2-17 PM12:45/《凍える脊椎》――歩くべき道②
『それで、破壊された発信機の件についてだが、代替策はすでに用意してあるから安心したまえ』
すっかり場を操作する立場に就いたギュスターヴが、矢継ぎ早に話を推し進めた。
『さきほど、麻痺毒とオグランの遺体に付着していた繊維から、鬼血人の匂いの元となる分子を抽出できた。これをガスセンサーに登録して探知する方法が最も得策だ。センサーは鼻腔に貼り付けるタイプの機能シールに装着されているんだが、これも送ってやろう。念のため確認するが、君らの電脳の規格はなんだね?』
「全員がUR-G3で統一されています。連邦の軍事規格ですが」
『すばらしい。その規格ならセンサーとの同期は可能だ。嗅覚の《見える化》を獲得すれば、さしずめ君達は、人間の言語能力を獲得した機械式の警察犬となるわけだ。シールは輝灼弾と合わせて送る。運搬支援型のドローンで配送すれば三十分もかからんだろう』
「助かります」
『うむ。では頼んだぞ。吉報を待っている』
霧状のスクリーンに浮かぶギュスターヴが、手元の機器を操作した。それで通信は終了した。ヴォイドは《噴水》の電源を落とした。電位制御されていた霧状の超微細粒子が分子配列を崩して霧散し、リビングにわずかな湿り気を与えた。
「気に入られねぇジジイだな。警察犬だぁ? 誰に向かって口利いてやがんだよ」
耳の穴をかっぽじりながら、早々にパンクが吐き捨てた。依頼人とのやり取りを終えた直後、最初に感情を露わにするのは、決まって彼だった。そういう役目を与えられたわけではないのに、思った事をすぐ口にしなくてはいられない性分なのだ。
「安心しろ安心しろって、そんなに俺達が焦っているように見えたのかって話だ。なぁ?」
その場にいる全員に向けて同意を求めるような素振りを見せながら、ふっと小指の先に息を吹きかける。
「僕らに対してって言うより、自分に言い聞かせていたって感じがしたけどね」
オーウェルがパンクに同調しつつ、彼なりの所感を口にした。
「自らの不安を鎮める……というよりも、彼は事態の検算をしていたのではないでしょうか。あの確認を求めるような口調は、その裏返しともとれますが」
オーウェルの発言を掘り下げるかたちで、リガンドが前髪をいじりながら所感を述べ始めた。他のメンバーがギュスターヴの冗長な説明に辟易としている中、この男だけは観察に徹した末に、なんらかの所感を掴めているようだった。
「実に投資家らしい傾向ですよ。リスク軽減のために、あらゆる調査を惜しまない性分が顔を覗かせている。ナイル氏は鬼血人の登場をあらかじめ予測していたとみるのが妥当でしょうな。だからこそ、階層間エレベーターを使うのではないかと考えることもできた」
「なるほど。鬼血人が絡んでいると推測しておけば、そういう発言が飛び出しても、おかしくはないよね。地下で暮らしてた奴らに、この都市の常識は通用しないんだから」
「オーウェル、その通りです」
「ナイル氏と鬼血人が互いに手を組んでいる可能性については、どう考える? リガンド」
「互いに手を結んでいる可能性は低いでしょう。我々を罠に嵌めるつもりなら、自分から武器の提供など申し出ないはず」
「本命は、やっぱりあの女の子か。まぁ、俺達を潰そうってんなら、他に色々と手段はあるわけだしな。こんな回りくどい方法なんざとらねぇだろ」
「パンクの言う通り、ナイル氏の狙いはあくまでも少女の確保でしょう。それを円滑に進めるために、彼はあらゆる事態を想定して対策を講じてきた。うろたえることもなく輝灼弾の提供を口にし、発信機が破壊されたと知ってすぐに別の策を打ち出せたのもそのためです。つまり――」
続くはずの言葉を、唐突に閃きを得たヴォイドが強い口調で引き継いだ。
「鬼血人が執着するほどの秘密を、保護対象の少女は隠し持っている。ナイル氏は、その秘密を手に入れたいがために、俺達を雇った」
「多重契約な」
まだそうであると分かったわけではないのに、パンクが横槍を入れるようにぼやいた。
リガンドとオーウェルが目を細めて、小さく溜息をついた。そんな風にヴォイドの言葉尻をとらえると、またアンジーにどやされるぞと言いたげに。
だが、いつもなら噛み付くはずだろうのアンジーは、この時、普段の彼女らしからぬ振る舞いをみせていた。深刻な難問にぶち当たった苦学生のように、下唇をぎゅっと噛み締めていたのだ。そのせいで、リガンドとオーウェルは梯子を外されたような気分を味わい、互いの顔を見やるしかなかった。
今のアンジーは、ヴォイドの口から導き出された一つの仮説に、心と頭が完全に囚われていた。彼の推測はおおむね正しいと直感が囁き、背筋が凍るような感覚に陥って、抜け出せないでいる。
人外の怪物が興味を持ち、都市の権力者が付け狙う存在。
