第10話 空の大賢者
第八位階下位
黒霧の報告を受けながら、竜寝殿へと移動する。
竜寝殿は静かに洋上を漂い、羽化する時を今か今かと待っている。
これから、この竜寝殿で上位者対談を行う。
簡単に要約すると、竜達の行き場が無いという事である。
既に各上位環境迷宮は僕の配下が荒し回ってるし、中位迷宮も解放し次第戦力が流れ込んで餌食になっている。
今はそこに、自己鍛錬。研究。弟子の修行と言う名の時間稼ぎでローテーションを回している状況だ。
竜達には、行き場が、無い。
ではどうするのか?
この竜寝殿を遥か上空に配置し、ここら一帯を守護して貰う。
その為に、竜達が何不自由なく、自ら収容されてくれるノンストレスホームを作成する為の会議である。
では、その為の中間管理職。チーム竜寝殿のリーダーは誰にすべきか?
ディルヴァやミルちゃんも考えたが、ここは部外者を入れずに管理する事にした。
即ち、この船の正当後継者である美澄珠夏もといミシュカ。長きに渡り竜達の旗頭としてあり続けたシテン。そして責任を持つべきベルツェリーアの3人だ。
そんな訳で、先ずはミシュカと対話する。
そろそろ起こしても良いよね?
竜寝殿に降り立って本を取り出し、ミシュカを召喚した。
現れたそれを横抱きに支え、魂を突っつく。
ミシュカはゆっくりと瞼を持ち上げた。
「…………」
その鮮やかな緑の瞳は、僕を認識するや零れ落ちそうな程に開かれて。
「おはようミシュカ」
「…………ぉ、ぉぁぅ……ごじゃます……」
「緊張してるの? 取って食べたりしないから安心してね」
ミシュカは竜寝殿のコアと半ば接続状態にあった為、ミシュカイコルに情報が入っている。
つまり、本の中で寝てる間に直近の情報の整理は終わってる筈だから、僕や賢者達、竜達の事を把握している。
ミシュカはおっかなびっくりとした様子で、此方を見上げている。
「……あ、あの……下ろして……」
要請に従い自立させるも、ふらついたのでそれを支える。
密着度が増し、その綺麗な翡翠の瞳と目があった。
「ぁ、ぅ……」
ミシュカの瞳か神気を帯び、微かなオーラを纏って発光する。
すると段々とミシュカの表情が緩んで行き、ぼーっとした半開きの目と口は心ここに在らずと言うに相応しい。
僕はその唇を人差し指で押し上げ、その視の力を遮断する様に瞳に神気を込めて覗き込んだ。
はっと戻って来たミシュカが、頬を朱に染め一歩後退るも、僕が腰を支えている為下がれない。
「あ、あの……ちょ、やめ……」
「ミシュカ。僕をもっと、良く、見て」
瞳の神気を高めると、あちこちに視線を逸らしていたミシュカの瞳が真っ直ぐ僕の瞳を見詰め、共鳴する様に神気が高まって行く。
ふむふむ……緑の瞳は活性化すると、肉体やその少し周り、即ち装備品等の魂魄が活性化され、その勢力を増そうとして行く様だ。
ミシュカはアジムスの一種だから体内を流れる血にイコルが含まれているし、その上帝級の竜核がある。
瞳の力はイコルの増幅と竜核の質向上に向けられている様で、特に強い反応を見せている。
そんな観察をしていると、つんと鼻先がぶつかり、現実に引き戻される。
僕は動いてないから、ミシュカの方から近付いて来た様だ。僕に引き寄せられたか。
我に返ったミシュカは、顔を真っ赤にしていた。
「あ……う……」
パチリとウインクしてから離れると、今度こそミシュカは膝から崩れ落ちた。
「はぁ、はぁ……」
胸に手を当てて荒い呼吸をするミシュカ。
暫く待つと、息を整えて立ち上がり、僕をじっと見据えた。
