3-20 黄金の狂気
《アイアン・フォーラム》に登録されている《炎と祈りの交流会》のロケーションIDは、《二進浜辺》沿いに広がる集合仮想住宅の外れにある。
メインストリートを外れ、獣道を進んだ先のフロア10-4がその場所だ。位置座標は〔43989-983729-73〕。末尾の数字から、ブランドンはそれが宙空浮遊タイプの施設であると推測した。
十五・六度の傾斜がついた、曲がりくねった獣道が続く。周囲には、プリズム反射する金属質感の蔦や、ナイフのように鋭い針葉をまとった林が生い茂る。《鉄のジャングル》と称されるにふさわしい景観だ。
仮構物の配置から、大陸間戦争時代のゲリラ戦場をモデルにしていることは明らかだった。それも、かなりリアルに再現されている。粘り強く輝く木々の光沢。幹や蔦葉の孔から吹き出す高温スチーム。原色の羽を翻し滑空する鳥のさえずり。葉と葉が擦れ合い、剣呑な響きを奏でる音。熱帯気候を演出するためのこれらすべてが、翻訳されたイメージ・コードの産物だ。
ブランドンたちは、この膨大な情報圧を《感覚:疲労》として認識する。仮想の肉体が、汗ではない汗をじんわりとかく。しかし、この程度の情報圧なら、ブランドンも、そしておそらくはウォルト=ナヴィも問題はない。市警が聞き込みの際に運用する《夢棺》にはフィードバックループ機能が備わっており、《アバター》側のセーフティ強度も高く、現実の肉体にかかる負荷は最小限に抑えられている。
現実距離換算で二キロほど獣道を上ったところで、ブランドンとウォルト=ナヴィの視界が開けた。茫洋とした小高い丘の頂上に目を向けると、のっぺらぼうの黒い長方形の巨大な匣が、一メートルほど宙に浮いて、ゆっくりと右回転しているのが見えた。
オーバーレイ表示が、ブランドンの視界に情報を告げる。
――アイアン・フォーラム/ロケーションID/F10-4-P783-23-5/ポイントオブジェクト――《鉄の館》
ブランドンたちはゆっくりと足を進める。ダークスーツ姿の《アバター》が二人、こちらの存在に気づく。警戒か、それとも歓迎か。それはブランドンにもウォルト=ナヴィにも判別できない。
無骨なリボルバー拳銃型の頭部。
事前に耳にはしていたが、実際に対峙すると、かなりのインパクトだ。サイズは現実世界のそれよりふた周りほど大きいが、銃の質感だけでなく、薬莢の匂いまで漂ってきそうなほどリアルなアバター・デザイン。
〔(生身の肉体感覚へのフィードバックはどうなっている?)〕
呆気に取られ、疑問が噴出しかける。
しかし、ブランドンはすぐに思考を切り替え、できる限り物腰柔らかく尋ねる。
〔ギャロップ・ギルドの暫定捜査官、ブランドン・ブリッジスです。ギルドから事前に話がいっていると思いますが、会長への面会を希望します〕
絶対に《女将軍》の符牒は使うな――
ミハイロから事前に通達されていた。どこの馬の骨がつけたかもわからない通り名で呼ばれることを、本人がなによりも嫌っているからだ。
ふたりの銃頭アバターが互いに顔を見合わせる。声は出さず、プライベート回線を介して何事かを話し合っている様子だった。そして、一人が手元のリモコンを操作し出す。
《鉄の館》の中央に、うっすらと亀裂が入る。そこから左右に開いたかと思いきや、鉛色の折り畳み式の階段が、うねる蛇のように出現した。
先導役の銃頭が動く。もう一人はその場に残り、銃頭をあたりへ向けている。
館の内部は、外観からは想像もつかぬほどの奥行と広さだった。ブランドンは呆気にとられ、ウォルト=ナヴィは興味深げに喉を鳴らす。
内部の印象としては、A区にある高級ホテルのロビー。しかし、ブランドンの目に止まったのは、会のメンバーたちの風貌だ。ソファでくつろぐアバターも、廊下ですれ違うアバターも、皆ダークスーツに身を包み、サブマシンガン、短機関銃、スナイパー・ライフル……形状は違えど、全員が銃頭。
〔〔いかにも銃器愛好家といった見た目の奴らばかりだな〕〕
ブランドンが回線越しにウォルト=ナヴィへ軽口を叩く。だが、不愛想な少年アバターは、電子の声で釘を刺す。
〔〔無駄口叩くな。会話内容、あとで市警に提出しなきゃならねぇんだからな〕〕
〔ふたりとも、止まれ〕
先導役の銃頭が右手を上げた。会話が盗み聞きされていたのか? 一瞬、《感覚:悪寒》が走る。
〔ここが応接室だ〕
廊下の突き当たり。二対の自動拳銃を模した豪奢な扉が立ちはだかる。鉄の茨に囲まれた銃の意匠。アーチ状の訓戒が刻まれていた。
〔トップ・ワン・ガン・ミスター・ワン……?〕
ブランドンがたどたどしく訓戒を読み上げると、銃頭がうっとりとした口調で言う。
〔都市の偉大なる聖戦士のお言葉だ〕
〔有名なのか?〕
〔銃を軽く扱う者には、聞き馴染みの薄い言葉だろうな〕
まるで無教養な金持ち坊主を見るような態度。
〔話は通してあるが、礼儀は弁えてもらおうか。扉を二回ノックしろ。会長が許可を出したら、右足から入れ〕
〔もしも左足から入ったら?〕
あえての挑発。ウォルト=ナヴィの冷たい視線が背中に突き刺さる。
銃頭がブランドンに顔を寄せ、低く呟く。
〔問答無用で蜂の巣だ〕
〔物騒な返しだな〕
ブランドンがやや距離を取り、顎に手を当てて言う。
