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プロメテウスに炎を捧げよ  作者: 浦切三語
2nd Story フェイト・オブ・ジ・イノセンス・ギア
53/130

2-18 PM12:55/《凍える脊椎》――歩くべき道③

 アンジェラ・ミキサーは急ぐように二階へ上がると、リガンド専用のビリヤード・ルームを通り過ぎて突き当りの廊下を右へ曲がった。


 天体観測のためにしつらえた部屋。自身の趣味のために設計されたそこへ足を踏み入れ、窓を開けてサンダルを履き、ベランダへと出る。


 少しだけ錆ついた手すりに手をかけ、アンジーは眼下に広がるノース・ラウンド・ストリートの街並みを一望しながら、思索にふけった。


 冷たい秋風が時折吹いては、髪をなびかせて身も心も引き締めようとしてくる。状況に気圧されて困惑している心を奮い立たせるかのように。


 パンクもリガンドもオーウェルも、そしてヴォイドも、ギュスターヴがもたらしてくれる魔法の弾薬――灼輝弾があれば、スムーズに依頼を達成できると考えているのかもしれない。だが言い換えるならば、有効な手立ては『それ』だけなのだ。


 太陽光――たった一つの弱点しか持たない生命体。人間と違って老いもせず、傷ついてもたちどころに肉体を修復できる。

 加えて、超一級のサイボーグでも敵わない生物。それは疑いの余地なく、人間よりも生命として優れた存在ではないのか。アンジーは、そう考えずにはいられなかった。


 そんな得体の知れぬ怪物と、パンクとリガンドは運悪く激突してしまったのだ。何もかもが偶然の連鎖反応であり、どこかの歯車が強引にかみ合った末にもたらされた結果である。

 そう考えると、ますます陰鬱な気分になった。責任の所在が明確になっていないぶん、この怯えから来る苛立ちをどこにぶつけていいか、分からなくなった。


 依頼を下りる――最後まで口には出さなかったものの、ハンターとしてありうべからざる選択に思考が届きかけたのは、鬼血人(ヴァンパイア)へ一方的に抱く肥大化した恐怖心ゆえにである。


 依頼遂行のために、あの闇の眷属と激突する。絶対に避けては通れないだろう。

 だがそんなことになったら、このチームはあっけなく瓦解するのではないか。そう危惧せずにはいられなかった。


 相手が太陽を克服した希少種であることも、警戒心に輪をかけていった。どんな未知の力を備えているかわからない。思考が負のスパイラルに陥っていくにつれ、アンジーの全身が総毛立った。


 ようやく手に入れた、心休まる集団。それがアンジーにとっての《凍える脊椎(バック・ボーン)》が獲得している揺るぎない価値だった。それが壊れでもしたら、もう二度と立ち直れないという確信があった。


 かつてアンジーにとって、集団とは未来を奪い尽す『檻』でしかなかった。その価値観は、永遠に逆転しないものと思われた。


 三十数年前の大陸間戦争中、連邦で産声を上げた彼女は、その時すでに檻の中にいた。


 連邦の強制収容施設。暗く冷たい壁に囲まれたその地に、アンジーは生まれた。


 彼女の母親は大陸出身の兵士だった。勇敢な戦闘斥候員だったが、味方の裏切りに遭い、捕虜として連邦に捕らえられて本国へ移送された。


 なまじ整った顔立ちだったのが災いして、徹底的に連邦の兵士たちに弄ばれ、その過程で子供(アンジー)を身籠った。父親が誰であるのかは、文字通り誰にも分からなかった。


 アンジーは生まれてすぐに母親から引き離された。


 母親は娘にミルクを与える機会さえ奪われ、さっさと大陸へ送り込まれた。その結末=全身にプラスチック爆弾を括りつけられ、かつての仲間たちがいる大陸軍の戦車部隊へ突入するよう無理やり命じられ、あえなく爆死。


 戦時国際法に反するのも甚だしい非人道的な扱いだが、当時は大陸側にも連邦側にも、その手のことを平然と命じる指揮官は一定数存在していた。


 狂乱と高揚感。PMCの介入によって業務形態(ビジネス)と化した戦争が剥き出しにする人間の俗物的怪物性が、常にアンジーの周囲で熱を伴って踊り狂っていた。彼らは少女から母を奪い、およそ人間らしい生活権利を奪い、未来すらも奪った。


