第52話 神薙真姫奈は女の子になりたい。
いつもいつもお待たせしてごめんなさい。
ラブコメ(?)回です。
どうやら自分はときどき勢い任せに喋ってしまうことがあるらしい。
と、真姫奈は後になって反省した。
「花火、花火は好きか。私は好きだ。打ち上げ花火がパァーッと開く瞬間もいいが、そのあと光が灯いたり消えたりしながら落ちていく姿もなかなか味がある。おっと今日は花火大会じゃないか。出店も出るらしいぞ。この前のお礼もしたいし、一緒に行かないか。うん行こう。言っておくがこれはデートじゃないからな。お前ともっと話がしてみた……いや何でもない、あくまで筋を通すためのものだ。いいな? よかったらハイと答えろ。イエスでもいい。よし、ならばどこで待ち合わせる? む、む、迎えに来るだと? そ、そ、そんなの誰かに見られたら恥ずかしいだろうが! 久板川駅にしよう。駅前広場のモコモコくん像の前、午後5時だ、いいな、絶対に遅れるなよ」
せっかくヨシトに会えたというのに、最初は緊張のあまり何も喋れず、なんとか口を開いてみれば今度はマシンガンのように捲し立てていた。ノンストップの暴走特急。自分でもよく分からないうちに花火大会の約束を取り付け、もとい押し付け、逃げるようにして祖父母の家に戻ってきた。
「私はっ! 何をっ! やっているんだっ!」
ゴロゴロゴロゴロゴロ!
ゴロゴロゴロゴロゴロ!
真姫奈はモコモコくん (久板市のマスコット、すごくモコモコ) のぬいぐるみを抱きしめつつ、猛烈な速度で畳の上を転がっていた。今更になって訪れた恥じらいの乙女心である。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁ……死にたい、もう死にたい、いっそ殺せぇ……!」
さっきの自分はひどかった。
女の子らしさのカケラもない。
武士なんかに憧れてキャラを作ってきたツケなのだろうか。
時間を巻き戻せるなら巻き戻したい。
真姫奈は、ふと、先週の金曜ロードショーを思い出した。
映画の『スーパーマン』。
クライマックスでは地球を逆回転させて恋人の死をなかったことにしていた。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ――さらに激しく転がる真姫奈、そして――――ガンッ!
「~~~~~~~!」
うっかり方向転換し損ね、タンスの角に脛をぶつけてしまう。
かなりの大声を出してしまったが、祖父母も母もやってこなかった。
三人とも朝から花火大会の準備に駆り出されている。
この田舎町ではまだ『近所付き合い』というものが良い意味でも悪い意味でも根強く残っていた。
「うわっ!?」
タンスに激突したあと、数秒の時間差でグラリと四角い物体が落ちてきた。
写真立てだ。
収められた写真は2年前のもの。
幼稚園時代の真姫奈と直樹が並んで移っている。
「直樹……」
名を呟く。
かつて結婚の約束をした幼馴染。
伊城木家の状況については、公園での事件のあと、母親からいくつか教えてもらっていた。
彼の両親は退魔師であり、宮内庁神祇局に所属している。
ここでは家柄がそのまま扱いに反映され、零細の伊城木家は下っ端として使い潰されていた。
単身赴任・長期出張はあたりまえ。
直樹ともほとんど会えず、祖父に任せきりになっていたという。
伊城木直久は本来おだやかな老人だったらしい。
しかし1年前に癌の宣告を受け、そのあたりからおかしくなりはじめた。
六紅たちにいじめを行うように持ち掛けたり。
難癖をつけて直樹を杖で打ち据えたり。
食事を作らせておいて目の前でゴミ箱に放り込んだり。
そういう意味では直樹もまた被害者のひとりなのだろう。
彼は両親と暮らすことになり、すでに久板市を離れている。
真姫奈のことを避けたまま、何も言わずに引っ越してしまった。
「……せめて挨拶くらいしていけ、ばか」
顔を合わせづらいのは分かるが、自分たちは将来を誓い合った仲だ。
直久は直久、直樹は直樹。
親の罪業を子が背負うことはないし、祖父ならば猶更だろう。
それを直樹に伝えて、先日の電話のことを謝って――仲直り、したかった。
時計は午後2時を回った。
ヨシトとの約束まであと3時間。
真姫奈は意を決したように立ち上がると、かつて直樹が住んでいた家まで走っていった。
もしかしたら荷物を取りに戻ってきているかもしれない。
そんな淡い期待を胸にインターホンを押す。
誰も出てこなかった。
* *
真姫奈はギリギリの時間まで家に留まっていたが、もちろん、直樹が訪ねてくるはずもない。
