表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
プロメテウスに炎を捧げよ  作者: 浦切三語
3rd Story ザ・ポリフォニック・バベル
126/130

3-18 本と彼女の逢力《コネクト》

 仕事が出来る男というのは、口より先に手が動く男のことだ――幼少期の頃から聞かされてきた父親の口癖のひとつがそれだった。


 子供の頃のブランドンは、尊敬する父が言うのだからその通りなのだろうと盲信していたが、実際に社会に出てみてわかったのは、手だけが先に動いても、頭が追いつかなければ有能とは言い難いということだった。


 そういう意味では、たしかにミハイロは出来る男と言えるかもしれない。というのも、捜査報告をブランドンとルル・ベルから受け取ってからの彼の動きは、彼自身の論理的思考以外のどこに根拠を求めるのか難しく思えるほどには、考えられた行動と言えたからだ。関係各所に連絡を取り、最低限の情報のみを共有し、まだ広く共有すべきではないと判断した情報……たとえば魔導機械人形(マギアロイド)の暗躍やエンブリオ・ナノマシンに関する内容については、しっかりと肚の中に隠し持つという具合だった。たしかに頭は回転しているが、そこにいくばくかの人を食ったような傾向があるところなど、いかにもミハイロらしい。民間捜査組織であるギャロップ・ギルドの立場を考えれば、報告義務違反に抵触するおそれがあるように思えるが、ミハイロは飄々とした態度でいる。


「飼い犬だって、ご主人さまの知らないところで、ションベンひっかけマーキングしているもんだ。すべてを管理しようなんて、無駄なことなんだよ。それに『報告』はちゃんとやってるさ。向こうが指定してきたフォーマットに、必要な情報だけを記入している。そのうえで何か問題があると指摘してくるなら、そもそもフォーマットから見直したまえ……って話だね」


 検死の立ち合いに現場の再検証。久方ぶりの仕事らしい仕事が、刑事としての現場感覚をある程度取り戻すきっかけになったと、ブランドンは実感している。実地訓練という名のウォーミングアップだ。ミハイロがわざわざルル・ベルと自分を組ませたのは、そこにこそ本当の目的があったのではないかとさえ思えてくる。


 燃え尽きた薪に火種を灯すことがギルドの長としての狙いなのだとしたら、半分は達成されたと言えるだろう。血生臭い犯罪街道の暗がりに刻まれた痕跡を探し当てることが出来たのは、薪ではなく火種であるルル・ベルの力だ。事件の全容解明にはまだ遠いものの、今後の捜査方針を組み立てることができるくらいの収穫を手にしたのは、ギルドにとっても、そしてブランドンにとっても、一歩前進したと言える。


 それに加えて、ミハイロの根回しのおかげか、三日後に貴重なアポが取れたのも、予想外の成果としてカウントすべきだろう。言わずもがな、サディー・サハルの――ブランドンはいまだに信じられない心地でいるが――異母兄弟であるとされる、メリアデス・グループの総帥、スティンガー・アル・ミラージへの接見だ。プロメテウス生まれプロメテウス育ちの、都市上層部で暮らす上級都民。巷に流通する《封言呪符(ウエハース)》の製造と販売において最大規模を誇る企業の頭。脈々と続く呪学一族の前線を陣取り、都市の栄光の階段を駆け上がろうと息巻いている貪欲な経営者にして、正規の呪学療法士……


 金や名声、はたまた人脈にまで恵まれている人生の勝ち組に振り分けられた男と、都市最底辺の犯罪街道でドブネズミのように這いまわる負け組男の血に繋がりがあるとは、ブランドンにしてみれば、どうもしっくりこない話だった。しかし、ミハイロが全幅の信頼を置いているナヴィ・ストライダーのもたらした情報だ。自分がどう感じようが、信憑性は高いのだろうとブランドンは思った。


「今後の捜査についてだが、本格的に我々の力を結集して取り組んでいこうと思う」


 事務所一階のリビングで夕食を摂った後のブリーフィングの席において、ミハイロはてきぱきと指示を出した。


「ぼくは引き続き、メモリーカードの解析を進める。ルル・ベルとブランドンのコンビはいったん解散。ルル・ベルはアイリスとの二人組(ツーマンセル)で、上層の本社に居座るスティンガーへの聞き込みをしてくれ」


 なんでも、向こうからの直々のご指名だという。聞き込みには素直に応じるが、その代わりに、呪学界隈でメキメキと頭角を現しているルル・ベルとの対談を希望しているというのだ。


