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プロメテウスに炎を捧げよ  作者: 浦切三語
2nd Story フェイト・オブ・ジ・イノセンス・ギア
61/130

2-26 PM14:45/思想家と呪学療法士

 その小さな襲撃者は、主人から与えられた使命を忠実にこなすと、小さな翅を震わせ、イーライの屋敷の壁を易々と越えていった。雲間から差し込む太陽光を浴びてきらきらと輝くその姿は、世にも珍しい、金と銀の斑模様で覆われている。


 鬼血人(ヴァンパイア)が再び都市に舞い戻ってきたという一報を耳にして、そしてまた、治安維持局長代理となったディエゴの指示もあって、上層の家々には、市警の者らによる物々しい警護が配備されていた。事実上の外出禁止命令である。普段は賑わっている通りという通りも、大型の商業施設も、この時はすっかり閑散としていた。


 まるでゴーストタウンのように静まり返った上層の街並。高層ビルというビルは喧騒から離れ、陽の光を浴びてギラギラと白く眩しいだけ。豪華な庭園を有する家々の軒先では、飛沫を上げる噴水のささやきと、冬支度を始める鳥たちのさえずりだけが木霊している。


 襲撃者は休むことなく凄まじいスピードで飛び続け、とあるタワーマンションに併設されている公園に辿り着いた。

 遊具が息を潜め、子供らの影もかたちもない、そのだだっ広い敷地のベンチに、よく見ると、花柄の小さめなショルダーバックを下げた誰かが、ぽつんと座っていた。


 琥珀色(アンバー)の右眼と、青紫色(バイオレット)の左眼を持つ、十歳程度の少女だ。褐色の細い体つきに、雪のように白いワンピースが良く映える。冷え込んだ秋風が吹きつける中で、あえて夏服に近い恰好をしているのは、体に適度な負荷をかけて呪力の巡りを活性化させるためだ。


 襲撃者は少女を発見すると、そのほっそりとした少女の足めがけて急降下していった。少女の方でもそれを察知したようで、ワンピースの裾をはらりと翻す。

 露わになった両足の太ももには、黒いベルトが巻き付いており、そこに、さながらライフルの弾帯のように、何本もの試験管が備え付けられていた。


 右足に絡み付くベルトから、空の試験管を一本抜き取る。コルクの蓋を軽快な音を立てて外した時、小さな襲撃者は――金と銀の模様を持つその『蚊』は、花の蜜に誘われるかのように、ふらふらと導かれ、試験管を寝床とした。


 再びコルクで蓋を閉めて戻すと、少女は乳白色の長髪を手櫛でときながら、ひと仕事を終えたように息を一つ吐いて、疲れから目頭を押さえた。

 両足に備えた試験管、総数ニ十本。そのニ十本の全てに捕獲されている蚊の群れは、まるで主人の命令を待つ従者のように大人しい。


 呪蚊(ヨルバ)と言う。

 呪学療法士・モージョーの一族が得意とする、アフリカに起源を持つ感染呪術(ヴァイラス)である。

 ある物が一度接触した時点で、被術者とどれだけ離れていようとも、それは目には見えない密接な繋がりを持つという特性。

 この場合の『ある物』とは、すなわち『血』である。対象の血を吸った蚊を叩き潰すことで、間接的に被術者へ死をもたらす。それが呪蚊(ヨルバ)の要諦である。


 イーライの死亡原因はこれであった。都市の権力者の一角は、屋敷から離れたこの場所で、その命のリミットを、たった十歳の少女の手に握られていたのだ。


「無事に仕事は済ませたか。さすがはキュリオスだ。会うたびに技が冴えているように感じるよ」


 改装されたばかりの高級感ある公園の男子トイレから、ブランド物のコートに身を固めたディエゴが歩き出てきながら、少女の顔をちらりと確認して軽やかにそう口にした。


 その姿を目撃した少女――キュリオス・ラーンゲージ・モージョーは、薄く引かれた眉を歪めた。現場を見てもいないし報告すらまだしていないのに、結果は分かっているとでもいうようなディエゴの口調に気分を害されたからだった。

