21.逃がしませんよ
年も明け、1月2日の正午、真は一之瀬家の玄関前にいた。インターンホンを押してしばらく待っていると、玄関のドアが開いて中から一之瀬が出てきた。
「真さん、お久し振りです。年賀状にも書きましたが、改めて、明けましておめでとうございます」
「こちらこそ、今年もよろしく。皆はもう来てるのか?」
「はい。母の料理も準備ができたようで、後は真さんが来るのを待っていました。どうぞ、中に入ってください」
門を押して階段を上がり、玄関を過ぎて一之瀬に進められるまま客間へと向かっていくにつれ、賑やかな声が大きくなる。盛り上がり過ぎだろ、と少し引いていると前を歩いていた一之瀬が表情から察したのか「すいません。母が張りきってしまって」と申し訳なさそうに言った。
いや、別にいいんだけどさ。夕美子さんのことだからそうじゃないかと薄々は思っていたけどさ
ダイニングテーブルに所狭しと並べられたおせち料理、居間にあるテーブルを埋め尽くす料理やデザートの多さに、真は入り口で固まらざるをえなかった。こんなでっけぇ伊勢海老初めて見るし、ローストビーフもあるし。ここはバイキングのレストランか、って言いたいほど凄い。
年明けはオフだという一之瀬から、正月に皆で母のおせちを食べに来ませんか、とのメールを受け取り、いつものメンバーでお邪魔することになったが、ここまでしてもらうと申し訳なくなる。
「あっ、真ちゃん来た!あけおめ!」と手を振ってくる未亜。
「遅いぞシン。待ちきれなく先に食べるとこだった」と頬杖をついて言う神城。
「正月くらい身なりに気を遣いなさいよ。お兄さんのお下がりでしょ、その上着」と新年早々、他人の服装に口を出す蓮実。
「それ、サイズ合ってないんじゃないか?子供が大人のを着てるみたいだぞ」ともっともなことを指摘して大笑いする芹川。
そしてもうひとり、神城の隣に腰かけて静かにお茶を飲んでいる藤ヶ谷涼。彼は、真の従姉妹である菅野文月の夫の藤ヶ谷優紀の弟だ。社交的な兄、優紀とは正反対の性格で冷淡、言葉遣いが荒い、などなど厄介な奴だが根は心優しい。華里大学付属高校出身で、一之瀬と同じ園芸学科の生徒でもあるので研究や講義でペアを組むことが多く、気心の知れた友人のようだが、「また五月蝿いのが増えたのかよ」と舌打ちまじりに兄とよく似た顔で毒を吐く涼。
「おい、舌打ちしたよな?お前は年明け初っ端から失礼なんだよ。その根性叩きなおしてやるから顔貸せよ」
清々しい笑顔で指の骨を鳴らす真に見下ろされたまま、涼は何食わぬ表情で「ふん。相変わらず猿並みの低レベルな頭だな」と馬鹿にするように呟く。
前言撤回。心優しいなんて嘘だ。こいつは悪魔だ。
「お前外出ろ!そのむかつく顔、百発殴らないと気がすまない!」
「寒いのに外出ろとか野生児の考えることは全く分かんないね。それと俺に怪我でもさせたら義姉さんがどう思うか」
「うざっ!このシスコン野郎が!初恋の相手の前だけでは良い子ぶりやがって!」
「なっ、シスコンじゃねえよ!勝手なこと言うな、お前こそブラコンじゃねぇか!」
「誰がブラコンだ!ふざけんな!」
いつもこうだ。顔を合わせる度に涼は憎まれ口を叩き、それに真が牙をむいてかかると優紀か文月が仲裁に入る。今は一之瀬がその役目を負うことに。
「二人とも喧嘩は止めてください。せっかく皆でこうして集まったんですから」
一之瀬は両者互いに引かず言い争う間に果敢にも割って入ろうとした。ところが、次に涼の口から飛び出してきた言葉に、一之瀬の表情が変わる。
「それにな、お前だって優紀兄さんが初恋なんだろ!……あ」
しまった、と涼が即座に顔をしかめるが時すでに遅し。自分が義理の姉に恋をしていたことを図らずも暴露してしまったからのしまった、ではない。
真の顔は隠しようもなく真っ赤になり、それが真実なのだということを確実なものにした。傍観していた他の4人は口々に「やっちまったな」「涼ちゃんOUT」「大丈夫なのか、これ」「あらららら」とあくまでも傍観者としての立場を崩さない。
そんな中、一之瀬が真の肩をがっと掴んだ。真の体が飛び跳ねる。
「これはとても興味深いですね。真さん、詳しくお聞かせ願えますか?」
「いやいやいや本気にするなって!冗談に決まってるだろ!」
「冗談?へぇ……」
害の無さそうな笑みを浮かべているが、迫り来る威圧感が半端ない。冷や汗たらり、足も震えて怖気づく。その時、真に救いの女神が舞い降りた。
「あら真ちゃん、いらっしゃい!夕美子さん腕によりをかけて作ったから沢山食べていってね。ほらお父さんも早く!」
「真ちゃん?真ちゃんが来たのか!明けましておめでとう。今年はもっと家に遊びに来てね。君が来てくれると家の中が一気に明るくなるんだ」
「あ、ありがとうございます。明けましておめで、うぉっ!?」
「父さん!」
真の驚いた声に一之瀬の怒声が重なる。
夕美子が一之瀬の父、夏樹の背中を押しながら居間に現れ、眠そうな顔をしていた夏樹は真を見つけた途端に表情を華やがせ、少年のように軽い身のこなしで真に近寄ってハグを繰り出したのだ。真から引き離そうとする息子の手を夏樹はひらりとかわし、真の肩を抱いて未亜たちの輪に加わる。
「さ、いただきましょ。夏もいつまでそこで突っ立ってるの」
夕美子が当然のように夏樹と挟んで真の隣に腰を下ろし、料理を取り分け始める。
「……からかうのも程ほどにして欲しいものです」
深いため息を吐いた一之瀬はテーブルを挟んで真の正面に座り、両親からのもてなしを受ける彼女をじっと見つめた。あからさまな視線に気づいたのか、避けようもなく目が合う。
──逃がしませんよ?
そんな意を込めてにっこりと微笑みかけると、真は顔を青くして引きつった笑みを返した。
もう後少しで終わらせられそうな予感です。あくまで予感ですが。




