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第27話 黒歴史ノートの音読で人は死ぬ

今回は心を強く持ってお読みください。

 いまさら当たり前の話なんだが、俺も未亜もまだ五歳の幼稚園児だ。

 友達の家へ泊まりに行くという話を自分たちの一存で決めれるわけもないのだが――


「ほんとうに綾乃ちゃんとは仲良しなのね。ケンカしないように気を付けるのよ」


 吉良沢(きらさわ)家に帰ってみれば、夕子さんはすっかりお泊りの準備を整えていた。

 日中に真月家のほうから連絡があったらしい。

 俺と未亜は、もはや乗り慣れた感のあるリムジンで山の手の屋敷へと向かう。


 専属シェフのおいしい夕食 (メインディッシュ:5種のチーズのハンバーグ) に舌鼓を打ち、そのあと、綾乃の部屋に集合となった。

 顔ぶれは俺、綾乃、未亜、ここにプラスしてもう一人、少し遅れてやってきたのは――


「あれ? ご主人さま、若奥さま、どうしてここに……?」


 包帯とロングコートの魔法使い。

 相鳥(あいとり)静玖(しずく)だった。

 

「おじいちゃんにお願いして呼んでもらったの」


 綾乃がそんな風に説明する。

 そういや真月家って、退魔師業界にもかなり影響力があるんだっけ。


「ええと、これはどういう集まりなんでしょうか……?」


 少し戸惑った様子の静玖。

 ちなみに俺もイマイチよく分かっていない。

 

「今日はね、静玖お姉ちゃんに誘拐事件の時のお礼をしようかな、って」 


 綾乃は笑みを浮かべていた。

 まるで花が綻ぶような表情だ。

 けれど妙にうすら寒いのはなぜだろう。

 食虫花、いや、食人花を前にしたような心地だった。


「芳人くんから聞いたよ。次の諸百会(しょひゃくかい)で優勝したいんだよね? 大丈夫、わたしの言うとおりにすれば静玖お姉ちゃんは今よりずっとずっと強くなれるよ」


 鈴を転がすような可愛らしい声。

 ずっと聞いていたくなるような響きだが、俺の脳内では「悪魔の甘い囁き」というフレーズが木霊していた。「静玖お姉ちゃん」という甘ったるい呼び方すら、催眠術の導入のように思えてくる。


「綾乃、いったい何をするつもりなんだ?」


 俺は思わず口を挟んでいた。


「静玖は俺の大切な仲間なんだ。あんまり変なことをするようなら――」

「もう、芳人くんってば過保護なんだから」


 ふふっと口元を緩める綾乃。


「静玖お姉ちゃん、とっても愛されてるね」

「ひぇっ!?」


 静玖は悲鳴のような声をあげた。

 その顔はサクランボのような色合いに染まっている。


「あ、あ、愛されてるって、ご、ご主人さまには若奥さまがいますし、で、でででも、この一年、辛いときはいつも話を聞いてくれて――」

「はいはいノロケノロケ」


 自分で話題を振ったにも関わらず、どうでもよさそうに話を流す綾乃。ひでえ。

 

「……」


 一方、未亜は沈黙を保っていた。

 にこやかな表情ではあるものの、嵐の前の静けさに似た何かを感じる。

 やがて俺のほうを向いたかと思うと、スッと立ち上がり――うわっ!?

 背中に重み。

 なぜか後ろから俺にもたれかかってくる。

 伝わるのは、わずかな体重とほのかな体温。


「……兄さん、背中固いんだけど」


 ぶっきらぼうに呟きながら、けれど身体を離そうとしない。


「ふふっ、未亜ったら芳人くんとラブラブだね」


 そんな俺たちを見て、綾乃はやたらニヤニヤしていた。


「ところでさっきの質問の答えだけど、わたしがやろうとしているのは、静玖お姉ちゃんにピッタリな魔法体系の構築だよ。心配しないで、悪いことにはならないから」


 それって悪役のテンプレセリフじゃないか?

