴィ王家の守護役を任せられていた。
実のところフィリシエラは兄弟姉妹の中でも有数の実力者である。
ゆえにこそヨシトの「足手纏い」という言葉は聞き捨てならないものだった。
「あまり人を見下さないでいただけませんか」
フィリシエラは常日頃から袖に隠し持っているナイフを抜き、ヨシトの眼前に突き付けようとした。
だが、
「では、ひとつ賭け試合をしないか」
出足を挫くような絶妙のタイミングで、マルライトが横から口を挟んできた。
「ヨシト殿が勝てばこの砦を譲り渡そう。だが負けた場合は俺の部下になってもらう。……どうだ?」
「いいだろう。場所は?」
「砦の中庭だ。――フィリシエラ、何をぼんやりしている。おまえが戦うのだぞ」
「……私、ですか」
「俺でも構わんが、腕前を見せつけたいのだろう?」
それに、と小声で耳打ちするマルライト。
「向こうはおまえの殺気に気付いていた。奇襲などやめておけ、真正面から向かっていくほうがまだ勝ち目もある」
こうしてヨシトとフィリシエラの試合が始まったが、結果はあまりにもあっけないものだった。
開幕初手、加速魔法。
からの雷撃魔法。
「なっ……!?」
フィリシエラは文字通り手も足も出せなかった。
突如としてヨシトが目の前に現れたかと思うと、全身から力が抜けてしまったのだ。
雷撃魔法による神経遮断である。
くたり、とその場にへたりこむフィリシエラ。
「勝負あり、だな」
審判のマルライトが呟く。
「すげえ」
「ああ、やべえな」
「黒、か……」
勝負は一瞬でついたにも関わらず、観客の兵士たちは盛り上がっていた。
というのも雷撃の余波でフィリシエラのエプロンドレスがビリビリに破れて下着が露わになっていたからであり、それを見たヨシトが鼻血を吹いて気絶するという一幕があったものの、ともあれマルライトたちは砦から退去することになった。
「じゃあな、黒騎士さん」
「いつか絶対に戻ってくるから、それまで無事でいろよ」
「何だったら一緒に逃げてくれてもいいんだぜ」
決闘という催し物のおかげだろうか、兵士たちの士気は多少ながら回復していた。
撤収作業はテキパキと進み、その夜のうちにマルライトたちは出発することができた。
「あなたたち、栄えある公国の兵として悔しくはないのですか」
道中、フィリシエラは兵士たちにそう尋ねた。
すると、
「平気じゃねえよ」
「悔しいに決まってんだろ」
「オレだって砦に残りてえさ」
「けどよ、俺たちがいたってアイツの邪魔にしかならねえ」
「あのボウズの足を引っ張った挙句に死んじまうとか、男として最低だろ」
「オレらにはオレらの仕事があるしな。……マルライト様を無事に撤退させる。そうすりゃいつか大軍勢でボロルル砦に戻ってこれる。巡り巡ってボウズの助けになるわけだ」
さすが歴戦の猛者というべきか、現実的な判断の伴った答えが返ってくる。
「……そう、ですね」
言われてみれば確かにその通りかもしれない。
フィリシエラは【鑑定】の最終結果を思い出す。
[名前] ヨシト・ハヤブサ
[性別] 男
[種族] 中二病 (真性)
[年齢] 18歳
[称号] 勇者
[能力値]
レベル128
攻撃力 不明
防御力 不明
生命力 不明
霊力 不明
精神力 不明
敏捷性 不明
[アビリティ] 不明
[スキル]
原始魔法
イメージを言葉に落とし込み「本来ありうべからざる現象」を引き起こす。
詠唱や魔法陣、供物といった装飾を持つ以前の原始的な魔法。
体系化された技術ではないため威力・魔力消費の調節はきわめて困難。
常に暴走状態にあると言っても過言ではない。
[コメント]
ヨシトくんがセクハラしたお詫びに、少しだけ称号とスキルを教えちゃうよ!
