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マコトノナツ  作者: mia
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5.目の前にいるんですから


〈こんばんは。突然ですが、次の土曜日空いてますか?何とか一日だけオフになれそうなので……〉


 一之瀬の“デートしてください”発言から2ヶ月経った、ある晩の日、女子寮のロビーの自販機でポカリを買って部屋に戻ろうとしていた真はかかってきた電話に出て、おずおずと紡がれた言葉に苦笑した。まだ仕事場にいるのだろうか。人の話し声が微かに聞こえてくる。


「お疲れ様。次の土曜日はバイト入ってないし、予定も無いから問題ないよ」

〈本当ですか?では今度の土曜にそちらに戻りますので、11時頃に華里大学の前の本屋で、で良いですか?〉

「うん、オッケー」

〈ありがとうございます。あ、マネージャーさんに呼ばれてるみたいです。バタバタしていてすみません。それでは、また──〉



 大学の夏季休暇中、の9月半ばだが、真はバイトや集中講義に明け暮れ、一之瀬は仕事の合間に園芸学部の研究にと、なかなか会う時間は作れなかった。

 最近更に忙しくなったという一之瀬の活躍ぶりは今、本屋の棚に並ぶ雑誌からも一目瞭然だ。もうじき来るであろう彼を待つまで暇を潰そうと、一冊手に取った。真が来る前からいた隣の女子高校生達は、彼が表紙の雑誌を見て興奮気味に話している。


「超格好いいんですけど!これ買う!保存用と観賞用に!」

「先週出たやつも買ってたよね。でもさ、こんな有名人が同じ町に住んでるとか信じられないよ。ファンの子達が家とか大学にまで来ないように事務所が徹底的に対策してるらしいし」

「お母さん、有名な料理研究家なんでしょ?この前テレビに出てたの観た」


 そんな会話を耳に入れつつ、可愛い女性モデルと腕を組んでデート風な格好をしている彼がいたページを見つけ、真は手を止めた。素直にお似合いだなと思った。

 そういえば女装をしていない彼を見たことはあまりない。初めて、普通の格好をしている彼と構内で一度すれ違ったことがあるが、圭に言われるまで気づかなかった。


 背の高すぎる奴には近づきたくない。目も合わせたくなかったんだ


 真は深い息をついて雑誌を元の場所に戻し、今度は別のものを取った。パラパラと適当に読み流していると“人気上昇中!一之瀬夏のQ&A”という特集ページがあった。好きな食べ物や趣味など、当たり障りのないことがほとんどだ。

 ふと、真の視線が一点に集中した。


〈Q9 好きな異性のタイプは?〉


〈A 優しい人ですね。

 ──うんうん。合いそうだね。おしとやか、古風な和風美人って感じの子かな?

 一 いえ。僕自身そんなに明るいほうではないので、見ているだけで元気をもらえるような子がいいです。いつも笑顔で面白くて、美味しそうにご飯をたくさん食べる…(ハッとして顔を赤らめる)すいません、喋りすぎました。ここは載せないで下さい(苦笑)〉

 ──それは編集次第で(笑)。今、好きな子のこと考えてたでしょ?

 一 気にしないで下さい。次の質問に行きましょう。(何事もなかったように進める)


「……何じゃコレ」


 もしかして、いやもしかしなくても、まさかあたしのことを言っているのか?そうなのか?いや自意識過剰だ。あたし優しくなんかないし。優しさとは程遠いし。

「真さん」

「うひょっ!」

 混乱して固まっていた真は肩を叩かれて飛び上がる。奇声が飛び出た。勢いよく首を回すと、


「すみません、遅くなってしまって。道が混雑していて……」


 腰を屈めて囁いたのは彼だった。切らした息を整える彼を、真は凝視していた。

「真さん?どうかしましたか?」

「いや、その格好……」

「ああ、直接ここに来たので。メイクは落としてきたんですが……」

 髪のセットはそのままなんです、と背を真っ直ぐに伸ばした一之瀬。変装用の地味めの黒のフレームの伊達めがねをかけ、シンプルな柄のシャツに膝の丈まである灰色のカーディガンを羽織り、細身のワインレッドのパンツを着こなしてダークブラウンの編みブーツを履いている。ワックスでふわふわに仕上げられた亜麻色の髪は綿のように触り心地が良さそうだ。


 これがモデル……


 生唾を飲み込んだ真に、一之瀬は更に首を傾げるが、真が持っていた雑誌、そして開かれていたページを目にした瞬間、顔色を変えた。

「あっ」

 目にも止まらぬ速さで雑誌を奪われ、棚に戻された。呆気に取られる真をよそに耳まで真っ赤になった彼は「行きましょう」と踵を返した。


「ちょ、待てって。あの雑誌さ」

「……あれがどうしました?」

「買ってくるから。先に出てて」


 ぴたりと一之瀬の足が止まった。顔は自動ドアに向けられたまま、「……冗談ですよね?」と言う。

「本気だよ。一之瀬君のこと色々分かりそうだし、てか誕生日もうすぐなんだな。しかも甘いものが苦手とか意外……」

 再び雑誌を手に取ろうとし、阻まれた。なんだ何が起きた。目を落とすと手を握られていて、右上に移すと恥ずかしそうでいて不満そうな表情の彼とご対面。

「……行きましょう」

 そう言って、僅かに集まり始めつつある店内の人々からの注目を避けるように、真の手を引いて歩き出した。



 気まずい。非常に気まずい。

 二人分の足音しか聞こえてこない。そしてなぜあたしは手を繋いでいるのか。

 ちらりと前を歩く、高い位置にある頭を見上げる。歩幅が圧倒的に違う真を気遣ってくれているのか、その速度はゆっくりだ。

 目線を足元に下ろすと履き古したスニーカーとボーイフレンドデニムの裾が視界に入った。3wayのブラウンの鞄をリュックサックにし、Tシャツに薄緑色のパーカーを着ただけのシンプルな服装。もう少し洒落た格好をしてくれば良かったと後悔。


