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プロメテウスに炎を捧げよ  作者: 浦切三語
2nd Story フェイト・オブ・ジ・イノセンス・ギア
76/130

2-40 PM17:15/恩讐は彼方に在るか②

「あの怪物が外に出てきた時、体は動かなくても、なぜか意識だけはあった。あんたからは、ずっと眠っているように見えたんだろうが、意識だけがはっきりしていた。肉体と魂が分離したような状態で……気づいたらアタシは、アタシという魂は、倒れて動かないアタシ自身の体を見下ろしていた。それがきっかけで、アタシは記憶を取り戻した。頭の片隅に追いやって、隠しているという自覚すら忘れてしまっていた、罪の記憶を」


 滔々とエヴァが語る内容は、臨死体験を経た幽体離脱そのものと言えた。病気や事故による怪我などで昏睡状態に陥った患者が経験する不可思議な生体現象の一つだが、なかには、過度のストレスに苛まれて精神に異常をきたしかけた者も体験するケースがあることは、科学的な知見に乏しいとはいえ、医学的にも良く知られているのは事実である。


 先頃の戦闘時、雑居ビルの屋上でエヴァが体験したそれは、彼女自身にとって『二度目』の幽体離脱であった。


 一度目は、今から五年前のこと。雪深いチベット山脈に閉ざされたコロニーに快晴日が連続的に到来し、春の訪れを告げるように雪解けが始まりかけていた、さる三月の頃だった。


 鬼禍殲滅作戦(オウガ・バニッシュ)――プロメテウスを始めとした名だたる都市が、互いの主張や利益を超えて手を結び実行に移された、闇の眷属たちの一斉掃討作戦が、その日の夜、確実に実を結ぼうとしていた。


 鬼血人(ヴァンパイア)に匹敵する力と、絶命へ至らしめる武器を手にした異形のサイボーグ軍団は、険阻な地形を苦ともせずに、陸と空の二か所から同時に《斜陽の頂》の総本山を目指して驀進。《宮入りの儀》を迎えて大量の血を必要としている太母のために、都市へ狩りに出ていた乱獲士たちが緊急の知らせを受け取り、大慌てでコロニーへ駆け戻る前に、都市連合軍の一斉攻撃が開始された。


 北と南と東。合計三方向に設置された堅牢な門のうちの二か所を、歩兵部隊が同時に外側から攻略しつつ、ステルス機から舞い降りる空挺部隊の面々が領地内へ侵入。太母の守りを務める護衛士と、科学技術開発を担う検分士たちだけでは、数的な不利も手伝って、猛攻を食い止めることは叶わなかった。


 たちまちのうちに轟炎があちこちで上がった。けたたましい掃射音を奏でて、マズルフラッシュが夜の帳を裂き、輝灼弾の猛撃が鬼血人(ヴァンパイア)たちの命を次々に刈り取っていた。機動力に長けた戦士、制圧力に長けた戦士、戦闘継続力に長けた戦士。戦線維持に長けた戦士。各々が特筆すべき力を振りかざし、狩りに没頭した。


 エヴァは、太母が出産のために籠っていた《夜奏宮》と呼ばれる一室へ急ぎ向かうと、他の護衛士たちと共に太母を何とかして逃がそうと尽力した。緊急脱出用として秘密に拵えていた地下道の入口へ向かう途中、宮殿に雪崩れ込んできた《緋色の十字軍(クリムゾン・バタリアン)》の猛撃を受けた。一人、また一人と、太母を守らんと自らを盾にする同胞達が、異形の爪牙の前に絶命し、灰へ化していく中、最後までエヴァは生き残った。


 いよいよ地下道への入口にまでたどり着いた時、エヴァは共にここまで逃げてきた太母へ、なにか励ましの言葉をかけようと彼女の方を振り向いた。その時目に入ったのは、こんな危機的な状況にあっても、穏やかな様を崩すことなく、新たな命が宿って膨れつつある自らの腹を、愛おしそうに撫でる太母の姿だった。


