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エテルネル ~光あれ  作者: 夜星
第七章 蛇の女王
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それぞれの思惑

──くっそー……。


 進軍する馬の上で、ルナは親指の爪を悔しげに()んでいた。


 ここ数日間、(とど)めようもない思考が何度も何度も脳裏をめぐり、彼女をことさら(いら)()たせている。


──思い出しただけで最悪だ。あたしの人生最大の屈辱だ!


 少女は原因となった〝男〟の顔を、ななめ後ろからちらりとのぞく。


 ルナの見据みすえる先にいる〝男〟──魔王リュネシスは、少女の前を進み、精悍せいかんな表情で彼方を()かし見ていた。

 並の人間なら到底盗み見ることも許されぬ威厳を放っているが、それも含めて小憎らしく感じる。


──ああ……今更だけど、何であんな勘違いをしてたんだろう?あたしとしたことがーっ!!


 ルナは魔王から視線を外すと、頭をばりばりとかきむしった。


 今のルナは、魔王軍総帥アカーシャの指揮下という立場に置かれている。

 ルスタリアの王女として多少釈然としないものはあるが、それをどうこう言える状況にないことも解っている。


 ルナの指に()めている(今は薬指から小指に付け替えたが)炎の指輪は、元はと言えばその昔、アカーシャがプレゼントしてくれた物だったのだ。そのことで今まで、どれほどの恩恵を受けてきただろうか。アカーシャには感謝してもしきれないぐらいだ。


 だが、まだ若すぎるルナにとって、それを素直に態度と言葉に表すのは抵抗の方が大きかった。

 なにしろ指輪を長年、魔王との(ちぎり)の約束と勝手に思い込み、それを皆のいる前で口走ってしまったのだから。


──ぬがーっ!あたしの黒歴史だ……ルスタリア王女ルナ様の最低最悪の黒歴史だ!!


 少女は頭を抱えて悶絶もんぜつする。


 この一週間余り、旅の準備のためほとんど魔王に会うことがなかったので、考えないようにしていた苦い思い──それが、当の本人を目の前にして、まざまざとふくらんでくる。


 屈辱のストレスでよろめきそうになりながらルナはもう一度、魔王を(ぎょう)()する。


──つか、全部こいつが悪いんだ!やっぱりこいつは、この世の諸悪の根源だ!!


 いつの間にか少女は、ぶつぶつと呪いの言葉を唱えだしていた。


「殺す、殺す、ぶっ殺す!ブッ殺す!!」


 恨めしそうに(にら)んでくる赤い瞳に感づいて、魔王がわずかに少女の方に顔を傾けてきた。


 そこでハッと正気に立ち返り、慌てて彼から視線をそらす。ルナは、自分を落ち着かせるため、一旦深く呼吸をする。


──もういい。こんな奴のことはいい加減忘れよう。あたしの旅の目的はルスタリアの王女として、皆のかたきを討つことなんだ。こんなこと考えてる場合じゃないんだ!


 ルナは改めて口元を厳しく引き結ぶと、顔をしっかりと前方に広がる景観に向けた。


──母上と父上のかたきを、絶対この手で討ってやるんだ!


 その崇高な決意を感じ取ったのか、魔王は少女を刺激しないよう顔を元の位置に戻す。彼は、密かにふっと微笑んでいた。




 ぱちぱちと火の粉がはぜて、辺りが白く照らされている。


 さほど大きな焚き火ではないが、そこから広がる夜の明かりは、七人の戦士たちのつかの間のいこいとして、闇をさえぎるには十分だった。


 エリュマンティスを出立して六日目の夜である。


 単調な景色が続いた山あいの道をとうに抜け、魔王と彼に従う少数精鋭の戦士たちは、すでにヴァルネリアの中心地──イスカリオーテに接する平原にまで足を踏み入れていた。


 これは、一週間前に極秘の内に出立した特別部隊の動きを考慮すると、常識では考えられぬ鮮やかな進行であった。

 

 警戒するヴァルネリア兵にほとんど気づかせることなく、火のような(はや)さで国境も突破してきたのだ。万の兵の壁を無視して、まるで薄紙を突き破るが如く、またたくまに国内深くにまで侵入を果たしたのである。