 楽観的にみれば、ルル・ベルが界隈における有名人であるがゆえの要望と思えなくもないが、あまりにもタイミングが良すぎる。ブランドンが懸念を抱くのは当然だった。当のルル・ベルも、どこか緊張した面持ちでいる。何の面識もない人物からの指名をさらりと受けこなすことができるのは、それこそ水商売の女くらいのものだ。


「我々に直接手を出してくる可能性は低いと考えられるが、万が一ということもある。ま、用心するに越したことはないな。アイリス、ルル・ベルの護衛を頼むぞ」


「もちろんよ。可愛い後輩相手に、指一本だって触れさせやしないから」


 アイリスが鼻息荒く了承する。その態度に満足したミハイロは、次なる指示を下した。


「ブランドンはナヴィとの二人組(ツーマンセル)で頼む。電脳捜査だ。捜査用の《夢棺(コフィン)》は市警が手配してくれているから、明朝に庁舎へ向かってくれ。キンバリーたちが手筈を整えてくれることになっているからな」


 キンバリー――その名前を耳にした途端、頭上を鉛色の空に覆われた気分になったが、それをできるだけ表には出さないように努めつつ、ブランドンは確認の意味で訊く。


「サディーが在籍していたという《炎と祈りの交流会》への聞き取りだな?」


「そうだ。先方にはすでに話をつけてある。没入地点(ジャック・ポイント)と時間については、後ほど携帯端末へ送るから、チェックするように」


「わかった……ひとつ聞くが、どうして現実(リアル)じゃないんだ?」


「なんだ、ナヴィと組むのがイヤなのか?」


「いや、そういうわけじゃないが……」


 返す刀で本心へ切っ先を向けられ、返答に窮するブランドン。しどろもどろなその様子を前に、ミハイロは目を細め、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべている。からかわれているとわかって、ブランドンは小さく溜息を洩らした。軽薄ぶっているだけなのか、それとも本当に通俗的なだけなのか。とにかく、真正面からではやりにくい男なのだ。


「あそこのボスは現実(リアル)じゃ滅多に面会しないことで有名だ。メディアにも載らないもんだから、限られた会員以外は誰もご尊顔を拝したことがないらしい。スティンガー以上に用心することだな。《炎と祈りの交流会》と言ったら、近頃あちこちで起こっている労都連盟のデモに一枚噛んでいると噂の団体だ。無理矢理に口を割ろうとして、火傷を負わないよう気を付けることだ」


 と、急に真面目腐った調子でミハイロが続けた。


「ひとつアドバイスを送るなら、ナヴィを信じろ。あいつの電脳工作力は本物だ」


「ああ、承知した」


 ブランドンはちらりと水槽を見やった。いまのやりとりを聞いているのかいないのか。さっきから透声(ヴォイス)のひとつも寄こしてこず、じっと岩陰に、その極上のなめらかボディとやらを隠している。


「ナヴィ? いま彼に説明した通りだ。ブランドンと『仲良く』しろよ? わかったな?」


 ミハイロが強めの口調で指摘する。ナヴィは返す言葉の代わりに、岩陰からにゅっと二本の触手を伸ばし、奇妙に動かすだけだった。


「やれやれ……まぁ気難しいのは今に始まったことじゃないが、もう少し、態度を『軟化』させても、良いもんだと思うけどね」


 そして最後に、この場にいないマリオ・オプトへの言及があった。ミハイロの話によれば、彼は別の案件で都市の外へ出ていたらしい。今日の午後にプロメテウスへ戻ってきてから事件捜査の進展をミハイロに聞かされ、サイバー・ポート周辺の聞き込みを開始しているとのことだ。まるで遊撃部隊員そのものといった動きだが、それに異を唱える者はひとりもいなかった。あのナヴィさえもだ。それだけで、どれだけの信頼を集めている人物であるかが、ブランドンにも伺い知れた。


「そうだそうだ。これは朗報なんだが」


 ブリーフィングの終わりに、ミハイロは、これまた意味ありげに頬を緩めると、その場にいる全員へ告げた。


「マリオが相手にしていた顧客だが、相当な上玉でね。報奨金がたんまり入ったところだ。捜査費用にじゃんじゃん当ててしまって構わんから、みんな、気合い入れてやってくれよ」


 アイリスがつまらなそうに眉根をハの字に寄せた。彼女の気持ちを代弁するかのように、エックスが不満げに呟く――だったら先に、去年支払われるはずだった一時金(ボーナス)に回してくださいよ――部下の言葉が耳に届いているにも関わらず、曖昧に笑ってその場を流してしまうあたり、いかにもミハイロらしかった。





