蛇の女王メドゥーサ
百二十年前。
かつて、悪名高いバルガン王の恐怖の治世が始まった当初──。
ヴァルネリア国を完全に手中に収めたバルガンであったが、まだ求めて得られぬものがあった。
それは、ヴァルネリアの正当な王位継承者にして、太陽神の子の異名を持つ美しき王女メドゥーサである。
権力こそ手にすれどバルガンは、卑しき身分を出自としていた。元々は下位の兵団長に過ぎなかったのだ。
だが、王族の権力闘争により内戦状態が続いていたヴァルネリアにおいて立て続けに上げた功績により、異例の抜擢で将軍補佐役にまで登りつめた。
さらには巧みな策略を巡らせ上官であった将軍を失脚させると、新たな将軍としてその地位に就く。
そうして獰猛かつ明晰な頭脳を用い、王族の内紛により衰退化していく国を憂える将校たちを取り込んでいき、軍すらも支配下に置いた。
そのような過程で軍隊を掌握したバルガンは、敵対勢力を根こそぎ制圧し、王族の者たちをただひとりの娘を残しすべて処刑した。
その娘こそがメドゥーサだったのだ。
以後バルガンは自らが王を名乗り、独裁政権を樹立した。
しかし、いかに強引な手法を貫こうとも、バルガン王が下層階級の成り上がりであるという事実は変わらない。
そんなバルガンは、卑しいものが高貴なものに憧れるように、王女メドゥーサに異常なまでの執着を示した。
伝説の初代王ケートーの末裔である王女を手に入れ、その高貴な血筋にあやかりたかったのか。
あるいは単純に、ヴァルネリア一の美少女と名高いメドゥーサに懸想していたのか──。
ともかく、バルガンの次なる野望はメドゥーサだった。
男はあの手この手で娘を籠絡しようとした。
だが、いかに言い寄られようと、脅しすかされようと、誇り高き王女はけしてバルガンに身を許すことはなかった。
取り付く島もない娘の態度に対し、狂王と呼ばれる男にしては辛抱強く事に当たっていたが、それでも頑なに拒み続ける姫に業をにやし、最後は力でねじ伏せた。
非力な王女が凶悪な暴君に適うわけもなく、彼女は王の居室で押さえつけられあっけなく凌辱された。
そうして男の悦びをさんざん味わい尽くされた後バルガンに、自分の妃にしてやろうと嘯かれたのだ。
だが、そんな言葉になんの意味があろう?
誇りと純潔を奪われ絶望した姫は、城を飛び出し、大滝に身を投げ、自ら命を断った。
この忌まわしい事件は、王女の身代わりの娘をメドゥーサと仕立て上げ、バルガンの妃として城に迎えることにより長らく伏せられていた。
だが、恐ろしい遺恨が残った。
バルガンが魔王に抹殺され、ヴァルネリアに平和が戻った数年後──国内に古くより存在するひとつの秘教集団が、邪悪な力を持ち始めたのだ。
その集団は蛇の神を崇拝し、蛇の姿を象徴とし、蛇の教えを広めていった。
当初の教団は害のない団体であった。病の者を癒やし、貧しい者に恵みを与えるなどして、真っ当な宗教組織としての様相を呈していた。
そうして徐々に崇拝者を増やし、ヴァルネリア国内で相当数の信徒を獲得すると、その圧倒的多数により彼らは、議会において強力な発言権を得た。
これにより教団は、ヴァルネリアを統べる国教としての地位を確立していく。
だが、その後は、奇妙な方向に変わっていった。
ヴァルネリアは、その国名をヴァルネリア教国と改めることになる。
さらに王城は教団の所有物と化し、議会制は廃止され、それに変わり教団の高位の者による合議制が確立された。
すでにその頃には、誰も教団に逆らえなくなっていた。
以後、教団は狡猾な蛇のごとく、恐ろしい牙をむいてヴァルネリア全土を犯していったのだ。まるで最初から、その時を待っていたかのように。
教団は、信者たちに幼い生け贄を求めた。十二歳までの子供を──それも男児に限って、その肉と血を教祖に捧げるよう強要しだしたのである。
教祖は、得体の知れぬ若い女だった。
彼女は、奥の院と呼ばれる城の最奥にひそみ、けして姿を見せることはなかった。
ただその女は想像を絶する〝邪眼〟の魔力を放ち、貌は美しくも頭髪は無数の蛇で、見る者を石に変えると噂された。
女の名は、メドゥーサと言った。