「その瞬間だった。あぁ、この人は愛されているだけじゃなくて、愛を注げる立場にもあるんだなってことに気づいたのは。戦争中だってのに、危機感が足りないって思うか? だってしょうがねぇだろ。そんな風に感じたのは、間違いないんだから」


 愛を受け取る立場、愛を与える立場。そのどちらも、何の努力もせず、ただ『太母』という座に生まれただけで獲得している存在――そんな後ろ暗いかたちで認識してしまったのが、エヴァの偽らざる本心であると、他でもない当人が実感した。


「気づいた時、アタシは自分の手で太母をこの手にかけていた。前後の記憶がぷっつり途切れて……当時のアタシは大いに慌てたもんさ。何がなんだが、まるで分からなかった。だから、ベル、アンタに向かって『太母殺しなんてやってない』って口にしたのは、あれは本心から出た言葉だったんだよ。少なくとも当時のアタシは、本気でそう認識していたんだ。事実を記憶の中で捻じ曲げて、アンタの追及から逃げていたんだ、ベル。アタシは、あんたが思っている以上に、臆病者なんだ」


 途切れたシーンを最初から無かったことにして、無理やり場面を繋げた映画のような、どこか不自然な記憶の流れ。それこそ、自らの行った罪から逃れようとした欺瞞の証に他ならない。己の手が招いたこととはいえ、『太母殺し』という凄惨な事実を前に心が崩壊しないよう、無意識に精神の防衛反応が働いて、記憶を都合良く捻じ曲げた。


 だが、あの雑居ビルで二度目の幽体離脱を体験したのが契機となり、あらゆる過去の情景や記憶の流れが、無意識的に覆い隠してきた罪の感情と強く結びつき、太母殺しに手を染めたのが、紛れもない事実なのだということを突き付けてきた。科学的な説明こそ不十分であるが、少なくともエヴァはそのように捉えている。いや、捉えざるを得なかったと言うべきか。


「どういう原理なのかは、自分でもはっきりとしない。ここにきて記憶が蘇ったって話しても、あんたにしてみれば『なにをいまさら』って感じなんだろうな」


 新たな命が宿ったお腹を力づくで殴り抜いて、太母を殺害してしまった。一連の恐るべき行動を選択したのは、他ならぬエヴァの真意だった。彼女の深層意識に眠る、死の欲動を司るイドが具現化した結果が招いた惨劇。


 それを実行に移そうと、ほとんど本能的に決断した刹那、エヴァ当人の意識は肉体から分離し、他人を見るような目で自己を見つめていた。その有り得ざる現象を前にして、彼女の精神は千々に乱れ、親愛なる友人に目撃されたことがきっかけで、逃走に至った。


 何も見ていないし、何も知らない。


 当時はそう認識することで、過酷な現実に心が圧し潰されないように、自らを誤魔化して生きるしかなかった。事実、意識の表層においては、太母殺害時の記憶の前後が抜け落ちていたのは間違いなかったのだから、あれを夢の中の出来事のように捉えてしまったのも、エヴァ当人からしてみれば自然のことだったのだろう。


 しかしながら、あの時に体験した幽体離脱に近い感覚を、再び雑居ビルの屋上で取り戻してしまった以上、もう己の心に嘘をつくことなど、決してできなかった。失われた記憶のフィルムを意識が回想する中で偶然にも探り当て、そのモノクロの映像の中に映る、ただ一点の鮮やかな色彩が瞼の奥に焼き付いた以上、目を逸らすことは許されず、黙って受け入れるしかなかった。


「あの人は、アタシに無かったものを全て持っていた。アタシが欲しかった幸せ……絆とか、信頼とか、そういうものを一身に与えられていた。幸せに満たされて、心に余裕があったから、自分の子供たちに優しくしていたんだ。それって、とても不公平じゃないか。同じ狭いコロニーの中で、理解して欲しいのに除け者にされる奴と、理解して欲しいとも思っていないのに誰も彼もが信奉する奴が一緒に暮らしているなんて。こんな残酷な話があってたまるか」


 目を赤く腫らし、鼻を啜る。


「俺は」


 言葉が途切れたところで、ベルハザードが声を挟んできた。ひどく乾いた声だった。


「俺は……少なくとも貴様を理解しようとしていた。太母に命令されたからというのもあるが、それ以上に、孤立するお前を放ってはおけなかった。だから、色々と気を揉んでやったつもりだったが、それでは足りなかったというのか」


