61話 血の気配
翌日。
日が昇る前には身支度を終え、馬車に乗り込んだ。
御者台にはレーガンが座り、それ以外の皆は荷車に乗っている。
目指すは魔国の南方にあるランサ砂漠だ。
獣人の住まう熱帯地域に近く、また雨も少ないことから砂漠となっている。
魔国の領土の二割がこのランサ砂漠だった。
「あー、あっちぃ……」
御者台のレーガンが呟く。
つい先ほどまでは厚い雲に覆われた空だったというのに、今では燦燦と太陽が輝いていた。
まだ昼にもなっていないのだが、既にこの暑さである。
これから向かう地は今よりも暑いのだから、なおさら嫌になっていた。
「これならオレもウィルハルト王子の警護をすればよかったなあ」
「情けないな」
馬車の中からセレスが顔を覗かせた。
「ミスリルプレートの冒険者がこの程度で泣き言を言うな。その軽装なら、風に当たれば問題ないだろう」
「けどよお、暑いモンは暑いって。あー、あっちぃなあ……」
手でぱたぱたと扇ぎながらレーガンが呟く。
セレスを見れば、近衛騎士団長の証である鎧を身に着けていた。
レーガンは顔をしかめる。
「それ、さすがに暑くねぇか?」
「これは大切なものだ。この程度のことで外すわけにはいかない」
「けどよ、それで倒れたら元も子もねぇって。外すのが大変ってんなら、オレが手伝うぜ」
心配するレーガンに、セレスはきょとんとする。
そして、頬を真っ赤に染めて慌てふためく。
「こ、この鎧の下は軽装だが、軽装すぎるというか、なんだ。要するに、えっと……」
「下着、ってことか」
「……そうだ」
涙目で頷くセレスに、レーガンは慌てて頭を下げる。
十分ほど謝り倒してどうにか許してもらい、レーガンはほっと胸を撫で下ろした。
そして、思いついたようにセレスの顔を見つめる。
「なあ、セレスさんよ」
「なんだ」
「魔法で涼しくとか、できねぇか?」
レーガンの問いにセレスはため息を吐いた。
「私は炎魔法しか使えないが、それでも良いなら喜んでしよう」
「うわ、わかったから、俺が悪かったからやめてくれ!」
慌てて頭を下げるレーガンが可笑しくてセレスはくすりと笑う。
そして、虚空に術式を描いた。
「――涼風」
レーガンの体を涼しい風が癒す。
暑さから解放され、レーガンは気持ち良さそうにしていた。
「けどよ、頼んどいてなんだけど、これ維持すんのは大変じゃねぇか?」
「これは礼だ。私のことを心配してくれたからな」
セレスはそう言うと馬車の中に引っ込んでしまう。
暑さが気にならなくなり、レーガンは気分良く馬車を操縦出来た。
しばらくして、前方に町が見えてきた。
ランサ砂漠では唯一の町だった。
だが、町というよりは集落と言う方が正しいだろう。
獣人族の住まうこの場所は、魔国領ではあるが獣人が住んでいた。
だが、町に近付くにつれてラクサーシャの表情が険しくなっていく。
「なあ、旦那。どうしたんだよ、そんな難しい顔をして」
「嫌な予感がする。何か、あまり良くない事が起きている」
その予感はすぐに正しかったと証明される。
御者台のレーガンが驚いたように声を上げた。
「おいおいマジかよ! こんなのってあんまりだぜ!」
「どうしたん、です……ぁ」
ベルが馬車の中から顔を出した。
そして、その表情が固まる。
獣人の住まう集落。
それがなぜ、こんなにも赤く染まっているのだろう。
レーガンが慌ててベルを馬車の中に押し戻す。
その光景は、ベルに見せるようなものではなかった。
「ラクサーシャ。オレが見てくるから、ここで皆を見ててくれ」
「待って。あたしも行くわ」
一人で行こうとするレーガンをエルシアが引き止める。
エルシアの事情を旅の途中で聞いていたレーガンは、静かに首を振った。
「だめだ。嬢ちゃんに見せられるようなモンじゃねぇって」
「あたしは平気よ。それに、気になることがあるし」
「けどよお」
困ったように腕を組むレーガンにセレスが声をかける。
「私も同行しよう。それならば、何か問題が起きても対処できる」
「うーん、しかたねぇ。なら、三人で行くか」
「……子ども扱いされるのは不本意だわ」
エルシアがポツリと呟き、二人の後を追う。
獣人の集落の近くまで来ると、改めてその異常性が窺えた。
そこら中の建物に血飛沫がこびり付いていた。
咽返るような濃い血の臭いにレーガンとセレスは顔をしかめる。
「惨い。あまりに惨すぎる」
「ああ、酷いもんだ。人間の所業じゃねぇ」
辺りに転がる無数の死体。
いずれも腹を切り裂かれ内蔵を露出していた。
大人も子どもも、性差も地位も。
そこにあるのはあまりに不条理で平等な死だった。
エルシアは臆することなく死体に近付いていき、開かれた腹部に手をねじ込んだ。
血が跳ねて頬を伝うも、全く気にする様子はない。
背後で二人が顔を引きつらせているのを気にも留めず、エルシアは内部を漁った。
「……無いわね」
「何がねぇんだ?」
「魔核よ。この様子だと全部回収されているでしょうね」
エルシアは腕を引き抜くと、血塗れになった手を握り締めた。
周囲の死体も同様に魔核が抜かれているのだろう。
水魔法で血を洗い流し、エルシアは首を振った。
「どっちがこの惨殺を行ったのか。それが問題よ」
「魔国か、帝国か。地理的に見れば、第一王子派の所業と考えられるだろう」
「普通に考えればそうでしょうね。けれど、これを見て」
エルシアが近くにあった死体を指差す。
二人は顔を背けたい気持ちを堪えて死体を見る。
「この残痕は剣によるもの。魔国の戦力は魔術師が大半。なら、普通は魔法で殲滅しているはずよね?」
「確かに。となると、帝国の指揮官あたりがこの地を訪れたと」
「ありえない話じゃないわ。指揮官は少数で国外に出ることもあるみたいだし、ちょっと前に国外に出たって話はクロウから聞いたわ」
その情報は以前、王国に滞在していたときにヴァルマンから報告されたものである。
エルシアはラクサーシャたちに合流してから、そういった情報をクロウから聞ける限り聞き出していた。
「ってことはよ、この周辺に帝国の兵がいるってことか?」
「十中八九そうでしょうね。で、帝国の兵がここにいるってことは、目的は一つ」
「ガーデン教の遺跡かよ」
レーガンの言葉にエルシアは頷く。
明確な危険が待ち受けているというのに、エルシアは笑みを浮かべていた。
「良い機会よ。この憎悪をぶつける場所がなくて困ってたんだから」
目的の変更はせず、そのまま遺跡へ向かう。
帝国の兵に遭遇できたならば、溜め込んだ憎悪をぶつけたいと思っていた。




