第48-2話
立ち話も何だから……と言い、伊城木月は四阿の長椅子に腰掛けた。
「貴女も座りなさいな。それともダイエット中なのかしら」
「……失礼します」
しばらく迷ったものの、静玖は長椅子に腰を下ろす
「身構える気持ちも分かりますけれど、どうか楽になさってくださいまし。
少なくとも今のわたくしは、貴女と事を構えるつもりなどありません」
いきなりそんなことを言われても、ハイソウデスカ、と信じられるわけがない。
静玖は考える。
罠ではないか、騙されているのではないか。
いっそ有無を言わさず先制攻撃を仕掛けるべきではないか。
そう思うものの、伊城木月の底知れなさに二の足を踏んでいる。
「ふふ、ずいぶんと固くなっていますのね。まるで初心な殿方みたい」
固い。
殿方。
その2つの単語で静玖が想像したものについては、まあ、あえて伏せておこう。
彼女は思春期なのだ。
「あら、何か勘違いをなさってない? 異性に慣れていない殿方なら、こうして隣に座るだけでも緊張するものでしょう?」
くすくすと手に口を当てて笑う月。
「それにしても困りましたわ。わたくし、静玖さんとは仲良くしたいと思っていますの。どうしたらいいでしょう?」
「――ワウッ!」
そのとき突如として静玖の気が触れ、犬の物真似を始めた……わけではない。
月の影が揺らめいたかと思うと、その中からオオカミが飛び出したのだ。
使い魔であろうか。
先程アリアを呑み込んだものよりはずっと小さい。
中型犬くらいのサイズである。
オオカミは器用にも二本足で立ち上がると、月の耳元で何事かを囁いた。
「ワウ、ワウウ」
「あら、それはいいアイデアね」
「オーン!」
不思議なことに、両者の間では会話が成立しているらしい。
オオカミは威勢よく吠えるとに影の中に戻っていく。
「ねえ静玖さん。まずは互いの友誼を深めるために、ひとつ遊戯でもいかがかしら」
月はやたらと得意げな表情を浮かべていた。
ところで相鳥静玖は空気の読める子である。
今のが月にとって会心の駄洒落なのを察しており、ゆえに気の利いた答えを返そうとした。
「ええ、それはとっても、有意義ですね」
直後、沈黙の時間が訪れる。
…………………………………………………………………………………………………。
「…………………………」
「――――――――――」
月は口元を押さえながら震えている。
よほど静玖の返答が詰まらなかったのだろうか。
と、思いきや。
「ゆ、有意義、ゆうぎで、有意義……! 有意義な、遊戯で、友誼……くくっ、くくくくっ、あははははははっ!」
大受けだった。
大爆笑だった。
よほど気に入ったらしく、しつこいくらいに「遊戯で有意義!」と繰り返しては笑い転げる。
「大丈夫ですか……?」
静玖は月の背中を撫でさする。
笑い過ぎで呼吸困難に陥っていたからだ。
「はぁ、はぁ……危なかったですわ……。まさか静玖さんがこんなにお上手だなんて……」
月の肌はほんのりと朱色に染まっていた。
喘ぐように息をつく姿は、妙齢の女性らしい色香を漂わせていた。
同性の静玖をして思わず息を呑むほどである。
「ねえ静玖さん」
とろん、とした目つきを向けてくる月。
ぷっくりと膨らんだ薄紅色の唇がゆっくりと動き、
「貴女、お笑いに興味はない?」
いきなり、そんな風に誘いかけてきた。
「わたくし、貴女となら天下を取れる気がしますの」
「天下って、お笑いの、ですよね」
「ええ。けれど静玖さんくらいの年頃ならアイドルの方がいいかしら。バラエティ中心の路線で売り込んで……ああ、安心してくださいまし。お金ならいくらでも用意できます。そうね、そうしましょう。でしたらこの余興は貴女の始まりに相応しいものかもしれませんわ」
わたしアイドルとかそういうのはちょっと……。
静玖の呟きは、しかし、月の耳には届いていない。
そして彼女らの周囲では驚くべき変化が起こっていた。
月の影から何匹ものオオカミが現れ、四阿の横にステージを組み上げていたのだ。
アンプ、モニタ、マイク。
機材もすべて影から出てくる。
電源はどこだろうかと探してみれば、コードの先は巨大な回し車に繋がっている。
その中では一匹のオオカミが必死の形相で走り続けていた。
人力、いや、狼力発電である。
「花見といえばカラオケ、さあ、歌いましょう静玖さん。審査員も揃えていますわ」
