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エテルネル ~光あれ  作者: 夜星
第六章 戦士たちの集結
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懊悩するルーファ

 ルスタリアが壊滅(かいめつ)した同じ夜──。


 はるか遠く離れた地、世界の(ことわり)から外れた場所にそびえ立つ大魔城〝ヴェルハール城〟──その城の中心部にある、王のために(しつら)えられた最も広い一室の最奥(さいおう)で、ひとりの男が豪奢(ごうしゃ)黒玉(ジェット)の玉座に腰をかけていた。


 およそこの地上に存在する者とは思えぬ、えも言われぬ美しさを放つ若者である。


 闇の中で変色する銀の髪は、ときおり(ほの)かな金を帯びて(きら)めき、危険なまでの切れ長の双眸(そうぼう)には、さらに(ほう)(ぎょく)のように輝く黄金が宿っている。整いすぎた()(りょう)と唇はまるで創造者が彫刻したかのようで、その容貌はこの世の理想の原型と言えるほど──。


 暗黒の皇子ルーファであった。


 だが、その完璧な()(ぼう)を誇る男の表情に、今はくらい影が()ちている。二本の指を(ひたい)にそえて、果てしのない苦痛に耐え続けているかのように、彼は深く(うれ)えていた。


 それは長い時間だった。


 朝の(とばり)が何度も空を染め、(いく)(せん)の星が(めぐ)っても──若者の瞳は、なおも底しれぬ迷いの(きり)に閉ざされていた。


 常人には到底(とうてい)耐えられぬ途方もない時間を、偶像のごとく不動の姿勢のままでいる彼の胸中は、しかしながら嵐だった。


 選ばなければならぬ。だが、何を……?

 守るべき少女か、それとも合わせ鏡のような弟か……。


 ルーファは(ごた)えを見いだせぬまま、漆黒の空間に目を向けた。


 むろん、選択肢はひとつしかない。

 だが、それを選ぶと、この地上に地獄が(あふ)れかえるだろう。数え切れぬ命が犠牲となり、その煉獄(れんごく)の炎の中で、()けられぬ身内同士の死闘の果てに、()(ぐう)なる弟──リュネシスの心臓をこの手で(つらぬ)かねばならぬ。

 わずかに良心を残す彼には、容易には決断できぬ()(どう)(しゅ)()の道であった。


──どうにか、あれを──リュネシスを我が手の内に収めることはできぬのか。


 切実(せつじつ)な祈りに似た思考が、彼の中を渦巻く。


──もしリュネシスが我が手に落ちれば、覇道は確かなものとなる。魔界の対抗勢力を一掃(いっそう)し、ロゼリアに迫る危険を回避できる。そうなれば、天界に攻め上ることすら夢ではない。少なくとも、愛するロゼリアに永遠の命と安泰(あんたい)を与えることができるであろう。


 だが、それが叶わぬことを知っているからこそ、彼の奥歯がきしんだ。


──アカーシャだ。アカーシャがすべて悪いのだ。今までに(いく)()かリュネシスとの接触を図ろうと(こころ)みたものの、あの女がいつも横槍を入れてきたのだ。我が妹ながら目に余る小娘め……母の狡猾(こうかつ)さと卑しき人間の血を受け継いだ、呪われた女が!


 延々(えんえん)(たも)たれていた若者の美貌が、この瞬間、凄まじいまでの怒りの形相に変化する。

 アカーシャ──それは彼にとって、血縁を超えた憎悪と嫌悪の対象でしかなかった。


 そこで彼の思考が、また想いの届かぬ弟へと向けられる。


──リュネシスもリュネシスだ!弟とは兄に従うべきなのだ。私と共に立ち上がれば、この世に不可能などないものを──なぜそれが解らん!?くそぅ……。


 (いら)()ちに歪む唇。()(もん)のうめきがこぼれたその時──。


「ずいぶんお悩みのようですな」


 闇の中から、からかいとも親しみともとれる声が響いた。


「?」


 ルーファの視線の先から、中空の闇を裂いて男が歩み寄ってくる。


 (いかめ)しい軍服を思わせる赤い(ふく)(しょく)を着込んだ、まだ若い男であった。そのあちらこちらが()えある金の(くん)(しょう)や飾り(ひも)で装飾され、男が極めて高い地位にあることを明確に示している。


