2-55 PM19:05/虚無と鋼の獣③
「復讐」なんかをして、失った姉が戻るわけではないと知ったフウな事を言う者もいるだろう。
許すことが大切なんだという者もいる。
だが、自分の肉親をドブに捨てられて、その事を無理矢理忘れて生活するなんて人生は、あたしはまっぴらごめんだし…あたしはその覚悟をして来た!!
「復讐」とは、自分の運命への決着をつけるためにあるッ!
出典:荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険 第六部 ストーンオーシャン』
あなたのご尊父が大陸の武装グループに拘束されたのを、こちらでも確認しました――インターネット上で犯行声明ビデオが流れてからそう時間が経たないうちに、自宅を訪れた連邦外務省の職員は、緊迫した表情でそう告げてきた。
衝撃の度合いが大きすぎて、ヴォイドは何としたものか分からなかった。なんでそんな事態に陥ったのか、原因を探ろうにも思考が働かなかった。母は憔悴しきった様子で、職員の懇切丁寧な説明を聞きながら、壊れた操り人形のように、ときおり首をカクカクと縦に振るばかりだった。
外務省職員の説明では、こういうことだった。父は一週間の取材のために大陸へ渡航しようとしたらしいのだが、中止勧告が出ているから控えるようにと、外務省の職員が説得に乗り出したらしい。だが、信頼できるガイドたちを使うから大丈夫だと。もし自分の身に何かあっても、あなた方に迷惑をかけることはないと言い放ち、頑なに渡航の意志を曲げなかったという。
複数のガイドを使って紛争地帯へ潜入するという手段は、多くの戦場ジャーナリストが行う常套手段だ。おそらく父は、最後に案内を任せたガイドに騙されて、武装グループに引き渡されてしまったのではないか……職員はそのような推測を打ち立てた。
その推測は、果たして正しかった。外務省の職員たちは、その責任ある立場に就けるだけの優秀な頭脳を駆使して、すぐに父が巻き込まれた状況を順序立てて整理できるだけの情報を搔き集めてきた。その過程で、武装グループの正体についてもおおよそ把握していた。
連邦政府が絶対的に敵視する、政治的イデオロギーが正反対の大陸国家。表向きには民主主義政策を取っていながら、その実態は一人のカリスマの意向で全てが決まる強大な独裁国家。それが後ろ盾についていると以前から噂されている、一神教を奉じる砂漠国家の元軍属たちで構成された、過激派のテロリズム・グループ。彼らは政府の助力を得て、これまでにも多くの連邦同盟国のジャーナリストを誘拐しては、テロリズムに屈するよう強請をかけ、求めに応じないと分かれば、人質を即刻殺害してきたらしい。
政府ぐるみの誘拐ビジネス――それが武装グループの資金供給源の一つであると、職員らは断定していた。話を聞いたヴォイドは、率直な憤りを感じた。『どうしてそんな酷いことが出来るのだ』という、至極単純な憤りだった。自分達は、ただ平凡に過ごしていただけなのに。与えられた平和な生活を甘受することが、そんなに悪い事なのか。平和の輪を身内で完結させていることが許せなくて、だからそんな暴力的な手段に平気で出られるのか。逆恨みもいいところだと吐き捨てたい気分に駆られ、何としても父に帰ってきてほしいと切に願った。それは母も同じだった。
だが、行き場のない怒りと悔しさに苛まれるヴォイドの心情を慮れこそすれ、連邦政府としての立場は極めて厳然としたものだった。
外務省職員は冷静に政府の方針を告げてきた。『テロリズムに屈するわけにはいかない』と。ましてや武装グループの裏に、彼の大陸国家が陣取っている可能性が少なからずあるのなら、身代金を渡すことなどありえないと。受け取った額からいくらかをキックバックして、大陸国家の財政を潤すことになるに決まっている。その可能性がある以上、絶対に取引には応じないと告げた。
だからと言って、自国民をこのまま見捨てることは、連邦政府の理念に反する。そこで政府は一計を案じた。陸軍特殊作戦コマンドの分遣隊を現地へ秘密裏に送り込み、期日内に父を救出する作戦に出たのだ。