「……ごめん」


 攻撃的な動因が抜け落ちてしまったからだろうか。普段からは想像もつかないほど、大人しく従順な素振りを見せるエヴァを前に、ベルハザードは、自分が恩着せがましい発言をしたことに気づき、恥じ入るように顔を伏せた。


 エヴァが太母殺しの自白を供述し始めた当初は、これで再び復讐の炎が燃え上がり、言い訳も何も聞かずに、彼女の首を手斧の一振りで両断できるだけの覚悟が宿ると確信していたが、まるで違った。逆に事の真相を耳にしたことで、事態はそんな単純に解決できるものではないのだと、突きつけられた気分だった。


「イドの怪物は、貴様の意識下にありながら、意志で完全に制御できるものではない。アレは貴様自身の心の影であり、同時に、お前の精神に巣食っていた、得体の知れない怪物そのものだ。もしアレがただの思念体なら、それが実体化するなど、いくら何でもありえない。イドの怪物は貴様の持つ全ての力(・・・・)の根源そのもの。それ自体が意識を持ち、それ自体が自我を持つ、正真正銘、一つの生命体として見ることもできる。貴様の意識が暴走し、貴様自身に悪行を為すように働きかけたというより、貴様の欲動をエネルギーとして喰らい、現出するのに必要な臨界点を越えたと考察するのが適切だろう」


「……なんだ? 急にごちゃごゃと難しいことを」


「話を逸らすな。これは、お前の問題なんだぞ。もっと真剣に考えろ」


 外で再び雷が鳴り響き、今度は、鋭い目つきのベルハザードの姿が、闇の中で浮かび上がった。そのくすみかけている赤い眼差しの奥にあるものが、怒りとはまた違った感情の類であることを瞬時に感じ取ったせいで、エヴァはますます困惑した。


「なんだよ……ベル、あんたアタシを殺そうとしていたんだろ? それなのに、その言い草、まるで……」


「なんだ」


「アタシを庇っているみたいっつーか……」


「…………とんでもない楽天家だな、貴様は」


 ぎり、と強く奥歯を噛む。


 もどかしい。何もかもが、ひどくもどかしい。


 結局、エヴァをどうしたいのか。


 自問自答するも、明確な答えはここに至っても導き出せなかった。


 今ここで躊躇することなく、手斧の柄にかけている指先に力を入れることができたら、どんなに楽だろうか。だがそれを邪魔するように、もう一方の考えが脳裡を過り続けて仕方なかった。


 その決断を実行に移して、本当に全てが清算できるのかという疑念――赤子同然の存在となったエヴァを殺しても、一人暴走を続けるイドの怪物を放っておいて良いはずがない。ならば、エヴァを殺した後にそいつもこの手で始末すれば、全ては丸く収まるのではないか。


『お願いです。どうかエヴァンジェリンの力になってください』


 違う――輪郭を象りかけていた思考が反転して翻り、そこから新たな問いかけが、鋭い矛となってベルハザードへ向けられた。そのせいで、振り上げた拳の置き所が全く見えなくなった。


 そもそも、エヴァを殺す必要性とはなんだろうか。俺はなぜ、こいつを殺したいと憎んでいたんだ。


「あの、ベル」


 悶々としている最中、エヴァが遠慮がちに声をかけてきた。振り返ると、彼女はすっかり毒気を失くした様子でいながら、どこか諦めたような表情を浮かべていた。


「いいよ、そんなに思い悩まなくて」


「思い悩んでなどいない」


 憮然として応じると、あっけらかんとした調子で返してきた。


「殺しちゃっていいよ、アタシを」


「――なんだと?」


 想像だにしていなかった発言に、思わず小さく口を開けて、二の句が継げない。


「いいんだよ。もう……いいんだ。結局、アタシが太母を殺した事実に変わりはねぇんだから。今になって後悔しても、もう遅いけど……アンタがアタシを殺したいほど憎んでいるのなら、いいよ。アタシを殺して、楽になってくれ」


