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プロメテウスに炎を捧げよ  作者: 浦切三語
2nd Story フェイト・オブ・ジ・イノセンス・ギア
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2-60 PM19:33/簒奪の勝機②

「いいか、今のお前は人間並みの力しか持っていない。足の力も、腕の力も非力だ。この戦況をどう切り抜けるか、よくよく考える必要があるぞ」


 雑木林の影で声を潜めるベルハザードの忠告に、エヴァは深々と頷きながら、いましがた榴弾の一撃で爆炎に包まれたフェンスの彼方を見やった。


 夜目の効き具合は人間のそれと大差ないまでに低下しているが、周囲の標識灯が照らしてくれているおかげで、状況を把握するのは困難ではなかった。


《イドの怪物》はすでに姿を消していたが、行方を知る手がかりは、今もなおエヴァの手中にある。エヴァは、作業着を透過して己の臍から緩やかに勾配をつけて伸びる、黒いアンビリカル・コードの先を見上げ、状況をベルハザードに伝えた。


「あの怪物、どうやら()へ向かいやがったみてーだ」


「どのみち、ヘリを奪う必要があるということだな」


「あとニコラも」


「分かっている。焦るな」


「焦ってなんかいねーよ」


 その台詞通り、声にいつもの(・・・・)エヴァが見せがちな苛立ちのニュアンスが全く込められていなかったことに、ベルハザードは意外そうな表情を浮かべたが、すぐに普段通りの、戦に臨む戦士の厳しさを湛えたものになる。


「ならいい」


「……ああ」


 出来れば鬼血人(ヴァンパイア)狩りの戦士たちがやってくるより先にニコラを取り戻したかったのがエヴァの本音であるが、敵に見つからぬよう慎重に迂回ルートを辿ってきたため、出遅れるかもしれないという予感も、その覚悟もあった。


 だが、出遅れたとはいえ失策だとは思わない。相手の手札を推し量ってから飛び道具の要領で急襲するというベルハザードの提案に乗った以上、今はどうやってこの状況を己に有利な形に転がすか。それだけに集中するべきだったし、事実そうしていた。


「初見だが、あの人馬一体の奴が要注意だな。巻き添えを食らってヘリが壊されたらどうしようもない」


 ベルハザードの指摘はもっともだったが、エヴァはむしろ、その傍らに立つ痩身の男の方が気になった。ムルシエラ・ザ・スクリーム。その背中に取り付けられた四枚のナノシート製の翅。同様の兵装(・・)をした鬼血人(ヴァンパイア)狩りの戦士を、以前に見かけたことがあったのを思い出す。コロニー最後の夜。鬼禍殲滅作戦(オウガ・バニッシュ)が実行された日の夜に。


 オクトパシーとムルシエラ。両者ともに、エヴァはもちろん、ベルハザードと会敵したこともなかったため、彼らは『体臭』のデータを保有していない。そのため、こうしてすぐ後方の雑木林に身を隠していても、余計な物音を立てない限り、気づかれることはないというベルハザードの見立ては、正しかった。


 事実、緋色の狩人らは全く背後に気を払う素振りをみせなかった。《奇跡の体現者》たるニコラをどうにか奪ってやろうという野蛮な熱狂で頭の中が一杯らしい。無論のこと、エヴァたちもニコラの動きの一切を見逃さないよう、その振る舞いを注視している。


「……不死身という話、どうやら本当らしいな」


 爆炎に包まれてなお、肉体どころか衣服にすらダメージのないニコラの姿を見て、ベルハザードが少し驚いたように言った。


「アタシにしたら今更って話だ。むしろ、あの女サイボーグの方が気になる」


 自分に代わって、ニコラの手を引くアンジェラ・ミキサーを、嫉妬に近い視線で見つめ、エヴァはそう呟いた。榴弾の一撃を食らっても大したダメージを負っていないのは、ニコラを咄嗟に盾代わりに使用したからだろう。ニコラがどんな存在なのか知っていなければ、決してできない真似だった。


