アカーシャの幻術
それは、飾り立てられた夢幻の世界だった。
開かれた扉の中に見えたのは、だだっ広く、無闇に高い天井を持つ大ホールである。そこには、豪華な衣装を着込んだ多くの人々が集まっていた。
王族・貴族の遊宴であろうか。
立食形式で雅な集会を嗜む彼らは、ルナたちにはまるで気づいていないようだ。
それぞれがグラスを片手に、あるいは豪奢な笏や扇などを手にして、会話を楽しんでいる。
そんな彼らひとりひとりは、どこかこの世ならぬ奇妙な雰囲気が漂っていた。
目を凝らして見れば、それは魔物たちである。
とうてい人のそれとは思えぬ、婀娜やかなまでの容姿を誇る金髪の娘。
あるいは物々しくも高尚な衣装を羽織り、呪的な入れ墨で縁取られた鋭き眼光を放つ美男。
さらには一見、風采の良い少年のようでありながらも、洒落た様相に反して強大な〝気〟を秘めている者もいる。
そのような貴族のごとく洗練された魔の者たちが寄り集まり、王家のお披露目さながらの宴を開いているのであった。
明らかに彼らは、ただの魔族でない。
恐ろしき魑魅魍魎たちの中でも、取り立てて高位の者たち──魔王リュネシス配下の最強の戦士たちである〝五妖星〟と呼ばれる男たちと、それに連なる魔物たちなのであった。
ベテルギウスの視線が、先程から前方で最も目立っている、あからさまな妖気漂う金髪の娘の姿を捉えて見開かれた。
あの妖しい漆黒を、なおも輝かせる千年闇蜘蛛の外套を翻す者は忘れようがない。
それは百年前、彼と死闘を繰り広げた妖術師ケルキーの、宴に酔う艶姿ではないか。
「う、うう……」
同時に奇異な光景に当てられたライガルが、頭を押さえて膝を落とした。
目前の魔の者たちの強烈な想念が、一時に彼の脳内に入り込んでいた。無数のささやきが耳を塞いでも聞こえてくる。
それは、闘神の高潔な理性をも吹き飛ばし、精神の中に直接食い込んでくるかのような耐え難い妖かしたちの声であった。
「ぐうううむ……」
「ライガル!大丈夫?」
真正面で繰り広げられている非現実的光景に当てられながらもルナは耐えきり、ライガルの顔を心配そうに覗き込む。
だがライガルには、ルナの声すら届いていない。暴走しかねぬ本能を必死で押さえながらうずくまり、目の前の激烈な妖気を振り払おうと懸命に努めている。
漢は理性と闘争本能の狭間に苦しみながら、目の前のあまりにも強すぎる妖気の発露に視線を送った。
そして、見たのである。
魔物たちの最奥にして中心に位置するふたつの御影──巨大な玉座に悠々と腰掛け、薄笑みを浮かべて頬杖を突く若き魔王と、その隣席に位置取り、優雅に竪琴をかき鳴らす魔王軍総帥アカーシャの存在を……。
ライガルの目に映る世にも妖麗な魔王が、グラスの酒をゆっくりと口に含みながら、こちらを見留てニヤリと嗤った。
その強大な思念波が無数の魔の想念をおおい尽くす形で、はっきりとライガルの脳裏に伝わってくる。
すでに完全な結界を張り、妖気の侵略を遮断しているはずのベテルギウスの内側にも──。
それは間違いなく百年前のあの日、突如として世界中に宣戦を布告し、天と地をも震撼させた勁烈極まりない帝王の御声であった。
──来い。双頭守護神……伝説とまで言われる、おまえたちふたりの力を私にも見せてみろ。
酒が入ったままのグラスを無造作に放り投げ、魔王はふたりの漢に向かって、片手で煽るような仕草を見せた。
その王者の振る舞いに、ついに高まる戦いへの欲求を抑えきれなくなった闘神が、低くうなりながら重い一歩を踏み出していた。
「Ω」
次の瞬間、極限にまで圧縮された真言がライガルの口から唱えられた。
巨体の裡に抑え込まれた驚愕すべき膨大なエネルギーが、闘気に変じて放射される。
それは周囲を覆い尽くしていた魔王の巨大な妖気をも圧して、黄金の輝きとなり押し戻していった。
羅闘竜勁──魂を高次元の神竜と同調させ、肉体の内に秘める〝気〟を十倍以上にまで高める闘神ライガルの秘奥義である。
凄まじい闘気の風に当てられた魔王の眉が、不快げにピクリと跳ね上がった。
「ほう……」
対象的にアカーシャは、黄金の竪琴を奏でる手を止めて、さも興味を引いたように微笑んでいた。
「無闇に長い真言を唱えずとも、奥義を発動できるぐらいにはなったのか……」
そうつぶやく魔少女の奥底の声が、精神感応となって闘神の脳裏に伝播する。
〝図に乗るなよライガル。百年前はあえて、おまえの土俵で戦ってやったのだ。その気になれば今のように容易くおまえの精神を焼き尽くして、一瞬で終わらせることもできたわ〟
「むう!」
闘神の黄金の視線と、魔少女の真紅の目線が、激しく交差した。
闘志に昂りながらもライガルは戦慄する。
念を凝らせばアカーシャの魔法戦闘能力は、百年前よりさらに数段階上の次元に到達していることが、波動から感じられるではないか。
そして、おそらくは魔王の力も……。
それを悟った瞬間、ライガルの脳裏に思い起こされた記憶──百年前、魔王との出会いの刹那に感じた、絶対的な死の恐怖が頭を掠める。
「ぬうあああああああああああああああ!!」
闘神の本能が、燃えたぎる屈辱と烈しい怒りに爆発した。
同時に、撓められていた〝気〟のエネルギーが全開になって放出される。
常に全身を巡る無尽蔵の力が瞬時に増幅され、溢れんばかりの闘気となって膨れ上がっていく。それはひとつに集結され、漢の右拳が眩しく輝き始めた。
それは、格闘家として間違いなく史上最高峰に位置する〝拳神〟ライガルにしか使いこなせぬ絶大秘技であった。
「臥竜光掌拳!!!」
鍛え上げられた究極の剛腕が振り抜かれ、羅闘竜勁の膨大なエネルギーを上乗せして発動された圧倒的な光の奔流が、ふたりの魔物たちに向かって射出された。