 戦争捕虜の子供という烙印を押されたアンジーは、連邦の第三後方支援連隊の連隊長に、養子として迎え入れられた。しかしながら、慈愛を注ぐために引き取ったのではない。連隊長は、自身が抱え込む悪辣な趣味を充実させるための道具としての価値を、少女の中に見出したのである。


 その道具としての役割をアンジーが与えられるようになったのは、彼女が五歳の誕生日を迎えてからのことだった。


 役割を教え込んでいる時の連隊長は、同じ人間とは思えないほどに冷酷だった。嫌がるアンジーに対して『それがお前の義務なのだ』と徹底して指導し、言うことをきかない時には躊躇なく暴力を振るった。


 理解不能な、ばけもの――アンジーが抱いた連隊長の第一印象は、それだった。


――ごめんなさい。ちゃんとやります。


 逆らうことも許されず、砕け散りそうな心を必死に繋ぎ止めて献身的に務めているうちに、連隊長からお褒めの言葉を貰える回数が増えた。その回数を数えることが、アンジーの中で一つの生きる基準になっていった。


 たとえば今日は五回褒められたから、明日は六回褒められるようになろうと、義務を当然のものとして受け入れる。それが正しいのか間違っているのかなど、考える暇もなかったし、誰も教えてくれなかった。


 この場から逃げ出したいという気持ちは、すっかり摘み取られていた。栄養剤の摂取だと偽って、食事にガン・パウダーを混ぜられていた。知らず知らずのうちにトルエンを常態的に摂取させられる毎日。結果として依存症に陥り、知らぬ間に反抗心が削り取られていったせいで。


 アンジーが十歳になった頃、連隊長率いる補給部隊は、大陸近くの南方諸島へ拠点を移した。そこは連邦が制圧した大陸の領地で、たくさんの兵隊と、たくさんの物資が次々に本国から送り込まれ、瞬く間に補給基地としての様相を整えていった。


 連隊長はその時すでに、養子として数多くの少女たちを囲っていた。顔立ちが整った子も、そうでない子もいた。共通しているのは、みな連隊長に対して献身的な姿勢を崩していないという点だけだ。


 皆、一人残らず基地へ連れ出され、ベースキャンプに隣接した共同部屋へ放り込まれた。


 その薄暗い、衛生管理も十分に為されていない湿った建物の中で、アンジーは自分よりも二歳年上の、テディと言う名の少女と出会った。


 アンジーから見て、テディは完璧な女の子だった。理知的な顔つきと、同年代の少女よりもやや大人びた体つき。勝気な性格で弱みを見せず、頼りになるお姉さんとして年下の子たちから慕われていた。その一方で、兵士たちに対しては貞淑な態度で接する、まさに理想のニンフとも言うべき少女。


 だが、てきぱきと掃除や炊事をこなしつつ、部屋の整理整頓についてあれこれ口を出すテディのことが、アンジーは少し苦手だった。なんだか高慢ちきな性格だな、という第一印象を抱いたせいである。


 ある日の晩のことだった。どうにも寝付けなかったアンジーは、気分を変えようとベットから抜け出し、階段を昇って、共同部屋の屋上へ足を運んだ。


 屋上には先客がいた。テディだった。

 彼女は、真っ暗な空に輝く星々を見上げながら、じっとその場に立ち尽くしていた。


――どうしたの?


 驚きのあまり、気付けばアンジーは声をかけていた。

 テディはびっくりした様子で振り返った。だが驚いたのはアンジーも同じだった。

 暗がりでも分かるくらい、テディの理知的な顔が、涙に濡れていた。


――ちょっと、ねぇ、本当にどうしたの?


 思わずアンジーは駆け寄り、勢いに任せて彼女の肩を優しく抱いた。その時はじめて、この完璧に近い存在とみていた少女が、ずっと細い体つきをしていることをまざまざと知った。


――なにか、嫌な事でもあったの?