 俺が首をかしげている間にも、綾乃はひとりで話を進めてしまう。


「ねえねえ静玖お姉ちゃん、そのコート、すっごくオシャレだよね」

「あ、ありがとうございます……」


 恐縮した様子で礼を述べる静玖。

 この様子からするに、立場としては「真月家の令嬢 > 零細退魔師の当主」ということなのだろう。


「ところで、あの、綾乃お嬢様は何か魔法の心得があったりするのでしょうか……?」

「うん、あるよ」


 静玖の問いに、あっさりと頷く綾乃。


「真月は退魔師の血筋じゃないけど、わたしは特別なの」


 そりゃそうだ。

 なにせ前世は邪神だったわけだしな。

 力のほとんどは失っているものの、この中じゃ魔法について一番詳しいはずだ。


「それじゃあお姉ちゃん、わたしからも訊いていい?」


 綾乃は右手を伸ばす。

 その細い人差し指が、静玖のロングコートの胸ポケットにかるく触れた。

 ポケットの前面に刺繍されているのは『罅割れた逆十字』の紋章。

 指の腹で、擦るようにゆっくりとなぞっていく。


「っ……」


 胸ポケットというのは、当然ながら胸の上にある。

 静玖の身体がピクリと小さく跳ねた。

 それに構わず綾乃は問う。


「この逆十字って、どんな意味があるの?」


 

 * *



 逆十字。

 前世にwikipediaで調べたような気もするがあんまり覚えていない。

 悪魔崇拝と結び付けられがちではあるものの、実際は聖ペトロか誰かの象徴なんだっけ。


 個人的には「逆十字(アンチクロス)」とルビを振ってクトゥルフ神話な魔術結社を思い出したくなるものの、まあ、今はまったく関係ない。


 思春期を迎えた一部の少年少女というのは、この手のデザインに惹かれやすいものだ。

 さらにはそこから妄想を膨らませ、秘密結社やら何やらの設定を作ってしまったりするわけだが、静玖の場合はどうなのだろう。


 彼女は言う。


「似たようなデザインをたまたまネットで見かけて、それで、アイデアを拝借しただけです。別に意味とかそういうのはあんまり……」


 ダウト。

 俺にも覚えがあるぞ。

 ――たまたま見た目が気に入っただけ。

 コレ、突っ込まれたくない時によく使う言い訳だよな。


 キャラもののクリアファイルを同級生に見られた時とか。

 スマホの待ち受け画像 (嫁) を覗かれた時とか。


 ぐっ……。

 俺の精神に200のダメージ。

 思わぬところで心の傷跡が開いてしまったが、だからこそ静玖の気持ちがわかる。

 あの逆十字にはファッション以上の何かが隠されているのだろう。

 例えばそう、ややっこしい設定とか由来とか。

 

 どうやら綾乃も同じことを考えていたらしく、


「お姉ちゃん、ウソをついちゃダメだよ」


 ばっさりとそんな風に言ってのけ、さらに言葉を重ねる。


「これは強くなるために必要なことなんだよ。ほら答えて? なんでいつもロングコートなの? 暑くないの? 片目を包帯で隠してる理由は? 別に怪我してるわけじゃないよね? 指出しグローブを付けたり、ベルトを斜めにしてチェーンをジャラジャラさせてるのはどうして? 格好いいと思ってるの? ねえねえ、教えてよ。ねえ?」


 ひいいいいい。

 それはおよそ慈悲というべきものを欠いた、精神的な拷問だった。


 仮に静玖が徹底的に(手遅れの)妄想を楽しめるタイプ(中二病)だったなら、この程度の追及は難なく躱せただろう。むしろ自分なりの設定を開陳するチャンスと捉えたかもしれない。


 けれど彼女はその域に至っていなかった。

 羞恥に震えるばかりで、何も答えられない。

 

「うーん、これじゃあ最後の手段を使うしかないかな」


 困ったような口調とは裏腹に、綾乃はどこか楽しげだ。

 

「静玖お姉ちゃん、これ、何だか分かる?」


 そう言って本棚から持ってきたのは、一冊のノート。


「……っ!?」


 真っ赤だった静玖の顔が、一瞬にして色を失う。


「そんな、机の引き出しに隠しておいたはずなのに……!」

「真月家の執事は優秀だし、これくらいは朝飯前だよ」


 ふふんと自慢げに胸を張ると、綾乃はノートを開く。

 そして、その内容を高らかに読み上げた。


「――『罅割れた(Crashed)逆十字(Inverted-)を背負う(Cross)血族(Clan)』。略して『C∴C∴C』。うーん、頭文字をCで揃えたいのは分かるけど、『C∴I∴C』が正しいんじゃないのかな? まあいいや。ええっと、『血族を名乗ってはいるものの、実際のところ血のつながりはない。意思と実力でもってC∴C∴Cに迎え入れられるのである』だって」


