幕間 鈴守紗理奈の愛憎
第三位階下位
可愛い、大好きな弟を抱き抱える。
表情はあまり変わらないが、たまにニコリと笑うのがたまらなく可愛い。
「里奈、雪をお願いね」
「うん」
お母さんとお父さんが仕事に行っている間、弟と一緒にいるのがお姉ちゃんの仕事。
大事な……お姉ちゃんの仕事なのに……
◇
「雪、里奈と綾をお願いね」
「それは愚問と言う物だよ、悟こそ気を付けてね? 真凪夏はなんだかんだ言って抜けてるから」
「ふふ、そうね……それじゃあ行ってくるわ」
「うん、行ってらっしゃい」
暗い暗い、夜。
物陰に隠れながらお母さんと雪の話しを盗み聞きした。
いつからだろう、お願いされなくなったのは。
大好きな弟、大好きな妹、二人を守るのはお姉ちゃんの仕事の筈なのに……
……お母さん……どうして? どうして私じゃいけないの?
お姉ちゃんなのに……私がお姉ちゃんなのに……どうして……
ドアの閉まる音が聞こえ、私は慌てて階段を登った。
ふと、声が聞こえた様な気がしたけど、それがなんだったのかは分からない。
◇
「掃除しようか」
「う、うん……」
私が同じくらいの歳の時は、そんな事考えもしなかった。
◇
「洗濯物たたもうか」
「うん……」
同じくらいの歳の時、私はそんなに綺麗に出来なかった。
◇
「夕食はオムライスにしよう」
「わーい! オッムラッイスー♪」
「……うん」
「危ないから綾はあっちね」
同じくらいの時、私は包丁を持つことすら許されていなかった。
◇
「お風呂入るよー」
「おにぇちゃんとおっ風呂ー♪」
「…………うん」
子供だけで入っちゃ駄目って言われてた。
◇
「歯磨きしたし、早く寝なよ?」
「……」
「うにゅ……ふぁ……おにぇちゃんも〜」
「……まぁ良いか」
雪は夜、ぱそこん? をやってる、お母さん達に連絡を取ってるらしい。
私は使い方も知らないのに……。
◇
如何してか分からない苛立ちに困惑し、口をついて変な事を言わない様に口数を減らす。
そんな日々が続いていたある日の事。
「雪、起きて……」
「……ぅ……ぅん?」
雪が珍しく寝坊した。
朝食は私一人で作った。
「……綺麗じゃない」
雪がたたんだ服が、何時もみたいに綺麗になっていなかった。
それを綺麗にたたみ直した。
「……ちょっと汚れてる」
雪が掃除した場所が、何時も通りと違って隅々まで綺麗になっていなかった。
綺麗に掃除し直す。
「雪、駄目駄目」
何故かわからないけど、雪の失敗を直す度に苛立ちが薄くなり、心が満たされていく気がした。
◇
それはきっと、優越感の様な物だったのだと思う。
失敗を指摘した気になって、自分の方が優れている。と、そう思っていたのだろう。
だからこそ、そんな醜い心であったからこそ、本当に大切な物が見えていなかったんだ。
雪が苦しんでいる事……気付けなかったんだ……
◇
「ユキ、今日駄目駄目。私が夕食作る。雪は布団敷いて来て」
「あぁ、うん、ごめんね……行ってくるよ……」
「……おにぇちゃん……?」
二人を二階の寝室に行かせてから、夕食を作る。
久し振りに一人で作るので多少時間は掛かったけど、上手く出来た。
「……美味しい」
……カレーライス、簡単で美味しい。
料理が出来たのに、雪達はまだ戻って来ない。
「……遅い……やっぱり駄目駄目」
仕方がないので、二人を呼びに行く。
◇
階段を登った。
寝室は二階の一番奥の部屋、扉が開きっぱなしになっていて、其処から光が漏れている。
そして……綾の泣く声が聞こえた。
「ひぐっ……おにぇちゃん……ぐすっ……死んじゃやだよぉ……」
その声を聞いた瞬間、部屋に駆け込んだ。