 全身を上質の紫のマントに包み込み、きれいに整髪された髪の下から(のぞ)くのは理知的に整った(かお)。しかしその目は、常に(よこしま)な知略を巡らせているかのごとく、油断ならぬ光を放っていた。


〝ベルゼバブ〟──それがこの男の真名まなである。


 広大な魔界の元帥げんすいという地位を誇り、暗黒の皇子ルーファの(ふところ)(がたな)としてこの世の裏を暗躍(あんやく)する最強の力をもつ魔物であった。


「いかがされたのですかルーファ様?暗黒の皇子ともあろうあなたが、あからさまに気を病んでおられるとは」


 ルーファですら一目置くその男──ベルゼバブはゆっくりと近寄りながら、しらけた笑みを口元に浮かべた。


「たとえつかの間でも、そのようなお姿は見たくありませんな。あなたの地位を狙おうとする、思い上がったどこぞの将軍などに、寝首をかかれることになりかねませんぞ」


 ()(しつけ)な配下の言動に動じることもなく、沈んでいた(かお)を鬼面のような感情のないものに変えて、ルーファは()(ゆう)綽々(しゃくしゃく)と笑って返した。


「言うわ。ベルゼバブ。我が力を疑う愚か者が、まだ魔界におるのなら、それらをまとめて叩き潰し、二度とはむかえぬよう魂までも消し去ってくれるわ」


「それでこそ、あなただ。私がこの世でただひとり(あるじ)と認める真の王者だ」


 ベルゼバブも、さも鷹揚(おうよう)(こた)えて一定の距離で立ち止まり、皇子に敬礼する。


「ご報告がございます」


「言ってみろ」


「六魔導のひとり、不死王リッチの軍がルスタリア壊滅(かいめつ)に向けて動きました」


「何!?」


 わずかにルーファは顔色を変え、厳しく報告者を見つめた。しかし、ベルゼバブは素知らぬ顔で続けた。


「私がやつを()きつけたのです。ルスタリアの機密情報を与え、内通者を仕込み、難攻不落の王国を一夜で滅びに(いた)らせるよう計らいました」


 ここでベルゼバブは言葉を区切り、主の表情を(うかが)い見るようにしながら、凄まじいまでの笑みを浮かべた。


「まちがいなく今頃大国ルスタリアは壊滅(かいめつ)し、数え切れぬ人間どもが死に尽くしていることでしょうな」


 その報告に、ルーファは絶句して体を硬直させた。無意識にまた、(ひたい)に手のひらを当てている彼の全身が、わずかに震えている。


「き・さ・ま……」


 やや置いて、こらえているものを吐き出すような声を発しながら顔を上げると、ルーファは恐ろしい勢いで立ち上がった。


「誰がそんなことをしろと言った!?」


 皇子はベルゼバブに()め寄ると、胸ぐらをがっしりと(つか)んでいた。


「それほどのことをする前に、なぜ王である私の許可を得ようとしない!?」


「戦とは生き物だ。(せん)(ぺん)(ばん)()する戦場において、時として有能な配下は、(あるじ)の許可を()る前に適切な判断を下さなければならない。ルーファ様……なぜ、お怒りになる?全ては敬愛するあなたのためにやったことだ。私は常にあなたの本心に忠実だ。あるべきあなたの姿にね……」


 激高(げっこう)した主の視線を叩きつけられながらも、ベルゼバブは平然と返していた。その()(そん)な態度になお(いら)ついて、ルーファは男を()め殺さんとするような気迫でがなり立てた。