しかし結果から言って、この作戦は失敗に終わった。父が戦火の向こうから帰ってくることはなかった。期日が過ぎた翌日、武装グループがネットにアップした犯行声明ビデオの中で、痩せこけた父の肉体は、彼らの宣言通り二つに別たれて……すなわち首を骨ごと切断され、胴体とひとまとめに熱砂の上に放り出された。映像が合成されたものでないか、外務省の職員は慎重に検証したが、事実が覆ることはなかった。
連邦政府が打ち立てた救出作戦は失敗に終わったが、ヴォイドは今でも、それは嘘だったのではないかと訝しんでいる。
いや、正確にはこうだ。
政府は最初から、父を救出するつもりなどなかった。
それは表向きの話であり、実際には武装グループと大陸国家のパイプを証明するための物的証拠を発見することが目的だったのではないのか。自国民が危険に晒されている状況に便乗するかたちで、戦争の口実を見つけたかったに過ぎないのではないのか。そう疑念に感じたのは、人質事件の直後、政府の広報官が、武装グループの金銭的援助を大陸国家が担っていることを、確かな情報筋から確認したと大々的に国民へ発表したからだ。あまりにもタイミングが良すぎた。
大義名分を得た連邦政府は、国際機関が止めるのも聞かず、人質事件から一週間後に大陸国家への宣戦を布告。開戦と同時に、大陸国家への侵攻を開始した。
その一方で、何の前触れもなく突然に父を失くした家族を待っていたのは、マスコミや自国民の心無き言葉の嵐だった。
渡航中止勧告が出ていたのに、むざむざ殺されに行くなんて、自業自得だ。
あのジャーナリストは大陸出身、つまりスパイだったのでは?
我々の税金で特殊部隊を動かすなんて、なんて贅沢な野郎なんだ。
死んで当然だ。
ジャーナリストなんて所詮はお涙頂戴のハイエナに過ぎないじゃないか。
我々善良な国民に迷惑をかけるなんて、非国民にもほどがある。
テレビで、ネット上で、およそ口に出すべきではない言葉の数々が当たり前の顔をして乱舞した。それは少なくとも、ヴォイドと母の精神を摩耗させていき、真綿で首を絞めるような苦しみを与える程度の効力は持っていた。
もちろん、ネット上には父を擁護し、敬意を払い、彼のこれまでの活動を賞賛するコメントもあった。だがそれらを跡形もなく焼き尽くしてしまうくらい、自らを『善良』と言い切る国民たちの憎悪と怒りは、膨れ上がる一方だった。ネット上の有志達によって、あっという間に自宅は特定され、そればかりか、母が以前勤めていた学校名も暴露された。
理不尽な怒りの余波は、ヴォイドにも襲い掛かった。通っていたジュニアスクールの校長が、ガチガチの非戦主義者だったのもあって、教師ぐるみでの虐めが横行した。学校からの帰り道、同級生が後ろから拳大ほどの石を次々に投げつけてきた。頭を十針も縫う大けがを負ったが、母が学校へ抗議に出向いても、門前払いを食らうだけだった。
『奥さん、言っておきますがね……私たちはただ平和に過ごしたかっただけなのに、あなたの旦那が身勝手な行動をとったせいで、この国は戦争に突入したんですよ。この責任はどう取るおつもりですかな?』
校長のその一言が決定打となり、家族は引っ越しを決意した。だがその時すでに、悪評はネット上で醸成され、連邦全土へと加速度的に広まっていった。父の尊厳や名誉を徹底して傷つけるような、ありもしない過去が捏造され、それが次第に国民にとっての真実として形成されていった。
移り住んだ先でも、すぐに住所が特定された。毎日のように投石を受け、窓ガラスが割られ、嫌がらせの電話が鳴り響いた。マスコミの取材要請も一向に止まなかった。ヴォイドは学校へ通えなくなり、『ジュニアスクール中退』という、嘘のような経歴がついた。
母は息子に謝り続けた。こんなことになってごめん、と。その度に、ヴォイドは泣きそうな気分に陥った。
母が悪いわけではない。父が悪いわけでも、当然ない。父は自らの使命に忠実であっただけだ。では真に悪いのは誰なのか。戯言に踊らされる国民たちか。視聴率を稼ごうと厚顔無恥にも家に押し掛けてくるマスコミたちか。父の危機に乗じて、開戦の口実を見つけたがっていた政府の連中だろうか……どれも違うように、ヴォイドには思えた。
