第12話 おままごとは世相を映すのです
みんな大好き折瀬浩介くんが再登場します。
俺には祖父も祖母もおらず、親戚といえば吉良沢家くらい。
だから飛行機事故のあと、俺の親権は修二さんへと移った。
養子縁組ではなく、未成年後見人がなんたらかんたら。
法律のことはよくわからないが、俺は現在「吉良沢芳人」を名乗っている。
ちなみにオヤジは何やら遺言を残していたらしく、その中で修二さんに口止めをしていたようだ。
曰く、芳人が15歳になるまで自分の存在は伏せておいてくれ、と。
だから俺は本当の父親について何も知らない、ことになっている。
それから半年が過ぎ、俺と未亜は4歳になった。
季節は秋、肌寒さに人恋しくなる時期。
おおみち幼稚園のばら組では、いま、空前の「おままごとブーム」が起こっていた。
「ただいまー。おっ、こうすけ、帰ってたのか」
「きょうは仕事がはやく終わったんだよ。ほら、メシつくっといたぜ。かんしゃしろよ」
「うまそうだな。あーあ、これでおまえが女だったらよかったんだけどな」
「ば、ばかいうなよ。で、でも、よしとがそう言ってくれるならオレ……」
俯く浩介。
その頬は、赤い。
忘れているヤツもいるだろうし、あらためて紹介しておこう。
こいつは折瀬浩介、俺と同じばら組の男子だ。
わりと中性的な顔立ちで、スカートなんかも普通に似合うかもしれない。
俺たちが演じているのは「ルームメイトの男二人、片方は恋愛感情あり」というシチュエーション。
これをリクエストしたのは、周囲にワラワラと集まっている女の子たちだ。
みんな淑女にあるまじき表情でヨダレを垂らしている。
「なんだよ、こうすけ。本気で俺の嫁さんになってくれるのか?」
「で、でもっ、男どうしだし――」
「そんなの関係ねえだろ? 言ってみろよ。おまえは、俺の、何になりたいんだ?」
「えっと、その……………………って、なんだよこれ!」
あ、浩介がキレた。
「おままごとなのに、どうして男だけでやってるんだよ! おかしいだろ! ううっ……!」
周囲の女子に向かって、涙ながらに訴える。
しかし。
「こうすけくん、ちゃんと最後までやりなさいよー」
「そうだよ、みんな楽しみにしてるのにー」
「とうとさが足りないよー、とうとさがー」
返ってきたのは、あまりに無情なブーイング。
ばら組における腐女児の数は増加の一途を辿っている。
この由々しき事態を前にして、
「うわぁぁぁぁぁぁぁん! 女なんて嫌いだぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
浩介は、にげだした!
「逃がさないわ」
「待ちなさいよー」
「キスをするまで終わりじゃないんだから!」
しかし、回り込まれてしまった!
いつの時代も女は強い。
俺はそれなりに楽しんでるんだが、浩介のほうは大丈夫だろうか。
異性にトラウマを持ちそうで心配だ。
一応言っておくと、こんな倒錯したシチュエーションばっかりじゃないからな?