 デートと言われても何をどうすればいいのかか分からず、ここは兄二人のどちらかに相談しようかと思ったが、32歳の長兄、皐月は般若の面と握りこぶし、29歳の次兄、真也は暗黒の笑みと愛用のぺティナイフとともにやってくるに違いないので止めた。流血沙汰は御免だ。未亜と蓮実と圭はろくなことをしでかさない保障がないのでシャットアウト。

 唯一、あの面子の中ではまだまともと言える友人、芹河剛(せりかわたけし)は恋愛ごとに関しては全く役に立たないのでどうしようもない。

 かといって文月お姉ちゃんに話したら「あの一之瀬君とデート!?ktkr!ビデオカメラ用意しなきゃ!」とか大変面倒なことになる。


 取りあえず今はこの状況を何とかせねば。15分くらい沈黙の中を歩いているぞ。

 意を決した真が顔を上げて口を開くのと同時に、立ち止まった一之瀬が手を放して物凄い速さで振り返った。

「すみません……!いきなり手を握ったりして……その……」

 俯いて口籠もる彼に、顔の前で手を振って笑う。

「いいよ、気にすんなって。あたしこそごめん。一之瀬君に嫌な思いさせちゃってさ」

 本人の目の前で晒すみたいなことしてデリカシーが無かったな、なんて反省していると

「嫌な思いなんかしていません。むしろ嬉しいです。真さんが僕のことを知ろうとしてくれているんだって、どうしようもなく嬉しいんです」

 薄く微笑む一之瀬の目の下にはクマができていた。無理したんじゃないのかと突っ込むと否定しそうなので、話の流れに沿う。

「……じゃあさ、なんであの雑誌を買うのは駄目なの?あたし別に笑ったりとか引いたりとかしないよ」

 後でまた買いに行こうかな。でももう大分少なかったよな。在庫まだ残ってるかな。


「………すから」

「ん?ごめん、何て?」


 考え事をしていた真が聞き返す。すると一之瀬は真剣な顔をした。思わずたじろぐ。


「目の前にいるんですから」


 はっきりとした口調で彼は言った。伊達めがね越しの瞳に、心臓を射抜かれたような心地になった。なぜかは分からない。


「僕は今、あなたの目の前にいるから……知りたいこと、直接、僕に聞いてほしいんです。雑誌とかではなくて僕から」

「……うん。そうだよな。言われてみればそうだ。一之瀬君はここにいるんだから」


 からりと笑うと、一之瀬はほっとしたようだ。嬉しそうに頬を緩めて、「はい」と頷いた。雑誌で見るよりも――太陽に照らされたその笑顔は眩しくて、綺麗だと真は思った。対する相手も同じようなことを考えていたとは知らない。


「ちょうど時間も時間ですし、どこかでお昼にしましょう。真さんは何が食べたいですか?」

「そういや腹減ったな。肉が食いた……」


 一之瀬と並んで歩き始めた真は前方に目を凝らす。買い物袋を両手に提げた女性がひったくりにでもあったみたいな速さで走りだしたのだ。

 なんかあの人、こっちに向かって突進してきてないか?え?「不味い……」って呟いたけど、一之瀬君の知り合い?一体誰な……


「ぬなぁっ!?」

「真さん!」


 猛タックルを全身に受け止めた真の体が後ろに傾いだ。その背中を支えようと慌てた一之瀬が手を伸ばす。危うく天に召されるところだった。

 おい、この方は誰なんだ。初対面にも関わらず、抱きついて頬ずりをしているぞ。新手のコミュニケーション手段か。


「小さくて可愛いっ!女の子だわぁっ!」


 はしゃいだ声に意識を引き戻す。腰に中に色々入った買い物袋が当たって何気に痛い。救いを求めようと一之瀬に目を向けると


「真さんが困っていますから放してあげてください、……母さん」

「か、母さん!?」


 驚いた真から離れた女性は、よく見ると女装した時の一之瀬にそっくりだった。異様に輝いた眼差しで見つめられていることには言及しないでおこう。真を守ろうと立ちはだかった一之瀬を忍者のごとくかわして飛びついてきたことについてもだ。


「どうも初めまして。夏の母親の夕美子(ゆみこ)よ。夕美子さん、って呼んでね」


 手を握られて上下に振られ、また抱きつかれる。だから買い物袋が痛いんですって。


 苦々しく息をついた一之瀬が「……邪魔が入った」と小さな声で呟いたのは気のせい、だろうか。



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