 あー。

 これはもしかして、思春期特有のやり場のない創作意欲によって生み出される闇鍋じみたアレだろうか。簡単に言うと黒歴史ノート。


「『魔法というのは自然の摂理を捻じ曲げるものだが、同時に、神の御業でもある。したがって魔法を扱う者は冒涜的かつ信仰的な存在といえるだろう。これを示すアイコンこそが“罅割れた逆十字”なのだ』」


 綺麗は汚い、汚いは綺麗。

 何かの古典でそんなセリフを読んだ覚えがあるが、十四歳特有の感性を持ってるヤツって矛盾した概念をやたら並べたがるよな。俺もそうだった。


「『C∴C∴Cはいわゆる秘密結社であり、その構成員は闇に包まれている。以下にその幹部――“虚構(クリファ)円卓(ラウンズ)”の10名を記す』」

  

 表社会には決して出てこない地下組織、それを統括するナンバリング付きの実力者。

 あるあるネタ過ぎて胸が痛い。


 というか。

 静玖本人の前でノートを音読するなんて、極悪非道にもほどがある。

 綾乃のやつ、いったい何がしたいんだ?

 俺が首を傾げていると、


「静玖お姉ちゃん、ここに書いてあることが本当だったら素敵と思わない?」


 綾乃はそんな風に問いかけた。

 声色は優しく、顔はまるでクモの糸を垂らす仏様のよう。

 

「ううん、『本当だったら』じゃないね。本当なんだよ。

 C∴C∴Cは実在してるし、ノートの内容はぜんぶ真実なの」


 ――ここに至って、俺は綾乃の狙いを理解する。


 洗脳の基本を知っているだろうか?

 自尊心を叩き潰し、対象の精神に空白地帯を作る。

 そこに甘い言葉でもって新しい価値観を植え付けるのだ。

 

「だからこれに書いてある魔法も、静玖お姉ちゃんの妄想なんかじゃないよ。

 全部本当に使うことができるの。――そうだよね、芳人くん?」


 ちょっと待て。

 なんでいきなり俺に話を振るんだ。

 

「実は芳人くんって、虚構(クリファ)円卓(ラウンズ)の一員なの。序列5位、“慈悲ある(Chesed)殺戮装置(Adyeshach)”。今からC∴C∴Cの魔法を実演してくれるみたいだし、ちょっと見せてもらおうよ、ね?」


 綾乃はそう言うと、俺にノートを手渡してくる。


 そこに記されているのは、『不朽凍土(エターナル・)の永(ブリザード・)遠世界(フォース)』や『墓守は己の(デスバースト・)死を前に慟哭す(ディアボリック)』といった香ばしい文字列。しかもそれぞれ、固有の決めポーズ付き。

 えっ。

 これ、本当にやるの?


『静玖ちゃんを強くするならこれが一番手っ取り早いよ。ちゃんと話を合わせてね?』


 追い打ちをかけるように、綾乃が念話(テレパス)を飛ばしてくる。



 魔法において重要なのは、次の三要素だ。

 イメージ、テンション、リアリティ。

 想像力を膨らませるとともに気分を高揚させ、「自分にはこの現象が起こせる」と信じ込む。

 

 そうすれば、基本、どんな現象だって引き起こせる。


 静玖がこれまで魔力を発揮できなかったのは、おおざっぱに言うと、西洋魔術とノリが合わなかったのだろう。

 イメージが刺激されなかったりテンションが上がらなかったり、あるいはリアリティを感じられなかったり。

 そこで綾乃は、「静玖自身にぴったりの魔法体系」を与えようとしているわけだ。

 C∴C∴C。

 元は静玖本人の考えたものだし、相性としては抜群じゃないだろうか。たぶん。


 ただ、俺がその妄想に巻き込まれている点だけは納得がいかない。


 何だよ“慈悲ある(Chesed)殺戮装置(Adyeshach)”って。

















 ……イケてるじゃないか。ちくしょう。

 

 


ちなみにここで出てきた「序列5位」さんですが、ノート曰く。


・呪いによって5歳児の姿になっている

・本来は18歳くらいの「横顔が凛々しい」青年であり、正体は序列零位“神の真意(Daath)”。

・戦闘時には漆黒の鎧を纏う。

・序列3位の少女と恋仲


 という設定。

 どこかで聞いたことがあるのはきっと気のせいじゃないはず。


 なお序列3位はロングコートで右目に包帯のもよう。

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