『種族:中二病 (真性)』の意味はまったく分からないが、『称号:勇者』なら聞き覚えがあった。
勇者。
異世界から召喚される、魔族の天敵。
彼らは神々の加護を受け、千万の軍に匹敵する力を有するという。
なるほど、ならばヨシトをここに残すのも間違いではない。
だがそれでもフィリシエラとしては後ろ髪を引かれる思いがあり、しかし、なぜ自分がそう感じているのか、その理由までははっきりと分からなかった。
* *
ところで撤退の少し前、マルライトは【鑑定】結果についてフィリシエラから報告を受けたものの、
「やはり勇者であったか」
と、さほど驚きは感じていなかった。
「ご存知だったのですか?」
「推測だ。東のハイリア皇国で異世界人の召喚が行われたのは知っているな?」
「半年前のことですね。しかし彼らはまだハイリアに留まっているはずでは……」
「それはあくまで“表”の情報だ。召喚された勇者は7人、うち1人はあの国を出奔している。そいつがヨシトだろう」
「なぜそんなことを……?」
「さあな。次に会うことがあれば訊いてみるとしよう」
このときマルライトはひとつ嘘をついている。
ヨシトがハイリア皇国を去った理由に関し、風聞レベルだが情報は入っていた。
しかしながらその内容というのが、
「ハイリア国皇帝ニャニヤス28世を暗殺しようとした」
あるいは
「処刑の直前、第二皇女をまんまと誑かして脱走した」
「道中、邪魔になった彼女を殺して山に捨てた」
というような、ヨシト本人の印象からはかけ離れたものばかりであり、マルライトとしてはあまり広めるべきではないと考えたのだ。
* *
さて、砦にひとり残ったヨシトであるが、
「マジか……」
彼はいま厨房で絶望に打ちひしがれていた。
ぐぎゅるるるるる、と腹の虫が鳴り響く。
この数日間、ずっと何も食べていなかった。
砦に食料でもあればよかったのだが、昨晩のうちにマルライトらがすべて食い尽くしている。
どうせ死ぬのだから、と盛大に宴を催したらしい。
「残飯、残飯でもいい。浄化魔法をかければ食える」
もはや勇者の威厳も何もあったものではない。
乞食のような表情であちこちを探し回るが、見つけたのは一匹のネズミだけ。
猫でもやられたのだろうか、満身創痍のズタボロである。
「ここは危険だぞ、魔物が来るからな。さっさと逃げろ。――《汝の踵を癒す、ゆえにヒール》」
当時のヨシトはまだ『魔法』というものを体系的に学んでいない。
「イメージを膨らませて言葉を発すれば、それっぽい現象が起こる」程度の理解であり、詠唱もひどく適当だった。
もし世の一般的な魔法使いがこの場にいれば、顔を真っ赤にしてヨシトを叱りつけていただろう。
彼らにとって呪文は神聖にして不可侵なもの、「ふざけたことを抜かせば呪われる」と信じてたからだ。
だが、それは迷信に過ぎない。
現実問題としてヨシトの魔法はきちんと発動していた。
みるみるうちに傷が癒え、ネズミは活力を取り戻していく。
「チュウ! チュゥゥッ!」
「これでもう大丈夫だ。ほら、さっさといけ」
「チュッ!」
感謝の気持ちを示そうとしたのだろうか、ネズミは投げキッスのような仕草を見せるとサッと走り去っていった。
ぐぎゅるるるるる。
腹の虫が恨めしげに唸る。
「いや、ネズミを食うのはちょっと……」
そんなふうに独語つと、ヨシトは食料探しを諦めて砦の三階に上がった。
ドアを開けて外に出る。
空には満点の星空が広がっていた。
それらを眺めながら、ふと、己の今までを振り返る。
事の始まりは、たしか高校の音楽室。
そこでリア充カップルが大人の階段を昇ったり降りたり的な前後運動をしていて……女のほうに見覚えがあるような、ないような……たぶんないと思うけれど……そういえば男のほうに用事があったっけ……いいやなかったな……。
ともあれ、童貞男子には刺激の強いシーンを目撃してしまったのだ。
ヨシトはショックのあまり茫然と街をさまよい歩き、トラックから女の子を庇い――気付くと、神殿のような場所にワープしていた。
ちなみに当時の日本は2007年、異世界転移・転生ものの小説はまだ流行していない。
ゆえに彼が感じたのは「ネット小説みたいな展開だなぁ」ではなく「『ダンバイ〇』っぽい展開だなぁ」というものだったが、まあ、それは余談である。
異世界に召喚され、勇者として戦う。
本来ならヨシトはそういう道筋を通るはずだった。
だが彼には勇者の加護が与えられておらず、しかもハイリア皇国の第二皇女アリシアを狙った暗殺事件に巻き込まれ、ギリギリのところで彼女を救い出したものの、どういうわけか皇帝暗殺を企てたとして処刑が決定されてしまう。