大陸の野蛮な男と結婚したアバズレと、そのアバズレの血を引く息子の家になら、どんなことをしても許される……そんな免罪符が『善良な』国民の間で共有されていたかどうかは分からない。だがそうとしか思えないくらいに日増しに暴力はエスカレートしていった。
警察に相談して家の警護を任せても、止まなかった。警官は、ただ玄関先に立っているだけで、家の壁にスプレーで落書きをしたり、車のフロントガラスを割る人たちを見ても、軽く注意するだけで、警棒を手に追い払ったり、即刻逮捕するという行為はしなかった。
そうこうしているうちに、ヴォイドよりも先に母の方が寿命を縮めていった。家の中でもきっちり化粧をしていたのが、いつしかそれも止めた。三十歳という年にして白髪が増え、食事も喉を通らなくなっていった。あれだけ饒舌だったのが、父の代わりとでも言うかのように寡黙になり、そうしてついに、父が愛用していたベルトを使って、トイレで首を吊って死んだ。リビングに息子への謝罪を書き置いて。ヴォイドが十二歳の時だった。
親戚は世間の憎しみの矛先が自分達に向けられることを恐れ、ヴォイドを拒絶し、児童養護施設へ送り込んだ。そこでの暮らしもまた酷かったものだ。職員らはあからさまにヴォイドを差別し、入居者たちの冷たい視線が刺さり続けた。
施設に預けられてから二年が過ぎた。十四歳を迎えたヴォイドに、友と呼べる者は一人もいなかった。苦しみを分かち合う人も、励ましてくれる人もいなかった。誰からも必要とされず、夢中になれるものもなかった。孤独極まる彼の目の前には、てっぺんの見えないせり立つ壁が我が物顔で陣取り、その壁にはいつだって、次のような言葉が書かれていた。
『お前の父親の軽率な行動のせいで、この国は戦争に突入してしまった。だからお前も同罪だ。一生責められる立場に甘んじるべきなのだ』
しかしながら、ヴォイドは母のように自死を選択することはなかった。その道を選択し、さっさと彼岸へ渡ってしまった母のことを、弱い人だとは思いたくなかった。
いかにして、この地獄のような状況から脱出すべきか。
その事ばかりを、日がな一日考え続けた。答えを導き出すのには、ずいぶんと時間がかかった。それは同時に、自らの置かれた境遇の原因を探る行為でもあったからだ。
父が渡航しなければ、こうはならなかったのか。そのことを何度も自問したが、答えはどんな時も同じだった。
父は悪くない。自らの命を投げ売ってまで、職務に忠実であろうとしただけだ。誰だって生きる為に仕事をする。それのどこが悪なのだろう。
世界に正義という概念があって、そのひずみによって生じたものを悪と呼ぶのであれば、ヴォイドの中で、それはただ一つの存在を指し示していた。
あの犯行声明ビデオに映っていた人物。沈鬱した表情の父の首を、喜々として切断して、ゴミのように砂漠のど真ん中へ放り捨てた、あの武装グループの殺し屋。
この苦しみを癒すには、あいつをどうにかこの手で処理してやらなければいけないのではないか。芽生えた復讐心は、次第にヴォイドの胸中をどす黒く燃やし始めた。一度湧いたそれを鎮火することなど、もうできなかった。
一度、自分と同じように、武装グループに親族を拉致されて殺された遺族たちから成る、互助グループの会合に、ネット上で参加したことがあった。そこで、自分を除く参加者たちが一様に口にするのは『大厄に遭ったようなものだ』と自らに言い聞かせて、辛抱するというものだった。憎もうにも、文化も価値観も異なる、身元もどこの誰だか分からない人の手に掛かったとなれば、それはもう、自然災害となんら変わらないと、彼らは口にするのだ。
ふざけるな――怒りが沸き起こり、二度とヴォイドはその互助グループにアクセスすることはなかった。
自分の運命に決着をつけなければならない――そう覚悟を決めると、彼は施設を飛び出て、志願兵として戦列に加わった。十五歳の、春先のことだった。
大陸との戦争が激化するなかで、逐次戦力の投下に足り得る若い兵士たちの参集は、将校たちにとっては吉報だった。ヴォイドの家族構成を知りつつも、彼らは酷い言葉を面と向かってぶつけることをしなかった。前線でモノになるだけの体力と胆力と技術を養わせること。それだけが念頭にあった。
