閑話2-2 九郎岳トンネルの幽霊 (後編)
雛子の夫、羽賀銀は銀歯が多い。
というのは余談として、どうにもこうにも酒癖が悪かった。
すこし呑むだけで気が大きくなり、ついつい乱暴な態度になってしまう。
だが元来はかなりの小心者であり、
「先程は本ッ当に失礼いたしました! せっかくの宴会を台無しにしてすみませんでしたァ……!」
夜風に当たるうちに酔いが醒めたのだろう、銀は土下座で頭を畳にこすりつけていた。
ちょうど吉良沢家の親類一同が呑み直している時のことである。
「ええ、と」
「ううむ……」
先程とは別人のような銀に、親戚たちは戸惑いを隠せない。
互いに顔を見合わせてどうしたものかと思案する。
そこに、
「――次にやったら、二度とうちの敷居は跨がせないよ」
カナ江が呆れ交じりの声で沙汰を下す。
「分かったらそこに座りな。ウーロン茶でいいね」
「あっ、はい」
「ところで雛子はどうしたんだい? アンタと一緒にいるとばかり思ってたんだけどね」
「さあ……?」
繰り返しになるが、銀は気の小さな男である。
このとき彼の胸中はひたすら罪悪感で占められており、未亜を逆恨みする気持ちなどカケラも抱いていない。
問題はその妻、雛子のほうであった。
「ねえねえ芳人くん、未亜ちゃん。今からちょっとお出かけしよっか。
修二パパと夕子ママは先に行っちゃったから、雛子ママが連れてったげるね」
そんなふうに嘘八百を並べ、2人を自分の車に押し込んだ。
ちょうど大人たちの注意が銀の平謝りに向けられたタイミングでのことだった。
補足しておくと、銀と雛子は事前に打ち合わせをしていたわけではない。
結果として銀は囮のような役割を果たしたのだが、あくまで偶然の産物である。
雛子は車を発進させた。
こんな夜遅くに歩行者などいるわけがないと決めつけるような荒い運転で山の手に向かう。
目的地は市の北部にある旧九郎岳トンネル。
地元では心霊スポットとして有名な場所である。
ここに芳人と未亜を置き去りにし「連れて帰ってほしければ指輪を彩芽に譲れ」と脅しつけるつもりだった。
罪悪感はまったくない。
彩芽のためにしていることなのだから正しいに決まっている。
子育て無罪。
そもそもこの未亜とかいうガキは生意気なのだ。
年下なら年下らしく、彩芽の言う通りにすればいいものを。
目上の人間に逆らって生きていけるほど日本社会は甘くないし、ちょっとお灸を据えてやるべきだ。
……と、雛子は考えている。
ちなみに彼女は高校を卒業後すぐ銀と結婚している。
就職活動はおろかアルバイトをしたこともない。
やがて雛子の運転する軽のワゴン車 (背面には『Baby In Car』のステッカーが貼ってあるが、羽賀家に赤子はいない)は旧九郎岳トンネルに差し掛かった。
「ねえ知ってる? 昔、子供がここでお母さんに捨てられちゃったんだって」
うろ覚えだが、たしかそんな言い伝えがあったような気がする。
地元でも有名な家の御曹司が下働きの女に手を出し、うっかり子供を作ってしまった。
御曹司は責任を取ろうとしたものの、周囲はそれを邪魔するばかり。
やがて女は心を病んでしまい、このトンネルから九郎岳を出て行った。
その際、生まれて四歳になる子供をここに置き去りにしていった……とかなんとか。
あれ?
改めて考えてみれば「地元でも有名な家」ってどこだろう。
そんなのうちしかないような……。
雛子は奇妙なうすら寒さを覚えつつ、バックミラーに目を向けた。
後部座席には生意気なガキが2人、すまし顔で窓の向こうを眺めている。
……まあいい、今に見てろ。トンネルの真ん中あたりで外に放り出してやる。
暗い想像に笑みを浮かべる雛子。
その時であった。
――ガンッ!
