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プロメテウスに炎を捧げよ  作者: 浦切三語
2nd Story フェイト・オブ・ジ・イノセンス・ギア
72/130

2-37 PM16:15/黒き冠

「リガンド!?」


 驚愕そのものといったヴォイドの声が、雷撃紳士の耳朶を震わせる。


 痛みはなくとも実感できた。


 背中から腹へかけて、尋常でないほどの物理的衝撃が奔ったことは。


 だが、あまりにも突然過ぎた。予想だにしていなかった。


 リガンドの怜悧な判断能力に翳りが生じる。しかし不思議と冷静ではあった。


 もう助からない――背後から不意の一撃を食らった刹那、本能的にそう感覚したせいだ。


《緊急事態だ! パンク! すぐに屋上へ来い! リガンドが――》


 悲憤に満ちた声を回線に乗せつつ、顔面蒼白となったヴォイドの視線は、雷撃紳士の土手っ腹へ釘付けになっている。


 そこから右腕が生えていた。恐ろしいほどに真っ黒な太い腕が。血や体液に塗れ、断線したケーブルが絡みついている。体内を構成する重要な生体パーツが、見るも無残な姿に変わっている。


 リガンドの口から夥しいほどの血が零れ落ちて、燕尾服を真っ赤に汚していく。あっという間に、瞳から光が消え去っていく。


「(信じられない――殺気どころか気配もなかった――そんな馬鹿な――致命傷――)」


 下手人は、いつの間にかリガンドの背後に陣取っていた。その人物には、驚くべきことに顔が無かった。全身は硬質感のある闇色で覆われ、あちこちに赤いひび割れめいた紋様を刻んでいる。まるで血と泥をべったりと塗り固めたかのような、無貌の魔人とでも言うべき異形。その頭上には天使の輪に酷似した環状物体が浮かんでいて、そこだけが全き汚れの無い白一色に染まっている。


 ヴォイドは素早く視線を動かし、周囲の様子を一片に観察した。この異常事態を引き起こした原因があるとすれば、殺したはずの鬼血人ヴァンパイア以外にないと直感したのだ。だがエヴァは――やはり死んだのだろうか――輝灼弾を撃ち込んでから、全く動く気配を見せないでいる。


 だとしたら、この怪物は一体どこから、何が目的で――? 


 仲間が急襲されたショックと、収束しつつあった状況が一気に攪拌されたことで混乱に呑まれたヴォイドは、目の前に突如として現出した理解不能の脅威に圧倒されるばかりで、次の一手を決断できずにいた。


 仲間の仇を討つべきか。それとも撤退を選択すべきか。


 ズルリ、と音がした。魔人がリガンドの腹からおもむろに腕を引き抜いたのだ。


 体液の池と化した床へ、膝から崩れ落ちるようにして倒れる歴戦のサイボーグ戦士には目もくれず、魔人はしげしげと己の両手を凝視しだした――目はなかったが、顔の動きからして、そうとしか言えない振る舞いだった。


 魔人は、まるで生まれたての赤ん坊のように、何度も何度も、繰り返し繰り返し、手を握っては開き、握っては開きを繰り返す。力を込めるたびに、全身に刻まれた赤いひび割れじみた紋様が、生命の息吹を込められたかのように、強い光沢を放った。


 なんてことはない仕草。完全に隙だらけだ。それでもヴォイドは攻撃を撃ち込めなかった。立ち向かったらどんな目に遭うか。魔人の泰然とした振る舞いと、その異様な風体から、実際にやらずとも簡単に想像できた。できてしまったからこそ、動けずにいる。


 やがて、ゆっくりと魔人がヴォイドの方を向いた(・・・)。はじめてその存在に気づいたように。目も鼻も口もなく、ただ面を上げただけだったが、ヴォイドは「見られている」と感覚せずにはいられなかった。手頃な獲物として見定められたと。


「_|―_|―――・///|||!!」


 魔人が、その硬質な全身を震わせて長く鋭い雄叫びを上げた。呼応するかのように、頭に浮かんだ輪が内側からじわじわとドス黒く変色し、そこから同色の短い棘がいくつもランダムに生え茂る。


