第31話 夜また夜
第四位階中位
「もう一体いる、か」
「私が見た限り、ではあるけどね」
「確かに感じました、今までの2体と比べても、明らかに強烈な邪悪の気配を」
「ふむ」
口元へ手をやり、暫し沈黙するグオード様。
今までの敵がグオード様やドーラ様、ファニエ様をここまで追い込んだと言うのに、更に強大な敵がいるとするなら、休んでいる暇はないのかもしれない。
そもそも何故、襲撃が止んだのかも、予測は出来るが分かってはいない。
悩む私達に、ファニエ様が口を開く。
「敢えて悪く言うわね……このまま進むなら、古老や子等を見捨てるに同義よ」
「……」
「度々の襲撃に慣れない強行軍、戦士達ならともかく、民はもう限界でしょうね」
「……ならば休むしかあるまい」
言うやグオード様は剣に手を添えた。
「不寝番は俺がやろう2人は疲れているだろうか——」
次の瞬間、風が吹いた。
気付いた時には、ファニエ様の鞘がグオード様の眼前で止まっていた。
「……はん、こんなのも見切れないあんたに守られる程、疲れてなんかないわよ」
そう言いながら、ファニエ様は鞘でグオード様を押し、足を引っ掛けて転ばせる。
「あとあんた、怪我してるでしょ」
ファニエ様が手のひらで、グオード様の腹部、竜にやられた場所を押す。
「ぐっ……」
「ひよっこが一人前にカッコつけてんじゃないわよ」
「……5歳しか違わないだろう」
「5歳違えば天地の差よ。あんたは黙って休みなさい」
「……分かった」
……ファニエ様はお二人と比べて華奢だし、グオード様やドーラ様の方が強いと思っていたけど……どうやらそうでも無いらしい。
きっとファニエ様はお二人の姉なのだろう。
眠る弟妹達を見下ろし、ファニエ様の強さの理由を理解した。
「昔みたいに、子守唄を歌ってあげる」
そう言って、ファニエ様は空へ舞う。
静かな森に、音が響いた。
優しく、温かな歌声。
拭えぬ淀みとなって纏わり付く不安はゆっくり溶け消え、次第に民の寝息が聞こえて来る。
私も、抗い難い眠気に誘われ、ゆっくりと瞼を下ろした。
◇
——起きなさい!!
「っ!」
はっと目を覚まし、跳ね起きる。
体に疲労感はあるが、やけに意識がスッキリしていた。
今のはファニエ様の声っ!
薄暗闇の中、民や戦士が起き始めるのを横目に、壁上へ上がる。
そこには既に、グオード様とドーラ様がいた。
「流石、感応力が高いわね」
3人は西を見つめている。
「……数が多いな」
「質は低そうですが、これは……」
「気配的には迷宮の魔物ね、昨夜の内に補充でもしたのかしら?」
ふんと鼻を鳴らし、ファニエ様が振り返る。
「アレに追い付かれたら民や兵では対処しきれない、ご丁寧に足の早い駒を回り込ませてるし、追い付かれるのも時間の問題だわ」
「となると……」
「誰かが迎え撃つしか無い。大駒が尽きたから数で私達を疲弊させようって訳」
「なら、今度は私が——」
「——誰か1人が来よう物なら大将が潰しに来るでしょうね。私なら、そうする」
険しい表情で言うファニエ様。
「奴等の本当の狙いは、民と兵の疲弊による、私達の弱体化。機が熟せば一網打尽って訳……奴等にとっての好機が来るか、私達が賢者様の感知範囲内に入るか、これはそう言う、戦いよ」
ファニエ様は腰に佩いた剣に手を添え、戦いに備える民や戦士を見下ろし——次の瞬間、それは唐突に現れた。
「「「ッッ!!」」」
3人が弾かれた様に南へ振り向く。
遅れて、ぐらりと世界が揺れた。
地面にへたり込んでから気付く、腰に佩いた剣がカタカタと揺れている事に、剣に添えられた手が、震えている事に。
「ぁ……」
声を出そうとしても、引き絞った様な掠れた音が漏れるだけ。
「あ、あぁぁ……!」
南で、のそりと鎌首をもたげた物は——
——恐怖の化身だった。
◇◆◇
「立ちなさいッ!!」
心の勇気を振り絞る様に、その声に恐怖が欠片も混じらぬ様に、私は心を伝播した。
恐れに肉体を支配され、地面へと座り込み、体を抱きしめて震える民達が、弾かれた様に立ち上がる。
「鋭尖陣! 全速東進!!」
陣を維持し、東へ逃げよ。
そう指示を出すや、民も兵も尖陣より更に細い隊列となり、東進を開始する。
「グオード! ドーラ! 小隊の駆除に専念! 本隊はこのまま振り切るわ!」
まさか、こんな近くに来るまで気付けないなんて……!