まるで見えない壁にぶちあたったかのような衝撃だった。
ワゴンは激しく揺れ、そのままトンネルの中ほどで急停車していた。
いつのまにやらエンジンも止まっている。
「はぁ?」
舌打ちしながらキーを回す雛子。
だがエンジンはかからない。
「ちょっ、マジで意味不明なんだけど!?」
何度も何度もキーを回すが、やはり結果はどれも同じ。
と、そこに、
――コンコン、コンコン。
ノックの音が聞こえてくる。
前方、すこし上。
何者かがフロントガラスを叩いている。
雛子はおそるおそる視線をそちらに向けた。
* *
ノックにつられてフロントガラスを見れば、血まみれの子供が張り付いていた。
「 」
雛子はまるで気が狂ったかのような奇声を発し、車から飛び出した。
そのまま大わらわでトンネルの外へと走っていく。
俺と未亜は置いてけぼり。
わーりっぱなおとなだなー(棒)。
というか「怪談スポットで怖がらせよう」という発想が子供じみているというかなんというか。
雛子の外見は20代そこそこだが、まるで中学生のいたずらを眺めているような気分にさせられた。
それにしても。
なかなか意外な展開だよな、コレ。
俺と未亜はわざと雛子の嘘に乗ってみたわけだが、まさかマジモノの心霊現象に遭遇するとは思わなかった。
恐怖心はあまりない。
異世界ではもっとグロい死体を見たことがあるし、さんざんゾンビやゴーストと戦ってきたしな。
この子供の霊はさほど強くないし、低出力の《火炎術式》で消滅に追い込むこともできるだろう。
精神干渉を応用すれば交信じみたこともできるし、心残りがあるなら解決してやってもいいが、はてさてどうするか。
そんなふうに考えていると、
「う、うぅ……」
隣で未亜が震えていた。
俺の左腕をぎゅっと掴み、怯え切った表情を浮かべている。
出発前は「雛子が何を企んでたって、罠ごと食い破ってあげるわ!」などと豪語していたのに、今となっては見る影もない。
そういや未亜のやつ、オバケとかやたら苦手だったっけ。
とりあえずこの場から追い払うことを優先しようか、と、思ったが、
「うぅ…………う、うわあああああああああああああっ!」
それより先に未亜がキレた。
俺を押しのけて車の外に出ると、
「あんたね、言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ! そんなところで黙ってても分かんないわよ!
何を! どう! してほしいの!? やる気なの!? やる気だったらぶちのめすけど!」
猛烈な勢いで幽霊に説教を始めた。
すげえ。
これにはさすがの幽霊も驚いたらしく、目をぱちくりさせたまま固まっている。
「いったい何の恨みがあるか知らないけど、恨むなら恨むで何が恨めしいのか説明しなさいよ!
ホウ・レン・ソウなの! わかる!? わかるわよね!?
うちの城にいたゴーストも無口だったけど、それくらいはちゃんとしてたんだから!
ほら、さっさと言う!
10、9、8、――ああもうまどろっこしい、1、ゼロ! アウト!
《火炎術式》・《我が炎は以下略》!」
なんてひどい詠唱なんだ。
いや、俺も大概なんだかここまでの手抜きは初めて見た。
そうして魔法が放たれる寸前、キキィと音を立てて一台の車が滑り込んでくる。
黒塗りのハイエース。
修二さんの車だった。
「芳人、未亜、大丈夫か」
中から出てきたのは3人。
修二さん、夕子さん、そして、
「すまん! うちの嫁が本当にすまんっ!」
心の底から申し訳なさそうな様子の銀。
細かい事情は分からないが、俺と未亜を追いかけてきたのだろう。
「あっ! ちょっと待ちなさいよ!」
何やら未亜が声をあげている。
いったい何があったのだろう。
視線を向ければ、子供の幽霊がやけに満足げな表情を浮かべて消え去りつつあった。
「親が迎えに来た」という状況を目にして未練が晴れたのだろうか。
未亜を怖がって逃げて行ったような気もしないわけでもないが、まあ、そこは言わぬが華。
めでたしめでたし、ということにしておこう。
翌朝。
まあ当然ながら雛子はカナ江さんからこっぴどく叱られ、ついには絶縁状まで突き付けられる事態に発展した。
修二さんをはじめとした親類たちはなんとか取り成そうとしたものの、力及ばず、羽賀一家は失意のまま自分たちの暮らす街へと帰っていった。
風の噂だが、雛子は今回の里帰りでカナ江さんからお金の無心するつもりだったという。
なんでも銀の給料だけではやっていけないとかなんとか。
……ただ雛子の服装はやたらとブランド物が多かったし、ムダ遣いが多いだけのような気もする。
その後ほどなくして銀の務める工場は倒産。
一家は路頭に迷いかけるも、「これじゃ子供がかわいそうじゃないか」とカナ江さんが手を差し伸べた。九郎岳市で勤め先を紹介し、雛子たちを吉良沢の屋敷に住まわせることにしたらしい。カナ江さんがおもに彩芽ちゃんのしつけをしているんだとか。
ところで。
これは俺がカナ江さんから聞いた話なんだが、トンネルの怪談はまったくの事実無根、というわけではないようだ。
『地元でも有名な家の御曹司』とはカナ江さんの弟にあたる人物らしい。
ただし『トンネルに置き去りにされた子供』は死んでおらず、吉良沢家に引き取られてのびのびすくすく大きくなった。それがちょうど雛子の祖母とのこと。
ならばあの幽霊はいったい何だったのだろう。
どうせなら精神干渉で記憶を読み取っておけばよかったのかもしれないが、ともあれ。
「案外、オバケって怖くないのね」
帰り道、未亜はそんなことを自信満々に言っていたし、大きくなったら遊園地のお化け屋敷にでも連れて行こうと思う。
たぶん、ものすごく怖がるだろう。
閑話は次がラスト。
異世界、勇者時代の話です。




