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エテルネル ~光あれ  作者: 夜星
第七章 蛇の女王
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アカーシャの宣言

 翌朝、日もまだ明けぬ頃。


 魔王リュネシス率いる戦士たちは、イスカリオーテを目指しヴァルネリア領内を北上していた。アカーシャが受け取った不吉な幻像(ヴィジョン)が、彼らを急がせた。先を進んだ安否不明のシュネイデルたちに追いつくために──。


 灌木(かんぼく)まじりの荒れた平原を、なんびとにも邪魔立てさせぬ烈風(れっぷう)の勢いで、七人の戦士たちが駆け抜けていく。それはさながら、かつて地上を席巻(せっけん)した王者である若き魔王の底しれぬ威厳に、あらゆる者たちがひれ伏して避けているかのごとく。


 実際に、彼らの侵攻をさまたげる者はいなかった。


 だがそれは、邪悪な者の(ぼう)(りゃく)から成る〝死の兆し〟なのかも知れぬ。

 すべてを承知しているのか、魔王リュネシスは恐ろしいほど静かに構え、ただ黙然もくぜんと突き進んでいた。指揮官であるアカーシャもまた──。


 着実に進行していく一行は、やがてイスカリオーテの街並みが視認できる、ゆるやかな丘の上に行き着こうとしていた。ここを超えれば、目的地であるイスカリオーテにたどり着く。

 すでに高く昇った日に照らされ、辺り一帯は陰を失っていた。その丘を戦士たちは自然体に──だが、地の上を吹き抜ける風の(はや)さで突破して行く。


 その先頭を切る、アカーシャの〝グルファクシ〟が、突如(とつじょ)として足を止めた。彼女の停止の合図とともに、一団もぴたりと動きを止める。


 いつもの表情と変化はないが、アカーシャの眉が微かにひそめられている。常人なら、けしつぶほどにも視認できぬ距離を置いているが、漆黒の魔少女の超視力は、彼方にある()(さい)な異常を確実に(とら)えていた。


 紅い瞳が見据える先──イスカリオーテの街の入口に位置する場所に、大地の上に()えられた黒い異物が存在している。

 魔少女の目でもってしてもここからでは、ほんの小さな影にしか見えないが、それとの距離を考慮するとかなりの大きさであることが(うかが)い知れる。


 対象物に焦点を合わせようとするアカーシャの魔眼が、原色の(しん)()から金を宿すきらめく(あか)へと急速に収縮される。するとそれは、何らかの集合体に変わって見えた。元々個別にあったものを、無理やりひとつに寄せ集めたと思しき集合体に……。


 その〝(かたまり)〟に動きはなかった。

 しかし、〝塊〟は様々な色が混ざり合っているように見受けられた。それ自体の中に、明るい色、暗い色を含めて、ありとあらゆる色が閉じ込められ、不調和なひとつの黒として染め上げられていたのだ。


 いつの間にかアカーシャのさらに前に、魔王が進み出ていた。張り詰めていた男の(かお)が、さらに険しいものとなる。

 すでにふたりには、遠い前方にある謎めいた〝塊〟が何を意味するのか、それとなく察しがついていた。


「やはり私たちが、今ここに来ることをメデューサは予想していたようね」


 アカーシャの言葉が終わらぬうちに、〝白夜〟の脇腹を蹴り、魔王は駆け出していた。

 続いて魔少女の〝グルファクシ〟も、後を追うように走り出す。残る戦士たちもふたりに遅れを取るまいと、いっせいに馬を前に進ませた。


 彼らが距離を詰めるごとに、〝塊〟は大きくなっていく。

 誰の目にも次第に(めい)(りょう)になっていくそれは、先に走るふたりの〝不吉な予感〟を具現化させた悪意と憎悪──そして、底しれぬ呪いの〝(かたまり)〟であったのだ。


「……なんだよ?ありゃあ──」


 初めに驚きの声を上げたのはヴォロスだった。


〝塊〟からは、ところどころに手と足が生えていた。それは、(まぎ)れもなく人間の手と足ではあった。

 だが、生きている正常な人間の手と足ならば、釣り合いの取れた一対でなければならない。

 それなのに塊からは、中途半端に石化した肉塊を中心にして、あちらこちらから()(ぞろ)いな手と足が、しかも手首も足首も切り取られた状態で、にょっきりと飛び出しているではないか。