将校らにとっての優秀な駒となり、戦場を搔き乱す。それが復讐への一番の近道だと感じたヴォイドは、自らサイボーグ手術の実験台になることを選んだ。与えられたのは、電磁制御装置を宿した鋼の両手。その十指から迸るワイヤーの輝線は、実地訓練も兼ねて投入された初の戦場で、将校らが思っていた以上の成果を上げた。いかな陸戦兵器だろうと、いかな機械化歩兵部隊が相手だろうと、さっと手を翻すだけで、面白くらいに破壊されていく機械という機械に人という人。
ヴォイドにキリング・マシーンとしての才能が元々備わっていたのか。それは本人にも分からなかった。ただ一つ言えるのは、自分がそれに『向いている』ことを実感できたことだった。日常から非日常への変遷に耐え切れず、戦場で音を上げる兵士を横目で見ながら、ヴォイドは冷ややかに思ったものだ。
あの地獄のような経験も、多少は役に立ってくれたようだ、と。
多くの兵士が、いきなり平和な日常から混沌渦巻く戦場へ放り出されたのとは、訳が違った。ヴォイドの『世界』は、戦争が始まる前から、非日常に突入していたのだ。ぶつけられる罵詈雑言が雨あられのような銃弾に代わり、投石がグレネードランチャーに代わり、周囲から向けられる憎しみのこもった視線が、敵のそれに代わったというだけのことだった。
いまさら何を恐れる必要がある。精神的な苦痛が、肉体的な苦痛に変わっただけでも、ずいぶんマシだ――戦場で肝を潰すことなく、コマンドに従って敵対勢力に著しい打撃を与えるという役目をこなしていくにつれ、次第にヴォイドは指揮官の覚えめでたい存在へと変わっていった。そうして実地訓練から三ヶ月と経たないうちに、彼は、自身が希望する部隊への転属を申し出て、受理された。
新たに配属された先は、高機動陸軍第七連隊。砂漠国家の国境に陣取り、大陸国家への補給路を断ち、民兵どもを殲滅し、戦線を後退させることを戦術的使命とする部隊。
あたり一面が砂漠の戦場で、砲弾と銃撃の轟音をバックに、成形炸薬弾特有の濃厚な黒煙をワイヤーの旋風で散らし、鋼線の御業を奮い続けるヴォイドの脳裡で、いつしか父の言葉が呪文ように囁き始めた。
――戦場について語ることは、死者について語ることと同じだ。
それは、確かにその通りだった。戦場は死者で満ち溢れていた。敵も友軍も関係なかった。弾薬という弾薬を消費するにつれ、死者の匂いはますますその濃度を高めていった。
撃墜された爆撃機のコックピット内で、首の骨があらぬ方向にねじ曲がって絶命した兵士たち。塹壕から顔を出した拍子に頭部を撃ち抜かれ、ヘルメット一杯に血と脳漿をぶちまけた者達。失くした腕を呆然と探し回った挙句、そのまま蜂の巣にされて絶命した兵士。岩にべっとりとこびりついた誰かの肉片。地上を覆い尽くす砂が、亡骸から漏れだす血を吸い取って赤黒く変色する。地雷で下半身を吹き飛ばされて息も絶え絶えな兵士たちへ、どこからともなく不気味な黒い鳥が舞い降りて、溢れ出した内臓を喜んでついばむ風景が頭から離れない。夜のキャンプ地で、いきなり空へ向かって銃を乱射し、獣のような咆哮を上げて気絶する兵士もいた。焼け焦げて、原型を全く留めていない人肉の塊が、灼熱の太陽に照らされて発するとてつもない悪臭にも、いつの間にか慣れてしまった。
そこは地獄だった。地獄の炎に焼かれて、皆が陽気に踊り狂っていた。三等兵から部隊長に至るまで、皆が狂っていた。狂っているのを当然のものとしていた。狂えるだけ狂える者こそが、この世で一番偉いのだという暗黙の風潮がまかり通っていた。敵兵を捕虜として捕らえ、どれだけ悪辣極まる非人道的な拷問に手を染めても、隠蔽さえしてしまえば問題なかったし、実際に部隊長たちは、その手の工作に関する多くの手錬手管を駆使したものだった。
そんな中にあって、ヴォイドは務めて冷静であろうとした。決して混沌と狂気に呑まれてはならないと。冷静な復讐心だけを以て、自らを戒めようとした。だが、その身に授かりし力が、それを許さなかった。