今更消耗など気にしてはいられない、とにかくアレから離れないと!
賢者様ならきっと……!
◇
木々の間を縫い、邪魔な枝葉を切り落として、森を駆ける。
襲い来る足の速い外敵はグオードとドーラが殲滅し、可能な限り速度を落とさず歩みを進めた。
邪神に連なる者は付かず離れず南の山岳に潜み、邪気を発し続けている。
狙いはやはり明白。
いつでも襲い掛かれる位置を維持し、徹底的な此方の消耗を強いている。
打開策は無い。
此方から、私達3人が仕掛けても、精々時間稼ぎしか出来ず、そうこうしている内に敵に足止めされた皆が本隊に追い付かれ、殲滅される。
かと言って誰か1人を本隊の殲滅に向かわせても、私達が死ぬまでに皆が賢者様の元に辿り着く事は先ず不可能。
一か八かに賭けて誰か1人を賢者様の元へ向かわせても、此方を見張っている奴はその好機を見逃さないだろう。
私達に出来るのは、ただただ敵の狙い通り、逃げ続ける事だけなのだ。
力があればと嘆かずにはいられない。
代々伝わるプラリネとドラジェの宝玉、オーブさえあれば何が起きても大丈夫、そう慢心していたのだと思い知らされる。
その上賢者様の結界まで破壊されるなんて……蓋を開けて見れば油断慢心の坩堝。
私は、あまりにも未熟だった。
……いや、まて……? 昨日邪神の眷属が仕掛けて来なかったのは、結界を破壊するのに消耗していたからなのでは?
それに加え、おそらく大駒を使ったのは此方の戦力の詳細を測る為で、その後の雑兵を搔き集めるのに相応の消耗がある筈だ。
更には、昨夜グオードが戦ったと言う亜竜も、逃亡の最中微かに感じた邪悪と竜の戦いの気配から、邪神の眷属がこれ幸いと単独で活動する亜竜へ襲い掛かった可能性が高い。
奴もまた、大きく消耗している可能性は十分に考えられる。
確証が無い。
反転攻勢は分が悪過ぎる賭けだ。
だがそれは、万が一の時に縋れる賭けでもあった。
◇
おかしい、そう思った。
随分と長く感じる逃走。
疲れ果てた子等や古老は物資を捨てた宝箱に詰め、倒れたユーシアを絨毯へ、兵は順番に隙間で休憩させる。
休憩の必要性故に僅かに速度が落ちたとは言え、敵の本隊を引き離すのに十分な距離を稼いだ。
日は落ちていた。
皆疲弊しきりだ。
まるで甚振る様に、嘲笑う様に、邪悪は邪気を放つ。
その都度私は声を上げ、皆の心が挫けぬ様に心を広げた。
何かがおかしかった。
月は空高くに輝き、夜は締めやかに這い寄る。
薄暗がりに幾度もの目印を駆け抜け、間も無くルテールの里に辿り着ける筈だった。
——聖樹が無い。
遠目にも分かる、あの偉大な大樹が。
それ以前に、既に賢者様の感知範囲内の筈だ。
何故来ない? 何故見えない? 何故、何故……!
焦りの果てに、遥か遠い認知の片隅に見えたのは——
——折れて砕けた木々だった。
駆ける、駆ける。
見える、見える。
折れた木々。
砕けた木々。
焼け落ちた木々。
破壊された家々。
乾いた血。
——破壊された、聖樹の欠片。
森が開けた。
駆ける。
歩む。
止まる。
「……嘘よ」
夜は這い寄る。
締めやかに。
密やかに。
嗤う絶望の吐息が、羽を揺らした。