 アンジーが訊くと、テディは少し恥ずかしそうに俯いてから、小さく首を横に振った。


――違うの。星をながめていると、いつもこうなの。胸がしめつけられて、なんだか涙が出てきちゃうの。


 そう言って、テディははにかんだ。普段の強気な態度からはほど遠い、年頃の少女の微笑みだった。アンジーは、それだけですっかりやられてしまった。


 些細なきっかけが人間関係の壁を取り払う。


 この一件をきっかけにして、二人は時間を見つけては屋上で語らい合い、仲を深めていくようになった。


 テディは色々なことをアンジーに話した。彼女もまた連邦の生まれだった。生活苦にあえぐ母親の手で里子に出され、連隊長が身請けしたのだと言う。


――最初はすごく嫌だったけど、でもすぐに学んだの。ここでの戦い方をね。


 戦い方=辛抱強さ。


 辛抱して自分を強く保っていれば、きっといつかこんな暮らしから脱出できると信じて、テディは残酷な日々を送っていた。


 アンジーが彼女のたくましさを羨ましく思い、自分もそうなりたいと強く願うようになったのは、ごくごく自然の成り行きだった。


――ここにいる子たち、あなたも私も含めて、みんなひとりぼっち。だから一緒に頑張って生きていこうよ。


 アンジーとテディ=火種が飛び交う地で芽生えた友情。


 二人は星空を眺めながら語りあった。すっかり奪い尽された過去や苦しみに満ちた現在ではなく、まだ見ぬ未来のことについて重点的に語り合い、想いを馳せた。


 補給基地に移ってから二年後。連隊長が突然、養子全員を集めて(くじ)を引かせた。特に理由も聞かされず、皆、ただ言われるがまま従った。


 テディの引いた籤だけが、赤く染められていた。それが当たりを意味しているのだと、連隊長のニタニタした笑みを見て、アンジーは直感した。


 当たりの意味=サイボーグ手術の実験体。基地に併設された医療施設へ連れ込まれる。


 そこでテディに与えられた力は、内に寄った力だった。


 前線に送り込むのを目的とした改造手術ではない。兵士たちの野性的ストレスを、より効率的に発散させるよう手助けするための内臓手術。末梢神経と感覚受容体に科学的処置を施して、テディの体感度は無理やり引き上げられた。


 その悪魔的手術の背景にあるもの=連隊長がかけた呪い=お前は死ぬまで俺の人形(テディ・ベア)


 だが、テディはそれでも気丈さを崩さなかった。これでもっと多くのチップを兵士たちから貰える。お金を貯めたら、みんなにご馳走してあげられる。だからもっとご奉仕して頑張らなきゃと、強気に吹聴していた。


 しかし、アンジーだけには心境を打ち明けた。ずたずたに切り裂かれた己の心境を。


――もうどこにも、私の体のどこにも、きれいなところなんてない。


 さめざめと涙を流すテディを抱き寄せて、アンジーも泣いた。生まれて初めて、誰かの為に涙を流せたことに驚き、そんな自分が少しだけ好きになれそうだった。


 それから半年後。


 テディは死んだ。


 享年、十三歳。


 検死はされたが、死因は伏せられた。


 連隊長は冷淡にも、テディの遺体を共同無縁墓地に放り込んだ。壊れたおもちゃに飽きた子供がスクラップ置き場に捨てたが最後、二度と振り返ることはないように。


 精神的な支えを失って、少女たちは大いに悲しんだ。アンジーも同じだった。だがすぐに、哀しみとは全く種類の異なる感情が芽生えてきた。


 生まれて初めて抱く精神の昂り。トルエンの投与によって鎮められていたはずの獰猛な感情――憤怒だった。


 テディが懸命に未来を見据えていたからこそ、ここまで生きてこれた。だからもし彼女が亡くなったら、自分も後を追うのだろうと予感していた。


 でも実際は違う。アンジーの人生は死に向かうことはなかった。逆だった。生きることに意識を傾注するようになっていた。


 辛抱強さ――テディから教えられた戦い方を自分なりに咀嚼し、怒りを柔軟にコントロールしながらアンジーは熟慮した。自分という存在を客観的に見つめるようになった。


 なぜ、男達は自分のような少女に夢中になるのか――その理由を自身に問いかけながら探り続けて、ついに『希少性』という決定的なワードを引き当てた。


 この未成熟な体つき。そこに価値を見出す者達がいるという現実。それだけが少女の武器であるという指摘。


 その武器を更に先鋭化させるべきだと覚悟した。男達を破滅させる妖女となるために、更なる希少性を自身に付与すべきだと。


 連隊長の目を盗んで、アンジーはテディの改造と検死を担当した軍医に接触した。テディのきれいな体にメスを当てたこの男を、どうすれば手玉に取れるかを計算しながら、連隊長から教わった数々の技を披露して媚びを売り続けた。