 この機動力を実現できたのは、天才指揮官アカーシャの高度な作戦展開能力によるものであった。


 可能な限り無駄な戦いを排除し、最大効率と最短時間で目的とする戦果を上げる。それは口に出せるほど容易なものではなく、(けっ)(しゅつ)した指導力と広範囲の知識をもつ賢者ベテルギウスさえ(うな)らせるほど、指揮官として超高等(ハイレベル)に卓越した能力であった。


 そのアカーシャは今、焚き火の前で淡く輝く魔法の石版(タブレット)を手に、ひとり思索にふけっている。


 すでに全員が簡単な夕食をすませ、雑談を交えた食後特有の()(かん)した雰囲気が辺りに漂っていた。

 彼らの周囲には、水の精霊ディーネによる偽装呪文がかけられている。


 蜃気楼で辺り一帯を包み込むこの呪文は、近くに流れる川の水を利用して発生させた霧による現象であり、人間を含む並の魔物には到底見破ることのできぬ一種の結界のようなものだった。


 安全が保証された空間内で、戦士たちは一日の終わりを過ごしている。このまま順当にいけば明日にはもう、敵の本拠地イスカリオーテにたどり着き本格的な戦いに突入するだろう。


 (えい)()を養う意味でも、戦士たちの間でささやかな緊張感をはらみつつも、柔らかい空気が流れていた中──不意に発せられた女頭目の言葉は、否でも彼らを静まらせるものであった。


「……妙だわ」


 アカーシャは、深刻そうにつぶやいた。


「どうした?」


 誰とも話さず独り焚き火を見つめたままだった魔王が、ここで初めて口を開いた。


「出立前に(とら)えた敵の動きが顕著けんちょになりつつある。ただ、その意図する所が、どうしてもつかめない」


 アカーシャは魔法の石版(タブレット)に半眼を落としたまま、わずかに眉をひそめた。


「奴らの向かう先がはっきりしないの。アルゴスでも我が属国でもない。それでいて、こちらを陽動する動きとも思えない。規模はやはり二千人程度──でも、なんらかの極秘で重要な任務を帯びているのは確かよ。嫌な胸さわぎがするわ」


「そうか──」


 リュネシスも()(ねん)を抱いたように魔法の石版(タブレット)に目線を注いでいたが、しばらくたってから顔をアカーシャの方に向けた。


「だが、今は気にしなくていい。最悪の場合は私が動く。それまでは、こちらが認知していると悟らせぬよう泳がせておけ」


「そうね。わかったわ」


 低い声で応え、しばし考え深げにアカーシャは間をおいていた。

 魔法の石版(タブレット)に投影された軍隊に(うれ)えたわけではない。彼女にしか理解できない微妙で重苦しい気配(フィーリング)を、さきほどから感じていたからであった。


(姉さま……)


 突如、魔少女の背に悪寒が(はし)り抜けた。それは、背後から耳を誰かに舐められたかのような、気味の悪いかすかな声だった。


(姉さま……)


 二度目に聞こえたとき、アカーシャは耳をすまし、片手で軽くひたいを抑えた。


──誰かが、私を呼んでいる?


 魔少女は動きを止めて、目の前の闇にじっと視線を投げかける。

 そのアカーシャのひとみが、次第に魔性の朱の色を強めて輝き、意識が闇に引き込まれていく。皆が彼女の異変に気づき、いっせいに注視しだした。


(姉さま……私の美しいアカーシャ姉さま……)


 この時、アカーシャは呼吸も止めて、謎めいた声に対する逆探知の念を広げていた。


「どうしたの?」


 何も知らないルナが、忘我(トランス)状態になっているアカーシャを揺り起こそうと近寄り肩に触れたが、魔王が強烈な目配せで(さえぎ)った。

 初めて直接向けられた男の厳しい表情に驚き、少女は慌てて手を引っ込める。


 アカーシャの心が闇の中に溶けていく。深い闇の中から、彼女を呼ぶ声が聞こえる。それは、とてつもない憎悪を含んだ女の声だった。


(憎い……憎い……アカーシャ姉さま……)