手を振るえば敵兵が面白いように死んでいく。首を斬り飛ばし、マシンガンごと両腕を切断し、命乞いする兵士の舌を捻じ切るのも、お手の物だった。まさしく万能の白兵戦兵器。指先をすこし動かしただけで、あれだけ憎んでいた敵兵たちが、ただの肉塊と化していく。どうにもならないと感じていた地獄のような状況を、自らの手で次々に塗り替えていく。
それは、たまらない快感だった。
昼の世界と夜の世界を行き来するにつれ、次第にヴォイドの中では、敵の民兵に対して、憐れみとも思える感情が芽生え始めていた。この優れた白兵戦兵器を前にしては屑も同然なくせに、何をムキになって命を捨てようと銃を手に向かってくるのだろうか。
俺が殺すのはいい。だが向こうが俺を殺そうと躍起になるのが、納得いかない。説明がつかないからだ。俺は俺の地獄を変える為に戦場にいるのであって、誰かに殺されるためにやってきたのではない。だから俺に銃を向けることは、全く筋が通っていない……
何かが、ヴォイドの魂の形を変えていった。その事に本人が最後まで気づかないまま、ついにその日はやってきた。小隊長に率いられて向かった街の制圧。沿岸部に面したそこは、ヴォイドの父をはじめ、数多くのジャーナリストを拉致しては殺害してきた、あの武装グループの拠点だった。
恐るべきことに、街一つが敵となって向かってきた。武装した民兵はおろか、特に訓練を受けてないはずのエプロンを身に付けた普通の主婦や、裸足の子供たちまでもが、どこから調達したのか見当もつかない短機関銃を手に、理解不能な異国の言葉を口々に叫びながら、物陰から銃撃をばら撒いてきた。
部隊に転属されてから、それは最も激しい戦いとなった。当初は車両隊が足止めを食らい、航空機が一機だけとはいえ撃墜され、慣れない市街ゲリラに突入したのもあって、何人もの兵士たちが犠牲となった。だが最終的には物量の多さと、湾岸を制圧した遠征打撃群からのミサイル攻撃、なにより、ヴォイドを始めとするサイボーグ兵士たちの常人を越えた活躍もあって、三時間のうちに街の制圧を完了した。
捕虜を積載する部隊を余所に、ヴォイドと小隊長は僅かな仲間を連れて、すでに制圧された武装グループの拠点へと向かった。事情を察した隊長なりの、粋な計らいだった。
現場に到着し、ヴォイドを始めとする面々は、制圧に従事していた仲間たちと合流した。屋根が爆撃によって見事に破壊された石造りの家の隅に、服を脱がされ、黒い肌を晒した男達が両手と両足を縛られ、正座させられていた。その数は、十二人。恐怖と絶望に顔を歪めて、濡れた瞳でこちらを見つめていた。身内と思われる女や子供たちまでも、同様に衣服をひん剥かれて、縛り上げられていた。
その中で、ひとりだけ泣くこともせず、じっとヴォイドの方を睨み返す人物がいた。名前はアリー・バクル・ムジャヒディン。武装グループにおいて『処刑人』を担当していた人物。連邦政府の調べでは、一連の誘拐ビジネスで人質を殺してきた下手人であるという見方が強かった。
『処理はお前に一任する』
小隊長は、それだけをヴォイドに言い渡した。
長年憎んできた仇を前にして、ヴォイドは考えに考え尽くした。良心の呵責に苛まれたからでは断じてない。そんなことを、彼は露ほども感じなかった。彼が考えたのはただ一つ――いかに苦しめて殺してやるか。それだけだった。
喜色に顔が歪んだ。
たっぷり二時間。それだけの時間をかけて、ヴォイドはアリーを殺した。
のみならず、残る十一人の名も知らない男達と、女子供も皆殺しにしてやった。
それはおおよそ、虐殺と言っていい所業だった。考え得る限りの絶対的苦痛を与えるのに頭をフルに使い、憎悪の限りをぶつけた。最初にアリー以外の十一人を三十分かけて殺し、次に女子供を同じ時間だけかけて殺し、最後にアリーを一時間かけて痛めつけ、殺してやった。
すぐそばで事の成り行きを見守っていた小隊長が思わず顔をしかめ、同僚たちが顔を背け、思わず吐いてしまうほどの、名状しがたい殺戮が、砂漠国家の片隅で、密やかに行われた。