パパとママが平和に暮らしているグループもちゃんとある。
まあ、最大手が俺のところなのは……ホモが嫌いな女児はいないということで、ひとつ。
その一方――
ブームなんて知ったことか、という子もいたりする。
「ふん」
うちの未亜だ。
前は幼稚園に馴染もうとしていたものの、おままごとブームが来てからは逆戻り。
話しかけるなオーラを撒き散らし、教室の隅でずっと絵本を読んでいる。
まあ、図書館に引き籠ってないだけマシだろうか。
時々こっちをチラ見するあたり、おままごとに興味がないわけじゃないと思うんだけどな。
「こうすけくんが窓から逃げたわ!」
「飼育小屋においつめるのよ! いつもどおりにやりなさい!」
「うふふ、おとこのこを捕まえて、飼育……」
おっと。
浩介のヤツ、なかなか頑張っているようだ。
はてさて、今日はどっちに味方しようか。土壇場で裏切るのも面白そうだ。
そんなことを考えていると、
「ねえねえ、芳人くん」
ひとりの女の子に、声をかけられた。
目がくりっとしていて、顔立ちはかなり可愛らしい。
ふんわりとした髪を、お姫様みたいなツインテールでまとめている。
名前はたしか、真月綾乃。
隣のクラス――さくら組の子だ。
「おままごとの続き、わたしとしない?」
ふむ、どうしようか。
ばら組の女子は浩介を追い、みんな外へ行ってしまった。
俺だけがポツンと残された形になる。
別にすることもないし、真月さんと遊ぶのもアリだろう。
けど、その前に。
「未亜も誘っていいか?」
「うん、いいよ。わたし、未亜ちゃんともお友達になりたかったし」
ニコニコと天使の笑顔で答える真月さん。
まるでアイドルみたいに華やかな表情だ。
俺は未亜に声をかけようとして……あれ?
どこに行ったんだ、あいつ。
本もないし、図書室に新しいのを借りに行ったんだろうか。
なら、戻ってきた時に声をかければいいか。
「とりあえず先に始めようか。真月さんは何役がいい?」
「綾乃でいいよ。わたしも芳人ってよぶから」
「じゃあ、綾乃」
「なあに、芳人」
甘えるような声で返事をする真月さん……もとい、綾乃。
「ふふ、もうすぐごはんだから待っててね」
おっと。
既におままごとは始まっているらしい。
配役やシチュエーションの打ち合わせもなしか、上級者向けだな。
いいぜ。
その挑戦状、受け取った。
かつて世界を救った男のアドリブ力を見せてやる!
* *
互いにテキトーな設定を積み上げること数十分。
俺と綾乃のおままごとは、予想外のクライマックスを迎えていた。
「わかったぞ、お前の正体が……!」
「あーあ、バレちゃったか」
ふふっ、と諦めの笑みを浮かべる綾乃。
「芳人が殺しちゃった女の子、わたしはその生まれ変わりなの」
「俺に近づいたのは、復讐のためか?」
「ううん、ちがうよ。――殺されたときにね、好きになっちゃった」
ちょっと設定を整理しておこう。
この話における俺は殺人鬼ということになっている。
昼は善良なサラリーマンとして振る舞っているが、夜になるとナイフ片手に女性を襲う。
さながら現代のジャック・ザ・リッパー。
綾乃はそんな俺のもとに押しかけてきた女性で、実は被害者の生まれ変わりだ。
けれど俺を恨んではおらず、むしろベタ惚れになっている。
なんというサイコホラー。
「芳人がひとをころすのは、人間がこわいからだよね。
でも大丈夫、これからは永遠にわたしがまもってあげるから」
最終的に殺人鬼はクスリで眠らされ、地下室に監禁される。
まさかのヤンデレエンド。
衝撃の展開過ぎる。
パチパチパチパチパチ……。
気づくと俺たちのおままごとを、たくさんの園児たちが眺めていた。
鳴り響く拍手。
感動の涙を流す子も少なくなかった。
大丈夫か、この幼稚園。
「いいはなしね」
「全米が泣くわ」
「相手役がこうすけくんだったら、もっとよかったのに」
日本の将来が、心配だ。
そうこうしているうちに帰宅の時間になり、俺は送迎のバスに乗り込む。
当然ながら未亜も一緒なんだが、
「今日の晩御飯、なんだろうな」
「知らない」
とんでもなく、不機嫌だった。
「隣の家にさ、塀ができたんだ」
「ふーん」
「いや、そこは『へえ』で返してくれないと」
「うるさい」
ツンデレを越えた、ツンドラ状態。
どれだけ話題を振っても、ワンフレーズで切り捨てられる。
家に帰ればマシになるかと思ったら、
「おやすみ。ごはんになったら起こして」
布団の中にそそくさと潜り込んでしまった。
いったい何がどうなってるんだ。理解できない。誰か説明してくれ!
