第35話 失敗はCGのもと (ごく一部のゲームにおいて)
鬼の数は、およそ50匹前後。
虚ろな表情のまま、ゾンビのような足取りでゆっくりと迫ってくる。
「私が先行します、静ぽんは援護を」
玲於奈は短く指示を出し、日本刀を抜いて走り出そうとする。
おお。
シリアスっぽいシーンでちゃんとシリアスしてる。
えらいぞ玲於奈。
すごいぞ玲於奈。
俺の中で玲於奈へのハードルは極限まで低くなっていた。
でもオチを用意していそうで怖い。
「……いいえ、わたし一人で十分です」
けれど、静玖は玲於奈を遮る。
どことなく思いつめたような表情だ。
「いやいやいや、静ぽん、それはちょっと頑張りすぎですよ。ドラゴンボー○的に言うと、矢のないヤムチャですよ。つまり無茶」
「ヤムチャは素手で戦うキャラですよ」
的確なツッコミを入れつつ、静玖はロングコートのポケットから青い宝玉を取り出す。
「玲於奈ちゃんには負けません。芳人さまを主を仰いだのは、わたしが先なんですから。――《夜よ来たれ》」
薄紅の唇から紡がれたのは、普段と異なるキーワード。
宝玉が震え、極黒の暗闇があたりを包んだ。
「芳くん芳くん、なんか不吉じゃないです? 黒猫とカラスと霊柩車がごっつんこ、みたいな」
玲於奈の言わんとすることは分からないでもないが、その絵面はただのギャグだと思う。
「静ぽんが杖を出すときって、もっとこう、ロボットアニメみたいに『ガシャァン!』で『ガキィンッ!』って感じだったような……」
しかし目の前で起こっている現象は、それとはまったく異なっていた。
暗闇から何匹もの蛇が這い出し、互いに渦を巻くようにして絡み合う。
一匹、二匹、三匹――だんだんと杖の形を成していき、その頂点に宝玉が収まった。
さらには。
「妬ましや、ああ妬ましや、巨乳死すべし。字余って憎さ百倍」
玲於奈が、わりとマジな表情で呪詛を吐いた。
静玖の衣服が消え去り、その裸体が露わとなっていた。
眩いばかりの白い肌。
ロングコートのせいで目立たないが、腰つきはかなりキュッとくびれている。
その上の双丘はたわわに実り、触れればいかにも柔らかそうだった。
周囲の闇が濃度を増し、静玖の肢体を包む。
後裾の長い燕尾服にタイトスカート。
下には白のドレスシャツ。
左右の手の甲では、それぞれ異なる紋章が黒い輝きを放っていた。
左手は、俺が刻んだ勇者の紋章。
右手は、『二枚貝に挟まれた瞳』。
綾乃を――邪神を示す紋章だ。
……綾乃さん、昨晩俺が気絶した後、静玖にいったい何をしてくれちゃったんですかね?
一抹の不安を覚えながら、【鑑定】をかける。
[名前] 相鳥静玖
[性別] 女
[種族] 中二病
[年齢] 15歳
[称号] 【相鳥家第八代当主】【虚構円卓序列3位、“拒絶する理解者”】
[能力値]
レベル56
攻撃力 56 (+50)
防御力 52 (+50)
生命力 45 (+50)
魔力 92 (+100)
精神力 数値化不能
敏捷性 57 (+50)
[アビリティ]
【起動】
魔法の杖を顕現させる。
魔法の使用が可能となり、魔力に補正。
【夜よ来たれ】の発動時は使用不能。
【夜よ来たれ】
とある神の力を借り、無名祈祷書の内容をステータスに反映させる。
本アビリティは「ノートの内容こそが現実である」という
自己暗示に基づいており、発動後は「状態異常:妄想 (強)」となる。
発動から30分で自動的に解除。
その後、3分間は使用不能となる。
何らかの事情で自己暗示が成立しなくなった場合、本アビリティは発動不能となる。
[スキル] 【西洋魔術 Ⅲ】【C∴C∴C式魔術 Ⅷ】 その他不明
[状態異常]
妄想 (強):
わたしはC∴C∴Cの幹部、虚構円卓の序列3位。
序列5位とは主従の関係かつ恋人。
……と強烈に思い込んでおり、その妄想は訂正不可能。
