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エテルネル ~光あれ  作者: 夜星
第七章 蛇の女王
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近衛隊長シュネイデル

 アルゴスという国家の体制が、()らぎ始めていた。


 世界で(もっと)も繁栄する理想都市エリュマンティス──その昔、地上に降り立った()(てん)使()によって創設(そうせつ)されたと言われる伝説的国家アルゴスの、(そう)(ごん)()(れい)な巨大首都である。

 

 その大都市の片隅(かたすみ)から静かに、深く、確実に()(ぐろ)い衝動が侵食しようとしている。とてつもなく邪悪な者の呪いが、国家全体にまでかけられようとしている。


 そして、そこに住まう人々は知らなかった。

 それは、これから始まる大いなる最終戦争の幕開けに過ぎなかったことを──。


 正しき法王制度によりアルゴスは(あん)(ねい)(ちつ)(じょ)が保たれ、人々は豊かな生活を(きょう)(じゅ)していた。

 そして、若き魔王と魔女の存在は、あくまで幼子などに読み聞かせる、言い伝えの(たぐい)として語られてきた。


 彼らが実在するものとする他国との認識(にんしき)のちがいはあったが、鎖国に近い国内において、その差異(さい)を気にする者はほとんどいなかった。


 だが、ルスタリアの三人の戦士たちがエリュマンティスにたどり着き、魔王側とひそかな同盟を結んだ直後から──。

 ()(おん)な噂が国内を流布(るふ)し、多くの人々が動揺していた。


 それこそがアルゴス獲得(かくとく)に最も執着する、魔女王配下六魔導の一人、蛇の女王メデューサの仕掛けた狡猾(こうかつ)な罠であるとも知らずに──。


 ルスタリアが滅び、世界がまさに未曾有(みぞう)の激変の時代を迎えようとしている今、かつて百年もの長きに渡り、魔王に支配されていたという恐怖の事実が人々の記憶の中に(よみがえ)ろうとしていた。

 それは同時に、国家の(いしずえ)(くつがえ)そうとする見えない動きでもあったのだ。

 



 アルゴスの正しき(とう)()(しゃ)であるサムエル法王は、ルスタリアの王女と秘密の面会を終えた後も、日々無数の仕事をこなしていた。

 大聖堂でミサを(とな)え、修道会を監督し、各地の司教たちへの手紙を書くなど、毎日の業務に対し誠実とも言える勤勉さで(いそ)しんでいた。


 彼がルナたちと会った三日後の朝──。


 ディアム城内の職務室において、法王がいつも通り仕事に(はげ)んでいたとき、居室を訪れようとするひとりの兵士の姿があった。


 ただの兵士ではない。


 ディアム城内の衛兵(えいへい)の中で、最も高い地位である(この)()(へい)の出で立ちをしている。彼が通りすがるたびに、兵士たちは明らかに緊張した面持ちで敬礼する。


 年齢は三十歳ほど。引き締まった顔つきが見た者に好感を持たせる、(たくま)しい将校であった。


 彼の名はシュネイデル。かつて魔王リュネシスの親衛隊を努め、若くしてその有能さからディアム城近衛隊長にまで上り()めた男である。


 近衛隊長シュネイデルは、職務室の前で腰を曲げ(てい)(ちょう)に要件を告げると、法王は職務を(いっ)(たん)(ちゅう)(だん)し、彼を室内に招き入れた。


 法王の前に立ったシュネイデルはもう一度慇懃(いんぎん)に礼をすると、険しい顔つきで切り出した。


「法王様。重大かつ緊急を要するお話があります」


 その雰囲気には若かりし頃、魔王の親衛隊員を務めていた時にはなかった戦士としての貫禄(かんろく)が重苦しく(ただよ)っている。


「どうしたのかね?シュネイデル」


 法王は、普段どおりの好意的な態度をくずすことなく気楽に問いかけた。


「ルスタリアが壊滅(かいめつ)しました」


 言葉を選ぶように、シュネイデルは慎重に(こた)えた。


「かの国が魔物たちの手によって壊滅されたとの情報が、数日前から寄せられておりました。その裏付けを取るため、私は部下に念入りな調査を進めさせていたのです。ですがつい先ほど、それが事実であることが判明いたしました。ルスタリアは壊滅。そして、国王以下全員討ち死にであります」


