第26話 生きる決意、生かす決意
第四位階中位
それは、突然の襲撃だった。
黒い波は突如として西の果てより現れ、隣国は一夜の内に滅ぼされた。
その報が届く頃には、我が国も黒い波に晒され、国境を守る砦が、村が、街が、暗闇へ消えた。
かつて迫る敵国の大軍をも阻んだ砂と灼熱の大地は、塗り潰す様に迫る黒い波に呑まれた。
民を逃す暇もなく迫るそれに、王、父が神獣ザングランス様に願ったのは、戦いではなく、私を逃す事だった。
目的地は、王族にのみ口伝で実在を謳われる、竜翼の民がいる南の森。
ザングランス様の砂腕に捕まれ、遠ざかる王城が暗闇に呑み込まれるのを、私は見ている事しか出来なかった。
砂の国ユグノはその日、滅びを迎えたのだ。
◇
「っ……」
はっと、目を覚ました。
「はぁ……はぁ……」
荒い息を整え、汗を拭う。
久しぶりに、あの日の夢を見た。
魘されていたのだろう。
神子様達が、弟妹達が、慰める様に擦り寄って来た。
「……心配しないで、ありがとう」
弟妹達を撫で、涙を拭う。
あの日、私は故郷を失い、唯一の肉親である父を失い、そして……母と慕ったザングランス様を失った。
5年の歳月が流れた今でも、最後の言葉をはっきりと覚えている。
弟妹達を頼みましたよ、私の愛しいユーシア。
そう言って、母様は黒い竜へと挑み掛かった。
涙で歪む視界の中、何処にいるとも知れぬ伝説の竜翼の民に出会えたのは、幸運だったのだろう。
弟妹達を抱え、神像……はなくとも、母様の鱗から掘られたボタンに祈りを捧げる。
「ユーシア・オルカン・ジェヴノーが祈ります。どうか良き陽の導きを、陽の行先に祝福あれ……母様が静かな夜に抱かれます様に」
もう、意味の無い事なのかも知れない。
それでも、祈る事をやめられなかった。
それはきっと、私の弱さなのだろう。
ふと、鱗が淡く光った。
「え?」
気のせいか? そうと思った次の瞬間——ピシッと鱗に罅が走る。
「なッ……なんてこと……母様の唯一の…………」
呆然とするのも束の間、直ぐに立ち上がる。
嫌な予感がした。
久しく見ていなかった悪夢に、鱗の罅。
まるで母様が警告しているかの様に、私には感じられた。
ただの勘違いかも知れない、それでも……最悪の事態は、ある時急に降って来る物だから。
◇
グオード様とドーラ様に、夢の事と突如罅割れたボタンを見せる。
暫しそれを見ていたグオード様はドーラ様と顔を見合わせ、頷いた。
「……ユーシア、良く聞かせてくれた。我等も今旦より、森の騒めきを感じていた所だ」
「民の多くが、ひりつく様な予感を感じています」
「巫覡たる君がそれを凶兆と捉えたのなら、その予感は正しいのだろう」
「何かが起きようとしています。直ぐに避難を始めましょう」
両人の一声を聞き、小さき竜翼の民達は、元より少ない荷物を纏め始める。
私が1番荷物が多い、急がないと。
◇
荷を纏め、移動を開始した所で、それは現れた。
「戦える者は武器を持て! それ以外の者は里へ急げ!」
「私が先導します! 皆ついて来なさい!」
空舞う巨躯の黒き鳥と、それに従う魔物の群れ。
ユグノを襲った、邪神の眷属!
「どうして今になって……!」
神の鉄槌で死に絶えた筈の邪神が……!
「私も戦います!」
剣を引き抜く。
プラリネの里の妖精鍛治師に作って貰った、人の間じゃ国宝級の剣。
それに、今は亡きユグノの宝物庫から持ち出した装備。
この日の為だ。
こんな日の為だ。
私がこの5年間、ドラジェの皆に鍛えて貰ったのは……!
覚悟を決め、前に出た私を、グオード様は片手で制した。
「ならん」
「な、何故です! 今は少しでも——」
「——死に急ぐ者を戦場には出せん」
「っ」
死に急ぐ……? 私が……?
頬を張られた様な衝撃に冷静になる。
この中で1番足が遅いのは私だ。その私が、逃げる戦いの中で、殿を務める? 確かに、死に急いでいると言われてもおかしくない。
気が急いたか? そう思った時、過ったのは父様と母様の姿。
人の為せる全てを囮に、私を逃す決断をした父様と、自らを犠牲に私が逃げる時間を稼いだ母様。
私は無意識に、それと同じ道を辿ろうとしていたのかも知れない。
「……ユーシア、前々から言おうと思っていた事だが、今それを伝えよう」
グオード様は半身に振り返り、ニカッと勇ましく微笑んだ。
「其方は我等が同胞だ。過去を追わず、共に生きよう」
……あぁ、側から見て分かるくらいに、私は過去を追っていたのか。
知らなかったのは私だけ。
思えばこの5年間、私は神子様のお世話と修行ばかりで、これと言う何かをしてこなかった。
5年前まで王宮でやっていた多くの事は、今や思い出すのも難しいくらいだ。
私は、あの時、あの瞬間に力が無かった私を、恨んでいたのかもしれない。
「さぁ行け、プラリネの里へ窮状を伝えよ!」
「……はいッ!」
剣を納め、駆け出す。
行かねば。
生きねば。
私も、皆と共に生きていたいから。
◇◆◇
「……行ったか」
遠ざかる気配に安堵し、空を見上げる。
舞うその巨鳥は間違いなく、かつてと同じ、震える様な邪悪の気配。
周囲を固める鳥の魔物達にはそれを感じないが、敵対者である事に相違無し。
今こそ、古より伝わるオーブの力を使う時。
「皆、奮起せよ! 俺が奴を討つ! 誰一人として死ぬな!!」
『応!』
懸念がある。
遠い山肌に、微かに感じられる邪悪の気配。
あの鳥は、突如として現れた。奴等が意図して気を隠せると言うのなら……。
……後の事は頼むぞ、ドーラ。
「……共に生きようと言った手前、簡単には死んでやらんぞ……!」