〔もうちょい、ユーモアのある返事を期待していたんだがね〕
〔我々にそのようなものは必要ない。必要なのは、真実を見通す目だけだ〕
〔そうか〕
扉を軽く二回ノックする。
銃頭に気付かれないように、ブランドンは呟いた。
〔銃口が節穴でないことを祈るばかりだ〕
▲▲▲
──地味だが、少し凝り過ぎだ。
ウォルト=ナヴィは、名も知らぬ電脳空間設計者に一定の関心を抱きつつも、内心では呆れていた。
応接室唯一の光源である燭台の火が、玉座を半円形に囲むように並び、まるで呼吸を繰り返すかのように揺らいでいる。屋内設計であるのに、わざと風が吹くようにコードを動かしているということだ。物理法則に縛られない自由闊達なデザインが主流の電脳デザイン界隈においては、つまらない設計であるのと同時、作り手の拘りが強く反映された《凝り性デザイン》と言えた。
しかしながら、コード翻訳の質は高い。自信家のウォルト=ナヴィから見ても、それに疑いの余地はない。アバターに施された改造の創り込み、玉座の稠密度、革張りソファーの質感再現性、燭台の火の燃焼エンジン……どれをとっても、熟練のイメージ・コード技術者が手掛けたものに違いない。支配的で自信過剰な芸術志向。なめらかさとはほど遠い、苛烈なまでの自己主張。おそらくは、自己承認欲求からくる存在感の顕れ。
〔聴き取り内容については、事前に市警から通達を受け取っていた。サディーについて聞きたいらしいな〕
革皮質感が付与された仮構物としてのブラックスーツ。玉座に腰掛けたまま、丸太のような太い足を組みながら、その人物は口火を切った。低く響く声だった。
〔にしても、ずいぶんと懐かしい名前だな〕
内側に覗く白いシャツが張り裂けそうなほどに分厚い胸板。その前で太い両腕を組みながら、目の前の人物は懐かしそうに声を漏らした。
〔妙な表現を使いますね〕
正対するソファーに腰掛けたブランドンは、薄暗い空間の奥にその人物の頭部を見据えながら、探るように疑問を投げかけた。その傍らではウォルト=ナヴィが、じっと室内の構造を観察している。
〔我々の調査によれば、サディーがここに在籍していたのは、わずか一か月ほど前。ごく最近の話だと思いますが?〕
〔光陰矢の如し──その言葉を知っているかね、ミスター・ブランドン〕
燭台の六つの火が、突如風に煽られたかのように大きく揺らめいた。玉座に座る人物の首から下に、複雑な陰影が刻まれる。ただ頭部だけが……黄金に輝く銃頭だけが、きらきらと光を放っている。
〔我々にしてみれば、現実の時間も電脳空間の時間も、放たれた銃弾のようにあっけなく、儚いものだ〕
黄金に輝く軍用自動拳銃を模した仮想の銃。その頭部は、実寸より二回りも大きく造形されていた。ブランドンにしてみれば、対面する相手から常に銃口を突きつけられているような不快な状況だったが、それでも心は静かだった。アバターの外観が華美であるためだ。
黄金の銃──見栄えはいい。だが、その装飾には何の戦術的優位性もない。ただの飾りだ。シューティング・アプリの類を実装していないことは明白だった。
〔それに我々は、会を抜けた者の去就には興味がない。銃が、自ら放った弾丸の行方に無関心であるようにな〕
襟元に見え隠れする金糸で編まれた紋章。盾と拳銃の意匠。
護身と自衛を理念とする巨大組織。その長を務める、一人の人物。
〔話には応じるつもりでいる。ミハイロヴィッチとは知らない仲ではない。私としても、君たちを通じてあの偏屈男の誤解を解ければ幸いだ〕
《炎と祈りの交流会》。現会長。
八代目コルト・ガバメント。
かつての名銃の名を受け継いだ《女将軍》。
だが……その声はどう聞いても男のものだった。
気がかりではある。しかしながら、いまこの場で問い詰めるべきではないとブランドンは判断した。いきなりプライベートな領域へ踏み込んで相手を警戒させてしまっては、元も子もない。
〔それにしても、調査を続けていくなかで、いろいろとわかってきたことがあります。あなたが取り仕切る会の現在の状態を、どうも誤解していたようだ。そう、それこそミハイロヴィッチのようにね〕
プロメテウス実銃所有協同組合。 通称・《プログオック》と、それを実質的に運営する《炎と祈りの交流会》。かの組織は四十年前の設立以来、その行動方針は一貫していた。
銃を信奉する──ただ、それだけを軸にしている。つまり、護身のための銃であり、自衛のための銃を標榜しているわけだ。
銃を拠り所とする者たちは年々増え続け、会員数は五万人を超えた。銃器携帯の権利保護活動、銃規制運動への強烈なネガティブ・キャンペーン。公安委員へのロビー活動は、封言呪符の濫用が社会問題化するにつれ、ますます激化している。
大陸間戦争以前から軍需産業の花形だった銃器類とその信奉者にとって、呪学は厄介な敵だった。目に見えない《まやかしの力》が武力として台頭し、銃の優位性を脅かしつつある──そんな認識が根強い。現に《炎と祈りの交流会》と《アカデミック》は、支援する政治家たちを通じ、法的代理戦争を繰り広げているともっぱらの噂だ。
そう、あくまで噂――だからこそ、人はそれを無視できない。
〔サディーは呪学療法士です。その彼を会に迎え入れた過去があるということは、呪学界との融和の道を探ろうというお考えなのでしょう? 一部の《フォーラム》じゃ、その噂で持ちきりだ〕