其処で見た光景は、あまりに衝撃的で……
「ぇ……え……え……ど、どう……」
雪が倒れていた。
呼吸は荒く、顔色は真っ青。
その側には綾がいて、雪にしがみ付いて泣いている。
雪が倒れるなんて初めての事で、何をすれば良いのかわからなくて、兎に角布団を敷いて雪を寝かせる事しか出来なかった。
「おにぇちゃん……ぐすっ……おにぇちゃん……」
綾はずっと雪に縋り付いて泣いている。
私は何をすれば良いのかわからなくて、目を離して良いのかもわからなくて、綾が泣き疲れて眠るまでずっと見ている事しか出来なかった。
時折雪が魘される様に何かを言っている。
何が欲しいのか、何をすれば良いのか、言ってくれる事を期待して声を聞くも、聞き取れたのは自分達の苗字だけ。
雪はどんどん顔色が悪くなって行って、少しずつ呼吸が浅くなって行く。
「…………はぁ……………………はぁ……」
「……ぅ……おぇ、げほっげほっ」
このまま雪が死んでしまうのかと思うと、何もしない自分に、何も出来ない自分に、猛烈な嫌悪感を感じ、吐き気が込み上げ嗚咽を零す。
大好きな雪が苦しんでいる事にも気付かず、気付いた後も何も出来ずに見ているだけ。
これの何処がお姉ちゃんだと言うのか。
雪が苦しみながらやってくれた事を出来ていないと嘲って、剰え、自分の方が優れていると優越感に浸る。
お母さんに雪と綾の事を頼まれないのも当然だ、こんな最低な奴に頼める訳が無い。
気付いた時には、泣きながら雪を抱き締めて謝り続けていた。
「………ごめっん、なさい……ひぐっ……ごめっなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
駄目駄目な姉でごめんなさい。
貴方を妬む姉でごめんなさい。
貴方を守れない姉でごめんなさい。
◇
「ごめ……っ!」
どのくらいの時間謝っていたのか、唐突に、頭を優しく撫でられた。
顔を上げると其処には……真っ青な顔で、ニコリと微笑む雪がいた。
「ゆ……き……?」
雪はそっと私の事を抱き締めて、額にキスをした。
「……里奈は、良い子……里奈は賢い子……」
「ゆ……」
それは、お母さんが良くやってくれた事。
私達をこうやって……あやしてくれた。
「……だから、落ち着いて……大丈夫……里奈は……出来る……子……」
ふっと雪が寄りかかって来て、小さく寝息を立て始めた。
そっと布団に寝かし付ける。
顔色は心なしか少し良くなって来ているような気がした。
「……氷、タオル、スポーツドリンク、薬は……リビングの戸棚の中」
焦って絡まり真っ白になっていた思考は、いつの間にかスッキリと冴え渡り、前に綾が風邪を引いた時の事を思い出していた。
雪の手伝いをして、氷を用意したり汗を拭いたり……お粥も作った。
後は……雪はやらなかったけど、拓君のお母さんに助けて貰うのも良いかもしれない。子供では気付けない事も大人なら分かる筈。
今は時間が遅いから、明日の朝になったら直ぐに行こう。
◇
その後は、邪魔になる綾を別の布団に寝かせ、朝になるまでずっと雪を看病し続けた。
朝になると、雪は顔色も良く、すっかり治っていた。
「里奈、ありがとう」
そう言って雪はニコリと微笑んだ。
その言葉が嬉しくて、悲しくて、大切で、涙がポロリと溢れ落ちた。
すると、そんな私を見た雪は、私の手を引きその胸元に抱き寄せた。
「里奈は良い子」
額にチュッとキスをされ、優しく抱き締められて……
「里奈、愛してるよ」
『里奈、愛してるわ』
お母さん、雪、私も愛してる。
ふと、雪の長い髪がさらりと流れるのが目に入った。
その髪は反射のせいか一瞬だけ……銀色に輝いて見えた。