 幼きニンフの色香に惑わされた挙句、軍医はあっさりと陥落した。連隊長に内緒で、サイボーグ化手術を施してやる約束をアンジーに取り付けたのだ。移植される能力のデザインには、アンジーの要望が余すところなく反映された。


 少女の希望通りに施された改造手術=新たなる希少性の付与。


 体内の分泌系統を弄り、小型の薬品工場めいた臓器機能を獲得。ありとあらゆる内分泌系物質を攪拌(ミキサー)し、様々な効能をもたらす化学物質を短時間のうちに合成し、汗腺や粘膜を通じてばらまくサイボーグ能力。


 その新たに得た力で彼女が最初に作ったのは、自白剤だった。粘膜接触を通じて軍医を洗脳し、情報を聞き出すのに成功した。テディの死にまつわる情報を。


 朦朧とした軍医の口から、一切の詭弁なく語られる真実=死因はショック死。連隊長の度を過ぎた奉仕(・・)に応えようと、一生懸命になり過ぎたが故の悲惨な末路。


 死亡直後のテディの内臓は、見るも無残なほどに破壊(ミキサー)されていたという。


 真実を知ったアンジーの中で哀しみと悔しさが深まりこそすれ、驚きはほとんどなかった。なんとなく、そんな理由だろうと察しがついていたからだ。


 そんな最低な理由だろうと。


 心の準備は整った。しかし、連隊長への復讐を実行する前にやるべきことがあった。自らが獲得した新たな力を、着実にコントロールすること。その練習台に選ばれたのは軍医だった。


 少し遅れてやってきた第二次性徴。夜を越えるたびに女らしい体つきになるのに合わせて、彼女の能力もまた急速に発達していった。乾いたスポンジが水を吸収していくように。


 実地訓練を経て、すっかり忠実なしもべとなった軍医に薬物のリストを作らせた。並行して、分子構造や有機反応化学の初歩を密かに習得し、自らの肉体をどう意識的に操作すれば、どの薬物が体内で製造できるか、次第に把握できるようになった。


 そのおかげで、澱のように溜まっていたトルエンの無害化にも成功した。


 驚くべき学習速度と成長速度。その化学的原因は、常時摂取していたトルエンによって、元々の肉体に薬物耐性が付与されたためだ。


 だが、当人たるアンジーはそうは思わなかった。全てはテディの分も生きるという決意がそうさせているのだと意識した。大切な友の未来を奪い去った男達へ突き刺す、残虐な復讐心のなせる技でもあると感じた。


 改造を受けてから二か月後。


 ついにアンジーは復讐のステップを軽やかに踏み始めた。


 連隊長はアンジーの身に何が起こったのか知ることもなく、ますます彼女に夢中になっていった。


 ステップする足は止まらない。日が経つにつれ、より高度に体内で薬物を生成する力を獲得。濃度を精密に操作し、薬物散布の指向性までも習得=サイボーグ適性の高い者に顕著な、能力の応用と発展。


 エフェドリン/デキストロアンフェタミン/メチルキサンチン/ジアセチルモルヒネ/ストリキニーネ/メトカチノン/トリプタミン/テストステロン……


 付加と置換と脱離と縮合の連鎖の果て=種々の交感神経興奮剤、精神刺激薬、ホルモン活性剤を常時体内に貯蔵。その気になれば強力な毒薬として機能するそれらを、だがアンジーは即座に使おうとはしなかった。復讐を誓った少女の念入りな計画。体内に貯蔵した分泌液を向精神薬として、日中、基地内で兵士たちとすれ違う際に、わざと肌から散布した。