すべてわかったうえで、ブランドンはそう確認を取るように訊いた。情報引き出し法のひとつ。『あえて間違った情報を与える』だ。正しい知識を相手が持っているという前提下のみに有効な手段。人は間違った情報を耳にしたら、それを持ち前の知識で訂正したくなる。人間の伝統的習性を利用した会話術である。
〔ミスター・ブランドン〕
〔なんです?〕
〔君はひとつ、とんでもない勘違いをしているようだ〕
――かかった。
はやる気持ちを抑え、ブランドンは次の言葉を待つ。
〔いいか。よく聞け〕
静かな手つきで、ゆっくりと銃のスライドを引くような、落ち着き払った口調だった。
〔サディー・サハルは、すでに呪学療法士ではない〕
撃たれた。言葉の弾丸で。
不意の一撃だった。
〔今、なんと?〕
動揺を見せるな――ブランドンの《アバター》に情報圧がかかる。《感覚:緊張》——防衛反応が作動。フィードバックループ機能の収縮が強まる。
〔言葉通りだ。我々が彼の入会を拒む理由はなかった。三年前、彼が会の門を叩いた時には、赤ん坊すら呪えない、ただの平凡な男だった〕
〔しかし、ヤツは体内に呪力を生み出す菌を——〕
〔検査はした。当然だ。異物を会に持ち込ませるわけにはいかない。しかし、奴の体はきれいに掃除されていた。汚れたスーツを綺麗にクリーニングにかけたように。本人が言っていたところでは、腕利きの呪医に頼んで無害化したらしい。それに、ミスター・ブランドン〕
コルト・ガバメントが、慎重に狙いを定めるように言葉を放つ。
〔我々の会には、元・呪学療法士の会員も少なくない。問題は《アカデミック》に在籍した過去があるかどうか。我々の調査では、サディーの経歴はシロだった〕
〔《アカデミック》に在籍した過去があるかどうか。つまりは、組織力を背景に活動した経歴があるかどうかが重要なんですね?〕
情報引き出し法のひとつ。『相手の言ったことを繰り返して確認する』だ。ただし、オウム返しになってはいけない。相手の発言を噛み砕きながら繰り返す必要がある。それにより、共感と相互理解を誘える。
〔たったひとりで荒野に立って拳銃を握るか、軍隊に所属して大勢の仲間たちと共にハンドガンを撃つか。これは大きな違いだ。組織の思想に芯まで染まった者は、己の手がいかに血で濡れているか、知ろうともしない。人を呪うという忌まわしき行動から、責任能力を希薄なものとする。組織にはそれだけのパワーがある〕
それはそっちにも当てはまる話だろ――自分が仕切る会のことを棚に上げて他組織を批判する姿勢に不快感を抱いていると、銃頭が玉座から前へ身を乗り出してきた。
〔我々が敵視するのは、あのまじない屋の組織、ただひとつ。あの組織に加担した過去があるかどうか。それだけが焦点だ〕
今にも暴発しそうな勢いだった。情報圧がわずかに高まる。《感覚:緊張》が、ブランドンの仮初の肉体へ覆いかぶさり、おもわず眉をしかめそうになる。
黄金銃は苛立ちを抑えきれないのか。ダークスーツの膝を、白い手袋に包まれた両手でしきりに擦っている。
〔落ち着いてください〕
〔これが落ち着いていられるか! 〕
黄金銃が、言葉の弾を乱射し始める。
〔我々の権利と行動は都市法第二条に守られている。だが、《アカデミック》はそれを気に食わず、我々にネガティブ・キャンペーンを仕掛けている……〕
〔そうなんですか? 失礼ながら、ニュースでは見たことありませんが……〕
〔ニュースだと?〕
両手が止まり、銃口がブランドンを見据える。黄金の装飾銃。それが放つ威圧感は実銃を超えていた。
情報圧が増加する。《感覚:悪寒》に襲われそうになるも、ここでも《アバター》に備わる防衛反応が作動し、フィードバックループ機能がさらに収縮する。
〔近頃のギルド・エージェントは、見識が足りないようだな〕
平時にもかかわらず、呑気にトリガーに指をかけた銃愛好家をたしなめるように、コルト・ガバメントは語る。ブランドンは申し訳なさそうに縮こまるが、これも狙ってのことだ。『何も知らない無教養な人間』を装えば、この手の権力志向の強い人物は、進んでこちらの無知を叱咤し、彼らの思う『正しい教養』を教え込もうと息巻いてくる。
〔《オーツー・メディア》が支配する地上の放送局に、何の価値がある? 真実は《フォーラム》にある。そこにも放浪者はいるが、報道の自由度で言えば、電脳空間の方が上だ。有志たちが立ち上げるチャンネルは、オールド・メディアより多様性に富んでいる。《アイアン・フォーラム》も同様だ。我々に敬意を払う配信者たちが、まじない屋どもの悪意を葬り去るために情報を提供し続けている〕
〔《アカデミック》が、あなた方に危害を加えていると?〕
〔我々ではない。この都市そのものに、だ〕
コルト・ガバメントは怒りの照準を定め、言葉の弾を撃ち込み続ける。
〔呪学療法士だと? 奴らは金に飢えたまじない屋にすぎん。プロメテウスの治安を癒やすどころか、積極的に混迷に陥れている。《アカデミック》の連中は、都市公安委員会と企業連合体を対立させ、都市を切り刻もうとしている!先日、上層と中層の土地開発に関わる法案の見直しが決定したが、その裏で動いているのは、あのまじない屋どもだ。政府に働きかけ規制を緩める一方、フロント企業を通じて土地を買い占め、フェイクニュースで外資を呼び込み、価格を吊り上げる。あるいは意図的に土地を荒廃させてから安値で買い取る。そして、誰も立ち入れない状態にしてから他の都市へ売却する。それが《アカデミック》の算段だ〕