あらゆる精神干渉を無効化する。
うひゃあ。
綾乃のやつは「ただの暗示」とか言ってたが、洗脳とか記憶消去以上にタチが悪くないかコレ。
心配する俺をよそに、いわゆる「変身シーン」的なものは終盤に差し掛かったらしい。
「我が名は相鳥静玖、虚構円卓序列3位、“拒絶する理解者”」
恥じらいも衒いもなく、堂々とした声で名乗りをあげる静玖。
「寄る辺なき魑魅魍魎どもよ、“神の真意”より賜りしこの逆十字の前にひれ伏すがいい!」
杖をナナメ45度に構え、まるで時代劇のように見栄を切った。
さっきまでのオドオドした様子はどこへいったのだろう。
まるで別人のようだった。
「――それでは行ってまいります、総帥代行殿」
静玖はパチリと俺にウインクを飛ばすと、颯爽と鴨川のほうへ駆け出していく。
数時間前にも「総統代行殿」と呼ばれたが、あの時とは明らかに雰囲気が異なっる。
本気っぽさが違う。
冗談めかした照れがまったく感じられない。
というか。
目つきがヤバい。
まさに「妄想 (強)」といった感じ。
むしろ妄想 (狂)。
ぶっちゃけ、ちょっと怖かった。
「 桜は雷に打たれて枯れ、鴉は翼を折られて飢え渇く」
詠唱を開始する静玖。
魔力が増幅され、渦巻くように風が立ち上る。
セミロングの黒髪が棚引き、周囲に紫色の燐光が散った。
「最後の晩餐、来たるべき夜明けに懺悔し、諸手を上げて許しを乞え。汝らに逃げ場なし。《黒死鳥は ――」
右手を高く掲げる静玖。
遥か上空に、巨大な魔法陣が浮かぶ。
そこから飛び出したのは、魔力で象られた闇の神鳥。
「ケエエエエエエエ!」と怪音波を撒き散らしつつ、縦横無尽に黒雲の空を飛び回る。
ソニックブームが生まれ、ビルの窓ガラスがすべて砕け散った。
そして。
「――大地に落ちる 太陽の如し》!」
まるで交響曲の指揮者のような手つきで、鋭く、右手を振り下ろした。
その動きに同期し、神鳥が地面へと激突する。
瞬間。
熱と烈風が弾けた。
鼓膜を突き破られそうなほどの轟音と振動。
瞼を閉じてもなお網膜に焼き付く光の乱舞。
圧倒的な暴力が、すべてを呑み込んでゆく――。
* *
次に目を開いたとき、最初に見えたのは静玖の姿。
「我らに歯向かうからこうなるのです。せいぜい、黄泉路の果てで後悔しなさい」
意味もなく杖をくるくる回して、決めポーズ。
それは個人の趣味だから別にいい。
問題はあたりの風景だ。
鬼たちは一匹残らず消え去っているが、同時に、京都の町も薙ぎ払われていた。
鴨川は干上がり、地面は抉れ返り、まるでミサイルでも落ちたかのような惨状だ。
これが現実世界だったら大参事だ。
ニセモノの京都で本当によかった。
ステータス的には、静玖の魔力は192だっけか。
うん。
十分に発揮されているというか、むしろ自重したほうがいいレベルに達している。
「芳人さま、わたし、頑張りました!」
ニコニコと朗らかな笑みを浮かべる静玖。
こちらに駆け寄ってきたかと思うと、ぎゅうと抱きしめてくる。
「鴉天狗のときはイマイチでしたけど、わたしだってやればできるんです。玲於奈にだって負けません。……だから、捨てないでくださいね。お願いです」
いきなり何を言ってるんだ、静玖は。
「あー、なるほどなるほど」
ひとり納得した声をあげる玲於奈だ。
「たぶんですけど静ぽんの暗示、自分が芳くんの恋人って設定も入ってるんじゃないですかね」
「設定? 暗示? 何の話です?」
静玖はやけに強気な口調で言い返す。
「玲於奈ちゃんったら胸だけじゃなく脳味噌まで乏しくなったんですか? 現実をちゃんと受け入れましょうよ。わたしと芳人さまは愛し合ってるんです、それはもう深く深く」
ぎゅううう。
さらに強く抱き寄せられる。
ちょうど静玖の下乳が顔に当たる形。
わりと至福の時間なんだが、いつになったら元の静玖に戻るんだ?