……というのは冗談で、ちゃんと原因に心当たりがある。
「真月さんのことか?」
俺は未亜の横に座ると、そんな風に声をかけた。
「一緒に遊んでたのが、イヤだったのか?」
返事はない。
その代わり、未亜はほんの少しだけこっちに近づいてくる。
布団の隙間から右手を出し、俺の上着の裾を掴んだ。
イエス、ということだろうか。
「だったらもう、真月さんとは関わらない。約束する」
「……別にいいよ」
おっ、やっと会話が成立しそうだ。
「だって兄さん、真月さんとすごく楽しそうだったよね。これからも仲良くしたらいいじゃん」
「落ち着け未亜。何か勘違いしてないか?」
「してない。あたしが勝手にいじけて、勝手に嫉妬してるだけ」
未亜は俺の裾から手を放すと、今度は、背中をぐいーと押してきた。
「あたし、今、すごく鬱陶しい女になってる。兄さんには見られたくない。だから、あっち行ってて」
ぐいぐい。
俺としてはいい感じに腰が圧迫されてマッサージ気分なんだが、未亜としては必死なんだろう。
「折瀬くんとのおままごとなら、まだ我慢できるよ。でも、兄さんがほかの女の子としてるのはイヤ」
「じゃあ、それも気を付け――」
「――なくていいよ」
遮るように言葉を被せる未亜。
「だってあたし、兄さんのことを束縛する権利なんてないもの」
「束縛とかそういう問題じゃない。俺は、未亜の嫌がることをしたくないんだ」
「なんで?」
ふっ、と。
背中を押す力が弱くなる。
「こんなのただのヒステリーだよ。スルーすればいいのに」
「お前が大事だからに決まってるだろ」
俺がそう告げると、未亜の手は完全に背中から離れた。
二人きりの部屋。
窓からは夕日が差し込んでいる。
やがて。
「……あたし、だめだね」
「どうした?」
未亜は答えない。
無言のまま起き上がると――
「えいやー!」
「わっ!?」
毛布をかぶったまま、こっちに抱き着いてきた。
「うがー! わー! きゃー!」
「おい未亜、しっかりしろ! 正気に戻れ!」
「うるさい! あたしを甘やかせ! うなー!」
ぎゅー、すりすりすり、ぎゅー。
毛布越しではあるが、未亜は俺の背中に全身を擦り付けてくる。
「あたしは兄さんにちょっと優しくされただけでコロッと許す女だぞこんちくしょー! さっきのセリフをもう一回言いやがれー!」
「『おい未亜、しっかりしろ! 正気に戻れ!』」
「ばかやろー!」
スパーン!