ひとりで家を出る。
昼間はズボン姿だったが、今はスカートに着替えていた。
カナカナカナ……とヒグラシの声がする。
夕暮れの町。
人通りはまあまあ多く、浴衣姿の男女もチラホラ歩いている。
おそらく花火を見に行くのだろう。
それは商店街を歩いている時のことだった。
少し先にあるサークル○から男が飛び出してきた。
目出し帽を被っているため顔はわからないが、体つきはガッシリしている。
左肩にはダッフルバッグがかかっており、なにやら随分と重そうだ。
「ど、ど、どけ! どけっ!」
男はそう叫ぶと、懐からナイフを取り出した。
コンビニ強盗であろうか。
周囲を威嚇するためであろうか、白刃を振り回す。
その切っ先が、ちょうど近くを歩いていた浴衣姿の女性の袖口を切り裂いた。
悲鳴があがる。
突然の凶行に皆がパニックを起こしかけた、その寸前。
真姫奈は何とも言えない気配を感じ、車道を挟んだ反対側、向かいのの歩道に目を向けた。
すると。
予感通り、あるいは、期待通り。
彼がそこに立っていた。
「ヨシ、ト……?」
戸惑ったのは、ヨシトがごく普通の格好だったから。
カウボーイでも僧侶でもない。
デニムのジーンズに、白い半袖のシャツ。
首にはネクタイをゆるく巻いている。
青と白のストライプで、涼やかに大人びた雰囲気だった。
彼の動きは素早かった。
車の行き交う道路をジグザグに走り抜けるとガードレールを飛び越え、コンビニ強盗へと突っ込んでいく。
「わっ、うわっ!?」
驚いたのは強盗のほうである。
まさか向かってくる者がいるとは思っていなかったのだろう。
しかも相手は子供だ。
数秒、硬直してしまう。
そこにヨシトがぶつかった。
体重を乗せた渾身の体当たりである。
否、頭突きというべきか。
所詮は子供の身体、本来なら大したダメージになろうはずがない。
しかし当たり所が絶妙だった。
背が低いゆえに狙いやすい成人男性の弱点。
強盗の股間に、まるで破城槌のような頭突きが突き刺さっていた。
「アッ……!」
悶絶する強盗。
ヨシトはその隙に強盗の服をつかみ、まるで合気道のような動きで地面に押し倒した。
頭が地面に激突し、ひどく鈍い音がした。
強盗の手から離れるナイフ。
ヨシトはそれを蹴って遠くにやると、
「じゃ、みなさん後はよろしく」
パッと身を翻してその場を走り去る。
「お、おまわりさん、こっちです! 強盗がナイフを振り回してるんです!」
善良そうな若い女性が警察官を連れてやってきたのは、それから数秒後のこと。
真姫奈はこの急展開に目を白黒させるばかりだったが、
「血……?」
地面に紅いしずくがポツポツと落ちていることに気付く。
強盗にも、最初に切り付けられた女性にも、怪我はない。
ならばこの血が誰のものか。
消去法で考えると答えは明らかであり、
「ヨシト!」
真姫奈は走り出していた。
ちょうどヨシトは遠くの角を曲がったところ。
全速力で後を追う。
すでに彼女は神薙家の一員としての修業を始めていた。
多少は身体も鍛えているし、足の速さなら中々のものだ。
「はぁっ、はぁっ――」
けれど距離が縮まらない。
全速力で走っているのに、ヨシトの背中はまだ遠い。
「待て、待ってくれ……!」
喘ぎながら叫ぶ。
それは乱れた呼吸に掻き消されるほどの小さな声であったが、もしやヨシトに届いたのだろうか。
ピタリと足を止めるヨシト。
おかげで真姫奈は追い付くことができた。
そこは奇しくも待ち合わせ場所の駅前広場であり、2人はベンチに並んで腰かけた。
「神薙さん、大丈夫か?」
「あ、ああ、すまない……」
ヨシトはいくらか小遣いを持っていたらしく、近くの自動販売機でアクエリ○スを買ってきてくれた。
真姫奈は呼吸を整えつつ、ペットボトルに口をつける。
いつも以上に甘く感じられるのは汗のせいだろうか。
「いや、私のことはいい。それよりヨシト、ケガは大丈夫なのか?」
「怪我?」
「とぼけるな、強盗に切られていただろう」
「ああ、コレのことか」
ヨシトは左手を見せてくる。
傷は想像よりもずっと浅かった。
皮膚をうすく切られた程度であり、長さは3センチもない。
「もう血も止まってる。大丈夫だよ、心配ない」
優しげに微笑むヨシト。
真姫奈は少しだけ彼から距離を取った。
赤くなった顔を見られたくなくて、夕日がよく当たる場所に座り直そうとしたのだ。
それから目を逸らしたまま、
「なんであんな無茶なことをしたんだ」
と、ぶっきらぼうな口調で問いかけた。
「あいつが強盗だからだよ。放っておくわけにはいかないだろ」
