第44話 終幕 二
第六位階下位
「やはり……貴方が一番恐ろしい」
小さく呟きながら、私はそれを見上げた。完全に竜の様な何かへと変貌した、その姿を。
僅か数度。魔力を強く込めた声を掛けただけで、狂っていた意思はある程度の正気を取り戻した。
その赤い竜の瞳には、大きな狂気と確かな正気が混在している。
ともあれ、使命は果たされた。
後は、異常進化したコレへ、全力を持って挑むのみ。
一見して肉体の性能は相手が上、だが技量に関しては俺が上。
問題はその技量が奴の甲殻を貫けるか否か。
竜種は魂の研鑽が無くとも強大であると言うのに、技量まであるのだから恐ろしい。
振り下ろされた爪の一撃を避ける。
大地が大きく陥没し、噴き出た闘気が斬撃となって瓦礫を吹き飛ばした。
暴風が吹き荒び、粉塵が巻き上がる中、少年の死体には傷一つ付いていない。
少年よりも強い意思を持って竜となり、少年よりも強い精神を持って竜を折伏する。
今の俺ですら到底及ばぬ魂の輝きに、つい見惚れてしまいそうだった。
体を振り回す様にして、竜は尾を振るう。
此方にはそれをまともに止める術は無く、地上を跳ね飛ばしながら振るわれたそれを跳んで避ける。
回転の勢いをそのままに、振り下ろす様に接近する巨大な鉤爪へ、練り上げた闘気を宿した血の鉤爪で対抗する。
「はッ!」
交錯は一瞬。
技を持って受け流す事で、どうにか爪の一撃を弾いた。
続け様に連続で放たれる爪撃を、避け、逸らし、間隙に血や影の槍を撃ち込む。
しかし——
「ははッ!」
——練気が間に合わんッ!
魔力の基礎性能が違う。魔力量もまた奴が上だ。
魂に溜め込まれた力が解放され、生み出された竜玉により力の質が底上げされているからだ。
此方が気を練るのに対し、竜は素の魔力でも十分此方に傷を与え得る。
然らば此方も魂を解放する以外に道は無い。
そして……それが出来る程の才が、俺には無いのだ。
……だが——
「はぁぁァッッ!!」
「グルァァッッ!!」
——それが諦める理由にはならない。
血と影の鉤爪が、竜の鉤爪と衝突する。
成る程、質は奴が上だ。俺も古き吸血鬼故に強いが、奴は竜故に強い。その質は一枚上手であり、それだけで無く僅かながら気を練ってもいる。
どうしようもなく、此方が不利。
成る程、量は奴が上だ。俺も伯爵級を名乗るに十分な魔力を持つが、奴は竜故に、その巨体と竜玉に大きな魔力を秘めている。
その根源たるは魂に溜め込まれた力。故に俺にもその力に勝らずとも劣らない力はある筈だ。
成る程、正しく奴は才を持つ。故に奴は魂から力を引き出し、古き吸血鬼である俺を上回って見せた。
見事な才だ。俺には無い物だ。
そう、諦めるのは簡単だ。
いつも通りでいれば良い。
だが、俺は我慢ならない。
偉大なる神に仕える立場となった俺が……かつての様に、堕落の道へ進む事がっ!
あぁ、才ある英雄達よ……!
俺はお前達が羨ましい。
だからこそ、俺は偉大な月を見上げ、手始めにお前達を目指すのだ……!
「主よ、御照覧あれ……!」
「グルルァァッ!」
偉大なる御方の御前だ。全てを曝け出し、己が実力を超越して見せねば、俺の生に意味は無い……!
魂の深淵を引き摺り出す事こそが、俺の示せる唯一の忠誠!!
全てを懸けて気を練り上げ、全て絞り尽くす様に力を振るう。
血と影の鉤爪は、竜の鉤爪を——押し返した。
「グルッゥゥアアァァァッッ!!」
「うぉぉォアアァァァッッ!!」
咆哮と共に連続で振るわれる凶人へ、此方も血と影の鉤爪を合わせる。
何度と無く衝突するそれは——竜の爪を穿った。
甲殻を破り、指を切り飛ばし、それでも振るわれる鉤爪。その斬り上げを——
「がッ」
——受け損なった。
成る程。当然だ。
力を解放するには、意志を研ぎ澄まさねばならなかった。
意志を研ぎ澄ます事にばかり拘えば、その他の部分がおざなりになる。
——見切れなかった。力の流れを。
刃は胴から肩口へ切り裂き、血飛沫と共に宙を舞う。
そこに迫るのは、牙。
気は負けじと血を振るい、放たれた槍は竜の牙を一つ、へし折った。
「ぐッ」
無数の牙が胴体を貫く。
竜は首を大きく振るい、俺は地面へ叩きつけられる。
「ごぶっ」
込み上げて来た血を吐き出し、竜を見上げた。
もはや体は動かない。何処が欠損しているのかも分からない。
俺はただただ竜を、英雄を見上げた。
多少消耗していたとは言え、死力を尽くしても届かぬ、かぁ……。
俺はゆっくり、手を伸ばす。
これでこそ、英雄——
——振り上げられた竜の鉤爪が迫る。
◇◆◇
ズドンッと大地が揺れた。
それは戦士の断末魔。
竜の腕が振り下ろされたそこには、塗れた血と砕けた肉片が転がっていた。
敵の死を確認した竜は最愛の人へ視線を下ろす。
ぱらりと、指先が光に解けた。
パラパラと、竜身が光の欠片となって散らばって行く。
解ける光の中から現れたコルニは、ばたりと前のめりに倒れた。
そこにもはや力は残っていなかった。
拡散する魔力を引き留める力も無く、ゆっくりと閉じられる意識は、もう目覚める事は無いだろう。
——死力を尽くし切った。
高々数人のダンピールが、アークロードクラスの吸血鬼を1体討ち取った。
それは正しく快挙だった。
もはや彼女に、動く力は残っていない。
それでも……それでも、彼女は前へ進んだ。
ずるりずるりと、更地となった大地を這いずり、前へ。
絞り尽くした魂、その器を削りとりながら、ただ前へ。
——愛故に。
狂気と正気が混在するその瞳。それを満たす、愛故に。
コルニは、最愛の人の、投げ出された手を握った。
冷たくなったその手を、今度こそ、離さない様に。
——コルニは願う。
もし、次があったなら……次こそは……今度こそは、皆一緒に、幸せになろう……。
ゆっくりと、瞳が閉じられる。
ゆっくりと、世界が夜に包まれる。
——ふと、光が差した。
燦然と輝く銀の光が夜を切り裂き、一条の道となる。
その先に待つのは——