〔ヘパイストスやアポロン、アキレウスに、プロメテウスの土地を売る?〕
〔そうだ。戦前の言葉で言えば、売国奴というやつだ〕
〔なぜフロント企業を使うんです?〕
〔目立たぬために。付け加えるなら、奴らの真の目的は金ではない。転売で得た資金を元に、土地売買を専門とする外資企業を設立し、他都市の土地を買い漁る。そのための裏工作くらい、あのまじない屋どもなら平気でやるさ〕
コルト・ガバメントは組んでいた足を解き、大股開きになって右手を振った。ジェスチャー・スイッチ。ウィンドウが連鎖的に立ち上がる。
画面の向こうには、人間、動物、アニメキャラ、現代アート、食品を模したアバターたちが並び、派手なヘッドラインで視聴者を煽る。出典も根拠も示さず、ただ過激な主張を繰り返していた。
〔私の主張を裏付ける有名配信者たちだ。彼らは、ニュースが報じるより前に《アカデミック》がプロメテウスの土地——そう、『聖なる火』を盗み、アポロンやヘパイストスに売る可能性を警告していたのだ〕
再び手を振ってウインドウを消した。コルト・ガバメントが、弾をひとつ、ひとつ。きっかり、丁寧に。薬室へ送るような生真面目さを匂わせて言う。
〔ミスター・ブランドン。覚えておくがいい。この世には偶然などというものはない。すべてが、偶然という名の必然で構成されている。呪学がプロメテウスで栄えたのは、そこに住む人間の心が、もともと弱かったせいではない。あのまじない屋連中が、人々の心を飢えさせたのだ。必然の流れでそうなった。奴らの『企み』という名の『必然』が、都市を変えてしまった……奴らは、プロメテウスの火を他所の土地へ与え、呪術知識を流出させ、そしてまた他所の土地を買い、呪術による犯罪を流行させる。それを繰り返し行い、世界中の土地を、穢れたまじないの火で焼き尽くしてやろうというのだ〕
言葉の火を吹き続ける黄金銃の銃口の奥を、ブランドンはじっと見つめた。傷ひとつない旋条――らせん状の溝が、さながら無限の虚無へ誘う階段のように見えてくる。その、どこまでも続く暗闇の向こう側を見つめながら、ブランドンは平静な態度で口にする。
〔端的に言えば、《アカデミック》の運営陣は呪学を使った世界征服を目論んでいるってことですか〕
なんて馬鹿らしい話だ。相手に調子を合わせているとはいえ、すんなりと口にできた自分を褒めてやりたい――そう心の中で悪態をついたのは事実だが、こうした意見をあえて口にすることが、聴き取り調査を円滑にする上での関係性構築に重要なこともブランドンは承知している。相手の望む言葉を与えてやる、という意味で。
〔ミハイロヴィッチの部下にしては、ものわかりが早いな〕
はたして、ブランドンの対応は功を奏した。コルト・ガバメントは深く満足したのか、銃身を何度も縦に振り、さらに言葉を連射させる。今度はいくぶんか冷静に照準を合わせて。
〔あのまじない屋集団の手で都市の火が完全に穢されてしまう前に、私たちは私たちの火を守らねばならない。銃はそのための道具でもある。そして、我々の理念に共感してくれる組織も現れた。サディー・サハルは出所後に我々と意志を共にした後、その組織の幹部と私を引き合わせてくれた〕
引き合わせてくれた……まるでサディーに恩義を感じているような口ぶり。
〔その組織の幹部とやらの情報、教えていただけますか〕
〔別に構わないが。君が信じるに値する話かどうかは疑問の余地が残る。都市の火を絶やさぬように日ごろから努めている者なら、話は別だが〕
お気に入りの銃を人前に差し出すことを躊躇うかのような口ぶり。そこから感じ取れるのは不安感ではなく優越感だ。意図的に情報を出し渋っている。と同時に、やはりこちらを見下している。お前に私たちの崇高な理念を理解することは難しいだろう、と暗に語っているような。
〔ぜひお聞かせ願いたい。立場ある方の言葉だ。それに、さっきのご発言にも、惹かれるものがある。偶然と言う名の必然……だとしたら、いまのこの状況も、偶然という名の必然がめぐり合わせた状況と言えるのではないですか?〕
ブランドンは、あえて欲しがる姿勢を見せた。それだけではない。自身の本心を押し殺してまでも、相手の思想に感化されているような素振りを見せる。情報引き出し法のひとつ。『相手の理念を慕うことで警戒心をさらに解け』だ。あなたの理念や理想には高い付加価値があると、他ならぬ相手自身へ意識させ、聞き込みの潤滑剤として利用する。
〔なるほど。それもそうだ〕
黄金銃が、満足そうに銃口を上下に振る。
〔だが、聞いて腰を抜かすなよ。いま、最下層の労働者たちからの支持を、いちばんに取り付けている人物だ〕
ややあってから、コルト・ガバメントの銃口が火を吹いて、重要証言という名の弾丸を見舞った。
〔労都連盟の中央書記長、ディオーネ・D・I・C〕
《感覚:緊張》――防衛反応が作動。フィードバックループ機能の収縮が強まる。