「うそ……え……え……嘘でしょ!?」


 すでに目の前に迫りくる〝塊〟の意味を理解しながら、それをまだ認めようとはしたくないルナの全身が(きょう)(がく)に震え、体中から冷たい汗が吹き出していた。

 トラウマになりかねないショックを受けて、少女の(どう)()が一気に跳ね上がる。


 そう。やはりそれは、集合体であったのだ。


 十人分ほどはあろう(あま)()の死体を寄せ集め岩のように固めて、巨大な肉の団子に仕立て上げた〝死肉の塊〟──それは目にした人間に、一体こんな残酷な行いをいかなる者がやったのかと戦慄(せんりつ)させる、身の毛もよだつ悪魔の所業であった。


 あまりの光景に、間近にまで来た誰もが息を呑んで立ち尽くしていた。

 血と人肉と臓物の混ざりあった、なんとも言えない()(しゅう)が辺りに(ただよ)い、戦士たちの()(こう)をつく。死肉にむらがる多数のはえが辺りをうるさく飛び回り、そのむごたらしさをさらに際立たせた。


 ベテルギウスの表情が、愕然(がくぜん)と強張った。この残忍過ぎる死体の山は、エリュマンティスから派遣された特別部隊の()れの果てだと瞬時に察したが、言葉を失い凍りついていた。


 ライガルの()(けん)に苦悩の(しわ)が刻まれる。この世界の終わらぬ悲劇を想う巨人は、痛々しく空を仰ぐと拳を握って歯を(きし)らせた。


 ルナはひとり馬を降り、離れた場所まで走って行くとうずくまった。下を向いて突然〝うえっ〟と奇妙な声を()らし、涙を流しながら口から(おう)()(ぶつ)を吐き出していた。


「ひでえ……酷すぎる……て、大丈夫かよ、おい!」


〝塊〟を見つめながら呆然(ぼうぜん)とつぶやいていたヴォロスだったが、ルナのさんじょうに気づくと側まで行って、心配そうに背中をなでた。


 アカーシャは〝塊〟をにらみながら、低く唸り声を上げていた。その白い手のひらは開かれたままだったが、凄まじい怒りの力が指先にまで(はし)りぬけ、闇の電光をまとって〝ピシッ〟と鳴った。


 戦士たち全員が激しく動揺している中、黙したまま微動だにせず〝塊〟に視線を投げかけていたのは魔王だけだった。

 だが、ややあってその一角に、探していたものがあることに気づく。彼は馬を降りて近寄っていくと、ぐっと目を()らした。


 眼前にあるのは、押しつぶされ()(もん)に歪む男の顔である。まだ(かろ)うじて原型を保ち、実直そうな雰囲気を残している表情にはなじみがあった。


 感情を表に出さぬはずの魔王の目が、わずかに見開かれる。

 まぎれもなくそれは、近衛隊長シュネイデルの変わり果てた姿であったからだ。


「うっ」


 おし殺したうめきを()らしながら、惨めな(むくろ)と化したシュネイデルを(ぎょう)()して、さしもの魔王もしばらくは動けぬままでいた。


 そんなリュネシスの側に、ディーネがそっと歩み寄って来る。


「かわいそう……本当に……どうしてこんな……」


 ディーネは言葉をつまらせ、涙を(ぬぐ)うように目頭を押さえた。


 だが、抑えがたい(あお)いしずくがほろりと(こぼ)れ、澄み切った紺碧(こんぺき)の瞳を濡らす。細い肩を震わせて、忍び泣き続ける彼女の存在で、辺りの空間により深い哀しみが満ちていくようだった。


 やがてディーネはその場に(ひざまず)くと、やしの呪文を唱えだした。

 無惨に殺された男たちの魂が安らかならんことを祈って〝全能の舞姫〟の異名で知れる精霊の喉から、慈愛の調べが(つむ)がれる。彼女は緩やかな動きで〝光の杖〟を振りかざした。杖の頂きの蒼白い月が神秘の力を得て発光する。すると肉の塊全体が、清浄な光に包まれて──。


 巨大な肉塊が、ゆっくりと音もなく崩れ落ちていく。腐りかけていた肉体は清められ、無理やりひとつに結合された死体の岩山が、個々の亡骸へと戻っていく。


 同時にそれらは、やわらかな聖光の中で天へと立ち上っていく(もや)を発生させた。

 霧状のものは安らいだ表情を浮かべる人間の形をしている。蛇の女王の呪いから開放された戦士たちの(たましい)であった。そうして岩山も霧も、いつしか自然に溶けるように風化していく。