ステータスには「いかなる精神干渉魔法も受け付けない」「30分で解除される」と書いてあったが、このまま放置するしかないのだろうか。
「ところで芳人さま、わたし、明らかにやりすぎですよね。鬼はみんな倒せましたけど、街に大きな被害が出ちゃいましたし……」
静玖はそう呟くと、俺からそっと身を離す。
その場に跪いた。
いや、膝だけじゃなく手もつけている。
四つん這いだ。
「ですから、その、躾をしていただければ、と……」
俺に何をどうしろというんだ。
そう思っていると、地面に置いてあった静玖の杖に変化が起こった。
蛇たちがゾワゾワと動き、別の形へと変化する。
鞭だ。
まさかこれで叩け、と?
いやいや、ハードすぎだろコレ。
「芳人、さま?」
やけに潤んだ目で見上げてくる静玖。
くるりと後ろを向いた。
タイトスカートごしに、かたちのよい臀部が揺れる。
誘うように、ふるふる、と。
「わかった、躾だな」
「はい……早く、芳人さまの固いの、ください……」
俺は鞭を拾い上げると、静玖のそばに近づき、右手を振り上げ――
バシィン!
「ひゃぅ!」
悲鳴とともに、くたり、と地面に倒れ伏す静玖。
そのまま気を失っていた。
ちなみにムチはアスファルトの地面を叩いただけだったりする。
空いた左手で《雷撃術式》を放ち、静玖を失神させたのだ。
精神干渉の魔法を受け付けなくても、ほかにいくらでもやりようはある。
「芳くん、ムチで叩く動作は必要だったのでしょうか」
「こんな時だけ冷静にツッコまないでくれ」
「すみません、静ぽんの抱える闇の深さについついクールになってしまいました」
おおこわいこわい、とつぶやく玲於奈。
「五歳児相手に『本気で愛し合ってる』とか『躾てください』とか、いやー、ショタとかそういう次元を越えたレベルで倫理道徳を蹴っ飛ばしてますねー」
「それ、玲於奈にだけは言われたくないと思うぞ」
「私はいいんです。なぜなら神薙玲於奈ですから。玲於奈の『れ』は自由の『れ』です」
「待て、自由のどこに『れ』が入ってるんだ」
「英語にすれば分かります」
「……は?」
「freedomの『re』です。あーゆーおーけー?」
おーけー。
なんだか納得いかないが、これ以上考えても時間の無駄だろう。
「静ぽんも私くらい好き勝手できればストレスと無縁なのでしょうが、ま、人には向き不向きがありますからね。あの子のことですし、正気に戻った後は落ち込みまくるかなー、と。そこを優しくしてあげればコロッと落とせますよ。ま、すでに落ちてるんで今更ですが。いったいどこでフラグを立てたんです? このおませボーイ」
とんだ風評被害だ。
俺は玲於奈をスルーしつつ、並行して進めていた作業に意識を向ける。
今までの間、ひたすら呑気に静玖のバトルを実況してたわけじゃない。
あっちこっちに使い魔を飛ばして、この異界のことを調べていた。
どうやらここは「現実の京都」にかなり忠実らしい。
たとえばコンビニに置いてある新聞なんかは今日の日付だったりする。
規模もかなり大きい。
おおざっぱにいうと、観光客が京都と聞いてイメージする範囲すべて。
東は大文字山、西は嵐山、南は桂川、北は鞍馬山。
おおむね20km四方の異界となっており、そこから先は透明な壁に阻まれて進めない。
オープンワールドRPGの「はしっこ」みたいな雰囲気だ。
で、だ。
このニセ京都の四分の一が《神鳥は大地に落ちる太陽の如し》で吹き飛んだわけだが、それは異界の外にいる鴉城深夜にも伝わっていたらしい。
気配を感じる。
何が起こったのかと焦り、異界の中に意識を向けて覗き込んでいる。
ところで、逆探知と言えば俺の十八番なわけで――オーケー、捕まえた。
何かの劇でこんなセリフがあったよな。
深淵を覗き込むとき、深淵もまたお前を覗いている。
それどころか、深淵へと引きずり込むとしよう。
「――《侵食術式》・《汝もまた血と 泥に塗れよ》」




