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プロメテウスに炎を捧げよ  作者: 浦切三語
2nd Story フェイト・オブ・ジ・イノセンス・ギア
45/130

2-11 AM10:34/そして戦渦は回転する②

 状況を把握する間も与えないとばかりに、エヴァの反撃は果敢に、それでいて凄まじい速度で展開された。


 赤黒い霧が二つに分離したかと思いきや、瞬く間に二つの人の姿を象り、猛然とした勢いで左右の破砕口からそれぞれ一体ずつ飛び出し、四肢を壁にへばりつかせて、リガンドとパンクを威嚇した。


 その人型の何かは、赤く錆びついた影が立体的に立ち上がったかのような――さしずめ『赤影体』とでも呼称すべき奇怪な存在だった。髪も目も鼻もなく、ただ大きく横に裂けた口のみがあった。


 テレビの空きチャンネルを赤く染めたような、厚みのある、その無機質な人型のなにかは、手足の長さが常人の二倍近くもあり、化物としての風格に満ち満ちていた。


「おう!? なんだコイツ!?」


 予想外の展開に思わず地声で叫ぶと、パンクはすかさずスラスターの推進力を活かして距離を取り、都合四丁の自動小銃の引き金に片っ端から指をかけていった。


 四本の腕が操る四つの銃口から、爆発めいたハレーションが放射され、怒濤の勢いで銃弾という銃弾が放たれた。しかしそれらの、嵐のような弾幕掃射に赤影体が撃ち砕かれることはなかった。


 エヴァの能力によって生み出された、その無貌なる怪物の一体は、トカゲのように両足を壁面につけたまま、赤黒く塗りつぶされた両方の手の平から、ほとんど同化したような色合いの『武器』を魔法のように出現させると、竜巻のごとき迫力で振るい始めた。


 赤黒い軌跡を縦横無尽に描くその武器の正体――刃渡り五十センチほどの、マチェットに酷似した刃。武骨ながらも殺傷に適した肉厚の近接武器。

 空中で次々に閃く刃の輝線。その全てに、精緻な角度が保たれていた。ゆえに、銃弾のことごとくが弾かれ、逸らされ、叩き落とされていく。


 その圧倒的な力量差を見せつけるような光景は、少なくとも、『銃』を心の拠り所としているパンクにしてみれば、悪夢としか言いようがなかった。これまで一度も抱いたことのない獰猛な感情が湧き上がる一方で、こめかみを一筋の冷や汗が流れていく。


「ちきしょう! どうなってやがんだ!?」


 あまりの出来事に恐慌になりかけたパンクは、銃撃の手を一旦止めると、電脳回線上に怒鳴り声を乗せた。


〈オーウェル! 見えているだろ! 解析しろ! こいつのサイボーグ能力を!〉


〈もうとっくにやってる! けど分からないんだ! 協会のデータベース、アンダー・グラウンドの闇手術リスト、全部洗ってるけど、今のところ何一つとして当てはまらないよ!〉


〈だったらもっと徹底的にリサーチしろ! はやく仕事しやがれ!〉


 怒りに任せた罵り声。それでも、オーウェルは口答えしなかった。今は言い争いをしている場合ではないし、なにより、こういう態度がパンクのリズムだと知っていたからだ。


 苛立ちや怒りの感情は銃撃において不純物でしかない。だからこその罵声だった。余計なものを全て外側へ発散させ、冷静な心構えだけを結晶のように残す。それが、より良い銃撃を生み出す。パンクの戦闘哲学とは、そういうものだった。


「コケにしやがってクソビッチ。穴だらけにしたその体に、俺のをぶっ挿してこねくり回してやるぜ」


 己の流儀に則って侮辱極まる言葉を吐き出すと、パンクは左手に構えた二つの銃(・・・・)を、壁伝いににじり寄る赤影体へ向けて威嚇射撃しつつ、右手に構えたもう二つの銃(・・・・)を、破壊されたエレベーターの箱へ向けて引き金を絞った。