 こちらの頬の筋肉の緩みや肩の力を抜いた仕草だけで、事態を把握するディエゴの観察眼。『気味が悪い』としか言いようがなかった。


「外出禁止命令中にもかかわらず、呼び出してしまってすまなかったな……警備の奴らになにか尋ねられなかったかね」


「なにも。目の前を通り過ぎても無視よ。どうせ、あんたがなんかやったんでしょうけど」


「治安維持局の権限も委ねられている特別な私が指定すれば、君のような少女もたちどころに自由にここで動けるようになる」


「まるで、感謝しろって言いぐさね」


 期限付きの業務委託契約がなければ……いや、正確には一族の長である祖父の命令がなければ、こんな傲慢な奴と関わり合いなど持ちたくなかった。それがキュリオスの本音だった。


「それで、次は誰を殺せばいいの? 法務局? それとも財務局の人?」


 キュリオスはつっけんどんに尋ねながら立ち上がり、ベンチから離れた。うっかり隣に座られでもしたらたまらないという風に、常にディエゴと一定の感覚を保つよう意識して足を運ぶ。その動きに『決してあなたを恐れているわけではない』という、毅然とした意志を込めるのも忘れない。


「指示はこちらで出す。ボルケイノの血を獲得(・・)した今、まずは向こうの暴れっぷりを観察しないことには、今後の策も打てないからな」


「あなたの部下なんでしょ?」


「誤解はよしてくれ。彼らはただの道具だ。それも一際凶悪な、さしずめ人間兵器と言ってもいい奴らだ。役には立つが、ずっと野放しにはしておけない。君の呪術が彼らのストッパーとなるだろう」


「ストッパーとなる……その言葉を以て権利執行の申請とみなしていいのね?」


「ああ。ただし、殺すタイミングはこちらで決めさせてもらうよ」


「……ねぇ、どうしてイーライをあたしに殺させたの? あのまま(・・・・)放っておけば、勝手に死んだのに」


「もともと気に食わなかったからな。企業連合体の味方をする者は全て敵だ。敵は己の意志の下に打ち倒す。それが私のやり方だ」


「なにぬかしてんの? 実際に手を下したのはあたしなんだけど」


「手は汚すべき時に汚す。それもまた私のやり方だ。それ以上に重要なのは、この暗殺が医療局の宝を学究局が接収するための前段階であるという点だ。医療技術が軍事技術へ転用された今、優秀なスタッフと技術をこちらに引き込むというのは、何も間違った選択肢じゃない」


「毎回思うんだけど、あなた、本当によく喋るね」


 警戒心の欠如を指摘するように言った。年上の男性に対して、生意気と取られて間違いない態度だったが、言葉をぶつけられた本人は気分を害するどころか、どこ吹く風という風に、泰然とした姿勢を崩さない。


「これでも相手は選んでいるつもりだ。キュリオス、君は頭がいい。君の祖父も、期限付きとは言え、私と契約を結ぶことを選択した時点で聡明な人だと感じ入ったものだが、どうやら君は彼以上の資質を秘めているように感じるよ。ここで耳にしたことを外部に漏らせば、自分にどんな災難が降りかかるか分かっているんだろう? なにせ君は私の意志に沿って行動を取ってくれた。言い換えれば共犯者(・・・)になったのだからな」


 またこちらの心を見透かすような答えを返された。キュリオスは胸の前で両腕を組み、ことさら不機嫌さを露わにした。だがそんな反応すらも、ディエゴは楽しんでいるようで、


「私にも三歳になる娘がいるんだ。アリスと言うんだが、君のような聡明な女の子になってくれないものかと、毎晩真剣に祈っているくらいだよ。どうだ? 嬉しいだろう(・・・・・・)?」