途端にアンジーの中で、あのサンタクロースに似た衣装を着た可憐な少女が、訳の分からない、不気味な影をまとう印象を帯び始めた。宝石や兵器といった、目に見えて分かり易い物の方が、まだ理解できた。
理解が追いつかない何かに対して人は恐怖を抱くのだということを、この時のアンジーはまたもや思い知らされていた。かつての自分に降りかかった災厄を、今また別の状況で反芻する羽目になった。
「ねぇ、あの雌の鬼血人も気になるけどさ」
停滞しかけた会話を再び流動させようと、オーウェルが割り込んできた。
「エヴァンジェリンだ」
リビングに声が響いた。パンクがテーブルに視線を落としている。野獣の目つきだった。打ち倒さなければならない敵を見る目だった。
「雌の鬼血人はエヴァンジェリン。乱入してきた雄の鬼血人はベル。今後はそう呼ぼうぜ。親しみを込めてよ」
パンクの皮肉に追従するかたちで、リガンドが黙って頷いた。ややあって、オーウェルも同じ振る舞いをとった。チームのアタッカー二人がもたらしてきた情報のありがたみを、しっかりと噛み締めるように。
「パンク、リガンド。お前たちがただでは転ばないタフな男であることは、ここにいる全員が理解している。奴らの名前は、きっちりホワイト・ボードに記録しておこう」
鬼血人同士のいざこざに巻き込まれる危険性を省みずに徹底して動向を注視し、聴覚センサーで盗み聞くかたちで怪物の名前を持ち返ってきた二人に、ヴォイドが労いの言葉をかけた。
鬼血人の名前を、あえてギュスターヴには伝えていない。パンクとリガンドが強く反対したせいだ。
敵対者の名前。たったそれだけの情報にも、震撃速の二人にとっては重要な意味があった。すなわち、自分達の手で獲得してきたのだという自負。それがギュスターヴへの反抗心と結びつき、わざわざ教えてやる必要などないという、反骨的な態度に彼らを駆り立てた。
アンジーは、複雑な心持ちでヴォイドの横顔を盗み見た。パンクとリガンドが声高に主張しなければ、ヴォイドは洗いざらいの事実をギュスターヴに伝えていたかもしれない。
別に、今にはじまったことではない。長年に渡ってチームを業界の軌道に乗せてきたこの男は世間一般のハンターとは異なり、依頼人に対して誠実に過ぎる嫌いがある。
そんな彼が我を通さずにメンバーの意見を汲み取ってくれたことに、本来ならますますの信頼感と、いい年して口にするのも恥ずかしい秘めたる感情を強めるべきだった。けれども、先ほどのやり取りが今もなおひっかかり、アンジーの心にわずかな陰りを芽生えさせていた。
相手に従順さを見せつけつつ、必要な情報を引き出すのが、チームリーダーたるヴォイドの役割であったはずだ。それが、会話の交通整理をコントロールできず、終始相手に主導権を握らせてしまうなど、どう考えても普段のヴォイドらしからぬ姿勢だった。
それだけ、ギュスターヴのコミュニケーション能力が秀でているとも言えるが、アンジーには、ヴォイドが焦慮に駆られたがゆえに墓穴を掘ったように思えてならない。
彼らしくない。その原因はやはり、鬼血人という、復活した亡霊を目の当たりにしたせいだろうか。
「話を続けてもいいかな?」
場の空気を読んで、あえてオーウェルが明朗に口にした。全員が首を縦に振るのを確認してから、腰の折れた会話を立て直す。
「エヴァンジェリンも気になるけど、乱入してきたベルは何者なんだろう」
「そこについてですが、盗み聞いた会話の断片から察するに、エヴァンジェリンに対して並々ならぬ憎悪を向けているのは間違いない、という事だけしか分かりませんね」
「俺達を無視していったからな、アイツ。おそらく少女とは無関係だぜ。あくまでもエヴァンジェリン一匹に固執していやがるって感じだ。とてつもない恨みを抱えてな」
「依頼に直接かかわってこなくても、障害になり得る可能性はあるよね。僕らがエヴァンジェリンを排除しようと動いたら、敵対関係になるかもしれない」
「何が言いたいんだ? オーウェル」
ヴォイドが腕を組みながら訊いた。確認をとるような口調だった。オーウェルが何を考えているかおおよそ検討がついていながら、それでもあえて、彼の口から引き出そうとしているようだった。
「ギュスターヴの邸宅にあるサーバー。そこに侵入すれば、この奇妙な依頼の裏に隠された真実が、つまびらかにされると思うんだ。ギュスターヴのことだから、エヴァンジェリンやベルの情報をある程度は掴んでいるだろうし、それにあの少女に関しての情報も、たっぷり保管されているはずだよ」
あけっぴろげにオーウェルが言ったので、アンジーは少々驚いた。だがすぐに、その物怖じしない発言の根底にあるのが、人見知りな性格の反動なのだと分かった。
心を許すのに時間はかかるが、一度信頼を置いた相手に対してなら、どこまでも自分の要求や感情をあらわにする。それが、オーウェル・パンドラという男の本質なのだと、アンジーは改めて理解した。