 その時にあってもなお、パンクの目は、不気味な存在感を放つ赤影体へ注視されたままだった。


 だがそれでも、箱へ向けて放たれた銃弾はパンクが脳裡に描いていた通りの軌道を描き、狙った入射角へ侵入。箱の内部で奇天烈にして正確無比な跳弾を繰り返し、右と左のどちらの破砕口から飛び出すべきか判断しかねていたエヴァの脇腹を抉り抜いた。


「――くっ!」


 痛みは感じず、しかし意識がそれを拾っていた。


 咄嗟に右へ転がり飛んで起き上がった矢先、狙いすましたかのようにまたもや跳弾がヒット。右肩の肉が作業着ごと抉れて血が滴った。


 思わずたたらを踏んだところへ、さらに雨あられの如く弾丸が降り注ぎ、エヴァの身を引き裂いていった。ヘルメットを固定していた顎紐がプチンと切れて転がり、たちどころに穴だらけになった。


 それほどの銃撃の嵐の中にあって、驚くべきことにニコラを格納したバッグには一発も被弾していなかった。それだけパンクの射撃は緻密だった。


 正確無比な射撃を可能としているのは、彼の喉に埋め込まれた音響探査装置の力に寄る。それは超音波を流す機能を有しており、反響音から構造体の造りを演算によって導き出す。だがその役割は、あくまで補助的な範疇に留まる。


 どのように腕を振るい、どれだけの強さで引き金を絞れば、どんな軌道を描いて弾丸が標的へ命中するか。TOP ONE GUN MISTER ONE――ただ一人の優れた銃撃手――大陸間戦争時に培った、妄執的とも言える銃の知識と実戦を経て身につけたパンクの射撃技術と合わさることで、彼の音響探査装置は初めてその真価を発揮する。


 その装置のおかげで、たとえ視界の外の出来事だろうと、今のパンクには手に取るように感じることができた。引き金を絞る己の指先を起点として生まれる弾丸のパワーが、あの箱の中でどのような殺戮的ダンスを披露しているかが。


 流れが有利な方向へ傾き始めた。そのようにパンクが認識するのも仕方なかった。相手が普通の傭兵であったりサイボーグであったりしたなら、銃撃の雨に晒されてとっくに事切れている。


 しかしながら――今回に限っては相手が悪かった。


 鬼血人(ヴァンパイア)としての特性。その類まれなる身体能力が発露する。エヴァは全身の筋肉収縮を間断なく繰り返し、体内に留まった銃弾を次々に排出(イジェクト)。床に広がる血だまりがひとりでに赤い線を描き、見えない力で引き寄せられるように彼女の体内へ帰還していく。


 生物としての常識外れな工程を踏みながら血液を回収し、体中に穿たれた銃創という銃創を、これまた常識外れの細胞分裂速度でたちどころに塞ぎながら、エヴァは赤黒い濃霧をまたもや発生させた。


 濃霧から生まれた一体の赤影体が左の破砕口から外へ飛び出し、壁にへばりついてリガンドを牽制していたもう一体の赤影体と合流。都合二体の赤黒い怪物は、息を合わせるように四肢に力を込めると、壁を強く蹴り、リガンド目がけて跳躍を決めると――その身から鋭い閃光を発して連鎖的に爆発した。


 その衝撃はすさまじく、莫大な熱量を辺りに発生させ、エレベーターの壁の一部を粉みじんに吹き飛ばした。粉塵が分厚い幕を周囲に張り巡らし、リガンドの視界を覆った。


 攻撃の手が中断される。その間隙を縫うように、エヴァは素早く身を翻して左の破砕口から飛び出し、バッグを背負ったまま、しがみつくようにして壁をよじ登り始めた。本能がそう行動するように判断を下していた。


〈リガンド! なんだ今の爆発は!?〉


敵性者(エネミー)の攻撃です。さっきの赤い奴らが自爆したんですよ〉


 空中に漂う粉塵が、見えざる力によって内側から弾け飛んだ。リガンドの電磁の力が周囲へ拡散したせいだった。紳士服のところどころが焼け焦げていたが、致命傷は負っていない。爆発の直前、咄嗟に電磁シールドを前方へ展開し、火炎と爆圧をやり過ごしたのだ。