「あの……助けてくれてありがとうございました」
ペコリとお辞儀するミシュカに僕もにこりと微笑みかける。
「どういたしましてと言っておくよ」
ミシュカは申し訳なさそうに眉根を寄せ、苦笑いした。
「ごめんなさい。見れば見るほど魅力的で、無遠慮に見詰めてしまって……」
「もっと見ても良いんだよ」
「え? 良いんですか? …………」
「後でね」
「は、はいっ」
……不思議な子だな。
改めて居住まいを正し、キリッとした顔でミシュカは此方を見る。
「……一つ、問いたい事があります」
「聞こうか」
「お父さん……賢者グリエルは…………亡くなったのですね」
「そうだね」
覚悟を備え、確信を持って紡がれた言葉に、僕は軽く頷く。
翡翠の瞳がうるりんと光った。
その手は強く服の裾を握っている。
「…………お父さんは、安らかに逝けましたか?」
「僕はその情報を持たないが、事実だけは言える。賢神グリエルは一度アンデットとして蘇り、僕やデュナーク、ザイエと戦った」
「っ!? そんな……」
酷くショックを受けた様子で、茫然自失となるミシュカに話を続ける。
「悪魔の計略により不浄が増幅され、地下墳墓の最下層に埋葬されていた賢神グリエルはアンデットとして蘇った。不可抗力であるとも言えるが、そもそも心残りが無ければ、数百年もの間体に魂が残ったりする訳がない。1度目の死はさぞ無念だったろうね」
そう言い切る前に、ミシュカの綺麗な目から涙が零れ落ちた。
声は漏らさず、しかし決壊した様にボロボロと涙が溢れ出る。
「賢神グリエルはアンデットの時に、ミシュカやデュナーク、ザイエ、それからエイジュとマリテュールを殺して味方にし、苦しみに溢れた世界を終わらせると言っていた。グリエルは君が生きていると信じていた様だね。無念の原因は、君がいなくなった事と無関係ではないだろう」
「ぁ、う、うぅぅ……!」
父と慕う者の死が穢された原因は自分にあると告げられ、自責の念に押し潰されて泣きじゃくる。
その様は見た目相応の幼子に見えた。
「でもねミシュカ。グリエルの2度目の死は、とても安らかな終わりだったよ」
蹲るように、心を閉ざす様に下を向くミシュカの頬に触れ、後から後から溢れる涙をそっと掬い、視線を合わせた。
「彼は幸運にも、僕に出会った」
賢神と讃え称されるグリエルは、その魂に神性を宿し神格を持っていたに違いない。
そんな彼が、僕を見て、全てを託す事に決めた。
「彼が背負い切れなかった物。果たせなかった責務。守りたかった世界。その全ては、僕が貰い受けた」
僕はミシュカを抱き締めた。胸元に涙が滲む。
「彼は最後、笑って逝ったよ」
ミシュカの手が、僕の服を掴んだ。
「僕とデュナーク、ザイエが看取った。グリエルは、君と、君達の幸せを、何よりも強く願っていた」
頭を撫でると、ミシュカの手が背中に周り、強く抱き締められる。
声を殺し、嗚咽を堪え、涙を止めようとするミシュカを強く抱き、耳元に囁く。
「ミシュカ。泣いて。後悔して。懺悔して。僕はグリエルになれないけど、彼の様に、君を愛するよ」
ただ深く、心に声を響かせる。
「ミシュカ。寂しくなったら抱き締めてあげる。悪い事をしたら叱ってあげる。嬉しくなったら一緒に笑おう」
魂を繋ぎ、ずっと、その奥へ。
「ただ今は、君の悲しみを、一緒に背負わせて?」
「う、うぇ……おと、お父さっ……うぇぇぇっ……!!」
ミシュカの泣き声は蒼穹に溶けて消えて行く。
広がる青は、優しく包み込む様に、ミシュカを抱き締めていた。