 自分だけしか知らなかったニコラの特性を、サイボーグも、そしておそらくは鬼血人(ヴァンパイア)狩りの戦士たちも知っている。アドバンテージが失われたということ以上に、自分と二コラの繋がりが、そう特別なものではなかったのだということを教えられたようで、少し気分が重くなった。


「(なんだか、随分と自分勝手な性格をしているんだな。アタシって奴は)」


 自嘲気味に笑みを浮かべ、草木の陰から必死に首を伸ばし、人間並みにまで落ち込んだ視力で遠くを見る。ニコラではなく、アンジーの姿を。その鬼気迫る表情や、目線の動きを。ただの食料に過ぎなかった人間の顔を、こうして集中して見つめる日が来るなんて、エヴァにしてみれば思いもよらないことだった。


「案は浮かんだか?」


「……一応な」


 頃合いが近づいてきた。混沌とする戦場を切り抜けるための算段を実行する時が。


「まず……クリムゾンのあの二人。どっちも遠距離攻撃を仕掛けるタイプとみて間違いない。あの蝉みてーな奴が背負っている翅……あれは音響攻撃の兵装だ。それも指向性を持つタイプの。以前、同じものを見たことがある」


「指向性を持つタイプの音響兵器か。なら対処法はいくらでもあるな」


「そう。だからベルは馬の方を抑えてくれ。奴らの狙いもヘリだから、そう易々とぶっ放すとは思えねーが、それでも対処しといたほうがいいと思う」


「抑えてくれ……か。殺す必要はないと? 呑気なものだ。情けをかけるような状況でもあるまいに」


「それは……」


 エヴァが、何かを言いたげにベルハザードの目を見つめた。真っ赤に染まる右目と、すでに、ほんの少しだけ灰色に濁りつつある左目を。


「見くびるなよ」


 エヴァの言わんとしていることを察し、ベルハザードが怒気もあらわに静かに声を尖らせる。


「気遣いなど無用だ。たかが家畜の一体、殺すのに手間はかからん」


「……うん、わかった。じゃあ任せる」


 ごめん、とは口にしなかった。同情を寄せるような言葉を無遠慮に発して、これ以上ベルハザードの矜持を傷つけたくはなかった。


「一体を殺してもまだ二体。そのうち一人は手札が分からないときたぞ」


「それが分かるまで待つってのもアリかなと思ったんだが……」


 言って、そんな悠長な時はないことを思い知らされた。予想通り、ムルシエラの音響攻撃と思しき手段で、ニコラを引き連れていたアンジェラ・ミキサーが、苦悶に縛り上げられている。


「あれだけ弱っている状態なら、アタシでもなんとかなりそうだ。ベル、アタシをあそこまで投げ飛ばせるか?」


「可能だが、お前、武器はどうするんだ」


「これで、なんとかする」


 言いながら作業着ズボンのポケットから取り出したのは、再開発区域の倉庫から持ってきたレンチだった。エヴァの細い手に握られているのもあって、随分と貧弱に見えた。


「本気……のようだな」


 呆れるような口調で、わざとらしく溜息をついてみせる。だがエヴァは恥じる様子も見せず、やる気だけは十分にあるという風に鼻息荒く続けた。


「投げ飛ばされた時の勢いそのままに振り下ろせば、無傷ってわけにもいかないだろうし、隙は生まれるはずだ」


「工具一本でどうにかなる状況には、どうやっても見えないがな」


 言って、ベルハザードはおもむろに腰に下げ佩いた手斧へ手を回すと、カチリとチェーンを外した。太母から賜りし、夕焼け色の刃を誂えたそれを手に持つと、持ち手の方をぐいとエヴァへ差し出す。


「……ベル」


 己の命より、ある意味では大切な武具にして名誉の証。それを差し出してきた真意を測ろうと、エヴァは手斧に向けていた目を、真剣な表情をしたベルへ移し、それからまた手斧を見た。


 同胞殺しの刃。自分に万が一のことがあった時に、その命に止めを刺すように偉大なる太母が錬成した刃。その静謐な切っ先が向けられるはずの自分が、これを手にしても良いものか。