コルト・ガバメントが玉座の背に体を預け、まるで獲物の品定めでもするかように、銃口を右へ左へと軽く動かした。
〔意外ですね。そんな大物とサディー・サハルが知り合いだったなんて〕
相手が何かを言い出す前に機先を制してから、ブランドンは横目でウォルト=ナヴィの様子を伺った。キャップを被ったストリート・スタイルの少年姿をした偏屈電子工作者は、どこ吹く風という具合に部屋のあちこちへ目線を送っている。コルト・ガバメントが違和感を抱かないように。巧みな覗き行為だ。
〔(サディーの兄弟は、たしか――)〕
ウォルト=ナヴィの電眼が《海溝エリア》で目撃し、そして拾ってきた情報をブランドンは思い出していた。
サディーの腹違いの兄弟は、都市連合を構成する一大企業――メリアデス・グループのCEOを務める男だ。その出自を考えれば、サディーが暗黒街の人間だろうと、大物と繋がっているという説には一定の説得力がある。それでも、その繋がっている相手が、企業連合体と敵対関係にあり、労働組合をまとめあげる労都連盟の最高指導者だというのは、どこか辻褄が合わない。
〔驚くのも無理はないな。私も当時は半信半疑だったが、あの男が連れてきたのは、たしかにプロメテウス最下層全労働者のトップ・アイドルだった。以来、私も彼女のファンになってしまったよ〕
興奮気味に言葉の弾丸を放ち続ける黄金銃へ冷静な視線を向けながら、ブランドンはやや思案に耽った。
コルト・ガバメントは、サディーがスティンガー・アル・ミラージの腹違いの兄弟であることを知っているのか――そこが気がかりだ。だが、迷うことなく問えば火傷を負いかねない質問でもある。ブランドンがメリアデス・グループの幹部に関する情報をほとんど持ち合わせていないせいだ。
《アカデミック》の運営権に、かの大企業の重役が繋がっていないのを承知の上で、コルト・ガバメントがサディーを迎えたのなら――それはそれで奇妙なことだが――いちおうの理屈は通っている。だが、もしそうではなかったら? こちらの質問を受けて、向こうが感づいてしまったら? 話がいっそうややこしくなる。
駄目だ。いまはまだ訊けない――顎に手を当て、思考をフル回転させながら、ブランドンはようやく質問を投げた。
〔サディーは、なぜあなたとディオーネ中央書記長を引き合わせたんです?〕
〔この会が宿す精神と、労都連盟の思想に合致するところがあるからだと、彼は言っていた〕
〔会の精神……トップ・ワン・ガン・ミスター・ワン?〕
銃口が、黙って上下に揺れた。
〔ひとりの偉大な男の、ひとつの偉大な銃。その力で都市の変革を望んだ、昔ながらの伝統的なハンターズ・ギルド。彼らの精神に共鳴する我々としては、この都市の火が腐りゆくのを食い止めようと努力する彼らの意志に共鳴することはあれど、反対する理由などない〕
〔あまり、そういう物騒なことは口にしない方が身のためです。市警とドンパチしたくないのなら、なおさらです〕
情報引き出し法のひとつ。『相手に親切心を見せろ』だ。いかにも相手の身を心配しての発言をすることで、さらにより深いところで、黄金銃の警戒心を解こうとするブランドン。
だが、しかし。
〔ほう、これは意外だな〕
わざとらしく肩をすくめて、コルト・ガバメントが言った。
〔《殴られ屋》をやっていた男にしては、ずいぶんと殊勝な態度だ。やはり、食い扶持が悪くなって市警にその身を売ったという噂は本当のようだな〕
ブランドンはじっと銃口を見つめ、閉口した。何かを口にしたところで、無駄だと反射的に感じたせいだ。骨身にまで染み込んだ、負け犬人生の癖が、そうさせる。強烈な無力感に襲われる自分を感覚した。
――辛抱強さも大切だが、ときには声を上げ続けなきゃいけないときもあるってことを、忘れないでくれ。
〔断じて、そうではないと否定しておきましょう〕
だからこそ、まっすぐ見据えてそう口にした。
しなければならなかった。
隣に座るウォルト=ナヴィが、信じられない行為を目撃したように、やや目を見開いた。なぜここで情報引き出し法を使わないのかと、暗に非難しているようでもある。
それでも、ブランドンは己の選択が間違っているとは思わない。そうしなければならないと思ったから、そうしたまでだ。己の立場と覚悟を相手に示すだけでなく、自身にも言い聞かせるために。
ブランドンが反論してきたのが予想外に映ったか、黄金銃はその場を取り繕うために咳払いをひとつ。〔こちらの意見としては――〕と薬室に弾を送り込むスピードをあげる。話を強引にまとめ上げる気でいる。
〔サディーが湾港労働地帯の殺人に関与したとは、とうてい考えられない。少なくとも我々のあいだでは、真面目な人物だったという共通認識で一致している。立場上、雑用を押し付けられることもあったようだが、下から上がってくる報告では、年下のメンターに対して、文句のひとつも言わず取り組んでいたようだ。実際、私も何度か顔を会わせたことがあるが、受け答えもはっきりしていた、好感の持てる男だった〕
〔しかし、サディーは事件発生当日、遺体発見現場にいた可能性が極めて高いんですよ。それだけじゃない。被害者の遺体を現場へ運んだ疑いも強い〕