見ればステージの左側には審査員席のようなものも用意されていた。
ただし、そこに並んでいるのは人間ではない。
オオカミだ。
全部で五匹。
メガネをかけたり帽子をかぶったり、それぞれ個性的な出で立ちをしている。
「ああ、そうそう。折角ですから点数で勝負しましょうか。
もし貴女が勝てば、お義兄さまの目的についてお教えしますわ。
負けた場合は、そうですわね……」
少し思案したあと、月は名案とばかりにこう告げた。
「静玖さんも、お友達が戦っているのに自分だけ遊ぶのは心苦しいでしょう。
ですからわたくしが勝った場合、貴女を丸呑みにして、そのままマキナの加勢に向かいますわ。
レオナさんは殺しても死なない方ですが、それなら永遠に殺し続ければいいだけですもの。ねえ、オオカミさん?」
月の呼びかけ。
それを合図として異変が生じた。
あたりに存在する影という影が畝るように蠢き、突如としてその密度を増す。
色合いは、あたかも宇宙の涯てのような暗黒。
その奥で無数の星々が燃えるように瞬いた。
違う、星ではない。
瞳だ。
紅眼の獣たちが、暗闇の向こうから此方を見据えている。
その数は百、千、万――あるいは億や兆に達するかもしれない。
静玖は己の足元に目を向けそうになった。
けれどギリギリで踏みとどまる。
――もし自分の影もああなっていたら、それを見てしまったら、きっと正気を保てない。
そんな予感があったからだ。
「先手は頂きます。これが静玖さんにとっての送葬歌にならないことをお祈りしていますわ」
* *
勝負の結果は、あまりに絶望的なものだった。
「そんな、わたくしが負けるだなんて!」
「や、やりました……!」
伊城木月、1点。
相鳥静玖、4点。
どちらも100点満点中の一桁台。
静玖は4倍もの大差で勝利しているが、おそろしく低レベルの戦いであった。
審査員はそれぞれ20点を持ち、最低でも1点をつけねばならない。
だが月の場合、オオカミ4匹をその歌唱力でもって気絶させていた。
一方で静玖はたった1匹しかノックアウトしていない。
これが2人の明暗を分けた。
「さすがですわ静玖さん。今度は芳人さんも連れてカラオケに行きましょう」
月は静玖の手を握り、その健闘を讃える。
ここだけ切り取れば感動的なシーンかもしれないが、すぐそばで審査員のオオカミたちがグッタリと倒れ伏している。
桃花は枯れ葉て、大地はひび割れ、発電機は爆発炎上。
……2人の歌には呪いか何かでも宿っていたのだろうか。。
「では約束通りお義兄さまについて……いえ、折角なのでわたくしたち全員についてお話ししましょうか。静玖さんにとっても学ぶところが多いと思いますわ」
「わたしにとって……?」
「ええ」
言いながら月は右手を掲げた。
その影が大きく広がり、崩壊したステージや死にかけのオオカミたちを呑み込む。
「静玖さん、貴女、芳人さんに振られてしまったでしょう?」
「……どうして、それを」
「深夜が見聞きしたものはすべて把握しています。わたくしも、お義兄さまも。そうそう、あの人ったら静玖さんのこと、『失恋直後の今なら僕でも口説けそうだね』なんて言っていましたの。……愚かでしょう? 救いがたいでしょう? ほんとうに可愛らしくて仕方がありませんわ」
心の底から恍惚とした様子で息を吐く月。
「この気持ち、静玖さんなら分かるかしら」
「……否定はしません」
むしろ、身に覚えがありすぎる。
彼の欠点すらも愛おしい。その総てを包み込んで、丸呑みにしてしまいたい。
静玖自身、芳人に対してそういう感情を抱いていた。
「意中の殿方にとって、自分は母や姉のような存在でありたい。静玖さんの気持ちはよく分かりますわ。ですから先達としてアドバイスさせてくださいまし」
月の浮かべる表情はあくまで穏やかだった。
見守るような慈しむような、有態に言えば母性というものに満ちていた。
「さて、誰の話から始めようかしら。
愛しい殿御から名前を訊くこともできず、心の隙を詐欺師につけこまれた鴉の娘。
罪科の呵責の中で代替品に夢を見た神薙の女。
気休めの言葉で釣り上げられ、自分は間違っていないと言い聞かせ続ける人造魔導士。
わたくしたちの中でただひとり純粋にお義兄さまを想いながら、決して報われることのなかった淫魔。
……皆それぞれ素敵な恋物語を見せてくれました。静玖さんや、芳人さんに関わる子にとって参考になると思いますわ」