 ▲▲▲





 ブリーフィングを終えて、夜の七時半を回った頃。シャワーを借りて一日の汚れを落とし、寝間着姿になったブランドンは、事務所二階にあてがわれた自室の簡易ベッドに腰掛け、なんとはなしに携帯端末を手にした。仕事用ではなく、プライベートの。


 ニュース・アプリを開いて目を泳がす。見出し(ヘッドライン)のひとつに、ピートの件とおぼしき記事があがっていた。


 中身を見る気にはなれなかった。提供元は、例によって《オーツーメディア》だ。既存大手報道機関(オールド・メディア)に代わって、新時代の報道を謳い文句に活動を続けていた個人報道官(コア・メディア)たちが、数十年の時の流れの中で、競合と淘汰を繰り返していった果てに生まれた、ジャーナリズムの怪物。都市最唯の報道機関。放浪者(クローラー)とはよく言ったものだ。中立や公正といった高潔な文句には目もくれず、アクセスを稼げそうな事件を卑しい嗅覚で探り当て、あることないことを書き立てては、陰謀論という名の牙で事実を貪る回遊鮫(クローラー)。記事を開かずとも、あることないこと書かれているのは目に見えている。


 胸焼けにも近い感覚が襲ってきて、そこから逃げるように、ブランドンは携帯端末をベッド脇へ放り投げた。エアコンが吐き出す空気の舌に舐られているうちに、疲れがどっと押し寄せてくる。あと一時間半もしたら、B区(ここ)の電力は落ちるのだ。《殴られ屋》時代ならいざ知らず、歓楽街に足を運んで夜更けまで暇を潰す気にはなれない。そもそも、付き合ってくれる友も、いまはいないのだ。


 明日も早いし、さっさと寝るか――ベッドから腰を上げて、エアコンを切ろうと壁に掛けられたリモコンを手にした時だった。タイミングよく、ドアを遠慮がちにノックする音が静かに響いた。


「ブランドンさん? いま時間ある?」


 エックスの声だ。ドアを開けてやると、ブリーフィングの時と変わらない、ブラウスに薄手のロングスカート姿の彼女が立っていた。


「まだ仕事中なのか?」


「電気が落ちるまでは、今日やれる仕事はやっておこうと思って。もしかして、これからお休みするところだった?」


 そう尋ねる声の調子には、若干の申し訳なさが込められていた。


「あー、いや……」


 ブランドンは一瞬、言葉に詰まるものの、仕事をしている彼女を前に「そうだ」と口にするのも、気が引けたのだろう。彼は欠伸を噛み殺しながら、心の内を気取られないよう冷静に応じた。


「ちょうど、暇してたところだ。そう、思いのほか仕事が早く片付いて、伝票処理も終わって、どれだけ探しても今日中にやるべき仕事が見つからなくて、仕方がないから上司に隠れてトイレの個室でぼーっとしている企業戦士(サラリマン)ぐらいには、暇してたところだ」


「えー、いいなぁその暇具合。プライベート端末に暇つぶし用のゲームとか入れてないの?」


「入れても長続きしない性格なんでね。それにゲームに熱中している姿は、なんというか、俺がやるとみっともなく見える」


「俺がやると、じゃなくて、ゲームしてる他人も、ブランドンさんからはみっともなく見えるんじゃない?」


 ニコニコ顔で図星を突かれて、ブランドンは言葉に詰まった。


「ま、それはそうと……いまはめっちゃ暇を持て余しているってことか」


「あ、ああ。そうだな」


「だったら、いまから私の部屋に来てよ」


 眠気が吹っ飛んだ。喉の奥でくぐもった声が鳴る。


 言葉の意味を計りかね、務めて冷静に考えようとした矢先、綿毛のような女という印象に相応しい、柔和な笑みを浮かべてエックスが続けた。


「もしよければ、暇つぶしに小説を貸してあげようと思って」


「小説?」


「そうそう。いまのブランドンさんって、こう、なんていうの? こう、視界がズーッと狭まっているというかさ」


 両頬に手を当てて前へ突き出すジェスチャーをしながら、ころころとエックスが笑う。その様子を見ているだけで、ニュース・アプリの件でささくれ立っていた心が、妙に穏やかな気分になるから、不思議だった。