会話の技術を捨てたブランドンの五本の指先が、なめらかに――ウォルト=ナヴィの目から見ても明らかなほどなめらかに――宙を泳ぐ。ジェスチャー・スイッチ。市警専用の映像アプリが起動。ウインドウが立ち上がり、電脳空間内での視聴形式にコンバータされたモノクロ映像データが立ち上がる。
〔我々が独自の経路で手に入れた、事件当夜の状況映像です〕
流れたのは、ルル・ベルが《土地詠み》で掘り出した、例の映像だ。
コルト・ガバメントは、銃口を眼のように画面へ向け続けている。サディーが車に乗せたピートの遺体を引きずり出し、現場へ遺棄した一部始終がそこには映っていた。
〔なるほど。たしかにサディーが映っていたな〕
〔では――〕
〔だが、映像の人物がサディー本人であるという証明には、ならないんじゃないか?〕
言葉の弾丸が奇妙な角度を描いて、ブランドンの中心を撃ち抜いた。
〔私が、サディーを陥れるために偽の映像を用意したと言いたいんですか?〕
〔そうではない。君たちもまた、《アカデミック》の連中が仕掛けた罠にはまっている可能性があるということを言いたいのだ〕
〔……〕
〔まじないの力を使えば、いくらでも顔や体型など偽装できる。これが《アカデミック》が我々に仕掛けた罠ではないと、どうして言い切れる。それに繰り返しになるが、サディーがいまも呪学療法士である可能性は極めて低い。体内から菌を除去したんだからな〕
黄金銃の銃身が熱を帯び始めている。あらゆる事象や事件を《アカデミック》と結びつけなければ気が済まないとでも言うように。盲目な態度。
〔もう一度、初めから捜査し直してみたらどうなんだ。ミスター・ブランドン〕
嫌味ったらしいガン・パフォーマンスを無視して、ブランドンはジェスチャー・スイッチで映像を巻き戻し、渦中の人物が映っているシーンで一時停止にすると、
〔彼の右頬〕
と、努めて冷静に返した。
〔なに?〕
ブランドンは無言でジェスチャー・スイッチを切り替えた。映像が一時停止し、ズームインされる。
身式簡易呪装。
《一ツ目の一角獣》。
モノクロームの画面に浮かび上がる呪紋。
鋭い刻印のように肌へ刻まれたその紋様を指し、ブランドンが続ける。
〔彼の右頬に呪身された呪紋。これは市警のデータベース未登録の代物です。つまり、サディーが在野の呪学療法士であることのなによりの証拠になる〕
コルト・ガバメントは銃口をわずかに傾けた。光の反射が鈍く揺れる。
〔それで?〕
〔通常、呪紋は体内に飼う呪力生成菌に依存します。呪紋は、菌が外部からストレスを取り込むための吸入口としての役割を持つ。これを偽造できるのは、同様の呪力生成菌を飼っている者のみ。ただ、私の班が当時調べたところでは、これに該当する菌を保有していたのは、サディー・サハルただひとりだけだった〕
〔私の班?〕
〔《スリーピーホロウ事件》について、サディーからなにか聞いていませんでしたか?〕
〔スリーピー? 初耳だ〕
〔十五年前、中層の電脳空間で発生した精神拉致事件。私は当時、その事件の捜査に関与していました。重要参考人として、サディーの名前が捜査線上にあがったんです。その時、呪紋と菌の関連性についてはさんざん調査しました。あの時、取り調べたサディーに呪身エンチャントされていた《一ツ目の一角獣》と、この映像に映っている呪紋は瓜二つだ〕
ブランドンはひと呼吸置き、低く抑えた声で続けた。
〔この映像は、信頼できる方が手に入れた状況証拠です。もし、サディーではない誰かが奴に罪をなすりつけるために、手の込んだ変装なり、呪的偽装を行ったのだとしたら、その人物が一発で見抜きます〕
黄金銃の銃口を、ブランドンが見つめ返す。
〔コルト・ガバメント会長、正直に答えていただきたい〕
ブランドンの視線が、黄金銃の奥深くへと沈み込んでいく。銃身の旋条ライフリングが、無限の暗黒へ誘う螺旋の階段のように映った。だが、いまは奈落へ引きずり込まれるわけにはいかない。
〔サディーを《炎と祈りの交流会》に入会させた、本当の理由はなんですか?〕
静寂。
〔サディーは、なぜあなたを中央書記長と引き合わせたんですか?〕
沈黙。
〔サディーは、なぜ会を抜けたんですか? 彼の体内を……本当に検査したのですか?〕
〔ミスター・ブランドン〕
銃声が鳴った。
鋭く、乾いた、虚無を切り裂く音が。
〔これだけは覚えておくべきだ。我々はプロメテウスという都市に生まれたことを誇りに思っている。この聖なる火を巡る陰謀が我々の生活を脅かしているのなら――〕
コルト・ガバメントの右手が膝の上で硬く握りしめられる。ウインドウに映る人影を睨みつけるように視線を向けた。
〔この身を犠牲にしてでも、我々は真実を追う。サディーが《アカデミック》の策謀に絡め取られた、その背後に潜む真実を――必ず暴き出す〕
黄金銃の銃口が燭台の光を弾き、妖しい輝きを帯びる。その瞬間、ブランドンの目の前にあり得ない光景が広がった。
押し寄せる群衆――
男、女、子供、老人、労働者、会社員、サイボーグ、フューリーオーグ、カセット使い……
抗議のプラカード、横断幕、火炎瓶、銃声、雷鳴のように響く電動カーのクラクション。
怒りに歪んだ顔。憎悪に燃える瞳。震える唇。激情に支配された人々が、境界を失い、一つの巨大な意志となってブランドンを飲み込もうとしていた。
息が詰まり、思考が凍る。本能的に両手で顔を覆った。
