第51話 芳くんのひいお爺さんは○リコンでした。びっくりです。
だから私には芳くんを襲う権利があります(16歳・人斬り)
直樹はひどく落ち込んだ様子で「真姫奈ちゃんには会いたくない」とインターホン越しに告げてきた。
……改めて振り返ってみれば、昨夜の発言はあまりにも常識というかデリカシーに欠けていたように思える。
真姫奈は暗澹たる面持ちで帰途に就き、その道すがら、白髪交じりの男性に呼び止められた。
「おお、真姫奈ちゃん。昨日はようやってくれた、ありがとうなあ」
「お久しぶりです、直久おじいさま」
真姫奈は深々とお辞儀する。
相手のことはよく知っていた。
伊城木直久、直樹の祖父である。
それにしても『ようやってくれた』とはどういうことだろうか。
「あの電話のおかげで、直樹のやつ、ずいぶんとへこんでおったわ。これからもその調子で頼むぞ、うむ」
「……は?」
この老人は何を言っているのだろう。
孫を傷つけられて感謝するなど、常識的に考えてありえない話だ。
「おお、そういえば真姫奈ちゃんにはまだ説明しておらんかったの」
穏やかな老人そのものの表情で直久は言う。
「ま、立ち話もなんじゃ、ちょっと来なさい」
今でこそゴザル口調はやめたものの、真姫奈はいまだ「武士」というものに憧れている。
当然ながら年上の人間は無条件に敬うべきものであり、ここで誘いを断るという選択肢はなかった。
そうして直久に連れられてやってきたのは、すぐ近くの公園。
二人並んでベンチに腰掛ける。
「家では直樹に聞かれてしまうかもしれんからな。ここならええじゃろ」
直久は胸ポケットから呪符を取り出すと、念を込めて人払いの術を発動させた。
霊力を持たない一般人を遠ざけるための術式である。
「さて、話の前にひとつ訊きたいんじゃが、真姫奈ちゃんは伊城木の家についてどれくらい知っておるんかいの?」
「どれくらい、ですか」
妙に含みを持たせた問いかけに、真姫奈はしばし考え込む。
「父母からは、退魔を生業とする家のひとつ、と聞き及んでおりますが……」
「間違ってはおらん。しかし部分点よ、満点には程遠い。勉強不足じゃの」
「……申し訳ありません」
「オヌシ一人が謝って済む話ではないぞ。まったく、天下の神薙家ともあろうものが情けない。親も親じゃ、娘の教育がなっとらんではないか。伊城木家の何たるかを知らぬとは、これだから最近の若い連中は……」
現状を嘆くように嘆息する直久。
しかし彼の表情は、隠しようもなく歓喜に染まっている。
真姫奈は子供心に「この人は誰かを見下したくてたまらないんだな」と感じた。
ちなみに伊城木家は退魔師としては零細そのものであり、他家からは全く注目されていない。
伊城木家について知っているのは、おそらく伊城木家の者くらいであろう。
「仕方ない、知らぬなら教えてやろう。伊城木家は代々、ココロを操る術に長けておるんじゃ」
これには真姫奈も驚いた。
人間の精神に関わる術というのはかなり高度なものであり、扱いには特別な才能が不可欠である。
有名どころとしては『石蕗』『八角』『山菊』の三家であろうか。
これらの家は退魔師業界でも特別な立ち位置にあり、表社会に対する情報操作を担当している。
「しかし困ったことに、ワシの祖父の代からはその力が絶えておる。どうしてか分かるかのう?」
直久は問いかけてきたものの、真姫奈の答えを待たずに続ける。
「石蕗・八角・山菊――あやつらが自分らの立場を守るため、伊城木家に呪いをかけているんじゃ」
「証拠は、あるのですか?」
「ない。しかし証拠がないことこそが動かぬ証拠よ。何か隠蔽工作をしたに決まっておる」
それは少し無茶な話ではないだろうか。