「私のことを言ってるのではない!ロゼリアのことを言っているのだ!!あの善良な娘がこのことを知れば、どれだけ(なげ)き悲しむと思っている!?」


「そのロゼリア様のためでもある。あなたの父王──大魔王ディルヴァウス様の復活なくして、ロゼリア様を救うことはできませぬ。」


「!?」


 食えぬ配下を恫喝(どうかつ)していたルーファは〝ぎくり〟と固まった。

 そのタイミングが来ることを(はか)っていたのか、ベルゼバブは(こわ)()を絶妙な甘いささやきに変える。


「そのためには、あまたの犠牲が必要です。無数の人間たちの魂を()(もつ)に捧げなければならない。いずれ人間どもは、滅ぼす対象でしかないのですぞ」


「おまえ……」


 冷たい現実を突きつけられ、さしものルーファも何も言えなくなっていた。

 彼はしばし(じゅっ)(こう)の表情を浮かべていたが、やがて締め上げていた男の(えり)(あきら)めたように突き放した。


()(よい)の犠牲で、偉大なるディルヴァウス様の復活の(とき)が確実に迫りましょう」


 ベルゼバブは落ち着いた動作で乱れた襟元(えりもと)をただすと、何事もなかったかのごとく愛しげにルーファを見つめた。彼の、ルーファに対する好意と敬意に(いつわ)りはなかった。最もそれは、正常な者には理解できぬ極めて(いびつ)なものであったが……。


 むろん、すべてを()み取っているルーファ自身も、悪辣(あくらつ)だが有能な部下の力を必要としている。


「ロゼリアが……もう長くはない」


 ルーファは(しぼ)り出すような声を発して、再び玉座に腰を下ろした。


「先日、無理だと解っていながら、私はあれの(やまい)の治療を試みた。その時に知ったのだ。妹の命の(ともし)()が今度こそ(つい)えようとしている。なんという哀れな娘だ……」


 ロゼリアの不治の病を(いや)せる唯一の方法──かつてベルゼバブが提案した、この地上を常態的な月夜の世界に変え、太陽を消し去る。

 その天変地異を実現するためには、神に等しい力を持つ大魔王ディルヴァウスの復活が不可欠であり、人類の魂すべてを(にえ)としなければならない。


 あまりに無道で残酷な結論しかないことを改めて思い至り、ルーファは感情のこもらぬ声で言った。


「どのみち、もう手段を選ぶことはできぬ。ロゼリアのためなら、私は鬼にでも悪魔にでもなろう。全人類を滅ぼすこともけして(いと)わぬぞ。おまえの出過ぎた行動も今回だけは許してやる。だがこれでもう、リュネシスとの闘いは()けられぬ事になったな」


 その言葉すら予測していたように、ベルゼバブは危険なまでに、()(いろ)の瞳を輝かせた。


「ルーファ様。魔界には古くからこのようなことわざがあります。賢き蛇は座して待ち、愚かな竜は容易に立ち上がる……私が幼い頃、邪悪な母にさんざん聞かされてきた言葉だ」


 そこでベルゼバブは、口角を大きく吊り上げた。それは笑顔とよぶには(はばか)られる、ある種の狂気を含んだ表情であった。


(たと)えるなら、我々は蛇だ。知恵と力を(あわ)せ持つ暗黒の蛇であるべきだ。でも、リュネシスは知恵のない竜だ。人間の小娘に翻弄(ほんろう)され、あげく人類を救うために命を投げ出そうとしている。何が魔王だ。ククク……あれは絶対に王の器ではない」


 ベルゼバブは再び顔をルーファに近づけると、()(ぜん)とする王をなだめるように言葉を()いだ。


「でもあれは、あなたの弟だ。力は確かだ。利用する価値は十分にございます。どうか、この私にすべてお任せを!私があれをうまく(あやつ)ってみせましょう。あなたの望む形でね」


 (わら)う男の目の光彩(こうさい)が、獲物を狙う獣のように細くすぼまったのをルーファは見た。

 それは破滅への未来を暗示しているように思え、だが皇子は、その危うい光を黙って見つめるだけだった。


 やがてベルゼバブは(うやうや)しく一礼し、音もなく闇の中へと姿を消して行く。


 広大な王の間には、ただひとつ物言わぬ静寂だけが、重くのしかかるように残されていた。




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