「恩には恩で応えるものですから」
そこに手を差し伸べたのはアリシアだった。
2人は必死の思いで皇都を脱出するものの、事件の黒幕、第三皇子ゼズによってアリシアは殺害されてしまう。
「どうか、貴方は生きてください。生きて、生き続けてください」
それがアリシアの遺言だった。
「いずれ貴方が老いた日に、穏やかな秋の昼過ぎに迎えにあがります。
だからそれまで、勝手にこちらへ来ないでください、ね……?」
ヨシトは彼女との約束を守った。
度重なる追跡を必死に逃れ、ついにはハイリア皇国の領内から抜け出したのだ。
しかし、何のツテも持たない者がノンビリ暮らせるほど異世界は甘い場所ではない。
「ンンッ、兄ィさん、そのリンゴの代金を払ってもらおうかネェ。
5万ザーダ金貨だ。払えないってンなら、こりゃもう、身売りだよ、身売りィ」
ヨシトは悪徳商人に騙され、奴隷として売り買いされることに――ならなかった。
見かねた女傭兵が割って入り、彼を助け出してくれたのだ。
彼女の名は、セレン。
セレンティーナ・ヘイズヴェルグ。
名の知れた剣士であり、ヨシトは彼女に弟子入りして剣を学ぶことになる。
2人の仲は良好だった。
まるで姉弟のようにウマが合い、やがて三ヶ月が過ぎるころには周囲から「まるで恋人のよう」「さっさとくっつけばいいのに」「10歳も下のオトコを捕まえるセレンさんマジ羨ましい」と噂されるようになっていた。
そんな矢先のことである。
魔王軍が各地で大侵攻を開始し、セレンにとって恩のある村が危機に晒された。
2人は大急ぎで村に駆けつけ、必死になって魔族に立ち向かう。
しかし、
「――その程度の技では、我に届かん」
魔王軍四天王の一人、“銀色の騎士”の前にセレンは破れる。
刻一刻と冷たくなっていく師の身体。
ヨシトは慟哭し、告白めいた言葉を口にしていた。
だが、セレンの返事は、
「いや、アタシにその気はなかったっつーか……勘違いさせて、ごめんな?」
というものだった。
おそらくは己の死をヨシトに背負わせないための気遣いであり、それが彼女にとって最後の言葉になった。
それからというものヨシトはひたすらに戦い続けた。
いつか“銀色の騎士”をこの手で討ち滅ぼし、師の仇を討つために。
激戦区という激戦区を渡り歩き、今回、ちょっとした偶然が重なってボロルル砦を訪れたのである。
「……ん?」
ふと、ヨシトは我に返った。
砦の周辺を哨戒させていた使い魔が、森の中に魔物の姿を捉えたのだ。
「夜襲、か」
とはいえ半ば予想していたことでもあり、その後の対応も決まっていた。
「《散れ、慟哭の星々》、《天より降り注ぐものがすべてを滅ぼす》」
ヨシトの手から光が放たれた。
それは夜空に輝きを放って上昇し、やがて無数の矢に変じて地表に落ちる。
静かだった森はたちまち阿鼻叫喚の地獄へと変じた。
「――《鎧装》」
その呟きとともに漆黒の鎧が虚空に出現し、ヨシトの身体へと装着される。
鉄塊のような大剣を手に取り、砦の3階から飛び降りた。
砂煙をあげて着地する。
魔物たちは奇襲を諦めたらしく、正面からの突撃に切り替えていた。
何千何万という異形の怪物たちがヨシトひとりに向かってくる。
それらをことごとく切り伏せ、蹴り飛ばし、次々に冥府へと送っていく。
いや、ただ単に殺すだけではない
「《吸魔》」
魔力を豊富に持つ魔物からはその魔力を吸収し、あるいは、
「強制干渉」
知能の高いものを見つければ、精神干渉によって情報を抜き取る。
こうやって敵の全体としての動きを把握するのだ。
「……別動隊だって?」
戦い始めて1時間が過ぎたころだろうか。
すでに血の海と化した戦場の中、ヨシトはそんな情報を得た。
曰く、先に撤退したマルライトたちは「暗殺者めいた人間の集団」に襲われたという。
彼らはなんとか切り抜けたものの、マルライトの側近と思しき女が崖下に落ちて行方不明になってしまった。
おそらくはフィリシエラのことだろう。
一部の魔物には彼女を捕らえるように命令がなされていた。
「……」
ヨシトは考える。
この時、かなり遠くではあるが“銀色の騎士”の気配を感じていた。
今のまま戦い続けていればヤツは必ず出てくるだろう。
しかしフィリシエラのことも気になる。
師の仇を討つか。
少し関わっただけの女を助けに向かうか。
答えなどとっくに決まっていた。
活動報告にも書きましたが、このあと「6章→閑話3後編→7章」の予定。
ちなみにこのネズミ、前話に登場した伝書猫に襲われたせいでボロボロになってました。
実は過去編ヒロイン (?) の一人です。
あと、原始魔法は制御困難なシロモノでして、前編1で気絶したのは魔力切れ+空腹のせいです。




