第52話 昏迷の舞台
第六位階上位
アンテをパパッと回収し、向かうは王城。
あちこちで戦いが激化し、第三幕も順調に進行する中、城の中枢で第四幕が始まろうとしていた。
題して、逆心の王。
そもそも本人が自分は王であると思っていたかすら疑問なんだけどね。
そんな事を思いながら、僕は城の上空を舞う少女を見上げた。
◇◆◇
その日、夜明けと共に、全ては終わる筈だった。
天蓋を砕き、差し込む光と激流が、蔓延る吸血鬼を殺し尽くす。
蒼血と白百合が後詰を担い、生き延びるであろう三公を我等が討つ。
それで、この無為な一千年が、ようやく終わる……筈だった。
——殲滅しろ。
まるで鈴を転がす様なその声は、あまりにも無邪気な殺意で満たされていた。
現れた無数の気配、その幾らかを俺は知っている。
だが、かつて見知ったそれと比べてその大きさが……強さが、まるで異なっていた。
その内の1人が、天井を突き破って目前に降り立った。
「お父様、お久しぶりです!」
忘れもしない、名を与えてやれなかった我が子。
しかし、その肉体が、魂から発される気配が、僅か数日前とは比べ物にならない程に変質していた。
この国を出て数日。
一体どれ程の戦いに身を投じたのか。
どれ程苦難を乗り越えたのか。
ウェンザードと互角に戦い始めたもう一人の子共々、もはや才能の一言では説明が付かない。
未知の吸血鬼がいる。
空舞うソレは、尋常ならざる練度の気を纏っていた。
奴こそが襲撃者共の首魁に相違あるまい。
だが意図が読めない。
我々ですら知り得なかったフォーレンの私兵、それに加えて我が蒼血、白百合の騎士。
敵の動き、その戦力の配置から、明らかだ。奴等は全てを、人数から装備の質、練度まで、正確に把握している。
立て続けに大規模な戦闘が起きていたのも、奴等と無関係ではあるまい。
この地の全てが、見透かされている。
だからこそ、意図が読めない。
余計な労苦を背負わず、我々が殺し合うのを待てば良かったろうに、何故奴等は今この時、攻撃を仕掛けた?
綿密に調べ、戦力と状況を把握し、その多くを誘導せしめた上で、何故被害が出る可能性の高い直接攻撃と言う手段を選んだ?
名も無き我が子が一歩踏み出した事で、方々に向けていた意識と思考が戻る。
「お父様、一つだけ、聞かせてください」
不意に向けられるその問いには、当たりが付いた。
分かっている。それは、我が罪業の一つだ。
真っ直ぐ此方を見るその視線は、まともに顔を合わせることすら無かったかつてと比べ、隔てる何かが無くなったかの様に交わる。
「……お父様は、どうして、私に名前をくださらなかったのですか?」
緊張は無い。怒りも憎しみも、悲しみも無い。
ただただ真っ直ぐ、疑問だけが向けられていた。
どの道、問われれば答えようと思っていた事だ。
先んじて伝えなかったのは、それもまた、我が罪故。
「……お前の母が、お前に名を付ける前に死んだからだ」
「ではお父様が付ければ良かったのでは?」
最もだ。だが、俺にその資格は無い。
「……迷いの末に産ませた子だ。我に名付ける資格などあろう筈もない」
「良く分からないので、ちゃんと分かるように答えてください」
その問いに、欠片程の怒りも無い。ただただ無邪気に、首を傾げ、問いを重ねる。
ふと、この子がまだ幼く、真っ直ぐに視線を合わせて来ていた頃と姿が重なった。
どんな事も、遙か遠い昔の事の様に思ってしまうのは、我が魂が卑しく、迷い、逃げ続けている証なのだろう。
この子には、そしてアスフィンにも、知る権利はあった筈だ。
教えなかったのは罪から守る為か、或いは……幾つかの罪から逃れようとしたか。
今となってはもはや、己が罪深さ以外に分かる事は何も無い。
「……子に竜血が引き継がれたならば、道を決するつもりであった。しかしそうで無いのならば、この手で、始末を付ける……筈だった」
全ては己が弱さが招いた事だ。
悪逆で無い吸血鬼とて、その子孫までは分からない。
吸血鬼は滅ぼさなければ、災禍が収まる事はない。しかし善良な吸血鬼もいる。
率いるべきか? 滅ぼすべきか?
仮に率いたとして、我が善良たる保証はあるのか? 善良であり続ける保証はあるのか?
結論を出すつもりだった。
産まれて来た子を、手にかける事が出来なかった。
子を産み落とし、死んでいった彼女等を思うと。必死に産声を上げる子等を思うと。
母体の死は、1度目は巡り合わせが悪かったのだと思った。それも2度となれば運命だと気付いた。
己諸共滅ぼすべきだったのに……我にはそれが出来なかった。
「成る程、確かに親のする事では無いですね」
呆れた視線で此方を見るその瞳に、今はもう、かつての面影は重ならない。
此方を見ない様にするその瞳は、今は此方を見向きもしない瞳に変わっている。
余程の戦いを生き抜いたのか、或いは我が与えられなかった物を、与えられたのか。
何にせよ、もはや我等に未来などあるまい。
多くを犠牲にした宿願すら果たせず、ここで終わる事が少しでも罪滅ぼしになると言うのなら、全てを受け入れよう。
「話は終わりだ。秩序を犯す者共、我が子とて許さん。滅ぼし尽くしてくれよう」
意味もなく永きに渡って錬磨した力を、見せ付ける様に引き出す。
唯一心残りがあるとすれば……いや、それもまた罪、か。
数千年に渡り幼い姿のままの彼女、その気楽な笑みを振り払い、血の刃を生み出す。
ふと、相対する我が子の眉根が寄せられた。
困惑の気が伝わって来る……誰かと話しているのか?
そうと思ったのも束の間、咳払いを一つして、我が子は口を開いた。
「こほん……えー、お父様。ちょうど私にはお父様に名を頂けなかった恨みがあります。なのでお父様は、私と全力で戦って、ブザマに負けて死んでください」
少し引き攣った様なぎこちない笑みを浮かべ、そう言う彼女に、恨みの念はついぞ見えない。
……見えない振りをしているのだろうか? この期に及んで罪から逃れようとしているのだろうか?
……だが、彼女の恨みを晴らせ、罪を少しでも雪げるのならば、本望だ。
「仮に、万が一お父様が手を抜いて死ぬ様であれば、その全ての罪をお父様の代わりに叔母様にツグナッテ貰い、ミライエイゴーゴウモンヲウケテモライマス」
「それはっ……」
彼女の言葉ではあるまい。
我に悟られずに、此処を見ている者がいる……いや、今更か。
見透かされている。
仮にその言葉がはったりだったとしても、選択肢など端から無い。
全てがまるで、手のひらの上で転がされている様だった。
「……分かった」
最初にこの道を選んだのは我であり、巻き込んだのも我だ。
罪を負うべきは我であり、彼女に累が及ぶ事はあってはならない。
「それでは、始めましょう、お父様」
何処かホッとした様子で、我が子は血の刃を形作る。
はたと思い出した様に、彼女は動きを止めた。
「あぁ、忘れてました」
彼女はスカートの裾を少し持ち、何処となく気品を感じる所作で笑みを浮かべる。
「私の名前はレミアです。以降お見知り置きくださいね、お父様」
「……そうか」
我が子は……レミアは、帰るべき場所を得たのか。
失敗と、後悔と、間違いに塗れた道の中で、それは唯一の救いに見えた。