 叫び――魔人に口らしき部位は見当たらないが、たしかに轟音が鳴り響いた。体内のどこかに発声器官でもあるのだろうか。いかなる感情が込められているのか判然としない、耳にした者の恐怖心だけを煽るような叫びだった。


 みしり、みしりと、重量感を感じさせる足取りで、一歩ずつ魔人が近づく。ヴォイドはワイヤーを展開することも、ハンドガンを抜くことも忘れて、じりじりと柵側へ後ずさるしかなかった。


「ヴォイ……ド」


 緊迫に包まれる中で鼓膜が揺れる。


 か細い声ながらも一本芯の通った声がした方へ反射的に視線を向ける。


 リガンド・ローレンツ。風前の灯にある一人の男が、気力を振り絞ろうとしている。その眼差しに宿るのは、死に対する恐怖以上に、何かを訴えるような、あるいは信じているかのような強い意志。紳士然とした雰囲気を完全にかなぐり捨てた、全身全霊の意思が込められた瞳をヴォイドへ向けて、体液にまみれた腕を懸命に動かし、震える手で魔人の背後にある柵の近くを指差した。


「そこ……に……いる……」


 伝えるべきことは伝えたとばかりに、がくりと、全身から力が抜ける。そうして、リガンド・ローレンツはぴくりとも動かなくなった。


 唇を嚙み締めながらも、ヴォイドは全てを悟っていた。仲間が死に際に残した、たった五文字の言葉に衝撃を受けると共に理解してしまった。自分を呼び止めてまで、リガンドは何を口にしようとしていたのかを。その中身を。宙に消えたはずの決定的な問いを、思いもよらないかたちで耳にした心地だった。


 それでも動揺は刹那的なものだった。彼の遺志を汲み取るべきだと瞬時に決断した時、すでにヴォイドの肉体は駆動を始めていた。


 無意識のうちに両足に力を込めると、迫る魔人の(かいな)を潜り抜け、全力で駆け抜ける。そのまま柵へ一気に近づく。必死になって手を伸ばす。ぎゅっと目を瞑った。指先に全神経を集中させ、血を吐く思いで感覚しようと努めた。


 指先に、何か柔らかいものが触れた。


 きっと少女に違いなかった。


「ヴォイド! リガンドは!?」


 緊急の事態を受けて、パンクがビルの壁面を自慢の高速移動術で滑るようにして上り、屋上に駆け付けてきた。


「リガンド! おい! おま――」


 柵に手をかけ、遠くに倒れ伏す仲間へ向かって慌てて大声を出すが、現場の惨状を目の当たりにして言葉が自然と尻すぼみになる。


 臓物をぶちまけて倒れ伏した「相棒」と、明後日の方を向いたままの魔人。その二つの事物が、激憤という名の力で、パンクの中で完全に結合した。瞳の奥に凄絶な光が生まれ、恨みの化身と化したかのような凄まじい形相となるのに、そう時間はかからなかった。


「てんめぇ……!!」


「やめるんだパンク!」


「離せ! リガンドの仇だ!」


「俺達の目的を思い出せ! リガンドの死を無駄にするんじゃない!」


 激情に駆られて背中のマシンガンへ手を伸ばそうとしたパンクを叱咤するヴォイド。その手に少女を掴んだ感覚が残っているのを確認してから、彼は少女の身柄をパンクへ押し付けた。


「お前が連れていくんだ。リガンドの意志を引き継げ」


「けど……けどよぉ!」


「行くんだ! 前を向け! 迷うな!」


「ッ……ちくしょう!」


 パンクはしかと少女の存在を確認して彼女を掻き抱くと、後ろ髪を引かれる思いで壁を滑り降りていった。ヴォイドもここにきてようやく両手のワイヤーを展開し、柵に絡ませてロープ代わりにすることで、パンクの後に続いてビル壁面をするすると降りていく。


「_|―_|―――・///|||!!」


 すぐ頭上で魔人の言葉にならない雄叫びが上がり、ヴォイドのすぐそばをリガンドの死体が凄まじい速度で掠めていった。魔人が追撃のつもりで投げ放ったのが、狙いが逸れたのだろう。