次の瞬間、すべては消え去っていた。
目の前には黄金銃が一丁。
横では、電脳工作者が訝しげにこちらを見つめている。
〔どうした、ミスター・ブランドン〕
銃が、とぼけた声を出した。
▲▲▲
前を歩くウォルト=ナヴィ。オーバーサイズのスタジャンに隠れた小さな肩が、ひそかに怒りで震えている。やや距離を置いて彼の後ろを歩くブランドンは、気まりの悪さゆえに、何も口に出せずにいた。
《鉄の館》を出て、もう結構な時間が経っているはずだが、耳に入ってくるのは、金属光沢の植物たちで形成された、鉄のジャングルの環境音だけだ。
〔ふざけやがって〕
《鉄の館》の管理専任領域でもあるフロア10-4を抜けたことを知らせるアナウンスがブランドンの視界にオーバーレイ表示されたタイミングで、だしぬけにウォルト=ナヴィが悪態をついた。舌打ちも聞こえた。強い情報圧がかかっているのは明白だ。
〔いったい何をそんなに怒っている。ちゃんと防衛反応を作動させなきゃだめだろう〕
気まずい雰囲気にもめげず、できる限り陽気な口調を心がけたうえで、ブランドンは尋ねた。
少年姿のタコが、振り向かずに地面へ唾を吐き捨て、ぼやく。
〔うるせぇな〕
〔ビジネス・パートナーの様子を気遣うのが、そんなにおかしいか?〕
返事はなかった。ブランドンは地面へ視線を落とし、足元を這う鈍色の蔦に注意しながら、思い切って口にする。
〔俺の仕事に不満があるなら、言ってほしい。俺自身、不甲斐ないと感じているんだ。もっと相手を詰めるべきだった〕
〔うぬぼれんな〕
ウォルト=ナヴィが、釘を刺すように続ける。
〔アンタに対してキレてるわけじゃねぇ〕
てっきり責められるものとばかり思っていたから、ブランドンは拍子抜けな気分になる。
〔あいつ、オレのいちばん嫌いなタイプだ〕
刺すような口調だった。
〔どんなヤツかと思っていたが、ぜんぜんなめらかじゃねぇ。ひどく硬い。それで、硬いことを良しとしているタイプ。自分の世界観がいちばん大事ってタイプ。あの部屋のデザインからしてそれがわかる〕
〔《女将軍》か〕
ウォルトの首が、黙って縦に振られる。
〔声は男だったがな。いまはそんなことどうでもいい。オレが気に食わねぇのは、《アカデミック》に向ける、あのみみっちい敵対意識だ〕
さきほどの会話を思い出しながら、ウォルト=ナヴィが乾いた笑いを漏らす。
〔なにが真実だ。笑わせやがって。土地を売る? 外資企業? 呪いで世界征服? バカバカしい。典型的な陰謀論じゃねぇか。そんなものを信じているあたり、オツムの程度が知れるってもんだ〕
〔同感だ〕
偏屈屋の電子工作者の機嫌を取るためではなく、ブランドンは本心からそう口にした。そのうえで、〔だが……〕と続ける。
〔事実として、それを信じるやつらが、少なくともあそこに五万人はいるってことだ〕
ブランドンは後ろを振り返りながら口にした。金属色に輝く木々の隙間の向こう。遠くで豆粒のように浮遊する《鉄の館》。そこで得られた情報の奇怪さに軽い眩暈を覚えつつ、嘆息気味に口にする。
〔あいつらにしてみれば《アカデミック》が敵である方が都合がいいんだろうよ〕
足元に散らばる金属屑じみた草を力強く踏みしめて、ブランドンが続ける。
〔ひとりひとりは違う人間でも、共通の敵さえ作ってしまえば、団結するのは簡単だ〕
〔……むかし、アンタがそうされたようにか?〕
足を止めて、ウォルト=ナヴィがこちらを振り返る。
黄昏色の目が、射抜くようにブランドンを見つめる。
〔どうなんだ〕
ブランドンは唇を噛み、わずかに目を逸らした。なんとも返答に困る内容だった。たしかに《血の祝祭事件》がきっかけになって、都民にとって「共通の敵」になったのは事実だ。しかし己のやったことを考えれば、それも致し方ないという思いはある。
〔……なぁ、ひとついいか〕
呆れとも失望ともつかぬ声で、ウォルト=ナヴィが問い質す。
〔アンタは、アンタの中の真実ってヤツを持ってるのか?〕
〔真実?〕
〔オレは知性あるタコだからな。人間の生態はよーくわかる。人間ってのは真実を求める生き物だ。それも、自分たちにとってお気に入りの真実をな。まったく無関係のもの同士を結び付けて、勝手にあれこれ想像を巡らせて、陰謀を隠れ蓑にした真実が、どこかにあると信じ切ってる。真実を掴むことができたら、きっと自分の人生は幸福に満たされると確信してやがる。お気楽なことにな〕
〔まるで、神様を求めているようなもんだな〕
〔そうだ。真実ってのは神様に近い。誰だって神様を頭の中に飼っている……アンタにとっての神ってのはなんだ? 言ってみろ〕
少し考えてから、ブランドンは迷いつつも答える。
〔そういうことなら、ピートの事件を解決に導くことが、俺にとっての神だ〕
〔……まぁいい〕
望む答えではなかったのか。ウォルトはどこか訝しむような目をブランドンへ向けていたが、やがて周辺へ視線をおくると、暇を持て余すような口ぶりで言う。
〔オレは知性あるタコであり、無神論者だ〕
〔無神論者……〕
〔なぜだかわかるか? 神様ってのは人間の専売特許だからだ。人間の最大の発明は、頭の中に神様を作ったことにある。妄想という名の神を作り出して、それを真実として拝み倒す。だから人は争いを起こす。各々が各々の神様を信じて生きているんだから当然だ。これほど厄介なこともねぇ。自分の信じている真実を否定されたら、ムキになるのが人の性ってヤツなんだよ〕
