第47-2話
「おい相鳥の! 大丈夫か!? ちっ、繋がってねえ……! 電波妨害か?」
忌々しげな様子で通話を切る兵衛。
ここは京都四条の高級マンションの一室である。
彼が拠点としている場所のひとつであり、広めのリビングには大型のテレビやソファが並んでいる。
「もしもし鳩羽だ。時田さん、ちぃと厄介なことンなってるぜ」
兵衛は再び電話を掛けていた。
相手は真月家執事の時田十三である。
「神薙んトコの真姫奈ってのが仕掛けてきてる。狙いは相鳥静玖だ」
この報告は善意によるものではない。契約に基づくものだ。
現在、鳩羽兵衛は真月家に雇われている。
依頼内容は『伊城木直樹・伊城木月・神薙真姫奈の身辺調査』。
昨日からずっと情報収集を行っており、それゆえ真姫奈の動きを掴むこともできた。
「真姫奈のヤツ、フリーランスの連中を5人くらい連れてやがる。どうすりゃいい。救出依頼なら別料金だぜ。……オーケー時田さん、静玖の嬢ちゃんの居場所が分かったらすぐに教えてくれ。オレはとりあえず支度してるぜ」
兵衛はソファから立ち上がった。
テーブルの上で稼働しているノートパソコンを閉じ、パジャマを脱ぐ。
彼にとっての正装、浅葱色の十徳羽織に袖を通した。
ところでフリーランスの退魔師というのは大きく2つに分けられる。
遺恨を引きずる者と、そうでない者。
鳩羽兵衛は後者である。
たとえば昨年2月に起こった、真月綾乃の誘拐事件。
あのときは玲於奈に騙されて瀕死の重傷を負ったが、別にそれを恨んではいない。
芳人のおかげで後遺症なく復帰できたし、経験値の上ではむしろ大きなプラスと思っている。
フリーランスは騙し騙されの世界、そこでギャーギャー喚くヤツは三流以下だ。
不満があるなら神祇局に戻ればいい。
大人しく飼いイヌでもやっていろ。
これは何も兵衛だけに限った話ではない。
多くのフリーランスの共通見解であり、実際、誘拐事件で玲於奈に殺された者 (そして芳人によって蘇った者) のほとんどがそう考えていた。
とはいえ、どんな集団にも例外は存在する。
真姫奈に雇われた5人はいずれも根に持つタイプであり、玲於奈への復讐心を募らせていた。
* *
「――もしもし、鳩羽さん? 鳩羽さん?」
静玖の呼びかけも虚しく、兵衛からの電話は切れてしまう。
それとほぼ同じタイミングで。
「これはまた面白いことになってきましたよ、静ぽん」
くつくつと玲於奈が笑う。
このとき2人は旅館近くの公園を訪れていた。
しばらくここを散策し、混雑を避けてから食べに行く予定だった。
「出てきたらどうですか、警察を呼びますよ」
「……それは困るな」
静玖と玲於奈を取り囲むように5人の男が姿を現し、
「久しぶりだな、神薙玲於奈。我々の顔、よもや忘れ――――がっ……!」
「ま、待て! 話は最後まで……ぐあああああああああああっ!」
「ひ、卑きょ………う、あっ……」
「誘拐事件の恨み、ここで晴ら――ら……ッ…………」
あっという間に4人が戦闘不能となる。
玲於奈はまったく躊躇なく先制攻撃を仕掛けていた。
「く、くそっ! どうなってんだ!」
残った1人は震える手でポケットから呪符を取り出す。
「どうもこうもありません。……以前、そちらは30対1で全滅しています。5対1で勝てるわけがないでしょう」
「な、舐めるなよ小娘がっ! 臨、兵、闘――」
「早九字なのに遅いとか詐欺でしょう。JASRACに訴えますよ」
玲於奈は4番目に倒した男の懐からナイフを抜き取ると、すぐさま最後の1人へと肉薄した。
「ああ、間違えました。広告の相談先はJAROでしたね」
刃が閃く。
呪符が両断され、内部に込められた霊力が暴走する。
閃光が弾けた。
「うわっ!」
男がたたらを踏む。
その隙を玲於奈は見逃さない。
体重を乗せた掌底でもって鳩尾を突き上げていた。
「ぐ…………ぇ……」
カエルがひしゃげるような呻き。
男は白目を剥いて倒れると、そのまま動かなくなった。
「くだらない前座はこの程度にしておいてください、姉さん。ヒーローものの戦闘員のほうがまだ幾らかマシですよ」
「――腕を上げたな、愚妹」
それは一瞬の攻防だった。
木陰から巫女装束の女が飛び出す。
腰には日本刀。
恐るべき速さでもって抜刀し、玲於奈へと斬りかかる。
対する玲於奈はデニムのジャケットを脱いでいた。
振り下ろされる刀を横飛びに回避しつつ、ジャケットの右袖を掴んで振り回す。
反対側の袖が、グルグルと刀を絡め取った。
ちょうど刀の速度が0となり、次の挙動に移ろうとするコンマ数秒。
その間隙を衝く曲芸だった。
「はい、ボッシュート」
玲於奈はジャケットの袖を強く引いた。
巫女装束の女――神薙真姫奈は刀を奪われまいと力を籠めるが、
「――というのは嘘です」