敵性者(エネミー)は健在ですよ。いま壁をよじ登ってるところですが〉


 電脳回線で状況を説明しつつ、リガンドは怜悧な眼差しのまま頭上を見上げた。一心不乱に壁をよじ登るエヴァの姿を捉えるやいなや、電磁を纏った右腕を大きく上方へ振るってみせた。

 手袋の中に隠し持っていた、たっぷりと電荷を帯びた大量のネジが、飛ぶ鳥を落とす勢いで発射された。だが、そのどれ一つとしてエヴァには命中しなかった。


 リガンドが攻撃を見舞ったのとタイミングを合わせるようにして、またもや赤黒い霧がエヴァを包み、上半身だけを具象化させた赤影体が襲い来るネジのことごとくをマチェットで弾き、逸らしていく。


〈一筋縄ではいかないようですな〉


 落下してくるネジの大群を電磁力の網で捕獲して周囲に漂わせながら、リガンドは憤然としたものを堪えるように、静かに呟いた。


〈嘘だろ!? 生きてやがんのか!? んな馬鹿な!? マジにどうなってんだ!? 待ってろ、いまそっちに向かう!〉


 あれだけの跳弾を、敵は確かに喰らったはずじゃないのか――信じられないという思いが、パンクの中に残る冷静さと言う名の結晶に傷をつけた。

 それが結果として、隙を生む。スラスターの角度を調整して柱の反対側へ回ろうとした際、腰だめに構えていた銃口が僅かにブレたのだ。

 逃さぬとばかりに、壁に両足をぴったりと接地してパンクと睨み合っていた赤影体が、ぽん、と弾かれたゴムボールのように飛び掛かった。


〈まっず――!?〉


 慌てて四つの銃をそちらに構える。赤影体の内部で強烈な発光が芽生えたのを、視界が捉える。

 戦慄――間に合わない。

 パンクは癇癪を起したように全ての銃を赤影体目がけて投げ放つと、一定のリズムに乗って奥歯を噛み締めた。それが体内の装置へ信号を送り込み、脚部のスラスターが稼働を停止。


 一時的な退避――自らの落下を選択。


 地上四百メートルからの自由落下。有無を言わさぬ重力の引き寄せと乱気流。脳味噌がシェイクされるような、強烈な不快感に襲われる。

 はるか上空で、赤影体が銃の弾倉を巻き添えにして派手に自爆した姿が目に映った。爆音は、反対側で孤軍奮闘していたリガンドにもはっきりと届いていた。


〈パンク!? 大丈夫ですか!?〉


 脳裡に響く相棒の声。だが応答できる余裕がない。


 ドップラー効果によって、爆音が奇妙な音へ変貌していくのを耳が捉える。銃を構成していた部品の破片が、したたかに顔面を打つ。目をぎゅっと閉じながら、吐きそうになる気分を懸命に抑え込む。


 体中のセンサーがフル稼働。たちまち、どちらが下でどちらが上なのか、視覚野上の電子情報に示し出される。電子の補助を受けつつ、腹筋と背筋に力を込めて腰と太もものスラスターを再稼働。前方宙返りの要領で勢いよく身を捻り、重力の束縛から逃げ出す。


 下半身に安定感を感じながら、態勢を整える。足裏から引き出したローラーで壁の表面を捉えると、大量の摩擦低減潤滑剤を足先から噴射し、死に物狂いの表情で壁を駆けのぼった。