「おい」


「それに……友達に殺されるのも、案外悪くないかもな」


 エヴァは白々しいほどに微笑んでいた。何かを悟ったようでいながら、その実、やけに卑屈な感情を覗かせた表情だった。


「……ッ……貴様ッ……」


 ベルハザードの神経に電流が奔った。沸騰しかねないほどの怒りが肚の奥底から湧き上がり、一向にまとまりを見せない思考の全てを噴煙のように吹き飛ばした。記憶の中に宿る太母の言葉が、割り込んでくるだけの余地もなかった。


「腑抜けが……ッ! この期に及んで、ふざけるなよッ!」


 凄まじい形相で怒声を一発かました。びくりと肩を揺らして怯えるエヴァには目もくれず、ベルハザードはとてつもない速度でエヴァの手を拘束していた結束バンドを爪で切断するのと同時、斧の柄に這わせていた手を振るってエヴァの胸倉を勢いよく掴むと、力強く壁際に押し付け、至近距離で怒鳴りつけた。


「逃げるなッ! この根性無しがッ! お前のやったことは取り返しがつかないが、だからと言って逃げるなッ! 現実から逃げて逃げて逃げ続けて、こんなクソみたいなぬるま湯の街に住み続けて、それで一生を終えるつもりなのかッ!?」


 これまで一度もエヴァや同胞達の前では見せた事のない、戎律のベルハザード渾身の魂の発露。階層間エレベーターの場でエヴァに啖呵を切って見せた時の、憎しみで身を焦がすような負の気迫とは別種の感情の爆発だった。もっと純粋で、もっとニュートラルな精神の躍動。叱咤――そう形容するのが最も適切に思えた。


 あまりの迫力を前に、壁に後頭部を打ち付けられた痛みも忘れて、エヴァは唇を引き結び、かつて最も親しかった仲間の命懸けの訴えに、耳を傾けるしかなかった。


「お前を許す訳にはいかないッ! 当たり前だろうッ! 俺の、俺達の、コロニーにとっての、最も大切な人を殺されたんだ。それをやったのが人間だったら、まだ話は単純だった。だが殺したのはお前だッ! よりにもよって、お前が、だッ! それがどれだけ俺の心を痛めつけたかッ! 朝も昼も夜も関係なく、何日も何か月も何年も、ずっとずっと苦しめられ続けてきたんだッ! 死んだような心で生きることの辛さが、お前に分かるかッ!? お前がやったことはなぁ……! 到底、到底許される行為じゃないんだッ! だが……それでも俺は……俺は……」


 次第に声量が落ちていく。広い倉庫に似つかわしくないくらいに小さく、より細く、より先鋭化し、魂の核だけを言葉に残して、彼は吐露し続ける。身の丈に収まらない、想いを。


「俺は……どうしたってお前を…………殺せ、ない……ッ!」


 そして決定的な一言が、ついに頑強な精神の檻から音もなく溢れ出した。太母殺害の真実を耳にし、激しい困惑に襲われ、記憶の中の太母の誘導に甘えることなく、真心からの怒りを以て思考の揺らぎを吹き飛ばして、意識の水底でもがいていた『本心』を、ついに彼は探り当てたのだった。


「……腑抜けなのは……俺も同じだ。こんな醜い姿になって、命を削る真似をしてようやく、太陽の下を歩けるようになった。それがお前を殺すという誓いと覚悟の証明に他ならなかった。でもな……でもな、やはり、殺せないんだよ、俺には、どうしたってッ!」


 胸倉を掴む手が、ひとりでに震える。


「たとえ太母殺しという大罪を犯したとしても、それがお前とあっては、どうやっても殺せないんだッ!」


「ベル……」


「お前を殺すということは、共に過ごした時間を全て否定するということだ……馬鹿話をして騒いだことも、稽古をつけてやったことも、お前を軽んじる同胞を諫めたことも……全部、何もかもが無かったことになる。そんなの、納得がいくものか……」