 そこで区切って、シュネイデルはあえて落ち着くように息を吐き出した。


「今のところ国民に不安を与えぬよう、全兵士たちに箝口令(かんこうれい)を敷いてあります。ゆえに現段階ではルスタリア壊滅の件は、あくまで噂の段階に(とど)まっておりますが、それが事実として広まるのも時間の問題かと……」


 その言葉に法王はしばらく(もく)し、痛む心に表情を曇らせ目を閉じた。


 すでに知らされていたことではあったが極秘事項であったので、法王はルスタリア壊滅について一切他言はしておらぬ。

 彼が、数日前ルナたちをもてなした事実も、一部の衛兵たちが端的(たんてき)に知っているのみであった。


 口には出せぬ想いを持て余しながら、法王は閉じていた目を開いた。


「哀しいことだ。だが、悪魔や魔物たちを恐れることはない。それはどんな巨大な悪に見えても、いずれは滅び去る(はかな)い存在にすぎない。我々は我々の内面だけを恐れるべきなのだ」


「はい、法王様。ですが、隣国ルスタリア壊滅の事実はアルゴスが──いえ、世界が滅亡する(きざ)しでもあります。そして、すでに我が国にも新たな危機が迫っているのです」


「どのような?」


 再び強く張り詰めた口調になったシュネイデルに、法王は穏やかな(まな)()しで(たず)ねた。


「民たちの間でリュネシス様の存在も(うわさ)され、邪悪の元凶として恐れられているのです。こたびのルスタリア壊滅もリュネシス様の仕業とされ、混乱した民たちを扇動(せんどう)しようとする者たちが、この機に(じょう)じて国家を転覆(てんぷく)する騒動を起こさんと(たくら)んでおります」


 そこでまた言葉を切るとシュネイデルは(くち)()しそうに遠くを(なが)め、続く語を吐き出した。


「あの方の恩恵(おんけい)も知らず、何がリュネシス様の()(わざ)だ……これこそ魔女王の見え透いた奸計(かんけい)であると民はなぜ解らんのだ」


「──」


 憤懣(ふんまん)やるかたないといった様相のシュネイデルを、法王はただ慈悲深い目で見守っていた。本来、魔王リュネシスの名を城内で口に出すことは(はばか)られるはずであったが、老人はそれを(とが)めようとはしなかった。




 近衛隊長シュネイデルは、かつてリュネシスと親しい(あいだ)(がら)にあった。


 十二年前、若き魔王と魔女が歴史の影に消え去り人々から記憶を消し去った後も、彼だけは記憶を残し、(まれ)に生じた魔王と法王との()()()(つう)の使いのために奔走(ほんそう)した。