真姫奈はつい、疑いの視線を向けてしまう。
すると、
「なんじゃ! 小娘がワシを疑うのか!?」
豹変。
直久は悪鬼羅刹のような形相を浮かべ、真姫奈をギョロリと睨みつけてきたのだ。
黄色く濁った瞳は、異様なまでに爛々と輝いている。
「あの三家が呪いをかけるくらいじゃ、きっと伊城木の血にはとんでもない力が眠っておる! 今に見ておれ、直樹が目覚めたら、一族郎党揃ってワシの奴隷にしてくれるわ! ――ククククク、ゴホッ、ゴホッ、ハハハハハハハッ、ゴホッ、ゴホッ、ン、ン、カーッ、ペッ、クハハハハハハハハッ!」
年のせいか何度も咳き込みつつ、狂ったように笑い声をあげる直久。
普段の穏やかな姿は擬態だったのだろうか、どこからどう見ても正気というものを失っている。
「し、失礼します!」
もはや目上への礼儀だのなんだのと言っている場合ではない。
危険な予感を覚え、真姫奈はすぐにその場から離れようとした。
が、しかし。
「おっと、ワシの話はまだ終わっておらんぞ」
直久に腕を掴まれていた。
「放してください……!」
「そうはいかん。真姫奈ちゃんにはワシの手伝いをしてもらうんじゃからな」
「何を、させる気ですか」
「直樹を追い詰めればいずれ覚醒する。きっとそうに決まっておる。最近の若い連中は弛んどるからな、扱いてやれば何事もうまく行くはずじゃ。これまでは悪ガキどもに直樹を苛めさせておったが、あいつらはどうにもまだ手温い。ゆえに――」
ニタァ、と。
好色そのものの笑みを浮かべる直久。
饐えた匂いの吐息が、真姫奈の肌を撫でた。
「――おまえさんにはワシの子供を孕んでもらう。そうなれば直樹もさすがに目覚めるじゃろうて」
* *
直久はベンチの上に真姫奈を押し倒した。
「くひっ、声を出しても無駄じゃぞ。周りは結界で囲んでおる。誰も助けに来んわい、誰もな!」
「こ、こんなことをして、ただで済むと――」
「ただで済むとは思っとらん。しかし直樹が目覚めれば問題はなかろう。記憶を書き換えればワシも無罪放免じゃからなぁ!」
吠えるように叫ぶ直久。
腕力を強化する術を使っているのだろうか、真姫奈のスカートを片手で引き裂いた。
「白か。色気のない下着じゃのう。まあええ。『神殺しの神薙』の初物、それだけでビンビンくるわい」
直久はズボンのベルトに手をかけた。
真姫奈は両親から武術の手解きを受けていたものの、身体が完全に竦んでしまっていた。
恐怖のあまり悲鳴を上げることすらできず、ただ、その瞳を涙に濡らすばかり。
このままならば、真姫奈は一生消えることのない傷跡を背負っていただろう。
――パラリーララ、パラリララララー。
そこに割って入ったのは、笛の音。
ラーメン屋の屋台でよく聞くあのメロディーだ。
「な、な、なんじゃ!? 誰じゃ!? け、結界は張っておるはずじゃぞ!」
真姫奈の上から飛びのく直久。
真っ青な顔であたりを見回すが、どこにも人影は見当たらない。
「おじいさん、女の子に乱暴しちゃだめだろ。幼稚園で習わなかったか?」
ガサ、ガサガサ。
ベンチの近く、大きなミズナラの木が揺れた。
「よっ、と」
その中から飛び降りてきたのは、子供の虚無僧だった。
黒い僧衣に身を包み、頭には深編笠をかぶっている。
ただし口に咥えているのは、尺八ではなく、リコーダー。
ソラシーラソ、ソラシラソラー。
再びチャルメラのテーマを吹くと、芝居がかったしぐさで深編笠を投げ捨てた。
「お嬢さん、久しぶり。俺のことは覚えてるかい」
真姫奈は頷く。
昨日とはまったく違う出で立ちだが、その顔は忘れようがない。
「ヨシト、か?」
「正解だ」
ずびし、とこちらに人差し指を向けるヨシト。