 手の力を緩めてエヴァを開放すると、ベルハザードは眦を決して続けた。


「教えてやらなければならないことがある」


 どうにかして、言葉に変えて届けなければならない。自らと、太母の想いを。その一念を胸に、ベルハザードは腰に吊ったチェーンから手斧を取り外すと、暗がりに包まれた倉庫内でも、夕焼け色の光を仄かに放つ刃を見せつけた。


「この斧は、太母が俺に授けてくれた、同胞殺しの力を秘めた斧だ」


「同胞……殺し……それって」


 物騒な響きを耳にして、顔面から血の気が引いていく。さすがのエヴァも気づいたのだろう。多くを語らず、ベルは黙って頷いた。


「もしもの事があった時は、これを使う(・・)ようにと仰せられた。だがその一方で、太母は可能性を見出していた。お前に、種族としての可能性をな。コロニーを嫌っている以上、こんな話をしてもしょうがないだろうが、太母はお前を信じていた。無論のこと、俺もだ」


 俺もお前を信じていた――その一言を受けて、エヴァの表情が後ろめたさに少し曇った。何も与えてくれないと思っていた窮屈な場所でも、変わらず寄り添ってくれる存在がいたことに、改めて気づかされた。そして、そんな大事な人を蔑ろにしてしまった己を、心の底から恥じた。エレベーターに乗り込んだ際に、ニコラを無理やりバッグに押し込んだ。あの時も恥を感じたが、それよりも、ずっと深く、忘れがたい恥だった。


「お前が自身の弱さを乗り越えてイドの怪物を制御できるようになった時、鬼血人(ヴァンパイア)は新たな生を歩むことができる。その手助けをするのが、俺の役割だった。それは……今でも有効な約束だ。おい、エヴァ」


 こんな状況でも、名前を呼んでくれる。その事実に妙な感激を覚えながら、エヴァはじっと彼の言葉を待った。


「いま、どんな気分だ」


「……どんなって」


「抜け殻になって、どんな気分だと聞いているんだ」


「そりゃあ……」


 しばらく考えてから、唇を嚙み締めて、ひどく悔しそうに答えた。


「最悪に決まってんだろ。それに、不便極まりない」


「ならば……力を取り戻せ」


「え?」


「二度も言わせるな。力を取り戻すんだ。その為にはまず、あのイドの怪物を見つける必要がある。雑居ビルから逃走した後の行方は掴めていないが、何とかして探り当てなければならん」


「血の共鳴反応は使えないのか?」


「それもさっきから試してはいるが、まるで反応がない。あれは血を感知するという以前に、同胞のみを対象とする限定的能力だからな。俺の中で、アレを同胞だと本能的に認めていないせいで、反応強度が著しく弱まっているのかもしれん」


「そうか……でも、きっと大丈夫だ。奴の居場所、アタシには分かるから」


「なに?」


 怪訝な表情を見せるベルハザードに、エヴァは恐る恐る告げた。イドの怪物の居場所を見つける方法――それを耳にしたベルハザードは、目を皿にしてエヴァの腹の辺りを見つめ、それから再び彼女の顔をじっと見て言った。


「それは本当か」


「嘘をついたところで、どうしようもないだろ」


「だったら話は早い」


「でも居場所が分かったとしても、力を取り戻す方法を考えないことには……」


「まったくの無策ということもない。幸いなことに、俺にはこの手斧がある」


 力を誇示するように手斧を見せつけると、それをチェーンに括りつけてから、ベルハザードは神妙な面持ちで続けた。


鬼血人(ヴァンパイア)がその長きに渡る寿命を全うして灰と化した時、彼らの霊魂の一部は太母の中へ還ることが知られている。それが太母の血と交じり合うことで、次世代の同胞達が生まれてくる。ときおり、過去の鬼血人(ヴァンパイア)と似たような顔立ちの者が生まれてくるのは、そのせいだ。太母の中から生まれた者の魂は、太母の中へと還る。それが俺達の原理原則だ」


「……言いたいことは分かった。あの怪物はアタシの心の中から生まれた存在だから、倒してやりさえすれば、アタシの中へ自動的に戻るってことか」


「理屈の上ではな。規格外のケースであるから、推測通りにいく保証はない。まぁ見立てが違ったら、その時はその時。別の方法を考えるまでだ。だが理屈が真実となり、お前が無事に鬼血人(ヴァンパイア)の力を取り戻したら――」