 リガンドの顔をした肉塊は地面へ激突し、強化された筋骨ごと肉片と血飛沫が盛大に撒き散らされ、神経ケーブルが引き裂かれ、サイボーグ化された体内臓器の破片が激突の衝撃で火花を上げた。


「~~~~~~~~~ッ!」


 仲間を殺したばかりか、その遺骸を道具扱いされた事実に対し、ついにパンクの怒りが爆発した。言葉にならない叫びを上げて、マシンガンを獰猛な速度で取り出し、ビルの屋上へ向けて滅茶苦茶な勢いで乱射したのだ。魔人には一発も命中しなかったが、それでも彼は、怒りを銃撃に変えずにはいられなかった。


 頭に血が上り、罵詈雑言の限りを吐き散らすパンクを大声で怒鳴りつけながら、ほとんど彼を引きずるようにして、ヴォイドはビルの裏手へと向かった。白い大型のワゴン車が停車している。運転席に座るアンジーが、硬い表情でハンドルを握っている。


「ちょっと、何があったの!?」


 後部座席のドアを開けた瞬間、アンジーの逼迫した声が飛んだ。だがヴォイドは応えなかった。肩を貸していたパンクの頬を気つけのつもりで一発叩くと、彼を少女ごと無理やり座席に押し込んだ。


「パンク、あなた――」


 アンジーは愕然とした様子で、チーム・メンバーの特攻役を見やった。体中の全ての力を放出したような、疲れ切ったパンクの表情。怒りが沈静化した代わりに、気が触れたように何事かをぶつぶつ呟いている。老化遅延薬を打たれているはずなのに、精神的なダメージのせいか、実年齢相応に老け込んだように見える。未だかつて、そんな彼を見たことはなかった。アンジーはますます混乱した。


「少女は手に入れた。車を出せ」


 ヴォイドは助手席に乗り込むと、乱暴にドアを閉めるなり早口でそう言い放った。


「待ってよリガンドは? リガンドはどうしたの!?」


「いいから車を出すんだ」


「質問に答えてよ! リガンドは!?」


「分からないのか!? 出せと言ってるんだ!」


 ダッシュボードを強く叩きながら怒鳴ると、ヴォイドは打って変わってきつく唇を嚙み締めた。いつも虚ろなその瞳に、明らかに哀しみの感情が浮かんでいた。


 さすがのアンジーもここにきて全てを悟った。パンクの異様な振る舞いにも理解がいった。何が屋上で起こったのかすらも、手に取るように把握できた。だが納得はできなかった。戦慄と悲哀が、みるみるうちに彼女の中で渦を巻き始めた。


〈アンジー……よく聞いて。ここの交通管制センターだけど〉


 電脳回線上に、絞り出すようなオーウェルの声が乗る。ヴォイドたちと視界を共有していた彼もまた、屋上の悪夢を観察していたのだ。いや、電子戦担当の彼にしてみれば「観察しかできなかった」己の無力さが、たまらなく歯がゆかったに違いない。


〈セキュリティは破ってある。信号機の切り替えは思いのままだから、こっから先はノン・ストップで行ける。市警の連中が到着する前に急いで。ギュスターヴ邸までの最短経路をカーナビに送るから、それに従って〉


 自らの無力さに打ちひしがられてはいるが、そんな気配をおくびにも出さないよう淡々と努めている。見習うべきだとアンジーは思った。鼻と喉の奥にツンとした痛みを覚えている場合ではなかった。


 バックミラー越しに確認すれば、そこにたしかに少女がいる。愁嘆場に放り出されてなお、顔色一つ変えない、奇跡をもたらす存在が。恐るべき鬼血人ヴァンパイアとの激闘を制して、届けてくれたのだ。リガンドが、文字通り命を懸けて。


 彼の想いに応えるべきだった。


 未練を断ち切るように鼻を啜ると、サイドブレーキを戻し、思いっきりアクセルを踏んだ。エンジンが唸りを上げて、四人を乗せたワゴン車は路地裏を駆け抜け出した。


 大通りに出る。惨状と化した現場を横目に、窓越しにくぐもって聞こえる怒号を無視して、カーブを曲がる。


 どこかで救急車のサイレンが鳴っている。


 後部座席から、すすり泣く声がした。


 誰のものか、わざわざ確認する必要はなかった。

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