「イジメの黒幕を追ってたつもりが、まさかこんな現場に出くわすなんてな。世の中は驚き桃の木山椒の木、この木なんの木気になる木、正解はハワイにある合歓の木、ってやつだ。……男なら誰しも一度は“合歓”を“ごうかん”と読んじまうらしいが、リアルでやらかすのはどうかと思うぜ、おじいさん」
「な、な、何モンじゃ、お前は!」
「まったく、天下のおじいさんともあろうものが情けない。俺の何たるかを知らぬとは、これだから最近の老人は……」
ここまでの会話を聞いていたのだろうか、ヨシトは意趣返しのように嘆息する。
「仕方ない、知らぬなら教えてやろう。俺の名はヨシト、お前に名乗る名前はない。……さて、六紅たちから聞いたぜ。アンタ、カネを渡して自分の孫を虐めさせてたんだろ?」
「そ、それの何が悪い! その恰好、オヌシもどこぞの家の退魔師じゃろう! 他の家のことに口を出さんでもらおうか!」
逆上する直久。
しかしヨシトは堪えた風もなく、
「は? 退魔師? なんだそりゃ?」
むしろキョトンとした様子でそう訊き返した。
「さっきも呪いだの何だのと言ってたが、おじいさん、マンガの読みすぎじゃないか? それともアニメか? ゲームか? 現実と空想はきっちり区別しろよ。小学生の俺でさえ知ってるぜ。サンタは親、幽霊の正体は枯れ尾花。魔法は目の錯覚で、稲川淳二は作り話だ。奇跡は起こらないから奇跡なんだよ。要するに、ま、アレだ」
ハッ、と鼻で笑うヨシト。
「おじいさん、ボケてんじゃない?」
「――貴様ァ!」
直久は激高した。
ベルトの外れたズボンがずり落ちるにも構わず、懐から呪符を取り出す。
「こ、こ、このクソガキが! ワシをバカにしよってからに! 《搏撃するものよ、翼ある者よ、我に力を与えたまえ、汝の炎を貸し与えたまえ》――」
その呪文を真姫奈は知っていた。
《小呪》・《迦楼羅炎》。
高位の術式のひとつであり、清めの炎によって敵対者を焼き尽くす。
子供ひとりなら5秒もせずに灰と化すだろう。
「逃げろ、ヨシト!」
真姫奈は叫んでいた。
だというのにヨシトはむしろ直久に飛びかかり――
「トリモチをくらえ!」
「《小呪》・《迦楼羅……んがぐぐ! ぐむっ!」
その口に、白いネバネバした物体を投げつけていた。
鳥や昆虫を捕まえるのに便利なアイテム、鳥黐である。
直久の詠唱が中断され、霊力が霧散する。
……その後は、昨日と同じ流れだった。
「お、お、覚えておれ、このクソガキが! 呪ってやる、呪ってやるからな!」
捨てセリフを吐き、這う這うの体で逃げてゆく直久。
いっぽうでヨシトのほうは全くの無傷だった。
「お前は、何者なんだ……?」
真姫奈は眼前の光景が信じられなかった。
ただの子供が退魔師を圧倒する。
おかしい。
ありえない。
自分は夢を見ているのだろうか。
「さっきも言ったろ。俺はヨシト、ハヤブサのヨシトだ。……ところで、その、だな」
なぜかそっぽを向くヨシト。
僧衣を脱ぎ、真姫奈に差し出す。
「わ、若い婦女子が、そんな格好じゃいかん。うん。男はオオカミだからな」
「あっ……」
真姫奈は改めて気付く。
いま自分はどういう姿なのか。
スカートを破かれ、直久に「色気がない」と言われたショーツが露わになっている。
かあっと頬が熱くなった。
引っ手繰るように僧衣を受け取って、下半身を隠す。
「あ、あ、ありがとう……」
「ど、どういたしまして……」
妙に気まずい雰囲気。
真姫奈はヨシトを見る。
僧衣を脱いだ今、彼の上半身は露わになっていた。
子供とはいえ、男は男。
やはり骨格は女のそれにくらべてがっしりした印象を受ける。