 そこでベルハザードは目を細めると、うっそりと蒼白い唇を開いた。


俺と戦え(・・・・)。これは取引だ。力を取り戻してやるのに協力はするが、その代わり、俺と戦うんだ」


 取引――その無機質な言葉が持つ意味について考えていると、ベルハザードは堂々とした出で立ちで、力強く言い放った。


「俺はお前を許せない。その気持ちに変わりはない。だが、お前をいま一度信じたいという気持ちもある。だから、お前を試す(・・・・・)。お前が本当に、太母の想いを受け継ぐに相応しい存在かどうか、互いの全身全霊を以て決着をつけようじゃないか」


「……分かった」


 拒否権はなかった。ベルハザードの心に深い傷をつけてしまったからには、彼の苛烈な想いを汲み取ってやるしかない。それが、自分にできるせめてもの償いならば、やらないわけにはいかない。エヴァは本心からそう思い、真剣な目つきで提案を呑み込んだ。


「よし、ならば……」


 ベルハザードはその場を離れると、目についたロッカー・スペースへ近づいた。錆びついた扉をものともせずにこじ開けると、誰かが置き忘れていった作業着を偶然にも見つけ、乱暴にエヴァへと投げつける。


「着替えだ。そんなみっともない恰好で奴を探していたら、人目につく。すでにこちらの存在はニュースを介して都市上層部に知られているんだ。派手な格好はご法度だ」


 だがエヴァはすぐには着替えようとはせず、胸の辺りに作業着を押し付け、じっとその場に立ち尽くした。鬼血人(ヴァンパイア)の力を失くして視力の解像度が人間と同等に落ちても、夕焼け色の光だけを頼りに、彼女は必死にベルハザードの姿を闇の中で捉え続けた。


「その、ベル、えっと」


 斧の光が照らすのは彼の腰の辺りで、顔までは届かない。それでもエヴァはしっかりと思い描くことができた。屍腐獣(ボルボス)をその身に取り込み、かつての姿からかけ離れてしまった彼の醜い相貌を。そんな辛い目に遭わせたのは、他ならぬ自分であったと。


 遅すぎる感謝と、激しい後悔を抱えて、エヴァの口が助けを乞うように開く。


「ごめ――」


「謝るな」


 だが、短く鋭い一声の下に、甘えは断じられた。


「この道を選んだのは俺の意志だ。同情のつもりなら、願い下げだ」


「そんなんじゃない! だって本当のことだろ! アタシのせいで……」


「くどいぞ。もう二度と俺の前で、みっともない泣きっ面を見せるな」


「え……あ……」


 そこで初めて、エヴァは収まりかけていた落涙が再発していることに気づいた。瞼を拭っても拭っても、なかなか涙は止んでくれなかった。


「……まったく」


 呆れたように、腰に手を当てて溜息をつく。見るに見かねて、だろうか。ベルハザードは落ち着き払った、しかし芯のある声で檄を飛ばした。


「いいか、エヴァ。お前は戦士にして鬼血人(ヴァンパイア)だ。だがそれ以前に、個人であることを忘れるな。個人としての誇りを持て。だいたい、誇りを常日頃から持っていないから、あんなサイボーグなんかに後れを取るんだ。みっともない負け方しやがって」


「そ、それは、その、うっかり気を抜いちまったというか」


「あのタイミングでイドの怪物が現出した事実から察するに、おおかた暴力衝動に駆られっぱなしだったんだろう。欲動に突き動かされて戦いの視野を狭めた挙句に、敵の後塵を拝する愚か者がどこにいる……あぁ、そうだ、一つ思い出したことがあるんだが」


「まだ小言があんのかよ」


「あの時、お前の背中に張り付いていた少女(・・)。あれは誰だ? 真っ赤な服を着て、お前に負けず劣らずの派手さだったが」


「え……」


 ベルハザードにしてみれば何気ない疑問を口にしただけだったが、エヴァにしてみれば、その言葉が出てきたこと自体が衝撃的だった。なぜなら、あの少女の存在を視認するには――奇跡を信じる心が必要だからだ。