 アベンジ・パルファム――アンジー自らそう名付けた、無味無臭の魔性なる逆襲(アベンジ)芳香(パルファム)は兵士たちの鼻腔を通って体内へ侵入。巧みな濃度コントロールによって、神経系統へ作用するタイミングを調整。


 そうして夜、異常な興奮と刺激を求める心に体を押されて、兵士たちは連隊長の寝室へ向かった。

夜が耽る頃合いに、自然とはじまる動物的なパーティ。理性を完膚なきまでにとろかす、幼きニンフのパワー。凄まじい快感に心は満たされ、肉体は蝕まれていく。


 アンジーは、今までにない優越感を覚えていた。これまで自分の人生を奪ってきた男たち。彼らの生殺与奪の権利を、知らず知らずのうちに自分が握っているのだという事実。立場の逆転を自覚。そこから湧き上がる誇らしさ。


 復讐のステップはさらに続き、ますます男達は夢中になった。入れ替わり立ち替わりアンジーへ没頭する部下たちの姿を見せつけられて、連隊長が抱える歪んだ執着心も、ますます鈍い光を放つようになっていった。


 センター・オブ・ホイール――補給基地で回転を続ける人間関係の中心に、いつのまにかアンジーが君臨することに。


 月日が経過するにつれて、次第に通常業務にも支障をきたすようになった。


 前線から補給の要請を受けてもまともに機能しない=薬物摂取の副作用。兵士たちは、あきらかに異常をきたしていた。脳機能の退化。削がれる気力。倦怠感と苛立ち、そして精神依存の蔓延。


 日中は誰しもが死んだような眼差しになり/夜になると誰しもが生気に満ちた脂っこい瞳で寝室に集まり、我も忘れてアンジーを中心としたパーティが始まる。


 留まるところを知らないアンジーのアベンジ・パルファム。少しずつ薬物の濃度を上げていく。すっかり虜となった男達の末路がどれだけ悲惨なものになるか、想像に難くない。


 もはや正常な判断は困難で/もはや正気を失うことが正常であると誤認された世界で踊り狂うアンジー。


 彼女を巡って、あちこちで味方同士の喧嘩が勃発=死傷者多数。それでも止まぬ回転。統率という名のブレーキはすっかり摩耗し、誰も流れを止められない。破滅への流れを。


 そして、ついに踏まれる復讐の最終ステップ。


 蒸し暑い夏の昼。連隊長の部屋。豪華な調度品の数々。鍵が掛けられたドア。閉められたカーテン。まだ日の高いうちからアンジーの方から連隊長へ誘いをかけ……奪われ続けてきた少女の、一世一代の全力全開が発揮された。


 密室に瞬く間に充満する、高密度に攪拌(ミキサー)された薬物成分のオンパレード。透明な殺意の芳香が一斉に牙を剥いて、連隊長の肉体を内側から激しく侵しはじめた。


 急性の薬物中毒に陥り、到来する過剰摂取(オーバードース)――内臓機能が著しい低下を見せ、交感神経が後戻りできないほどに狂い、口から泡を吹いて白目を剥き、痙攣を繰り返す連隊長。


――死ねっ! とっとと死ね! このクズ! テディの仇だ! 死ねっ!


 ベッドの上で、生まれたての小鹿のように震える無様な連隊長に向かって、アンジーは瞳に涙を浮かべると、恨みつらみに満ちた言葉をぶつけ続けた。

 

 初めての人殺し――人間としての道を踏み外しかけている現実を極力意識しないように、ただただ能力の解放のみに意識を一点集中させ続け、やがて多臓器不全をもたらした。


 連隊長の意識は瞬く間に混濁し、烈しい眩暈に襲われ、嘔吐を繰り返していった。シーツが汚れるのを視界の隅に捉えて、ますます力は止まず/ますます恨みは止まらず/ぐらぐらと煮え立つ怒り/ぴくりとも動かなくなった連隊長を無視/部屋のドアを開錠し、窓を全開にした。