 悩みつつ、しかしレンチよりはましかと思い手を伸ばしかけたところで、すっと手斧が遠ざかった。おあずけをするように、ベルハザードが手を引いたのだ。


 空を掴みかけた手もそのままに、困惑の面持ちでエヴァがベルを見つめる。


「改めて言っておく。全てにケリがついたら、俺はお前を殺す。そこのところは履き違えるな。俺はお前を殺すために、お前を生かそうというんだ」


 嘘偽りのない昏く重苦しい決断を口にしたベルハザードの顔つきは、鋼のように硬かった。


「お前を殺すことになる刃を、当のお前に託すのは、一時的とはいえ、俺としても不本意なことだ。だが状況を切り抜けるには、こうするしか他にない……エヴァ」


「うん」


「俺に殺されるに足りる戦士であれ。そのための研鑽は、いま、この時でさえも積むことができる」


「……うん」


「自分がどうありたいかは、自分で決めるしかない。この刃は、それを導き出すための力になるかもしれない。そのことをよく噛み締めて使うんだ」


 それだけを言うと、改めて手斧を差し出す。


「分かった。なるほどつまり、ベル、あんたはこう言いたいわけだ」


 エヴァの顔から、弱気な困惑の色はいつの間にか消えていた。代わりに、闇の眷属たる鬼血人(ヴァンパイア)に相応しい、気迫に満ちた凄絶な笑みを湛えて、


とっとと片づけるぞ(・・・・・・・・・)ってことだな」


 手斧を受け取り、そろりと立ち上がる。物腰こそ慎重だったが、その顔は精気に漲っていた。


 ベルハザードも仏頂面のまま、しかし唇の端を喜色に歪め立ち上がった。


「途中で斧を落としたりするなよ」


 ほとんど冗談に近い忠告を口にしながら、当人から言われた通りに投げ飛ばしてやろうと、エヴァの華奢な、しかし女らしい体躯に近づく。左手を胸に、右手を臀部にそっと当てがおうとした。


「ま、待て、ストップ」


 が、エヴァが緊張しきった顔で、且つ小さな声で「待った」をかけた。降参のポーズのように、両手を顔の横に持ってきている。心なしか、頬が赤く染まっていた。


「どうした」


「なんだよ、その、あやしい手つきは」


「あやしいだと? どこが? やり投げの要領で投げるのが一番やりやすいんでな。空中で態勢を整えるのは難しいが……ぐずぐずしている暇もない」


「ちょ、だから」


 気を取り直して触れようとしたが、またそこでエヴァがストップをかけた。


「なんなんだ」


「その、触るのか? アタシの胸とか尻に」


「そうしないと投げられないだろうが」


「あ、うん……あ、でもなんか、その……本当に触るのか?」


 腰を入れようと屈んだベルハザードを見下ろしつつ、エヴァが甘く睨みつけた。人間の、それも若いオスが睨みつけられた当人であれば、そのどこか恥じらいの込められた眼差しに胸の鼓動を刺激されるやもしれない。


「……?」


 だが、ベルハザードは状況を飲み込めなかった。たかが(・・・)胸や尻を触ること(・・・・・・・・)に対し、なぜ彼女が抵抗感を覚えているのか、全くこれっぽっちも理解が及ばなかった。


「それがどうした。今まで組み手をやってきて、貴様の小さい胸やデカすぎる尻など、嫌というくらい触れてきただろうが」


「い、言わないでくれよ。言うと余計に、なんか、体がむずがゆくなるって言うか……あ、アタシもなんでそうなるのかわからねーんだけど、でも、なんか痒くなるんだよ……!」


 そこまでが限界だったらしく、エヴァは、ぷいと横を向いた。その鬼血人(ヴァンパイア)らしくない(・・・・・)態度を見て、彼女がいまどういう状態(・・・・・・)にあるのかを、さすがにベルハザードも察したらしい。だが、その表情には気の抜けたような空気が漂っている。


