第9話 現実から全力で逃避する
第三位階中位
黒い靄が飛来して来るのを、浄炎の棍で粉砕する。
すると、黒い靄はほんの数瞬後に小さな黒い靄へと変化する。
その小さな黒い靄の中から、比較的色の薄い物だけを拾い、他の全ては炎による浄化を行なってから先へと進んでいる。
まるで夢を見ているかの様に判然としない世界の中、僕は存外しっかりとした足取りで何処かへ向かっていた。
僕の周りには味方だと分かる白い靄が5つ、僕と共に何処かへと向かっている。
何の目的で歩みを進めているのか分からない、夢現つの中で今の僕がやる事は3つだけ。
進まねばならない。
何故かは分からないが、兎に角進まねばならない。
目指す地は遥か遠くに見える光。
どれ程離れた場所にあるのかは分からない。ただ、そこへ辿り着けば、真なる安息の地への道が開かれる。
黒い靄は抹消すべし。
最早奴等に与える慈悲などありはしない。
黒い靄の群れが現れた。
棍を振るえば他の靄に間違い無く接触してしまうだろう。
靄がなにで接触のなにが行けないのかは良く分からないが、兎に角触れては行けない。触れたらきっと大変な事になる。
なればやる事は1つ。
——炎の魔法で焼却すべし……!
そう認識した途端、僕の腰辺りに3つの大きな力が現れ、それと同じ数の火球が出現した。
妖狐の成体が使う固有魔法——『狐火』。
良く成長した霊尾を媒介として火精を作成、使役する配下生成魔法。
『狐火』の質は霊尾の数や使役者の魔力統制能力によって変わり、階級によってその名前も変化する。
1〜3本を『狐火』。3〜5本を『妖狐火』。5〜8本を『妖狐炎』。9本を『王狐炎』。更に上を『天狐炎』と呼ぶ。
ふと、頭にそんな情報がよぎる。
まるで僕では無い誰かが記憶を思い返したかの様に制御の効かない、泡が弾けるかの様に一瞬だけ見えた情報だが、好都合。
僕が触れず、見る事すらなく全ての黒を燃やし尽くす事が出来ると言うのなら、それを使わない手は無い。
炎達よ、全ての黒を燃やし尽くせっ!
燃え盛る3つの炎は僕の指示を受け、瞬く間に黒い靄を喰らい尽くした。
《レベ……上…り……た》
そんなノイズが聞こえた瞬間、危うく意識に掛かった靄が晴れそうになったが、寝ぼけ眼で円卓に並ぶ全僕が1人だけ覚醒している僕によって再度催眠術を掛けられると言う謎のイメージのお陰で事なきを得た。
一体僕の中と外で何が起きているのか。何故意識が覚醒しては行けないのか。頭頂付近にある耳が一瞬拾ったカサカサと言う音は何なのか。
そんな疑問が持ち上がったのは一瞬の事、僕はまた遠い光目指して歩き始めた。
◇
光への道のりは果てし無く、度々襲い掛かってくる黒い靄を都度撃滅しながら進む為、その道行は遅々として進まなかった。
そう、奴等は繁殖力が高いのだ。
単体の生命力が高く、予測困難な高速機動で此方へと接近する。
奴等はそういうマモノである。
そんな果てしない苦行も、いつかは終わる時が来る。
僕は辿り着いたのだ!
永劫にも思われた苦しみの折り返し地点へと……!
眩いばかりに輝く光には、炎に誘われる羽虫の如く、黒い靄がかつてない規模で集っていた。
僕もまた奴等と同じく、光に誘われ火に飛び入る羽虫だ。と、そんな自嘲の念が込み上げたのは、きっと僕の精神が限界に近いからだろう。
故に消さねばならない。黒い靄を。
掴まねばならない。約束の地へ至る光を。
先手を打ったのは僕だ。
打ち込むのは青の奔流。
閃光では無く放散である。同じ轍は踏まない。
青の濁流は黒を呑み込み、十字となった通路の1方向を完全に浄化した。
《レベ…が……り……た》
続けて放つのは赤。
燃え盛る灼熱の炎は、緻密な魔力操作の結果、黒の中にあって奮闘する白や希望の光を一切損なう事なく、黒のみを完全に浄化した。
《レベルが……り…した》
ついでとばかりに道の左右へ炎の壁を張った。
幸いにして隙間無く張られた厚い炎壁へ、黒い靄は躊躇なく飛び込み、焼死して行く。
《レベルが上がりました》
程無くして、侵略核へ群がっていたゴキブリは全め——
「——ふきゅう」
◇
『めいきゅーのしんしょくりつ、さんじゅーななぱーせんと』
光に触れて出た情報。
弾ける様にして現れたのは一本の光の道。
これを辿ればゴールに到達出来る。
頭に何かを叩きつけられたかのように酷い頭痛がするし、その痛みすらも曖昧になりそうな眠気にも似た何かが僕を包み込もうともしている。
——全てを手放してしまえば良い。
——そうすれば楽になる。
そんな甘い誘惑が僕を誘うが、全僕を定期的に分厚い本でぶん殴る1人の僕がそれを邪魔して意識を手放せない。
はっきりと見えるのは、仲間の白い靄と仇敵のドス黒く淀んだ靄。そして——安息の地への道のり。
行かねばならぬ。
……どうして?
◇
《………………………た》
猛烈な痛みが思考を鈍らせる。
時間と共に勢力を増す甘い誘いは、既に殆どの僕を飲み込んでいた。
——最早黒い靄も白い靄も見えない。
あるのは淡い光を纏う粒子のみ。
それがなにで、僕が何故苦しい思いをしてまでそれを追っているのかも分からない。
——わからない。いたい。くるしい。……どうして?
歩みを進めていると、ふと、光の粒子が途切れた。
僕の足も止まる。止まった。止まってしまった。
真っ暗な世界。
何も見えない暗闇の中。僕は地面にしゃがみ込む。
——もう、痛みは無かった。
苦しみも無かった。
残ったのは、逃避が為に行使し過ぎて摩耗した精神力のみ。
最早重力に抗う力すら無い。
僕は冷たい地面へと、人形の様に崩れ落ちた。
——つめたい。
つめたい? ……なにもかんじない。
——ふわふわする。
……もう、いいよね?
……——
ユキ、力尽きる




