復活ベテルギウス
「……小娘がぁ!!」
ヴェータラは痩せ衰えた貌をブルブルと震わせた。
が、どうにか興奮を鎮めると、昏い取り澄ました表情に変える。
「ぬう……ヴァジェラァ……」
低く息を吐き出した屍術師が、にわかに怪しげな呪文を唱えだした。
それは地獄の生体の根源を支える、負の力を呼び起こす呪言であった。どす黒い不可視のエネルギーが、翳された掌から広がっていく。
すると、床上でのたうっていた二体のアンデッドの崩れた体が、みるみるうちに元の強靭な屍体へと復元されていった。まさしく悪魔の力さながらの、驚くべき治癒能力の顕現であった。
だが、ヴェータラの呪が発動し始めたと同時に、ルナも自身の奥義を解き放とうとしていたのだ。
ゆっくりと腕を交差させた少女の目が半ば閉じられ、その奥に赤い威光を湛えた力が宿っていく。
「クウァーエ・ラディウス。メティーエ・ザディアル。今こそ目覚めよ。我が内に眠る竜神の血……」
ルナが宿命の力として内に秘める、竜の魂を覚醒させる呪言であった。
体内のチャクラそのものが、高次元的存在である竜神のチャクラとして変異する。これにより、人の身ではけして辿り着けぬ至高の領域にまで到達し、想像を絶する力を呼び起こすことが可能となるのだ。
この奥義を習得した者は、レミナレス王家歴代の戦士たちの中でも、特に伝説として語り伝えられる数名ほどしか存在しない。ましてや、ルナほどに年若い娘ではただのひとりも──しかも、断片的にしか伝えられておらぬこの困難極める秘儀を、少女は天才的資質のみで再現しようとしているのだった。
成功する可能性は高くなく、また、継続時間も極めて短い。そして奥義の発動後は、成否に関わらず長時間の休息を必要とする。まさに〝諸刃の剣〟とも言うべき危険な御業であった。
ルナの全身を巡る気のエネルギーが、昂る〝闘気〟となり溢れかえる。
それは全身を包む赤いオーラとして、周囲の闇を眩しいまでに照らしあげていった。
バチッと音を立てる勢いで、ルナの大きな目が開かれる。
「いくよ……容赦なく。あたしの本気、見せてやる!」
赤紫色の髪の少女は、にやりと笑った。
しなやかな人喰い虎が得物を狙う時、このような笑みを浮かべるのであろう。
ゴゥ、と唸りを上げて、アンデッドたちとの間合いを一瞬で詰める。
野生の獣もかくやと思われる、驚異的な瞬発力であった。
剣を、振り切る。
それは、巨竜の鈎爪に匹敵する一撃であった。
単純だが避けようもない攻撃に怪物たちは反応すらできず、いとも容易く切り裂かれていく。
まさに神懸かりの強さであった。
不死王リッチ配下の最強アンデッドたちが為す術もなくうら若い少女に屠られてゆく様は、目の当たりにした者であっても、目を疑う信じ難い現象といえた。
——あと、一息……!
再生魔法もおぼつかぬほどの短時間で、二体の悪魔が無数の肉塊に粉砕された。
四散したアンデッドたちを背にして、ルナは屍術師に向き直る。
驚愕に見開いたヴェータラの眼に、少女の赤く烈しい眼光が突き刺さった。
その眸は美しくも、抑えきれぬ怒りに燃えたぎっている。
「あ、わ、わ……」
最凶のアンデッドたちを完膚なきまでに叩き潰されて、ヴェータラは震え慄いた。
──な、何なんだこの娘は……子供のくせに、本当に化け物なのか!?
恐れに魔物は後ずさる。それを見とがめて、ルナは逃がすまじと足を踏み出そうとした。
だが次の瞬間、彼女の体に異変が起こった。
「くっ」
唐突に全身の動作が極端に鈍くなる。
それは、先ほどの屍術師の魔力によるものとは異なる、内側から生じた重みであった。四肢の力が急速に抜けていく。戦いの疲労が限界を超えたことを、体と本能が知らせているのだ。
──こ、こんな時に……。
ルナは悔しさで思わず歯を軋らせた。
未体験の秘儀は、やはり想像以上に肉体に負荷をかけていたのだ。目の前にいるやわな男を斬る力を、彼女はもう残してはいなかった。
突如として動きを止めたルナに、ヴェータラは訝しむ視線を投げかけた。
自分にとって都合が良すぎる展開をにわかには信じられず、疑い深い目をせわしなく、きょときょとと向けている。
だが、湧き上がった疑念が確信に変わるまで、さしたる時間はかからなかった。
「ククククク……なんだ、もう動けなくなったのですか?」
ヴェータラは、さも皮肉に指を差して嘲笑した。
「いわゆる最後の灯でしたな。無理のある技を使い過ぎたのですね。詰めの甘さがやっぱり子どもだ……それにしても、まさか小娘一人でここまでやるとは思いませんでしたよ。幼いとはいえ、本当にあなたは危険な存在だ。今度こそ死んでいただきましょう」
温かみの欠片もない笑顔を浮かべながら、ヴェータラはにじり寄って来た。
覚悟を決めて思わずルナは、両目をきつく閉じる。
だが──突然その屍術師が、圧倒的な力で壁にまで吹き飛ばされていた。
まるで見えない巨大な掌に、弾かれたかのような衝撃であった。
卑劣な男は、石壁に全身を強く打ち付けられ、ひとたまりもなく崩れ落ちた。
「ぐぅっ……だ……れだ?」
濁りのある呻きを漏らし、やっとのことでヴェータラが口にした言葉に、闇の奥から応えがあった。
「それは、こちらのセリフですよ」
返答と同時に、壁にかかるすべての燭台の蝋に魔法の火が灯っていく。灯火は奥から順に、整えられた舞台の演出のごとく規則正しく点灯されていった。
「私の城で、下品な騒ぎを起こされては困りますね」
若い男の声だった。
靴音高く、落ち着きに満ちた歩き方でその男は接近してくる。
ヴェータラの歪む視界に銀の色彩で彩られた漢が朧に現れ、次第に明瞭な姿へと変わっていった。
「ベテルギウス・レムリアル──竜の血に導かれて、参じました」
伝説の賢者のよく通る声が、屋内に凛として響き渡っていた。