 悠然と笑みを浮かべた。達成感や、独占欲に満ちた者が垣間見せる表情。


 キュリオスの背に悪寒が奔った。思わず後ずさった。この公園は良く遊びにくる場所だが、なんだかいつもより広く、そして恐ろしく感じられた。


「私の契約時間は残り十五時間。それを忘れないことね。契約書に書かれている通り、延長は無効だから」


「五百時間あったのがもうそこまで減ったか。座して食らえば山も空し、だな。もっとも、君には良く良く働いてもらったが。おそらくはこれが最後の依頼になるだろう」


「そう、良かった」


 本心を剥き出しにして、一方的に話を切ろうとした時だ。「そう急ぐこともないだろう」と、ディエゴが慣れ慣れしく語り掛けてきた。


 キュリオスは内心で舌打ちした。キャッチセールスだって、もう少し遠慮して声を掛けるものだというのに。この男の辞書に『距離感』という語彙は載っていないのか。


「あたしも暇じゃないんだけど」


「そう冷たいことを言わないでくれ。頭のいい君に、少し聞いて欲しい話があるんだ」


「奥さんに話せばいいでしょ」


「家庭には仕事の話は持ち込まない、というのが我が家のルールでね。単刀直入に訊くが、『精神的豊饒性』についてどう思う?」


「はぁ? なにそれ」


 適当に無視してさっさと立ち去ればよかったものの、単語が持つ奇妙な響きが気になって、キュリオスはうっかり聞き返していた。しまったと思った時にはすでに遅かった。まんまと彼の術中にはまってしまった。


「精神的豊饒性。それを人々の魂が学ばないことには、幸福へ至ることなど到底できないと、私は考えている。精神的な豊かさについて、どう思う?」


「質問の意味がぜんっぜん分からないんだけど」


 これ見よがしな呆れ口調と共にディエゴを睨む。だが、彼の表情が曇る様子はまるでなかった。そう返してくるだろうと、予期していたかのように。


「そうか。しかし今は理解できなくとも、君を含む全ての都民は、いずれ学ばなければならない」


「何を学ばせようっていうの」


「人は愚かであり、目に見える成果だけを求めても幸せにはなれない、という普遍的な真理についてだ」


 ボルケイノが、一歩足を前に出した。


「どれだけ悲劇的な経験を積んでも、時が経てば忘れてしまう。それが人間だ。二度の世界大戦を経ても、飽きることなく、より大規模な大陸間戦争に雪崩れ込んだのがその証拠だ。金持ちたちはより効率の良い利潤追求の公式を求め続け、貿易摩擦は国同士の関係に、決して消える事のない焦げ付きを刻み、なおも利益を求め続け、やがて大洋を挟んで核ミサイルが飛び交った。それなのにまだ、多くの都市は貧富の差の拡大に繋がる『儲け主義』から離れられないでいる」


「いきなり歴史の授業を始められても困るんだけど」


「歴史は重要だ。特に国の唱える主義と、それによって歪められた宗教の歴史を語ることは。プロテスタンティズムが資本主義と結びついた結果、一部の金持ちたちが利益を独占する流れを形成し、それを定着させようとあの手この手で世間を騙くらかしてきたのは明らかだ。だからと言って、原始共産主義など論外だ。文明と文化は人の欲望が産み出してきた成果だ。いまさらそれを手放すことなど、ましてや国が管理することなど、許されることではない」


「あなた、何がしたいの?」


「哲学の実践……かつての世界三大宗教に成り代わる、新しい宗教を作る。手短に言えば、そんなところだ」


 語るうちにエンジンがかかってきたのか、口調が熱を帯び始めていた。洪水のように言葉を紡ぐ。将来、積層都市の裏世界を担うことになるであろう十歳の少女に対して。そのオッドアイの瞳を眺めながら。あるいは、そこに鏡のように映る己自身の姿を認識しながら。


「プロメテウスに欠けているもの。それは『宗教』だ。格差社会、失業率の高さ、暴動、売春、ギャングの台頭、スラム街の形成、薬物の蔓延。下層だけでなく、中層すらも蝕み始めているこの病の根本原因はただ一つ、そう、不信感だ」