枕で殴られた。
地味に痛い。
「もうちょっと後ろ!」
「えーと、『お前のことが大事だからに決まってるだろ』?」
「もっと愛を込めて!」
「未亜が世界で一番大事な女の子だからに決まってるだろ」
「っ……!」
バタン。
ぶったおれる未亜。
どうやら刺激が強すぎたらしい。
ふっ、勝ったな。
ついでだからちょっとモノローグしておこう。
俺は未亜に対して、まだ、はっきりとした恋愛感情を抱いてるわけじゃない。
とはいえ。
マーニャの件で彼女が見せた、不器用なくらいのまっすぐさ。
俺はそれを好ましいものだと思うし、ときどき照れくさそうに「今夜は下のベッドで寝てもいいけど」と呟く様子はとても可愛らしい。
――このまま一緒にいれば、たぶん、俺は未亜を好きになる。
そういう予感が、ある。
ま、こんなの恥ずかしすぎて未亜には言えないけどな。
ともあれ。
さしあたり、未亜に対するケアとしては、
「未亜、ちょっと手を出せ」
「こう?」
「ああ、それでいい。……ほら、プレゼントだ」
俺が手渡したのは、おもちゃの指輪。
ちょっと前に夏祭りのクジで当てたものだ。
二個セット、同じデザインのペアリング。
「幼稚園でもつけとけよ、それ」
そして、翌日。
「ねえねえ、芳人くん。わたしとあそばない?」
昨日のアレがよほど楽しかったのか、またもや真月さんが声をかけてくる。
ここは、ばら組の教室だ。
ちょうど未亜も横にいるし、ひとつアピールしておくか。
「真月さん、悪い。今は未亜とおままごとやってるんだ」
俺は自分の左手を掲げる。
未亜も遠慮がちに、同じ動作をした。
薬指に輝くのは、おそろいの指輪。
「未亜ちゃんと、けっこんしてるってこと?」
「ああ」
俺はうなずく。
いつの間にか、ばら組の教室は静まり返っていた。
周囲の女子たちは「しゅらばよ」「かようサスペンスだわ」と口々に囁き合っている。
空気が重い。
このままだと後味が最悪なので、すぐ近くで目を白黒させていた男子――折瀬浩介をつかまえる。
悪いが、こいつには生贄の羊になってもらうとしよう。
「つーわけで俺、嫁さんもらったから」
ニヤリ、と悪い男っぽい笑みを浮かべてみる。
「浩介、おまえとは遊びだったんだよ。じゃあな」
我ながらロクでもない発言と思う。
とはいえ狙い通り、ばら組女子の関心は浩介へと向かった。
「びたーえんどね」
「こうすけくんは、よしとくんを忘れられずに身をくずしていくのよ……」
「とうとい」
すまんな浩介。
いつかキャラメルを分けてやるから許してくれ。
「ふーん」
さて。
真月さんはというと、なぜかニコニコと笑っていた。
「未亜ちゃんって、やっぱり、そうなんだ」
天使のような笑顔のはずなのに、どうして妙に背筋が寒くなるんだろう。
「いいよ、芳人くんは預けておいてあげる。……でも、いつか返してもらうからね」
「何言ってるの?」
淡々と言い返す未亜。
「兄さんは、最初から貴女なんて眼中にないよ」
あのー。
俺、逃げていいですかね。
浩介を中心に盛り上がる女子をよそに、未亜と真月さんは真っ正面から睨み合っていた。
二人の間で緊張が高まっていき、そして。
「……なーんてね」
クスリと、口元を綻ばせる真月さん。
「あはは、冗談だよ、冗談。お邪魔虫は退散するね、それじゃ」
俺たちに背を向けると、軽やかに教室を去っていく。
ふう。
これでひと段落、だろうか。
数日後、おままごとブームはついに終わりを迎えた。
俺が浩介をフッたことが一つの区切りになったらしく、今は折り紙が流行していた。
「よかったな、浩介。もう、おままごとをしなくていいんだぞ」
「ああ、うん……」
「どうしたんだ、ぼんやりして」
もしかして熱でもあるんだろうか。
冬が近づいてきて、風邪も流行ってるしな。
俺は浩介の額に手を伸ばす。
かなりの体温だ。
顔も真っ赤になっている。
「浩介、保健室に行ったほうがいいんじゃないか?」
「ほ、ほ、ほけんしっ!?」
なぜか動揺しまくる浩介。
何か嫌な思い出でもあるんだろうか。
「べ、べつにいいっ! ほっといてくれよ!」
ベシッ。
浩介は俺の手を払いのけると、そのまま窓から逃げ出してしまう。
どうしたんだ、あいつ。
まあいいや。
せっかくだし折り紙でいろいろ作ってみよう。
後で魔法の実験に使うのも悪くない。
そうしてさらに数ヶ月が過ぎた、ある冬の夜。
紙飛行機型の使い魔を飛ばして遊んでいた時、俺はちょっとした事件を目撃することになる。