〈二百メートルくらい落下しちまった。すぐ戻るからよ、下手に手出しすんじゃねぇぞ!〉


〈残念。もう出してますよ。しかし、どうにもこれは厄介ですな〉


 リガンドのその言葉は、自らの置かれた状況を正しく言い当てていた。


 可変的な電磁浮上の力で、スラスター頼りのパンクよりも多彩な空中移動が取れることがリガンドの強みだったが、今の状況ではその機動力を活かしきれているとは言い難い。


 というのも、エヴァが壁をよじ登りながら、自らを取り囲むようにして六体もの赤影体を生み出し、護衛のように扱っていたからだ。長い手足と、あの手の平から生えた肉厚な刃の速度も相まって、その守りは鉄壁と呼ぶにふさわしく、どのような位置を取っても、崩すのは容易ではなかった。


 実際に、パンクが落下状態から態勢を整えている最中、リガンドはローレンツ力を駆使した高速移動を披露しながら、バッグに傷をつけないよう細心の注意を払いつつ、出来得る限りの攻撃手段を実行していた。


 電磁加速させたネジをただ放つに飽き足らず、何本も磁力連結させて刺突力を上げ、次々に撃ち込んだ。だが、五ミリの鉄板を余裕で貫通できるほどの威力を備えたそれすらも、赤影体のマチェットめいた刃に弾き返された。


 電磁加速した拳でコンクリートの壁を砕き、散らばる破片を搔き集めて磁力で結合させ、小隕石の要領で速射したが、力任せに振るわれる刃の一撃で粉々に砕かれるだけだった。


 ならばと、テーザー銃を真似て指先から数万ボルトの電撃を鋭く放ってもみた。物理的質量を伴わない電撃であるなら、刃で弾くこと自体が不可能であると判断したがゆえの作戦だ。


 彼の目論見通り、確かに赤影体は刃でそれを受け止めなかった。代わりに、自らを盾にするようにして胸を張ると、青白い電流の一撃を堂々と受け止め、足下の壁に散らすという離れ業をやってのけた。


「なんということだ……」


 呆然とするリガンドを嘲笑うかのごとく、赤影体の群れが、「ギャギャギャギャッッッ!」と耳障りな嬌声を上げた。その間も、エヴァは硬化した五指を壁に深くめり込ませて壁をよじ登っていく。


 今のエヴァは、リガンドたちから見て動く要塞も同然だった。あらゆる攻撃手段をことごとく封じられた事実に、流石のリガンドも困惑で頭がどうにかなりそうだった。


 だが頭がどうにかなりそうだったのは、怒濤の攻撃をしのぎ続けているエヴァも同じだった。


「(あのスキンヘッド野郎の銃撃から逃げるためとはいえ、勢いで壁をよじ登るなんて選択をしちまったが)」


 判断ミス――その四文字が重くのしかかる。

 もっと理性的な行動をするべきだったかと後悔したところで、すべては後の祭りだ。

 それになにより、あんな魔法じみた跳弾の数々をあのまま食らい続けることの方が厄介だ。

 こうする以外にどうしようもなかったのではないか。


「(こうなったら、もうこのまま頑張って中層まで行くしかねぇ)」


 間違っていない。これ(・・)は決して、誤りではない。大丈夫だ。必ずこの窮地を脱してみせる。


 無理にでもポジティブな感情を引き出そうとすればするほど、しかし、焦りと不安が増大していく。比例するように、額に大粒の汗が滲んでいく。


 エヴァは睨みつけるように上を向いた。傘のように広がる中層の岩盤が行く手を阻むようにして君臨している。そこに接続されている階層間エレベーター《第十二番》の終端をしっかりと目で捉えると、おおよその距離を算出する。


「(だいたい、あと三百メートル少しか)」


 百メートルを五秒とかからず走破できるほどの、この極めて優れた運動能力を駆使すれば、登攀に労苦など伴わない。筋力操作で硬化した指と足先を杭のように打ち付けていけば、お手の物だ。


 だが今の状況ではそれも難しい。全身を殴りつけてくるかのような吹き降ろしの風は、その勢いを更に増していくばかりだ。少しでもバランスを崩せば、複雑に荒れ狂う自然風に呆気なく身を掻っ攫われていくだろう。