「(……見えていたんだ)」


 作業服を握るエヴァの手に、ぎゅっと力が入った。


 混じり物の体となり、己の命を縮めて、復讐に身を焦がし、太母を守れなかったことや、エヴァの孤独を癒してやれなかった後悔に蝕まれ、それでも、心の奥底でベルハザードがどんな奇跡を切実に願っているのか。そこに思い至らないエヴァではなかった。


 定められた難業を乗り越えんと、茨の道を歩き続けてきたベルハザード。彼の苦闘を我が事のように考えていると、突然、エヴァの脳裡に一つの『願い』が新たに芽を出した。その芽はまだ瑞々しくて、決して枯らさせてはいけない、切実な願いそのものに違いないと思えた。


「おい、答えろ。あの少女は――」


「ベル、聞いてくれ」


 闇の中で、エヴァは言った。声に、さっきまでの気後れした調子は跡形もない。


「あの子を最上層まで届けたい」


「……いったいなんだ、藪から棒に」


「あんたとの約束を反故にするつもりは全くない。力を取り戻したら、約束通りあんたと、一対一の勝負をする。でも、あの子と約束しちまったんだ。プロメテウスの最上層にまで連れて行くって」


「あの小さな家畜は、貴様を襲ったサイボーグたちが連れていったぞ」


「だったら奪い返すまでだ。頼む。こんなこと言える身分じゃないけど、アイツを……ニコラを取り戻すのに、協力してくれ」


 そんなことをしてやる義理などない――そんな一喝が飛んでくるかもしれなかった。その時はニコラがどういう存在なのかつまびらかに説明して、いま、自分が何を想っているかを伝えるしかないとエヴァは思った。


 ところが、エヴァの危惧していた事態にはならなかった。ベルハザードは後頭部をぼりぼりと掻くと、溜息を一つ吐いて、


「俺は完全な状態のお前を試したい。決着をつけるという時に、心残りがあって全力を出せなかったでは、こっちが納得できない。たかが娘一人攫われたことを敗北の言い訳にされてしまっては、虫が好かん」


「それじゃあ……」


「不本意だが、協力してやるとしよう。後で詳しい話を聞かせろ。ほら、それはいいとして、さっさと着替えろ」


 素っ気ない返事だったが、エヴァにとってはこの上なく喜ばしい回答だった。少しほくそ笑んでから、そそくさと着替えに入る。その間、ベルハザードは着替えの様子が視界に入らないよう注意しながら、懐から取り出したスキットルに口をつけてアルコールを摂取し、まだ使える道具が他にないか、丹念に周囲を観察していた。


 作業着は一回りサイズが大きかったが、文句は言っていられない。腰のベルトを無理やり引き締め、作業用の帽子をかぶり、それ相応の見た目を整える。


 準備が出来たところで、二人の鬼血人(ヴァンパイア)は搬入口のシャッターを潜って外に出た。にわか雨だったのか、あれだけ激しく振っていた雷雨はすでに去り、その名残を水溜まりというかたちで、地面に刻んでいた。


 雨降って地固まる。元の鞘に戻る。そんな都合の良い台詞でまとまるような関係に収まったわけではない。


 太母の想いを継ぐに相応しくないと判断したら、ベルハザードは容赦なく首を断ち落としてくるに違いなかった。


 彼に決して許されたわけではない。彼の傷が癒えたわけでもない。それでもいま、こうして並んで彼の隣に立てていることが、エヴァにはとても誇らしかった。


「もう夕陽が出てる……」


 地平線の果てを見て、ぽつりと呟く。高い空を染め上げる深い重厚な藍色と、都市郊外の山間にかかる茜色とが絶妙に溶け合って、精緻なグラデーションを織り成している。


 蒼き黄昏れの空模様は、闇の眷属たちの蠢く頃合いを告げていた。


「覚悟を決めろよ。ここから先は、俺達の世界だ」


 恩讐入り混じる感情を胸に、戎律のベルハザードは黒き冠のエヴァンジェリンと共に、先を急いだ。

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