〔だが、少なくとも《炎と祈りの交流会》の連中は、全員が全員、同じ神様を……同じ真実を追い求める意志の下に結集している〕
〔それ自体は珍しくもねぇよ。人間ってのは孤独に耐えられねぇからな。居心地の良い場所を求めて、あっちこっちを彷徨った挙句、ああしてお揃いの《アバター》で連帯感を高めているってだけだ〕
〔そのお揃いの《アバター》を、あいつも一緒になって着ていたかどうかは怪しい〕
〔サディー・サハルか〕
〔《女将軍》から得た、奴に関する情報。事実であるという確証を得るには、まだ足りないピースがある〕
〔確度の高いものもあるが、すべてがまやかしってセンもあるな〕
〔後日、再訪問するとしよう。それにしても……〕
〔どうした〕
〔……〕
〔……おい〕
〔……サディーは、俺が思っている以上に、とんでもない大物たちと繋がりがあるようだ。しかし、どこまで信じれば――〕
ブランドンが、視線を地面に落として呻く。青々とした草木が視界に映る。
〔なぁ。おい、落ち着けって。アンタよぉ……ブランドン・ブリッジス。ひとつ尋ねるぞ〕
ウォルト=ナヴィが金属屑の草木をつま先で軽く蹴り上げながら、確認するように尋ねる。
〔あの《女将軍》の言っていたこと、アンタは事実だと思うか〕
〔だから、それについては……〕
ブランドンが顔を上げる。
〔間違いなく事実だ〕
即答した直後、ブランドンが、嘔吐する寸前の泥酔者のような表情を浮かべた。《アバター》の喉のあたりに亀裂が入り、視線があちこちに忙しなく泳ぎ始める。
〔もういちど聞くぜ。ブランドン・ブリッジス〕
間髪置かず、且つ冷静に。ストリート・ファッション・スタイルの電脳工作者が、その身なりに相応しくない知啓のある眼差しで、異様な姿のブランドンを見上げる。
〔アンタにとっての神ってのはなんだ? 言ってみろ〕
〔な、ナヴィ〕
〔アンタはむかし、この都市すべての住民たちの、共通の敵として認識されていた。そのことを自覚しているか?〕
〔違うんだ。ナヴィ〕
弁が壊れた配管のように、開けっ放しの気道から、ぜいぜいと荒い息が漏れ続ける。
〔なるほど。こいつは重症だ〕
ウォルト=ナヴィが、そう呟いた。
ブランドンの身体から力が抜けて、地面に膝をつく。子供姿の電脳工作者に頭を差し出すような格好になりながら、ブランドンは助けを求めるように喘いだ。
〔な、なにかおかしい。《アバター》の制御が、きかない。防衛反応が……このままだと……〕
〔大丈夫だ。落ち着きな〕
薄い唇の端を得意げに歪めて、ウォルト=ナヴィが宙をなめらかに叩く。ジェスチャー・スイッチ。
背面非接触型の触手が八本、ウォルトの肩甲骨のあたりから、次々に翼のように生え伸びた。見ると、白い花弁に似た形状のものが、びっしりと触手を覆っている。
〔アンタ、感染してるぜ。それも即効性の、かなり強力なヤツ。会話の最後に、なにか変なモノを盛られたんだよ〕
白い花弁――それは吸盤だった。それこそタコの触手そっくりだ。吸盤のひとつひとつが、内部で青白く発光していた。それこそ彼の――電脳工作者・ウォルト=ナヴィ=ストライダーの仕事道具だった。
〔顔を両手で覆っていたが、何を幻視ちまったんだか。まったく……〕
ウォルト=ナヴィは地面に膝をつき、苦しむブランドンと視線の高さを同じにした。青白い光背がスタジャンの紫にかかり、深い陰影を刻む。深海からの高貴な使者の如く、ウォルト=ナヴィの全身が光に包まれる。
〔だが、オレも迂闊に過ぎた。安心しな。さっきの神/形而上学問答でこんなにもあからさまな反応が出たってことは、対処法が――〕
続く言葉は、激しく突き刺さるようなビープ音によってかき消された。ウォルト=ナヴィの視線が後方へ向けられる。空が、金属の蔦が、メタリックに輝く木々が、電眼視認で観測できるスケールよりも細かく、より細かく、さながら雪が降るように崩壊していく。空間を構成していたイメージ・コードが何者かの手で、たやすく、あっけなく、描き変えられていく。フォーラム・セキュリティ――炎城防壁が鎮火されているのか。ウォルト=ナヴィの目が険しさを増す。
〔二重攻撃か〕
隠された領域――フロア10-3は瞬く間に、鉄ではなく、熱帯のジャングル地帯へと姿を変えた。
〔現実。こちら仮想〕
目にも留まらないジェスチャー・スイッチで次々に通信系アプリや電子申請手続き代行アプリを立ち上げると、それらを同時に操りながら、現実世界側の技術者への報告に取り組む。簡潔に、わかりやすくを心掛けて。
〔仮想時間10時25分。《鉄の箱》から帰還途中に正体不明勢力の奇襲を受けた。帯同者意識混濁中。これより、積極的救助活動に入る。交信終了〕
再び静寂。だがすぐに、獰猛な肉食獣の唸り声が、木々の影や蔦の下から絶え間なく響く。言ったそばから、緑や赤や黄色の葉を茂らせる木々と蔦の隙間に、ウォルト=ナヴィはたしかに目撃した。
鋭い鉤爪と、鱗のような皮膚と、獰猛な爬虫類の眼差しを宿し、迷彩色のライダース・ジャケットを身にまとった、異形の人型アバターたちの姿を。




