突入
そのアカーシャは現在、蛇蝎城の正門を炎の魔力で打ち破り、威風堂々と城内への侵入を果たしていた。
彼女は荒れ果てた巨大な回廊を、圧倒的な威厳を放ちながらずかずかと歩み続けている。数日前に、シュネイデル率いる特別舞台の男たちが辿ったのと同じルートの回廊を──。
まだ昼間だと言うのに、完璧に遮光された城内は不気味なまでに昏い。回廊のあちらこちらからは、城に巣食う何者かの妖気や殺気が探るように飛び交ってくるのが感じられた。
だが、アカーシャはそれらには目もくれず、前だけを向いて歩き続ける。
おそらく雑兵たちには、下手に魔少女に手を出さぬよう司令が下っているのだろう。
この戦いは本来、魔王リュネシスとその麾下である六人の戦士たち──そして、魔女王ラドーシャとそれに従う六魔導の大悪魔たちとの単独同士の戦いが約束されているのだ。
もっとも、アカーシャと並の魔物たちとの力の差を考慮すれば、独断で彼女に戦いを仕掛けられる者など最初からいるはずもない。
夜目がきく魔少女の紅い魔眼が、闇の中うっすらと光を放つ。暗視能力を持たぬ常人が見れば、それは暗闇の中でふたつの紅玉が宙を舞っているかのような幻想的な光景に映ったであろう。
その対となった魔眼の紅玉は、悪逆非道な城の主を探し求めるように真っ暗闇の中をどこまでも進み続けていく。
「?」
いつの間にか回廊の突き当りにまでたどり着いたアカーシャの眉が、わずかに跳ね上がった。そこは、ボロボロに朽ちた巨大なシャンデリアの垂れ下がる広い空間だった。
魔少女の目の前に広がる床のそこかしこが、闇の中べっとりとどす黒い血で塗れている。
アカーシャはしばらくそれを見つめてから腰を下ろすと、血溜まりの広がる床を白い指先でそっとなぞった。
──これはシュネイデルたちの血痕……彼らはこの場で惨殺された?
血に残る記憶を探り薄目にした瞳を淡く光らせる魔少女が、意識を過去に飛ばして思索にふける。血に触れるしなやかな指先を伝わり、男たちが味わった恐怖や絶望などの負の感情が、彼女の中にどっと流れ込んでくる。
だが同時に、瞑想状態で動きを止めていたアカーシャの超感覚が、まだそれなりの距離を置きながらも、こちらに近づいてくる何者かの凄まじい気配を捉えて──直後、ハッと我に返った魔少女の数歩先から強烈な殺気が迸った。
「「ようこそ我らの蛇蝎城へ」」
その言葉に呼応するかのように、シャンデリアの明かりが灯った。
すると広間の片隅まで眩しい光が行き渡り、蘇った照明の真下で、似通った姿のふたりの半裸の娘たちが佇立していたのだ。
見るからに凶悪な雰囲気を漂わせた娘たちである。
艶のある浅黒い肌。全身にくまなく描かれた歪なまでの入れ墨。髪の色だけは対象的な赤と青で、それぞれの頭部に生える二本の短い角が、このふたりが邪悪な鬼の眷属であることをはっきりと示していた。
「あたしはアミラ」
「あたしはデミラ」
赤い髪の鬼が、余裕しゃくしゃくといった感じで名乗りを上げると、それに次いで青い髪の鬼も、自身の名前を得意げに告げた。
「これはこれはアカーシャ姫。高名なるあなた様に、我らが城にお越しいただけるとは光栄の至り」
アミラが悪意たっぷりにニヤリと笑い、デミラもばかにするように口元を大きく下品に歪めた。
「ああ……もう気づいちゃってる?そこにある血はあんたの知り合い共の血なんだよ。うちらがぶっ殺してやったのさ。ね、姉ちゃん?」
鬼たちのふざけた態度を受け、アカーシャの瞳の奥が密かに烈しく燃え上がり始めた。赤い殺意のオーラが、全身から立ち上っていく。
だが、アミラはさらに冷やかしを交えた様相で、魔少女になめた言葉をかぶせていった。
「この城は別名魔封じの城──精霊力の働かないこの場所では、あんたの得意な炎の呪文は一切仕えない。つまり今のあんたは、ただのか弱い女と言う訳さ」
「あんたもここでぶっ殺してやるよーっ!」
黒い瞳に狂気を宿らせた青鬼デミラが、待ちかねたかのように、目にも止まらぬ速度で突進を開始した。
指先までぎっちりとした筋肉で溢れる大きな掌をぐわっと開き、一息に間合いを詰める。ぶん、と音を上げて振るわれた右腕の掌が、瞬時にアカーシャの頭をがっしりと掴んでいた。
「あたしらの握力ってさあ、軽く一トンはあるんだよ。やばくない?」
お得意の決まり文句を吐きながらデミラは、自分の力に驚愕して命乞いをするであろう惨めな魔族の姫を想像し、恍惚となりかけていた。
彼女は自分の圧倒的力に屈服した相手を、さらにいたぶる行為に激しい快感を覚えるという、まともな女性とは程遠い歪んだ趣向を持っていた。
だが、その快感の波は一瞬で断ち切られた。
魔少女の白い手に握り返された青鬼の腕が〝ぼきり〟と音を立てて、いとも簡単に肘の先からへし折られてしまったからだ。
「ぐわーっ!!」
城中にデミラの絶叫が響き渡った。
「ふ……」
微笑みを浮かべるアカーシャの手には、デミラの体から引き千切った大きな右腕が、切断面からぼたぼたと血を流した状態で掴まれていた。
たおやかな見た目からは想像もできぬ、あまりに桁外れな魔少女の腕力だった。
アカーシャはそれを、つまらなそうにポイと投げ捨てた。ピクリ、と捨てられた右腕が、床の上で虚しく痙攣する。
「愚か者どもめ。たとえ魔法を封じられたとて、お前たちごときの力で、この私に勝てると思ったか……」
「ひ……」
妹に任せてふんぞり返るように観戦していた姉のアミラが、恐れに引きつった顔で二、三歩後退りした。
ずっと以前、主であるメデューサの供をした時に見たことがある──あの、恐怖の覇者ラドーシャの面影が、漆黒の魔少女の凄絶な笑みの底に、今はっきりと感じとれたからだった。
「てめえ!!なんてことす……」
負け惜しみのようにデミラが叫びかけたが、その声は途中で遮られた。
〝ぐさっ〟と音を立て、胸をアカーシャの刃のような貫手で、正面から背中まで刺し貫かれたからだった。
青鬼の心臓が、魔少女の白い掌に鷲掴みにされて抜き取られる。それは皮肉なことに、彼女が無惨に殺した男たちと全く同じ死に様だった。
「ひい!」
逃げようとするアミラの赤い髪を、アカーシャは血まみれの手で素早く掴んで自分の方に引き寄せた。
「いまさら逃げるな」
ぞっとするほど低い声で言って、アカーシャはアミラの耳元にふっと息を吹きかけた。
「特別に助けてやろうか?私は意外と優しいのだ」
恐怖で首を必死に縦に降りつつ、すでに涙目になったアミラの顔を、アカーシャはこれ以上ないほど冷たい笑みを浮かべながら覗き込んだ。
「あまり時間がない。おまけに、この城は思ったより広いな。死にたくなければ、メデューサの元にまで私を案内しなさい」
言い終えた魔少女の顔が冷酷なまでの無表情に変化したのを、赤鬼アミラははっきりと見て震え上がった。