 熟成されたパワーの解放/津波のごとく押し寄せる破滅の芳香/基地の敷地内を蹂躙/建物の隙間という隙間へ、怒濤の勢いで侵入していった。


 屋外で、屋内で、殺虫剤を噴射されたハエのごとく狂死していく男達。辺り一面が屍になるのに、それほど時間はかからなかった。


 ついにやった。やってやったという達成感――窓辺に立ち、ひとり静かに微笑む魔性のニンフ。


 だが直後に、彼女は知ることになる。己が致命的なミスを犯していたことを。


 ふいに視線を右へずらす――共同部屋――ベランダに衣類が干され、窓が全開になっている。


 失念――声にならない叫びを上げながら階段を駆け下り、靴も履かずに外へ飛び出し、共同部屋に駆け込む。


 わずかな時間。時とも呼べぬ刹那の流れ。どこかで、楽観的になろうとする心の力が働いた。だが、そんなものはすぐに打ち砕かれた。現実はどこまでも寡黙で、それでいて非情だった。


 玄関口で、キッチンで、一階のリビングで、二階の寝室で、死屍累々に折り重なる少女たち。その瞳に映る無情の景色。取り返しのつかない事態に直面し、思わずその場にへたり込むアンジー。


 最悪の光景を招いた要因=復讐に固執するあまり、芳香の拡散範囲や指向性にまで意識が回らなかった。力無き者達の声に耳を澄ませることができなかった。自分のことしか考えられなかった。


 自然と湧き上がる涙。アンジーは、烈しい後悔を抱えて泣きじゃくるしかなかった。


 背負わざるを得ない十字架――テディが守ろうとしたものを破壊してしまった。いっそのこと、気が狂えばいいのにと心底願った。だが彼女の理性も本能も、それを拒んだ。


 補給基地からの連絡が途絶えたことに、前線が勘づくのは時間の問題だった。基地壊滅の三日後に、連邦本国から査察団が派遣されてきた。


 一歩足を踏み入れるなり、基地に散らばる遺体の数々に驚嘆する査察員たち。誰もが怖気を顔に張り付かせていた。その屍の山の中に、ただ一人可憐な少女がいることに、ますます驚きと不可思議さを感じ取った。


 補給基地を襲った謎の殺戮(ジェノサイド)――調査の過程で次第に明らかになっていく暴虐の数々。戦時国際法に反した捕虜の扱い、少女略奪に連隊長が深く関与していたという事実を掴んでしまう査察団。それでも掘り当てることができない=殺戮(ジェノサイド)の直接的要因。


 当然のことながら、唯一の生き残りであるアンジーも、体のすみずみまで検査された。しかし、彼女に下された診断結果は『肉体の微活性に繋がるサイボーグ手術の痕跡アリ』という、なんとも大人しい内容で、殺戮(ジェノサイド)とは無関係であるとされた。


 アンジー特大の秘密=薬品工場と化した内臓機能が露見しなかったのは、ここにきてますますの発展を遂げる能力応用の賜物だった。薬物生成の機能を一時的に稼働停止状態にし、健常者とほとんど変わらないレベルに内蔵の組成を偽装したのだ。


 まんまと騙された査察団は、結局最後まで殺戮(ジェノサイド)の原因を掴むことができず、『原因不明の疫病流行による基地壊滅』という、それらしい成果をでっちあげて本国へ報告せざるを得なかった。


 アンジーが連隊長から貰っていたチップは、テディが貯蓄していた分と合わせて、査察団に押収された。彼女は本国へ移送され、略奪事件の被害者として秘密裏に扱われ、国が運営する特別児童養護学校へ編入されるかたちとなった。


 それから数ヶ月後、あっけないくらいに戦争は終結した。


 多大な犠牲を払いながらも連邦が勝利を収めた。戦勝国の特権かどうかはしらないが、連隊長が犯した非人道的行いの数々は、最後まで明らかにされなかった。


 集団に蹂躙され、集団に何もかもを奪われたアンジーは、出来得る限り一人の力で生きていこうと決めた。孤独をエネルギーに変えようと意識的に務めた。たった一人の友人との想い出と、自分が犯してしまった取り返しのつかない罪業を背負いながら。


 どうしようもない己の半生をほとんど回想し終えたところで、アンジーは風になびく髪をかきあげた。


 先の見えない暗闇を、ひとりぼっちで淡々と歩いて行くだけの人生だと思っていた。道の途中に落とし穴があっても気づかず、もしも穴に足を掬われる事態に直面したら、そうなるのも仕方ないと自分を納得させようと決めていた。