「神様を信じない心が、人々の目を曇らせていると?」


「神はとうに死んだ。重要なのは、信じるものが何一つとしてないこの不幸な社会から、人々が抜け出せないでいることだ。自らの価値観を保証してくれる何か。目に見えずとも常に寄り添う存在。人生の指針。運命という荒波を越えるための羅針盤となりうるもの。それが宗教であり、私が『精神的豊饒性』と名付けた概念(イデア)だ。私は、プロメテウスの人々から『信じられる存在』になりたいのだよ」


 二人の心に圧倒的な温度差が生まれた。ディエゴが静かな熱狂に駆られている一方、キュリオスは思わず立ちすくむしかなかった。目の前に、いきなり古代文字で書かれた石板が出現したような気分だった。


 話がうまく呑み込めなかった。ディエゴが嘘をついているとも思えず、むしろ明け透けに本心を吐露しているように見える。だからこそキュリオスは余計に困惑した。別に理解する必要などないはずなのだが、無視できる話にも思えなかった。


 精神的豊饒性――霧のように掴みどころが不明な論理。それはつまるところ、この男の背景(バック・ボーン)も同じであることを意味している。奇特な思想を紐解こうにも、そのきっかけとなるディエゴのプライバシーを、キュリオスは何一つとして知らない。あらゆる既存の主義を否定する、この自信過剰な思想家のなにもかもを。


 壮大な野望を描いているのには違いないが、それがプロメテウスにおいて、いかほどの価値を得るのかすらも判然としなかった。ただ、喜々として語るディエゴの口調や表情から、おぼろげながら察することもできた。


 都民のためになるであるとか、社会のためになるであるとか、耳触りの良い言葉を並べたところで、結局はディエゴ自身の底知れぬ『飢え』を満たすだけなのではと感じ、恐ろしく憂鬱な気分になった。


「貧しき者は金があれば幸せになれると信じ、金持ちは豊かな生活を続けることで安心を約束されていると信じている。だが、私に言わせればそれは全て錯覚で、蒙昧で、決定的な間違いだ。本当の豊かさとは、物ではなく、心に宿るものだ」


「ブランド物の服で身を固めてそう口にしたところで、説得力なんてないわ」


「違うな。札束に囲まれ、高級職という名の椅子の座り心地を確認したからこそ、至った考えだ」


「自分だけは特別だとでも言いたいの? それとも、みんな貧乏人になればいいとでも?」


「それも正しくはない。まぁ、見ているがいい」


 ディエゴは唇の端を歪めると、コートのポケットに両手を入れ、キュリオスの方を向いたまま、一歩、二歩と後ろへ下がり、距離を取り始めた。


「近いうちに、間違いなく都市は変革への第一歩を踏むことになる。その一歩は私が生み出した意思が、かたちとなったもの。その手伝いを君にしてもらおうと言うのだ。光栄に思いたまえよ、キュリオス。君とはしばらく顔を合わせることはないかもしれない。だが、それで君と私の縁が切れるわけではないぞ」


 だんだんと距離が開く。次第に、ディエゴの声が大きくなっていった。これだけは伝えておかねばならないという確固たる意志にして、常人には理解しがたい執着と言えた。何を発するか見定めるまでもなく、キュリオスは露骨に顔をしかめた。


「縁と言うのは、一方が切れたと思っても、もう一方が切れていないと思っていたら、いつまでも延々と続いていくものなのだよ。それを覚えておきたまえ、キュリオス」


 ディエゴは愉快そうに高笑いすると、くるりと背を向けて、その場を足早に去っていった。キュリオスはしばらくその後ろ姿を観察し続けていたが、公園脇の駐車場に停まった空走(エアロ)カーに運転手と共に乗り込んだ。その反重力装置と可変推進器が搭載された黒塗りの宝石が、空中に敷かれた超高架道路(ハイ・ロード)を驀進していったのを見届けると、キュリオスは、縛り付けていた荒ぶる感情を解き放った。


 近くの木に駆け寄ると、


「なれなれしく四回も下の名前で呼んでんじゃねーよ!」


 その勢いのまま、細い足できっちり四回、スニーカーの裏で、強く樹皮を蹴り潰した。

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