第51話 蒙昧の舞台 五
ソレはまるで、光届かぬ深淵の如き影。
常闇を纏う王。
——星無き夜の顕現
如何なる影をも従えるソレは、闇に潜む者どもにとって、神の様なモノだった。
……如何なる闇をも祓う天の光を前にしなければ。
◇◆◇
現れたるは影の鎧。
それは深淵と謳われるに相応しき威容。
影に限り、磨き上げられた御技は見事な物で、我等が幼く偉大な主も中々良いと褒める程の練度だった。
かつては比類無き操影術の使い手であった彼も、今やサンディア様の足元に及ぶ程度。
この私ですら、総合魔力量と基礎魔力質の差で、操影の量、質、技の数、全てに置いて彼を上回れるだろう。
我が事ながら、数日前の己の未熟さに恥じ入るばかりだ。
あんなにも幼く、弱々しく、宝石の原石の様にしか見えなかった主は、今や天高く輝く星となった。
僅か数日で何があったか?
些細な事だった。
魔力をより深く、より強く練った。それを素早く、また遠くまで動かした。
術の構築をより幅広く習得し、より素早く展開し、それを幾度も、気が遠くなる程に繰り返した。
或いは戦闘の細かい所作を、はたまたその知識を、無数の武器の使い方を、動きを読む戦術眼を、ひたすらに、ひたすらに。
分かっていた事、分かっていたつもりになっていた事、分からなかった事、思いもしなかった事。
——基礎。
そのただ一言に纏められた物の、どれほど大きな事か……。
立ち昇る無数の影の腕。
その大半が基礎魔力質で構成された見てくれだけのハリボテ。
即座に同じ数の雷槍を放ち、ハリボテのみを破壊する。
伸び上がる本物には、遠い物を雷槍で迎撃、近い物は雷を纏う拳打で破壊した。
「ッ! ならばこれでどうだッッ!」
フォーレンの足元から影が大きく広がる。
影は忽ちに一帯を飲み込み、瓦礫が闇に沈んでいく。
自領域の展開。
操影は空間系に近い能力、故にそれくらいは出来て当然の事。
永い時の中で溜め込まれ練り上げられた、信仰を纏う影の領域は、先の見掛け倒しとは比較にならない力を発揮するだろう。
決して此方を逃すまいと闇は瞬く間に広がり、影の柱が折り重なる様に立ち上がる。
それを特に何をするでも無く、受け入れた。
「それは傲慢だぞッ、セバスチャンッ!!」
水中の様に鈍く、叫びが闇にこだまする。
「貴様らの企ては知らぬッ! だが、貴様はッ、もはや二度と光を見る事は叶わぬと知れッ!!」
——ブラフだ。
彼は切れ者、彼我の戦力差を測れない弱者では無い。
目的は時間稼ぎ。加えて此方の消耗と言った所か。
……ただ、見え隠れするのが、その慢心。
己が領域に捕えれば、大きく消耗を強いる事が出来るだろう、と。
それは自信でもあるが、同時に目を曇らせてもいた。
「深淵に眠れッ!!」
刹那、一寸先も見えない暗闇に、無尽の棘が現れる。
影を伝わる攻勢魔力、迫り来るその全てを、ピンポイントで迎撃した。
「ッ!? 馬鹿なッ!」
彼の驚愕に連動する様に、暗闇が揺らぐ。
動揺の中にあって、それでもフォーレンは攻撃の手を緩めない。
無作為に放たれる棘の全てを、捻り潰さんと迫り来る闇の重圧を、尽く迎撃する。
「いったい……どれ程の高みにっ……!」
——全くです。
その驚きが理解できる。
その動揺を強く肯定できる。
意識を、意図的に加速する訓練。これは熾烈を極めた。
——瞬間的な高速演算。
即ち、限界を超える程に、凡ゆる事を、知覚し、操作し、構築する。
それを重ねる事によって、思考加速はより一層、磨かれて行く。
この永き生の中で、倒れる程に己を酷使する事など、そうでもしなければ越えられない壁など、数える程しか無かったと言うのに。
強くなり、周りと差が開く程、周囲を当てに出来なくなる。
それ故に、より強くなると分かっていたとしても、自らを限界まで追い込む事は出来なくなって来る。
それが染み付いた彼等に、寄る辺なく地底を彷徨う彼等に、我等の力の根源は、到底理解出来ないだろう。
本来底無しの暗闇はしかし、鍛え上げられた知覚を待ってすれば、外部の状況を把握するのは容易い事。
間断なく放たれる棘を迎撃しながら外部の情報を集めていると、その時は来た。
——猛虎の殲滅の完了。
それを合図に、練り上げた紫電を腕に纏い——蔓延る深淵を振り払った。
「ぐッ!?」
弾けた雷撃はフォーレンの影とそれに宿る強大な影属性の魔力、その尽くを焼き払う。
影の領域は弾け飛び、瓦礫の山が辺り一帯に散らばった。
巻き上がる粉塵は衝撃の余波で流れて行く。
地に膝を付くフォーレンを見下ろす。
防御に使われた両腕は焼け爛れ、影の鎧は大きく破損している。
もはやまともに戦える力は残っていないだろう。
「手札は、以上ですかな?」
睨め上げるその視線に、未だ戦意は宿っていた。
同時に猛虎が全て灰と消えたのもまた、把握した様子。
フォーレンは諦念を演じ、口を開いた。
「ふ、ふはは……何故、最後の最後に、この様な事になるのだろうな……」
時間稼ぎに付き合い、言葉を重ねる。
「我等が神がこの地に訪れたから……いえ、そこに歪みがあったからでしょうな」
ふと、その瞳に隠された戦意が大きく減じる。
そこには、嘘偽り無い、確かな諦念が感じられた。
「歪みか……もっともだ……」
フォーレンは空を見上げた。
そこにあるのは、暗く垂れ込め、全てを覆う、天蓋。
「……セバスチャン、貴様は邪神を知っているな?」
「ええ……どれ程時が流れようとも、忘れる事は出来ないでしょう」
あの災禍を、あの根源を揺るがす畏怖を。
もし忘れる時が来るとしたら、それは更なる災禍に遭遇した時のみ。
フォーレンは視線を下ろし、遠い戦場を見詰めた。
「……然らば、今日がその日の続きとなろう」
ゾワリと、悪寒が駆け抜ける。
予定より少し早いだろうか?
「永遠の夜は深淵に沈み、今、正にッ、真の終焉を迎えるッ……!」
刹那、邪気が膨れ上がった。
それは正しく、邪神の系譜に連なる力。
邪神と比べればその力は半分にも満たないが、それでも尚、強大な力だ。
諦念と狂気に呑まれ、ただ笑い声を響かせる蒙昧なフォーレンに、私は一つ助言する。
「我等が偉大なる神の御威光は、遍く全ての夜を照らしますよ」
無力だったかつてとは異なり、特段焦りも無く、邪神の力と相対する幼くも大きな背中を見詰めた。