「それにさ、奴らに関する情報を得ることが出来たら、もしかしたらベルを使って、エヴァンジェリンをうまいこと排除できそうじゃない?」
「あの化物を誘導するというのですか? それは少々、蛮勇に過ぎるのではないですか?」
リガンドが怖いもの知らずなその態度を嗜めるが、オーウェルの細い三日月形の瞳は、愉し気な光に揺れていた。電子兵としての職業病。新たな情報の獲得と、その情報が持つ価値の高さに想像を巡らせているのだ。
「そいつはあくまでも副産物さ。こうなればいいなっていう願望。本命は、より確実な情報を得ることだよ。少女と鬼血人に関する情報をね。考えてもみてよ、リガンド。今の僕らが置かれた状況を。ギュスターヴはあの少女に関する重大な秘密を握っているような素振りを見せながら、それを僕らに伝えようともしない。これは、僕らに対する裏切り行為だと断じてもいい。権力者だからって、内心では僕らを体のいい駒としてしか扱ってないんだ」
ヴォイドが少しだけ片眉を上げた。だが構うことなく、オーウェルは熱の籠った口調で続けた。
「少女が抱えている秘密。それをギュスターヴが狙うのならともかく、ヴォイドがさっき言ったように、鬼血人でさえ放っておけないほどの秘密だとしたら、これは僕たちも知っておかないとまずいよ。後々に僕らを危機的な状況に立たせることの要因になり得るかもしれない。だったら、今のうちにできるだけ多くのことを把握しておくべきだ」
「俺もオーウェルの意見に賛成だな」
パンクが同調の姿勢を見せた。
「こっちが要求に応えて動いてやってるってのに、向こうが重要な事実を隠しっぱなしってのは、どうも気に入らねぇ。俺達を罠に嵌める気がないのだとしても、結果的にそんな事態にでもなったら、笑い話にもなりゃしねぇぜ」
「わかった」
ヴォイドが静かに頷いた。軋む椎骨をまとめ上げるために、椎間板として何をするべきか。彼の中で答えは決まったようだった。
「オーウェル、お前の電子諜報活動を許可する。ナイル氏のサーバーに侵入し、依頼背景の情報を確保してくれ」
即決即断――オーウェル、そしてパンクとリガンド、いやアンジーまでもが、鳩が豆鉄砲を食らったように固まった。
依頼人のサーバーへ無断で侵入するなど、普段のヴォイドなら無下にして当然の提案であるはずだ。オーウェルもそのあたりのことを分かった上で、あれこれ手をこまねいて説得しようとの心構えでいたから、虚を突かれたような態度をとるしかない。
「どうした。何かおかしいか?」
「いや、なんか普段のヴォイドらしくないなと思ってさ」
「そうか? だが、俺もあの少女の正体については気になるところだ。それに、お前の力ならナイル氏に気づかれることなく侵入できるはずだ。頼むぞ」
「了解。早速取り掛かるね」
いそいそと巨体を揺らして席を立つオーウェルを見送ると、ヴォイドはパンクとリガンドの二人へ目を向けて、
「ナイル氏から物資が届くまでの間、体調を整えておけ。調整剤の補給を怠るなよ」
それだけを告げると、自室へ戻っていった。暖房の効いたリビングに、リガンド。パンク、アンジーの三人だけが残された。
「なんだか拍子抜けだな」
椅子の背もたれに体を預けて、チームリーダーが消えていった個室のドアへ視線を向けながら、訝しむようにパンクが口にした。
「てっきり却下するものだと思ってたぜ」
「同感です。客観的に言えば、我々がやろうとしていることは、依頼主の腹の内を探ることを意味しますからね。ハンター家業の原理主義的傾向のあるヴォイドが、それを許すとは……」
「なんか変だよなぁ。おい、アンジー。お前何か知らねぇか? 今日のヴォイド、ちょっとおかしいぜ。お前もそう感じたろ?」
「え? あ、うん、そうでしたね。でも、理由は分かりません。ヴォイドにはヴォイドの考えがあるんじゃないですか?」
弾かれるようにして、伏し目がちだった瞳を起こし、他愛ない返事を寄こす。どこか、取り繕うな態度だった。
パンクとリガンドが、意図を図りかねるといったような目を、アンジーに向けた。
「おいおい、大丈夫かよ。ヴォイドだけじゃなく、お前までどうかしちまったのか? 話し合いの最中、ずっとだんまりだったしよ」
「気分が優れないのですか?」
ぶっきらぼうな口調と、親身に寄り添うような口調。どちらもアンジーの身を案じているのは、他ならぬ声をかけられた当人が理解していた。しかしながら、彼らの優しさに安心感を求めようとしても、ざわつく心は抑えきれないようで、
「大丈夫。何も問題ないですよ。時間がくるまで、ちょっと風に当たってきますね」
気丈な素振りを装って告げると、アンジーは二階へ続く階段へ足をかけていった。パンクとリガンドの視線を、小さな背中にしっかりと感じ取りながら。