鬼血人(ヴァンパイア)には無縁の《異性に対する羞恥心》か。くだらん。力を喪い、人間のメスへ近づいたが故の弊害という奴だな」


「そ、そのメスって言い方、やめろよ……なんか、その……なんて例えていいかわからねーけど、とにかく、なんか、その……」


「状況を考えろバカ」


 まだ何か言いたげにしているかつての同胞の声を無視すると、ベルハザードはさっさとエヴァの慎ましい胸と自己主張の強い臀部をむんずと掴み上げた。


「ひゃあ――!?」


 エヴァが、ぜんぜんらしくない喚き声を小さく上げたのと、やり投げの要領でベルハザードがエヴァの体躯を遠くのムルシエラ目掛けて投げ放ったのは、ほとんど同時だった。





 ▲





「ひぎぃいいいいいいいい!!! ひぎぃいいいいいいいい!!!」


 夜のヘリポートに、人馬一体と化した狩人の、奇妙ないななきが響き渡る。


 オクトパシーの筋骨隆々な上半身へ飛び掛かったベルハザードは、右手をその太い首に回し、どうにか動きを抑え込もうとした。その隙にコートを翻し、素早く突き出した左手をかぎ爪のように曲げて下半身へ――剥き出しの重火器へかざす。


 たちどころに正四面体の赤黒い立方体が、左手の平に展開。各面から、これまた赤黒の触手がじわじわとうねりながら伸長し、下半身を突き穿たんと狙いを定めた、その時だった。


「ひぎぃいいいいいいいい!!! ひぎぃ!! ひぎぃ!! 殺しぢゃるううううううう!! 殺しぢゃるううううううう!!」


 見えない何かに弾かれたように、ベルハザードの上体が仰け反った。そのまま間断なく、何度も何度も、繰り返し繰り返し、爆竹が弾けるような奇音が、ベルハザードの顔面を強かに打ちつける。その都度、黒いコートに包まれた屈強な肉体が、オクトパシーの背中の上で激しく痙攣するかのように奇妙に踊り続けた。


 爆発――その通り、オクトパシーは周囲の空気を瞬時に圧縮して開放するという手段で、反撃に転じようとしていた。突然沸いてきた災難を振り払おうと、必死に必死を重ねたような、おぞましい叫びを奏でながら。


 ベルハザードの顔面を、延々と衝撃が襲う。まるで、透明のハンマーで滅多打ちされているかのようだった。舞い散る血しぶきが空気の爆発に巻き込まれて、オクトパシーの背と地面へ、どばどばと降りかかっていく。


 それでも、ベルハザードは呻き声ひとつとしてあげなかった。爆発に巻き込まれ、額の皮が捲れ、眼球が潰され、頬や鼻の骨が砕かれ、唇がひしゃげ、歯がへし折れ、喉の肉が抉れたとしても、首を絞める力を緩めることはしなかった。どころかますます力を込めながら、負傷したパーツを落ち着き払って再生し、飛び散った血を自動的に回収し、また破壊されてもなお諦めず再生し、それでいて攻撃の起点となる左手への意識も途切れない。恐ろしいほどの精神力の成せる技と言えた。


 壊れたおもちゃのように揺さぶられても、静かに狙いを定める針のように、真下へ向けられたままのかぎ爪状の指先。オクトパシーの呼吸を耳で微細に感じ取り、次に一際大きな空気爆発が来るであろうことを予測。その攻撃の《起こり》が到来する直前、瞬間、オクトパシーの筋肉が緊張でほんのわずかに硬くなるのを、ベルハザードの研ぎ澄まされた感覚は見逃さなかった。


 勝負は一瞬で決着がついた。四本の触手が剛槍のごとき勢いで、偉大なる重火器の鋼鉄を貫き、緻密に編みこまれた強化筋骨を砕き、貫通。


 致命傷。


 歪みかけていた周囲の空気が通常に戻りかけるのに前後して、ベルハザードはオクトパシーの背中を踏み台に、後方へと飛び退った。


 オクトパシーの人馬一体の肉体が爆発四散したのは、その直後だった。体内に装填されていた榴弾が、衝撃で爆破したせいだった。


 四本の脚部がすべからく吹き飛び、内臓が飛び出して破け散る。金属と肉片が火を纏ってあちこちへ飛散。千切れ飛んだ上半身は大量の血の海に沈んで動かない。


 何かを掴むように伸ばされた白い両手だけが、狩人の生きた証としてその場に残された。

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