 なにより、血を消費し過ぎた。これはエヴァにとっても予想外の痛手だった。


 鬼血人(ヴァンパイア)に固有の特殊技能・血騰呪術(アスペルギルム)。その発動の源となるのは、その身をあまねく流れる『血』そのものだ。


 能力行使の代償として血を消費するという絶対の原則からは、たとえコロニーの長たる『太母』であったとしても逃れることはできない。種族として課せられた宿命のようなものだ。


 通常、鬼血人(ヴァンパイア)がその身に溜め込む事のできる血液の総量には個人差がある。『太母』の手でこの世に生み落とされた時点でそれは決まっており、訓練で総量の上限を上げることも可能だが、だとしても微々たる話だ。


 エヴァンジェリンは、日向を歩む者(デイライト・ウォーカー)という、恩恵とも呪いともつかぬ特性をその身に付与された反動か、血液の総保有量は低い方だった。感覚的には、下の上といったところだ。あまりにも、不出来なことに。


 生まれた時から太陽に気に入られたくせに、ずいぶんと役立たずなんだよな、アイツ――そのような陰口や悪評を叩く同胞たちを、無視するように意識的に務めてきた。


 しかし、今この時のエヴァは、同胞が繰り出していた悪意に満ちた揶揄が、あながち間違いでもなかったかもしれないと、認識を改めつつあった。


 なるほど、確かに役立たずの烙印を押されても仕方ないかもしれない。血騰呪術(アスペルギルム)を駆使し、自らの分身とも言える赤影体をたったの九体しか生み出していないにも関わらず、


「ぜっぜっぜっ」


 もう息が上がりかけている。


「(あと……三体くらいが限度ってところか)」


 もしそれ以上に赤影体を展開してしまえば、肉体の再生能力はほとんど機能しなくなり、激しい飢餓状態に襲われるに違いない。そんな状態で銃撃や雷撃を立て続けに食らったら肉体の修復は追いつかず、そのうち視野狭窄に陥って自我を喪失。そのまま狂い死ぬのだろう。


 情けない。ひどく情けなかった。こんな軟弱な体で、よくも『太母』の護衛役など引き受けていたものだ。まったく、あれこそ奇跡的な体験だったのではなかったのか。


「(――ざけんな)」


 コロニー時代の、決して恵まれていたとは言い難い経験を起点に臆病さが鎌首をもたげ始めるが、それを意地と奮起で無理矢理にでも押しとどめる。


 今は卑小な思考に囚われている場合ではない。襲撃者たちを煙に巻いて、ニコラを奪われることなく、いかにして中層までたどり着くか。クリアしていくべき課題は沢山あるのだ。

 

 刃による堅牢な防御と、自爆による後先考えない攻撃。そして――通常の鬼血人(ヴァンパイア)には不可能であるとされる――術理として放った力を血液へ変換して体内に回収する力。これらの三つが、エヴァのが生み出す赤影体に備わった力だった。


「(けれども三番目の選択肢は、いま選ぶ時じゃない)」


 血液の回収と、それに伴う体力回復を優先して赤影体をその身に呼び戻せば、今度は防御が手薄になる。そうなれば、あのスキンヘッド野郎と紳士野郎も攻撃に全力を賭けてくるに違いない。


 では、まず六体を回収した後に、二、三体ずつ赤影体を展開し、最低限の防御を維持し続けるという策はどうだろうかと、エヴァは考えた。その方が、単位時間における血液の消費量は押さえられる。


 だがそれでも、六体を引っ込めるという事実に変わりはない。そして同時に、これだけの数の赤影体を展開している事実が、襲撃者たちへの有効な『牽制』として働いていることを考えれば、自ら進んでメリットを捨てるような行為は、さすがにためらわれた。


「(接近してくれば勝機はある。それをせずに手をこまねいているということは、奴らがアタシの素性を警戒しているからだろう)」


 登攀を続けながら、エヴァは観察を怠らなかった。敵の力と、そして敵からみた自分の立ち位置について。


 鬼血人(ヴァンパイア)の絶滅。敵がそれを一般常識として認識している以上、こちらの素性が悟られる可能性は薄い。まだ奥の手を隠し持っていると誤認してもらえるような状況を作り出すことが、この場では最適な在り方だと決断。