「なっ……!?」
玲於奈はさっさとジャケットから手を放していた。
代わりに真姫奈に足払いをかけて転ばせると、素早く静玖のもとに戻っていた。
「静ぽん、芳くんに連絡です。念話が届くかどうか分かりませんがレッツ・トライ・プリーズ」
「だいじょうぶ、もう試したよ。ちゃんと届くみたい」
「ナイス静ぽん。仕事が早いですね。ハイパー玲於奈ちゃんポイントをあげましょう」
「じゃあお礼に静玖ポイントをあげるね。玲於奈ちゃんから芳人さまに伝えることってある?」
玲於奈は頷き、静玖の首元に掛かった黒曜石のペンダントに触れた。
これを媒介にして芳人へ念話を送るのだ。
内容はジョークじみた軽口の洪水。
おそらく芳人は急ぐべきかどうか迷うことだろう。
それで構わない。
玲於奈のカンが告げていた。
ここは賽子を大気圏外までブン投げるタイミングだ、と。
勝負事に運任せの要素を捻じ込むと、何やかんやでピタリと嵌まる……ような、嵌まらないような。
ギャンブラーにありがちな成功体験の美化かもしれないが、ともあれ玲於奈は偶然というものを好んでいた。
ただし、それは決して無謀な“お遊び”ではない。
――不利な結果に終わったとしても、私ならばそのくらい簡単に覆せる。
強烈な自負に基づく運任せである。
「敵は2人います。私が真姫奈姉さんを引き受けるので、静ぽんは隠れている方を」
「芳人さまが来るまで時間を稼いだらいいんだよね」
「別に倒してしまっても構わないんですよ?」
「その発言はちょっと縁起が悪いと思う……」
「死亡フラグなんて迷信ですよ。仮に真実だったとしても、さっき芳くんとの念話で山ほどフラグを立てておきました。乱立させればかえってフラグが折れると言う話もありますし、これで対策は万全ですね」
自信満々の表情で頷く玲於奈。
「そういうわけでサクッと大活躍して、芳くんに色々とご褒美を強請りましょう。あるいは強請りましょう。ちなみにコレ、漢字表記だと同じ字面だったりします。小説ならルビは必須です」
「えーと……とりあえず、頑張ったらいいんだよね」
「ま、そういうことです。ではまた」
言うや否や、玲於奈の姿は消えていた。
縮地としか言えないほどの疾さでもって、真姫奈との距離を詰める。
「姉さん、ちょっと遊んでくださいよ。負けたらこの世界からログアウトなデスゲームですけど」
「断る」
刃と刃が交差し、離れ、再び激突する。
互いの斬撃はともに神速の域。
余人が入り込む隙などありはしない。
剣戟の音が鳴り響き、やがて互いに距離を取る。
「……衰えてはいないようだな、愚妹」
「当然でしょう。私はまだ花の十代なので」
「だが、軽口もここまでだ。直樹を裏切った貴様には、何としても引導を呉れてやらねばならん」
「じゃあ私は招待券でも用意しましょう。東京都練馬区向山三丁目とかどうですか」
「何を言っている」
「テーマパークですよ。としまえん。ちなみに数え年が30歳で大年増ですけど、姉さんっていま何歳でしたっけ?」
「……安い挑発だ」
そう言いつつも真姫奈は蟀谷を震わせている。
「不老だの不死だのを手に入れて調子に乗っているのだろうが、施術したのは私だ。解き方も殺し方も知っている。直樹の敵に回ったことを後悔しながら消え去れ。――《剣舞》」
そのフレーズとともに変化が起こった。
ぎち、ぎち、ぎち。
真姫奈の刀が歯車のような音を立てる。
刃が毛羽毛羽しい虹色に輝き、何度も折れ曲がりながらジグザグに伸びてゆく。
刀身は二倍、三倍と太くなり、いつしか両刃に変わっていた。
「なんだか気持ち悪い物体ですね、それ」
「……せいぜい余裕ぶっていろ」
刀を構え直す真姫奈。
いや、果たしてそれを刀と呼んでいいのだろうか。
敢えて言葉にするなら、無数の大剣を接ぎ木したようなカタマリ。
もはや日本刀としての面影はどこにも残っていない。
武器と呼ぶにはあまりに禍々しく、刃の山としか言いようのないシルエットだった。
「《歪曲術式》・《我が剣閃は鳴り止まぬ剣奏である》」
詠唱とともに、異形の剣を振り下ろす。
だが玲於奈は遥か遠くだ。
10メートルは離れている。
斬撃が届くはずもない。
だが、ここに奇妙な事態が起こる。
真姫奈の剣。
何十本と存在していたはずの刃がすべて消え去り、握把と柄だけになっていたのだ。
「ッ!」
玲於奈が動いたのは、ほとんど直感のようなものである。
しかし、もう遅い。
真姫奈から離れた無数の刃はそれぞれ空間を越え、斬撃の集中砲火となって玲於奈に襲い掛かる。
上下左右前後360度、ありとあらゆる方向から迫る刃。
それらを躱しきる、あるいは防ぎきる手段などありはしない。
血飛沫があたりの草花を赤く染めた。
真姫奈さんは無事に玲於奈を倒せるのでしょうか(予告)