「だとしても刃物を振り回してる相手に突っ込むのはどうなんだ。私たちはまだ子供だろう。大人に任せておけばいいじゃないか」
「大人も子供も関係ない。ほら、いろんな運動の標語でよく出てくるだろ、『ひとりひとりが自分にできることをやりましょう』って。俺なら強盗を止めれる。だから止めた。それだけだよ」
何の気負いもなくヨシトはそう言ってのける。
いつもの芝居がかった調子はどこへやら、顔には確かな自信が満ちていた。
「そうは言ってもだな、怪我をしたらどうするんだ。もしかしたら殺されてたかもしれないんだぞ」
しかし真姫奈はなおも食い下がる。
なぜ自分はこうもムキになっているのだろう。
理由ははっきりしないが、とにかく、こんな危ないことはやめてほしいと感じていた。
「大丈夫、俺はまだまだ有り余ってる。余力だらけなのに死ぬわけがないだろ? ……優しいんだな、神薙さんは」
「お世辞で話を逸らそうとするな」
「違うよ、本気で言ってる。
会ったばかりなのに俺のことを心配してくれて、なんかそういうのってさ、すごく女の子っぽいと思う」
「なっ……!」
真姫奈は二の句が継げないまま口を開閉させ、やがてボンと爆発した。
もはや頬の赤色は夕日で誤魔化せないほど鮮やかに染まっている。
こんな顔をヨシトに見られたくないと思った。
チラリと彼の様子を窺えば、明後日の方向を向いている。
視線の先は駅前の大時計。
長針が動いて、ちょうど午後5時になった。
『ふるさと』のメロディーが流れ出す。
「そろそろいい時間だな。神社で夏祭りもやってるし、ちょっと寄り道してから行こうか」
神社の境内はなかなかの盛況ぶりで、ふとすれば人波に呑み込まれてしまいそうだった。
「神薙さん、はぐれるなよ」
そう言ってヨシトは左手を差し出してくる。
真姫奈はその手を握ろうとして、ふと、直樹のことを思い出した。
彼はいま何をしているのだろう。
ぐるりとあたりを見回してから、憚るような指先でヨシトのシャツの裾を握った。
「オッケー、放すんじゃないぞ」
2人で祭りを見て回る。
金魚、スーパーボール、型抜き――。
真姫奈はうっかり小遣いを家に置いてきてしまい、ヨシトがすべて払ってくれた。
「すまない、私のせいで……」
「いいんだよ。俺は男で、神薙さんは女の子。だったらこっちが払うのは当然だろ?」
「そ、そうか。ありがとう……」
論理としては無茶苦茶なのだが、真姫奈はついつい押し切られてしまう。
それから何度か心の中でヨシトの言葉を反芻した。
神薙さんは女の子。
事実としては当たり前のことだが、ふだん気が強いせいだろうか、そういう風に扱われた覚えはほとんどない。
「女の子、か」
つい、口元が綻んでしまう。
胸が高鳴る。
その気持ちは、向こうからガラの悪そうな男たちが歩いてきた時、ヨシトが真姫奈を庇うように前へ出たことでさらに強くなり、
「神薙さん、欲しいものはないか?」
「いや、別に……」 (射的の景品のぬいぐるみをチラ見)
「よし、あれだな。ちょっと待ってろよ」
一回でぬいぐるみを当ててきたところで、もう、蕩けるような心地になっていた。
花火のことは、もう、ほとんど覚えていない。
空を見上げているときに指と指が触れ合って、どちらともなく手を握り――気恥ずかしさに朦朧するばかりだった。
やがて最後の打ち上げ花火が消えた。
パラパラと帰り始める人々。
もちろん彼らも例外ではなく、
「神薙さん、送ってくよ」
「真姫奈だ」
「ん?」
「私には弟と妹がいる。苗字じゃ区別がつかないだろう。だから、名前でいい。……名前で、呼んでくれ」
「わかった。帰ろうか、マキナ」
「……ああ」
真姫奈はさっきよりも強く、ヨシトの手を掴んだ。
探るようにおそるおそる指を絡めての恋人繋ぎ。
「暑いな」
ヨシトも照れているのだろうか、誰ともなく呟いてネクタイを緩めた。
露わになる首元。
真姫奈の視線はそこに吸い寄せられていた。
肌の下の鎖骨が、ひどく、馨しい。
夏の夜を2人で歩く。
話したいことは色々あるはずなのに、意識は繋いだ手に吸い寄せられて何も言えなくなってしまう。
やがて最後の曲がり角が近づいてくる。
真姫奈は歩幅を狭くし、ゆっくりと歩いた。
ヨシトもそれに合わせてくれる。
2人は別れを惜しむように角を曲がり、そして、その先で、
白いワンピースを着た少女、否、少年に出くわした。
幽鬼の如き表情が、茫漠と街灯の下に浮かんでいた。
次回、過去編の結末(一生異性に縁がなくなる呪いをかけられる)のあと、現代に戻ります。