 そのためには――苦々しいことこの上ないが――これ以上の積極的な攻撃姿勢は慎むべきだとエヴァは考えた。戦いぶりからして、この二匹の家畜は『精鋭』であると認識を改めざるを得ない。さっきから赤影体の自爆攻撃を避けきっているのが、その証拠だ。


 空中戦――敵の土俵へ飛び込んで勝てると確信するほど、エヴァは自惚れてはいなかった。焦慮に突き動かされて戦いを挑むような真似をすれば、こちらの底が相手に割れてしまう。


 それだけは避けたかった。切るべき手札が貧弱であると見抜かれれば、奴らは一転して攻勢に移るだろう。その末にニコラを奪われることになったら、目も当てられない。


 二コラが敵の手に落ちることは、自らの命を失うことに等しいことを意味する。なぜなら、エヴァ自身の願いを叶えるチャンスを失うことになるからだ。


 この期に及んでも、バッグの中の二コラは、まるで石になったかのように黙ったままだ。周囲の状況を確認できないとはいえ、自分を巡る戦闘の渦が勃発したのだということは理解しているに違いない。


 それでも、何一つとして助言らしいものをエヴァに与えないばかりか、無理矢理にでもバッグから顔を覗かせて襲撃者の様子を確認しようとしないあたり、『状況に身を任せる』という彼女の言質に、嘘偽りはないらしい。


 ニコラがフラットな姿勢でいる。エヴァにとって、それは大いに助かる態度だった。策を練ることだけに意識を集中できるからだ。それは本当に、ありがたい事だった。


 エヴァは辛抱強い観察と分析の末に、鉄壁の守りを維持したまま登攀を続けることを選択した。


 そんな彼女の繰り出す摩訶不思議な術理を前に、スキンヘッド野郎――パンクと、紳士野郎――リガンドは、攻撃の手をいつ再開するべきか迷いかねている。


〈だめだ。どれも該当しない〉


 電脳回線を通じて、敵性者(エネミー)たるエヴァの能力をサイボーグだと決めつけて調査に取り掛かっていたオーウェルが、驚嘆の声を漏らした。


〈そいつ、サイボーグじゃないよ。こんな不可思議な力、どう考えても機械の原理で生み出せるわけがないんだ〉


〈んじゃあ、なんだってんだよ!〉


 ようやくリガンドのいる位置にまで追いついたパンクが、スラスター噴射を全開にして浮上しつつ、オーウェルに食って掛かった。彼の四つの手には、いつの間にかアタッシュ・ケースに保管していた予備の自動小銃が握られている。


〈もしかしたら、呪学療法士の類かもしれない。最近頭角を表してきたモージョーの関係者かも〉


〈あぁ? あんなとんでもねぇ腕力で壁昇るのが、まじない屋だぁ?〉


〈そうとは思えませんな。敵性者(エネミー)の服を見てください。弾丸で引き裂かれた痕跡がいくつもあります。パンクの銃撃は当たっていた。それなのに、ああして平然としているのは不可解です。まるで肉体そのものを修復しているかのような――〉


 そこで、はたとリガンドの言葉が途絶えた。


「どうしたよ」


 パンクがリガンドの顔を覗き見る。思わず息を呑んだ。まるで凍り付いたように、リガンドの表情が強張っていた。まるで大蛇に睨まれた蛙も同然だった。

 これまで多くの仕事を共にこなしてきた中で、そんな表情をリガンドが他人へ見せた事など、ただの一度も無かった。だからこそ余計にパンクは戸惑った。


「おいリガンド、マジにどうした?」


「……まさか……いや、しかし、そうですか。やはり、生き残りがいたのですか」


 呆然とした声と共に脳裡を過る、不吉の二文字。

 常に怜悧な佇まいを崩さないリガンドの顔色が、ますます青ざめていった。

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