夏の日差しに焦てられてか、汗の珠が鎖骨のあたりに浮かんでは流れ落ちる。
真姫奈は息を呑んだ。
あの汗を舐めとってみたい。
ふと、そんな欲望が心に浮かんだのだ。
「なあ、汗、拭かなくていいのか」
沈黙を破る第一声は、そんな言葉。
「よ、よかったら私が――」
私が拭きとってやろうか。
彼女がそう口にする寸前、
「お、おまわりさん、こっちです! おじいさんが、小さい女の子を!」
人払いの結界は失敗していたのだろうか。
善良そうな若い女性が警察官を連れて走ってくる。
「おっと、サツが来ちまったか。だったら正義の味方の時間は終わりだ。お嬢さん、こいつを預けておくぜ。うまく使ってくれ」
そう言ってヨシトが手渡してきたのはテープレコーダーだ。
「あの爺さんの話を録音してあるし、証拠としては十分だろ。じゃあな」
「えっ、あっ、ちょ、ちょっと待て!」
「待てと言われて待つヤツはいない。ハヤブサはクールに去るぜ」
颯爽と身を翻して公園の茂みの向こうに消えるヨシト。
後に残ったのは、彼が着ていた僧衣とテープレコーダーだけ。
「……変な奴だ」
小さく呟きつつ、真姫奈はそっとヨシトの着ていた僧衣に顔を埋める。
妙に安心できる匂いがした。
その後、伊城木直久は逮捕されなかった。
無罪放免というわけではない。
神祇局の退魔師によって取り押さえられ、専門の矯正施設へと送られることになった。
真姫奈の聞いた話では、取り調べにおいて直久は
「ワシは悪くない!」
「ワシは嵌められたんじゃ!」
「石蕗! 八角! 山菊! あいつらがワシの精神を操っとるんじゃ!」
と繰り返したらしい。
これを受けて神祇局は入念な調査を行ったものの、結果はシロ。
直久は若いころ石蕗家の女性に交際を断られ、ストーカーと化していた時期があった。
――怨恨を長年にわたって膨らませた結果、おかしな妄想を抱いてしまったのであろう。
事件はそんな風に結論づけられた。
* *
夏も終わりに近づいていた。
事件以来、真姫奈はヨシトに会えていない。
「礼を、言いたいのだがな」
彼女の手元には、僧衣とテープレコーダー。
僧衣は丸一日くんくんし、布団代わりにしたあと洗濯機に入れた。
真姫奈みずからアイロンをかけ、見事な仕上がりになっている。
「はぁ……」
最近、ため息の回数が増えた。
ふとするとヨシトのことを考えている。
彼はいったい何者なのか。
どこに住んで、普段はどんなことをしているのか。
つい、想像を巡らせてしまう。
「いかんいかん、私には直樹がいるというのに」
呟きながら、街を歩く。
どこかで偶然ヨシトに会えるのではないかと期待していた。
「これは服を返すためだ。ああ、それだけだ」
つい、言い訳してしまう。
誰に?
おそらくは、自分に。
母方の実家を離れる日も近い。
その前に一度でいいからヨシトと話がしたかった。
果たして彼女の願いは叶う。
神薙の家に帰る前日、真姫奈はヨシトの姿を見つけた。
信号の点滅する横断歩道。
「おばあちゃん、大丈夫か?」
「すまんねえ、ぼく」
うっかり転んだ老婆を助け起こし、その手を引いて歩いていた。
「よお、いつかのお嬢さんじゃないか」
「真姫奈だ、神薙真姫奈」
「じゃあ、神薙さん」
「いや、真姫奈でいい」
「わかった。真姫奈、それで、俺に何か用か? 新しい悪人でも見つけたか?」
「そうじゃない。ええと、だな……」
いざ会ってみれば、何を話せばいいかわからない。
助けを求めるように視線を逸らした先、電柱に1枚のポスターが貼られていた。
――久板川花火大会。
それは近くで行われる花火大会の知らせ。
開催は、今夜である。
あと1話だけ、あと1話だけ過去編にお付き合いください。