「灰から灰へ……ちりから塵へ……せめて彼らが、これ以上傷つけられることのないように──」


 死者を(いた)むディーネの安らぎの旋律(せんりつ)が、合わされた手と共に優しく静謐(せいひつ)に締めくくられた。

 最後に一陣の風が流れ過ぎた時には、まるで最初から何もなかったかのように、すべてはきれいに消え去っていた。


 大いなる奇跡の一幕を目の当たりにして、ぽかんと口を開けて尻餅をついていたルナの元に、アカーシャが柔らかい表情で近寄って行く。


「大丈夫?」


「はい……ごめんなさい。こんな時に、はしたない態度取っちゃって」


 少女は恥を忍ぶように(こた)えると立ち上がった。


 だが幸い、吐き気はもう治まっている。水の精霊の癒やしの波動は、その近くにいたルナの体調にも影響して、彼女の悪心をすっかりと洗い流していたのだ。


「何を言ってるの?あなたはちゃんと頑張ってるじゃない」


 アカーシャは、少女を元気づけるように微笑んだ。


 だが、それは次の瞬間、(しん)()の炎を宿す美貌に変わって、イスカリオーテの荒廃した街並みに向けられる。

 アカーシャにつられて、ルナも暗黒の街に視線を向けた。そこは今や、あからさまな邪悪な意思をあらわに、徐々にありさまを変化しようとしていた。


「ルナ。あなた、わたしたちに並び立ちたいと言っていたわね」


「あ……はい」


 アカーシャの声はひどく冷静だった。その表情は怒りに燃えているが、まるで動じてはいない。


 しかし対象的に、無数の足が地を踏む音が響き渡り、殺風景に広がる街の景観を割って、地獄からの使者の群れが少しずつ姿を現し始めていた。


「それが、どういうことなのか……これから始まる戦いをよく見つめて学んでおきなさい。六魔導のひとり蛇の女王メデューサを──あの(ざん)(ぎゃく)()(どう)な許しがたい女を──今から私が、一時間以内に倒す!」


「い、一時間って……そんなの無理に決まってんじゃん!だってあれ──」


 力強く言い切ったアカーシャに対して、少女が前方を指さしながら抗議したのも当然だった。

 

 すでにルナの見る光景はガラリと塗り替えられている。この荒廃しきった街のどこに、これだけの伏兵がいたのかと思えるほどの、数多の兵士たちの出現によって。


 やはりすべては、メデューサが仕掛けていた罠だったのだ。


 現れた敵の総数三万あまり──その者たちは黒い鎧に身を包み、黒い凶器を握りしめ、黒地に赤糸で刺繍された蛇の姿を描いた旗印を(かか)げる、見るからに凶悪な空気を漂わせた兵士たちだった。

 中には人とも蛇とも区別のつかぬ、ひときわ巨大な異形の魔物なども入り混じっている。


 彼らは、選ばれたヴァルネリアの精兵たちであった。

 蛇の女王直属の恐れを知らぬ三万余りの大兵力が、この決戦のために温存されていて、七人を押し包むように地を踏み鳴らし、唸りを上げながら迫り来ていたのである。


 十二年前のアルゴス侵攻軍をさらに上回る、六魔導メデューサ麾下きかの最強の兵士たちであった。


「へっ。やっとお出ましかよ──」


 ヴォロスは腰にはいた剣に手をかけながら、不敵な笑みを浮かべた。

 彼は同時に斜め後ろに目線を送り、怒りに湧いた貌で敵を迎え討とうとする魔王を押し止める。


「リュネシス。キレるのは分かるがよ。まぁここは、おれ様に任せとけって。総大将のおめぇが簡単に動いてどうすんだよ……て、うん?」


 こんな時でも陽気な態度を崩さないヴォロスの脇を通り過ぎ、双頭守護神のふたりが前に進み出た。


 ベテルギウスの長身が銀色に燃え上がっている。

 悪辣(あくらつ)極まりない魔物たちへの激しい感情が、冷静なはずの賢者を奮わせていた。

 すでに呪文発動のための精神集中を完了し、多数の敵を一息に殲滅(せんめつ)させるための呪文詠唱の仕上げられた一音が唱えられる。


光子速射砲(ミリスティ)!」


 顔の前でクロスされた腕が前に突き出されると同時に、白銀の賢者の十指の先から無数の光の矢が放たれた。

 その一発が並の人間ならば、かすっただけで致命傷となるほどの魔法の矢(マジックアロー)が立て続けに射出され、右前方にいる二百名以上の兵士たちを一瞬にして刺し貫いた。