 けれどもいま、集団に居心地の良さを覚えているといるという事実が教えてくれていた。きっとあのとき落とし穴に嵌ったら、自分はみっともなく泣きわめいていたに違いないという確信があった。


 ヴォイドと縁を結んだ日々の暮らしから、それを学んだのだと思った。たとえ互いの身の上を詳しく知らなくとも、常に生活空間を同じにして時の流れを共有する相手がいるだけで心が安らぐという事実を。


 協会への登録を済ませて、ソロでハンター活動を始めた頃にヴォイドが接触してきた時は、てっきり自分の身体が目当てなのだろうと思っていた。幼少期に過ごした経験が人格の核となっていたから、そう誤解してしまうのはアンジーにしては当然の発想だった。


 けれども、ヴォイドは基地の兵士たちとは全然違った。下心を丸出しにして接してくることも、小賢しい口車でこちらの心を絡め取ろうともしなかった。


 チームを組みたい――ヴォイドの要求はシンプルに過ぎていて、それだけに最初は訝しんだ。もし寝床を襲ってきたらどんなしっぺ返しをしてやろうか考えながら寝床についた。


 だがしかし、共同生活が一年、二年と続いても、ヴォイドは手を出す気配すら見せてこなかった。そんな日々が長い事続いたおかげで、あの忌まわしい過去が少しずつ浄化されていく感覚に満たされ、最初は戸惑い、いつからか当たり前のように受け入れていた。


 自分は、自分が思っているよりもずっと軽い性格なのだろうかと思い悩んだが、すぐにそうではないと知った。ヴォイドが人生を変えてくれたというより、彼との触れ合いが人生を変えるだけの力を与えてくれたのだ。薬物を製造する能力よりも、色々な意味で勝る力を。


 道を歩く力。確かに自分はそれを――この世界のどんな権力や武力よりも精神的な視点で上位にくる力を獲得するようになっていたのだ。


 だが本当にそうなのだろうか。


 過去をばらばらに解体して眺めていく中で、どこか違和感を覚えた。ぼやけていたピントに焦点が合ったり合わなかったりを繰り返した。


 そうしてある瞬間に、忌まわしいだけなはずの過去でおぼろげに輝く点があり、その点の正体に気づいた時にはっとなった。


 過去にも、道を歩く力を教えられていた。


 ベランダの手すりから手をどけると、アンジーは後ろを振り返った。一台の天体望遠鏡が、部屋の中央で寂しそうに佇んでいるのが目に入った。ずっとそこにあったのに、今の今まで気づかなかった。いや、気付こうとしてこなかった。


 テディ。戦地で結んだ友情。夜に星空を眺めて色々なことを語り合ったあの日々を、忘れようとしている自分がいることに気づいて愕然となった。《凍える脊椎(バック・ボーン)》という新しい居場所を手に入れたことで、罪と呪いに溢れた過去を切り捨てようと、心のシュレッダーがいつの間にか起動していたのだ。


 いま、そのシュレッダーのスイッチを止めるべきだったし、実際にそうした。小間切れになりつつあった過去の断片を必死に搔き集めてつなぎ合わせた。アンジーはベランダに立ち続け、しばらくの間そうしていた。


 テディとの繋がりを思い出していく中で、自分がされたことや、自分がしてしまったことが、二度と拭えない汚れとなって浮き上がる。


 そこから目を逸らすことはしなかった。テディとの触れ合いが宝石のようにきらめくおかげでより一層の汚れが目についたが、罪の重さと呪いの強さを自覚するに合わせて、極めてかけがえのない記憶として意識されていった。影の濃さや傾きを見るにつけ、光の位置と強さが自ずと分かるように。


 修復が完了した記憶の紙片を眺めていくうちに、自然と勇気が湧き上がってきた。向かうべき道は曲がりくねって目的地は見えないが、それでも歩いていかねばならないという意気が芽生えた。


 相手が誰であろうと、全力でぶつかるだけだ。チームのために。辛抱強く。


 アンジーは背筋を伸ばすと、視線を天体望遠鏡に合わせて、大きく深呼吸を繰り返した。


 上空で、ドローンの羽ばたき音がせわしなく響いた。

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