 その声を発した者を探し求め、魔族の姫の念は赤い波動となって、夜の大地の上を駆け抜けていく。

 底しれぬ禍々(まがまが)しい気配……息をひそめながら、なおも無限に広がっていくアカーシャの探査の念の網に、やがてそいつは(とら)えられた。


(憎い……憎い……)


 魔少女の蜘蛛(くも)の糸に触れたのは、おぞましいまでの邪悪の塊である。その救いようのないどす黒い想念と、魔少女の漆黒の想念が(はげ)しく対峙する。

 似て異なる黒色の魂を宿す両者は、互いが命をかけた攻撃を狙いあって──そこで我に返った魔少女の目が、大きく開かれた。


「アカーシャ。大丈夫か?」


 アカーシャは倒れ込んでいた。リュネシスの腕の中で問われ、ようやく正気に返っていく。瞳に本来の赤い輝きが徐々に戻り始める。


「大丈夫よ……この私としたことが……」


 喪失状態から回復したアカーシャが苦く笑いながら、ゆっくりと体を起こした。


 仲間たちが心配そうに見ていたが、彼女の淀みのない余裕のある動きは、心身に何の弊害もないことを示していた。


「少し会話を交わしていたの。昔の知り合いとね……まさかあの子がこれほどまでの魔力を持つようになるとは……蛇の女王メデューサか……怨念の力だけなら六魔導一かもしれない。私としたことが、あの子の気味の悪い執念に当てられてしまったようだわ……ふふふ……」


 頭を(おさ)えた体勢のまま、アカーシャはしばらく辛そうに笑っていた。それはなぜか、見る者を〝どきり〟とさせるほどこの上ない色香を感じさせ、そばで眺めていたルナの胸を熱く打った。


 そんな、ことさら気にかかる様子で覗き込んでくる少女と目が合うと、アカーシャは口元をふっと緩ませた。


「本当に大丈夫よ。心配しないで……」


 密を含んだような声が、ルナの鼓膜をやさしく波打つ。敬愛する魔女に逆に気遣われ、少女はいたたまれない気持ちになっていく。


「あの……あたし……」


 本当はこんなきっかけを待っていた。でも、うまく言葉が出てこない。それでもルナは──。


「今更だけど指輪のこと……ありがとうございました」


「なあに?急に……」


 (いぶか)しげな顔を向けるアカーシャに、ルナはもう迷わず今できる精一杯の感謝の気持ちを伝えようとする。


「あなたに会ってから、少しずつ全部思い出したんです。ずっと昔あなたに助けられたこと……あの時あなたに頂いた〝炎の指輪〟のこと……今更なんだけど、本当にありがとうございました。今は、まだまだだけど、きっと……きっと……いつか必ず、あなたたちに並び立てるようにがんばります!!」


 深々と頭を下げるルスタリアの王女に、しばし困ったような表情を見せていたアカーシャだったが、すぐに穏やかな笑みに変える。


「ああ、あれはつい昨日のことみたいね。そう……私もよく覚えてる。あの時のあなたはとても可愛かったわ。あの時、助けてあげることができて本当によかった」


 同意を求めるようにアカーシャは、いたずらっぽく隣にいる魔王に目線を送った。


「ね、リュネシス?」


 魔王は『私に振るな』とばかりに目を()らしていたが、じっと見つめる魔少女に根負けしたのだろう。やや間をおいてから、仕方なさげにほんのわずかに(うなず)いてみせた。


「今は、もっと可愛いわよね?ね?」


 容赦(ようしゃ)なく追求するアカーシャの問いを、(こん)(わく)()()に無視するリュネシスだったが、ふたりの間にヴォロスが割って入ってきた。


(まった)くだ!できれば、おれがこの子と結婚してやりたいぐらいだぜ!」


 大男の(みょう)に気張った声が、()(こつ)な冗談をほどよい笑いに昇華させる。


 彼なりに親友であるリュネシスの助け舟を出してやったつもりだったが、少しキモいことを言ってしまったかもしれぬと、すぐに反省した。だが、下を向いてはにかんでいたルナが、以外にもぷっと吹き出して──それを受けて戦士たちも気持ちの良い笑いに誘われる。


 夜の闇が、恐れを知らぬつわものたちを包みこんでいる。その戦場の空に浮く半月の光は、彼らを見守るように優しく差し込んでいた。










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