 たまにしか会わない魔王と魔女だったが、(した)()の親衛隊員に過ぎなかっシュネイデルに、意外なまでの親切さで接してくれた。


 それを思い出すたびに、彼らに会った時の緊張感と(みょう)に温かい気持ちが同時に湧き上がり、男は困ったように苦笑した。


 そんなシュネイデルには誰にも打ち明けられぬ、もう一つのほろ苦い思い出がある。


 貧しかった子供時代、当時司教だったサムエルの下で一時世話になっていたのだが、その(おり)に孫娘であるプシュケともなじみの関係になったのである。


 シュネイデルはプシュケより少し年上だったので、(はた)から見ると彼らは仲の良い兄妹のようにも見えた。


 明るい少年であったシュネイデルは、幼き日のプシュケに淡い想いをよせていた。

 プシュケはいくぶん内向的な側面のある子供だった。


 (せい)()で、()(れん)で、聡明(そうめい)でいながら、それでいて叶わぬ想いを、いつも遠い誰かに寄せているかのような──そんな不思議な少女だった。


 そのことに、ほとんどの大人たちは気づくことがなかったが、鋭敏(えいびん)な者ならば(とうと)い想いにふける知的な少女として感じ取れていたかも知れない。


 感受性の強いシュネイデルにも、そんな彼女こそが永遠に手の届かない宝物のように見えた。

 (あこが)れのままの少女としてむやみに触れようとはせず、少し距離を置きながら、彼女の想い人が誰であるのかと密かに()(はか)っていた。


 後にそれがまさかの魔王であったと知り、リュネシスと知り合った当初は、彼に対する甘い(しっ)()と敬意から来る複雑な想いが、青年の胸をちりちりと焦がした。


 だが──。

 プシュケの意を()んだ魔王が、その築き上げた財の全てを自ら手放し闇の中に立ち去り、それを(きょう)(じゅ)する人々の幸福そうな様子を見るにつれシュネイデルは確信する。


 プシュケは、正しい恋をしたのだ。


 ほんの若くして(はかな)くなったが、きっと彼女は幸せだったに(ちが)いない。


 少女はすべてを(せい)(いっ)(ぱい)生ききって、その清らかな想いと願いで魔王を改心させ、この世の光明につなげたのだ。

 彼女が命をかけて愛した相手は、けして間違っていなかったのだ、と……。


 その後、新たなアルゴスの国家体制が確立され、法王を守るディアム城近衛兵を兼ねた国家最高機密任務──すなわち魔王リュネシスの使徒(しと)としての役割も与えられたシュネイデルは、それだけに己の立場に強い責任感と誇りを持ち、常に全力を持って職務を遂行(すいこう)した。


 その二年後シュネイデルは、ディアム城近衛隊長に抜擢(ばってき)される。


 (じゃっ)(かん)二十歳での近衛隊長という(よう)(しょく)の就任には、城内での反対意見も多かったが法王他、何者かの強力な後押しがあったと聞いた。


 さらに数年後、ひとりの衛兵としても(えん)(じゅく)の境地に達しつつあったシュネイデルは、城に(つと)める若い娘と結婚した。


 花嫁はシュネイデルより一回り近く歳下で、特にこれといった才覚のある女性ではなかったが、どことなく生前のプシュケに似たところのある美しい娘だった。


 シュネイデルは娘をこよなく愛し、娘も男を深く(した)った。

 翌年娘は身ごもったが、妊娠中に体力を失い倒れてしまった。


 シュネイデルはこの時、アルゴスの兵として(ちゃく)(にん)()(らい)初めて休職し、つきっきりで妻の看病に当たっていた。


 そんなある夜のこと──。


 寝ずに妻の側で付き添っていたシュネイデルであったが、深夜に新居の扉を叩く音が聞こえた気がした。

 人が訪れて来る時間はとうに過ぎ、ただよう気配にもどこか違和感を覚える。


 ()(げん)に思いシュネイデルが扉を開けると、目の前に何かが詰め込まれた革袋が置かれていた。

 中を確認して見ると、なんとそれは袋一杯分もの(しろ)()(まつ)──隣国ルスタリアの奥地でしか取れぬ貴重な(ちん)()であり、また、弱った者の滋養強壮効果としては(さい)(じょう)の食材として崇められる食用茸であったのだ。


 同じ量の黄金に匹敵するとまで言われ、国王か大富豪しか(たしな)めぬ馳走とされる大地の恵み──そんな物を(あま)()、惜しげもなく置いていってくれる人物など、シュネイデルにはひとりしか心当たりがない。


──リュネシス様……!


 感謝の涙を流しながら、今さらながら彼は思い返した。


 かつて若すぎた自分を近衛隊長に引き立ててくれた見知らぬ立役者も、間違いなくリュネシスだったのだろう。

 アルゴスの内政(ないせい)には干渉せずという(みずか)らの禁を破り、魔王の為に忠実に(ふん)(こつ)(さい)(しん)したシュネイデルに特別に目をかけ、無理をしてくれたに違いない。