アリーの絶叫が鼓膜を刺す。その声を聞けば、己の運命は切り拓かれるはずだと、ヴォイドは信じていた。だがおかしなことに、何かが開かれた予感は全くしなかった。脳裡に焼き付くのは、血に濡れたワイヤーと、かつて人間として生きていた者の亡骸の山。それだけだった。鋼の兵器と、それがもたらした虚無の残骸。それだけが、ヴォイドの手元に残った。
長きに渡る戦争が終結し、軍属を除隊したヴォイドは、その足を連邦ではなく大陸へと向けた。人類史上最悪の犠牲者数を生み出した事実を粛々と受け入れた人々の手で、砂漠国家は解体され、連邦の管轄の下、新たに都市が建造されていった。
後に《アポロン》と呼ばれることになるその都市へ、ヴォイドは足繁く通った。武装グループたちの拠点だったところには、劇場が建設されつつあった。過去の忌まわしい記憶を封じ込めるように。
その建設途中の劇場の前に立ち、ヴォイドは激しく懊悩する日々を過ごした。
あの時、なぜアリーだけでなく、無関係であるはずの男や女、子供たちまでも殺してしまったのだろう。そう考える一方で、本当に無関係なのか、そうは言い切れないはずだという思いもあった。
奴らは身勝手な主義主張を振りかざして、何の罪もない人たちを殺して回った。被害に遭った家族が落胆し、悲しみのどん底にいるというのに、奴らは遺族から掠め取った身代金で、派手に飲み食いしていたのだ。無関係であるものか。奴らにもアリーと同じだけの罪がある。罰を下して当然ではなかったか。
だが……ならなぜ、こうも気分が晴れないのだろう。自分は何を間違ってしまったのか。そもそも、何が間違いで何が正解だったのかの判別さえつかなかった。ただ一つ分かるのは、父はカメラを手に戦場へ立って死に、自分は武器を手に戦場へ立って生き残ったという、その事実だけだった。
だからと言って、父を愚か者だと詰る気には全くなれなかった。いつまで経っても、彼はヴォイドにとって、唯一のヒーローだった。相手を制圧するためではなく、世の中を正そうという一心で、銃撃飛び交う戦場へ向かっていったのだから。
家を出る時の父の背中を思い出す。あの大きな背中には、まごうことなく、『使命』と『誇り』の二文字が静かに刻まれていた。
本当は、父のようになりたかったのではないか――父のように、正義の心を胸に秘めて、世の中の真実を伝える。そんな職務に就けたら、どれだけ幸せだったろうかと考える。
だが現実は違った。父は悪を前にして斃れ、自分は父の仇を取るために、両親から授かった大事な腕を機械に挿げ替えた。そうして、沢山の絶叫と、沢山の血を、戦場で作り出してきた。
戦場の有様を伝えようとした父と、戦場そのものを生み出してきた息子。
血の繋がりが脆く思えてしまうほど、両者には絶対的な隔たりがあった。
その隔たりを、己の復讐心こそが生んでしまったのだと自覚した時、ヴォイドは、自分がもう普通の人間などではない、ただの獣に成り下がったのだと分かった。
しかし、獣にだって心がある。傷ついた心を自分なりに癒そうと、二十五歳の頃、従軍経験のある者達だけの組織を作ろうと思い立った。過去に受けた誹謗中傷のせいで、大勢の人を集める気にはなれなかった。なるべく、自分の素性を知らない者を募った方がいいとさえ思った。人の痛みを理解できる者達を一同に集めて、ハンターとして生きていこうと決意した。
何かが変わるかもしれない、という予感はあった。復讐で変わらなかった心のかたちが、新たな仲間を得て共に暮らす中で、それこそ奇跡的な変化を遂げるのではないかと。
だが期待は裏切られた。結局のところ、獣は人と分かり合えない。二つの屍が出来上がり、不運としかいえないこの状況に追いやられたことで、彼は己の運命を確信した。
あのとき、あの砂漠の戦場で、友軍や敵の膨大な量の死体と向き合い、荒れ狂う心のままに敵を虐殺していった。その時から全てが始まり、そして終わりを迎えたのだ。
何もかも、全て吐き出した後だったのだ。
残ったのは、この鋼の両手と、空っぽの心だけ。
それだけだった。
我々が皆自分の不幸を持ち寄って並べ、それを平等に分けようとしたら、ほとんどの人が今自分が受けている不幸の方がいいと言って立ち去るであろう。
出典:哲学者・ソクラテスの言葉