 蛮勇でなるはずの三万の黒色兵たちに、どよめきが(はし)る。彼らから見れば、何が起こったのか理解するまもなく前方の一軍団が一掃された。

 さらに放たれるおびただしい数の光子は、少しも途切れることなく後方の兵にまで撃ち込まれ、反撃の(いとま)も与えない。


 光の魔術を得手とするベテルギウスの攻撃呪文の中でも、特に高度な技能を必要とする対多勢への殲滅(せんめつ)魔法だった。


「ぬあああああああーっ!!」


 突如、大地を震わすかの雄叫びを上げてライガルが駆け出していた。

 ベテルギウスの攻撃範囲が及ばない左翼の集団を目指して、黄金の闘神が()(とう)の勢いで疾走する。目の当たりにすれば、たとえ獣であろうとも呑み込まれる、鬼のような気迫に満ちた形相で(おとこ)は突進した。


 岩山のごとき巨躯に、神から降りた黄金色のエネルギーが満ち溢れる。

 それだけでも立ち向かう雑兵程度なら触れずに打ち砕く力があるが、鬼神の真価が発揮されるのはここからであった。

 振り上げられた右拳がまばゆい光となって膨れ上がっていく。それはかつて、魔王軍をも恐怖に(おとしい)れた闘神ライガルの秘義のひとつ──。


()(りゅう)(こう)(しょう)(けん)!!!」


 振りかざされた剛腕からなる波動拳とともに、必殺の奥義が上乗せされて黒色軍団に放たれた。


 ひとりの人間の内側から生み出されたとは到底思えない、極大呪文に匹敵する巨大な闘気の閃光が、数多の兵を包み込む。

 (ほん)(しゅつ)された膨大な光が大地の上を疾りぬけ、魔法防御の鎧で固めているはずの兵団三百名を(またた)く間に消滅させた。


 さらに驚くべきことには先刻の攻撃に(かぶ)せる形で、凄まじい左拳の第二撃が瞬時に射出されたことだった。

 先ほど放たれた爆発的エネルギーに比べてもわずかも(そん)(しょく)ない同等以上の闘気の波動が、黒い海原のような大軍団を重ねて打った。


 黒色兵たちの叫び声が拳の轟音にかき消され、(ほとばし)る光の中に(ほふ)られていく。

 その波動の拳から(まぬが)れて決死の覚悟でライガルに打ち掛かる者もいるにはいたが、それも巨人にさしたるダメージを与えることもできず、直接振るわれる圧倒的な剛腕の前に次々となぎ倒されていった。


「あたしもやる!」


 善戦する双頭守護神の激しい戦いに目を向けながら、自分も力になるため剣を抜いて前に出ようとするルナの肩を、ヴォロスが軽くつかんでいた。


「まあ待て。だから、ここはイケメンのお兄さんに任せとけってよ」


「イケメンて誰が?」


 (するど)(にら)んでルナが問いかけた時には、大地の戦士ヴォロスは愉快げに笑いながらゆっくりと腰に()いた大地の剣を抜いて、豪快なまでの斬撃のモーションを取り始めていた。


「おれ様のことに決まってんだろうがーっ!!偉大なる(グレイト・)斬殺(スラッシャー)!!!」


 言い放たれた台詞セリフとともに、漆黒の大剣が真一文字に一閃(いっせん)した。


 刃状に(かたど)られた殺意の斬気が、ごぅと唸りを上げて黒色兵団の中心に向かって射出される。

 それは、たとえ何者であろうとも、けして逃れられぬ〝死の(あぎと)〟──この広い地上でヴォロスにしか扱えぬ大地の〝聖剣奥義〟による衝撃波が、エネルギーの横幅をどこまでも広げていって、軍隊のど真ん中を一時に()ぎ払う。


 はたから見れば解らぬが、受けた兵士たちだけには、体の中を何かが通り過ぎたかのような奇妙な違和感があった。


「求めよ、さらば道は開かれん……かな?」


〝大地の剣〟を振り抜いた格好で、ヴォロスが格好良くうそぶいた。


 見ていたルナがきょうがくにゴクリとつばを飲み込んだのを知って、男はどうだとばかりに少女に目線を送る。


 それは、不可思議な瞬間だった。


 (たと)えるなら、短い(とき)が空白をあけてすっぽりと抜け落ちたかのような……直後ほんのわずかのタイムラグもなく、黒色兵団中央の三千以上もの胴体が千切れ飛ばされていたのだ。


「道を開けたぜアカーシャ!こいつらごときに邪魔はさせねえ!!」


 ヴォロスの言葉が終わらぬうちに、アカーシャの姿は宙に溶けるように()き消えた。


〝びゅう〟と乾いた音をたて、イスカリオーテの()(かつ)(じょう)に向けて敵軍の割れた中央を()い、漆黒の風が駆け抜けて行った。






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