 妻はその後回復し、無事玉のような男の子を出産した。


 シュネイデルは魔王に直接会って礼を言いたかったが、その後いかなる連絡も一切取れなくなってしまった。


 だが、シュネイデルにはあの男の真意が解る気がした。


 おそらくリュネシスはこれを機に、今度こそアルゴスの(しょ)()(じょう)には関わらぬ決意をしたのだろう。

 いずれ彼の力を真に求められるその時が来るまで、(うれ)いある漆黒の魔少女とともに静かに闇の中に身をひそめ、影から世界を見守るつもりなのだ。


 ならばこれからは、自分が彼を守っていこう。


 今は不当に悪とみなされている孤高の男の伝説が、これ以上汚されることのなきようにする。

 それこそが彼への恩にむくいるべく、凡庸(ぼんよう)な自分にも行いうる(せき)()だと、まだ若さを残す衛兵は考えた。


──そしてもしも、あの方が立ち上がるときには真っ先に駆けつけ、喜んでその尖兵(せんぺい)となろう。それこそが若くして近衛隊長という身に余る要職を与えられた、自分の果たすべき使命なのだ……。


 魔王リュネシスに永遠の忠誠を密かに誓い、シュネイデルは(つよ)くそう想った。


「今、我が国内で邪教──いえ、蛇を意味する蛇教なる怪しげな教えが広まりつつあります」


 声を低くし、なお深刻(しんこく)な色合いをその顔に浮かべながらシュネイデルは(うった)えた。


「元々は、隣国のヴァルネリアに百年以上前から存在した宗教なのですが……当初は蛇神と言われる土着の神を(まつ)っていただけの害のない団体でした。しかし、次第に奇妙な動きを見せるようになり、数十年前からはヴァルネリアそのものを支配する大教団となり変わったのです」


 シュネイデルは(まゆ)()を寄せると注意深く、誰もいないはずの辺りを見回した。


「教団はさらに勢力を拡大し、その崇拝者(すうはいしゃ)たちが我が国内にまで侵入し、危険な布教活動を行っております。幼い生け(にえ)を求め、我が国を撹乱(かくらん)しながらアルゴスの子どもたちを()(みつ)()拉致(らち)しているという確かな情報も入ってきています。そして、その背後にいるのが黒の一族──かつて百年もの昔、アルゴスを内部から食い荒らし、破滅へ導こうとしたあの魔女王配下の一族が、また再び我が国に牙を()いているのです」


「ううむ……」


 さすがの慈悲深き法王も、あごに掌を()えて耐え忍ぶがごとく(うめ)いた。


「すでに城内の我が軍には、ヴァルネリア兵との戦闘も想定した討伐隊(とうばつたい)の準備をさせております。しかしながら、まだ生きているかも知れぬ、拉致(らち)された子供たちの安否を確認し、確実に救出することこそが急務です。ここは私が直接指揮を()る、少数の精鋭部隊としてヴァルネリアに(おもむ)きます。法王様、どうかご許可を──」


「……」


 法王は、しばし苦しげに黙考していた。


 言いようのない嫌な予感が、老人の胸をざわつかせていた。だが、ほどなく決断すると、手をわずかに()ぎ沈黙で了承を与える。


 シュネイデルは丁重に腰を曲げると、何も言わず速やかに居室を後にしようとした。そんな血気はやる戦士に、法王はこのように付け足した。


「たとえ魔に殺された者も、いずれ神がよみがえらせたもう。ただ祈り、信じることも必要だ。父なる神はそこにいる」


 正しき老人の言葉に敬意を払い、シュネイデルはもう一度頭を下げ、足早に立ち去った。

 ひとり取り残された室内で法王は低くつぶやく。


「神よ……皆をお守りください。弱き者たちにどうか救いを……」


 (しゅく)として願いていねいに十字を切ると、法王は瞳に深い苦悩の色を浮かべ瞑目(めいもく)した。


「……リュネシス様」


 もし聞く者がいれば、それは普段の老王にない哀願(あいがん)の響きに聞こえたであろう。それは、彼が信じる正しき()(おう)への、人としての切願(せつがん)であった。


 簡素な机に乗せられた(しょく)(だい)(ろう)の火が、風もないのにゆらりと揺れ、常ならぬものの到来をひっそりと告げようとしていた──。




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