第57話 夜明けの舞台
ふわりと宙に浮かぶ。
心まで浮かび上がる様な笑み。その視線は手元に向けられていた。
青白い球体。それは本体には劣れども、間違いなく高品質の蒼銀だった。
重要なのはエネルギー総量では無い。
その濃度であり、性質であり、融和性だ。
それは彼女の主が、彼女の為に作った、エネルギーの結晶体。
宝珠を魂に取り込むよりも深く、そして広く、それは魂に融和する。
正しく宝物のそれを、胸に掻き抱いた。
じわりと、浸透する。
じわりじわりと、広がっていく。
「……♪」
体が震える。
細胞が歓喜する。
肉体を、魂を構成する全ての因子が絶叫する。
——深く、深く、満ちて行く。
大きく、大きく、広がって行く。
暫し縮こまって震えていたサンディアは、徐に懐から一升瓶を取り出した。
真っ赤な液体が詰まったそれを、ぐいっと傾ける。
「ゴキュッゴキュッ!」
凄まじい音を立ててそれを一息に飲み下した。
拡大した器に、親和性の高いエネルギーの充填。
口元から滴る血を拭い、その手をぺろぺろ舐め、サンディアはご満悦だ。
質の高い蒼銀を魂に取り込み、髪色がいっそう青白くなったが、それ以外に大きな変化は無い。
——そう、足りないのだ。
次のステージへ進むには、後少し、伝説が足りない。
そして、それは今日、手に入る。
一千年の永きに渡り、統治され続けた永久の国。
その地を統べた、帝王達。
淀み、揺蕩う、無明の衆愚。
故に吹き溜まる、永遠の信仰。
それだけあれば、足りるだろう。
理想に手が、届くだろう。
彼女は鼻歌交じりに、目に付いた石ころを蹴りに向かった。
◇
噴き上がる邪気に、確かに恐れがあった。
だがそれも、交わり、身に宿す事で無くなった。
鳴り響く警鐘は常闇と消え、残った物は、僅かな警戒と、増大した力による全能感だった。
「は、はははっ!」
ウェンザードは嗤う。
鞘走る小刀から邪気が膨れ上がった時は不味い物かとも思ったが、身を一つにしてみれば拍子抜けだ。
大きな力ではあるが、御し切れる力。
力が大きく跳ね上がり、満ちて行くのを感じていた。
これならば、最早ヴァンディワルであろうと敵では無い。
「この力なラッ、お前らノ神ニも届クかァッ?」
邪悪の出現に対して動揺した様子を見せないアスフィンは、ただただ悲しげに呟いた。
「……貴殿程の武人が、その程度の事も分からなくなってしまうのか」
哀れみの視線。その意味を問う前に、それは目前に現れた。
月光を纏う銀の髪。
血よりも鮮やかな赤い双眸。
暗闇にあって尚透き通る様な白い肌。
その幼げな器から迸る、あまりに巨大な力の気配。
軽やかに、降り立つその様は、まるで、星が降りて来たかの様だった。
「……オまぇガカみカッ……!」
少女は胸を張り、頷いた。
——次の瞬間、赤黒い刃と赤い刃が衝突した。
「ハハッ!」
余波が壁や天蓋を崩落させる。
莫大な力の衝突だと言うのに、小揺るぎもしない神を前に、ウェンザードは高く嗤い——ナナメにずれた。
「ハハ、ハ……?」
目前にいて、鍔迫り合いをしていた筈の神が、いなくなっている事に遅れて気付く。
あまりの衝撃が意識を打ち据えた。
永き時を堕落して来たとて、刹那の交錯で何も分からないなぞ、あり得ない。
体を蝕む強靭な魔力が邪気と対消滅し、己が魔力で肉体を再生させながら、ウェンザードは思考する。
やたらと体を包んでいた興奮が——冷え込む。
その段になって、彼は初めて、視野を狭窄させる無数の雑念に気付いた。
いつの間にか、叫びが聞こえていた。
いつの間にか、怨嗟が響いていた。
邪魔な雑念が、意識を覆っていた。
——五月蝿いッ!
一喝する。
意識に響く声が、柔な雑念の群れを打ち払う。
それは一つの奇跡であり、予定調和。
意識を覆い、感覚を蝕み、多くの誤認を植え付け、その魂を支配しようとしていた邪気は、達人の一撃を受けた武人の歓喜を理解出来なかった。
それが支配の分水嶺。
ウェンザードは哀れみの意図を悟り、己を恥じて、猛省した。
振り向き様に放った斬撃は、先に倍する鋭さで、サンディアへ迫る。
ウェンザードを支配しようとしていた邪気は裏方に周り、少しでも多く生者を削れる様、ウェンザードを援護する。
鋭く強固な斬撃は——サンディアの指に摘まれ、停止した。
何の反動も無く、何の破壊も齎さない。
その光景に、ウェンザードは背筋を震わせた。
武の極点。頂きがそこにある。
じわりと、指を伝って流れた銀の光が、邪気を祓う。
即座に再生成した血の剣で、次の斬撃を打ち込む。
それは大きく、空を斬った。
剣の腹に添えられた指が、斬撃を大きく逸らしたのだと気付く。
いつしか、未だに纏わりついていた雑念が消え、意識が鋭敏化して行く。
「ハハ、はははッ! もっと、もっとだ……!」
もっと見せてくれッ、頂点をッ、その技をッ……!
まるで英雄譚をせがむ子供の様に、無邪気に振るわれる斬撃を、サンディアは自在に止め、逸らし、避ける。
振るわれる毎に、何処までも鋭くなる斬撃はしかし、ある時急に、終わりを迎えた。
彼にとってそれは、何処までも続く武勇伝の途中。
まるで、子供はもう寝る時間だとでも言うかの様に、最後の斬撃が胴を斜めに、切り裂いた。
もう再生はしない。
短くも濃密な戦いの最中、全ての邪気が取り払われていたが為に。
強過ぎる格上の真気を、ウェンザードの気では打ち払えぬが為に。
斬り捨てられ、地に倒れ行く彼の顔には、喜びがあった。
「ははっ! 見えた! 見えたぞーッ!!」
今際の冴えに、歓喜で震える気狂いに、サンディアはパチリとウインクし、親指を立てて見せた。