「捜査がいちばん大事なのはわかるわ。それがブランドンさんにとっても、このギルドにとっても。でも、心をカチコチに緊張させていたら、大切な時に力が出せないでしょ? そういう時には、小説を読むのがうってつけだって、わたしは考えてる。小説には、人の心を解きほぐす力があるんだよ」


 言わんとしていることはなんとなくわかった。要するに、気遣ってくれているのだろう。ブランドンはエックスに言われるがまま彼女の後をついて回り、すぐ隣の部屋の前まで移動する。そこがエックスの部屋だ。


 ナヴィを除けば、会計を担う彼女の立場はギルドの中でも特別なものだ。ミハイロから事務所のスペアキーを与えられているだけでなく、業務遂行のための専用部屋が用意されている。(そうミハイロは言っていたが、彼の性格上、ナヴィへの餌やりもついでに彼女に任せてしまえという魂胆があるのではないかと、ブランドンは考えている)


 ギャロップ・ギルドのエージェントたちは、皆それぞれに住居を構えている。湾港労働者と同じく、早朝に身支度を整えて仕事場へ赴き、日が暮れるまで働き、帰路に着く。違うのは、定時という概念の有無と、死んだような顔で仕事場に出ていくか、そうでないかという点ぐらいだ。


 いや――死んだような顔で労働者たちがバスに乗り込むのは、もう昔のことだと、ブランドンは思い直す。フューリーオーグとして目覚め、物語に心を絡めとられている彼らは、そう、いつだって健康そのものだ。


「ちょっと散らかっちゃってるけど、気にしないでね」


 エックスに招かれるかたちで、部屋へ一歩踏み入れたブランドンは、想像以上の物量空間に圧倒され、言葉を失くした。まず目に飛び込んできたのは、壁際を覆い尽くす、背の高い木製の本棚という本棚だ。天井すれすれに届かんというその姿は、長年使い込まれているせいか香ばしい色味を放っていて、さながら無言で立つ知の番人めいている。本棚の近くには、女性の力でも扱えるカーボン製の脚立が置かれていた。部屋の奥の窓際近くに鎮座する金属製の事務机には、作業用のパソコンが一台置かれていた。


 わずかなスペースも無駄にしてはならないという強迫観念に突き動かされているかのごとく、すべての本棚にぎゅうぎゅうに書物が収められている。そのせいで、中板という中板が、真ん中から端に沿って大きく凹型に湾曲を描いていた。地震でも起きようものなら、大惨事になってしまうんじゃないか。


 本棚に収まりきらず、床に無造作に積み上げられているノヴェル・ブック・タワーを崩さぬよう、慎重につま先を持ち上げるようにして歩き、避けつつ、ブランドンは後ろ手にドアを閉める。その途端、まるで異世界に迷い込んだかのような錯覚に襲われた。圧倒的な「本の圧」に、全身がびりびりと打たれるかのような、これまでに味わったことのない感覚だった。


 いまの時代、巷に溢れる「小説」と言えば、娯楽の中では最も底辺の位置にある。昼間のニュースでほんのちょっぴり流れる電子書籍ランキングで上位に来るのは、タレントのフォトエッセイや、自己啓発本、おすすめの封言呪符(ウエハース)のまとめ本、仕事の効率化や業務ソフトの使い方に関する本、そして電脳関係の工作本といったものばかりだ。ブランドンといえば、そうした本は手に取ることすらしない。自己啓発本など、その最たるものだった。自分の成功体験をひけらかしてマウントを取っているだけに思えるし、なにより、人生の必勝法などという、ありもしない幻想をさも当たり前のように押し付けてくる本は生理的に苦手だったし、そうした本を夢中で読みふける人々を、口には出さずとも侮蔑している。


「気になる小説があったら、何冊でも部屋に持って行っていいからね。高いところにある本を取りたいときは脚立を使って」


 そう言われても、なにから手をつけてよいか、すぐには決められなかった。ブランドンは首を伸ばしながら、小説に縁遠い自分でも辛うじて知っているようなタイトルの本がないか、視線をせわしなく泳がせた。薄いピンクやブルー、白、黄色、ベージュに黒……色とりどりの背表紙には、物語の冠が刻印されている。


『機械仕掛けの君』『忘れてやるものですか』『闇夜のゲルマニウム』『王の息子たち』『未来からの呼び声』『ドラスティック・ランダムヴォイス』『瑠璃の棺』『デデの不気味な冒険』『ピンク・ソルジャーズ』『あの断崖で、きみに逢えたら』『海溝より深き獣』『カント!』『オルガネートの祈り』『疑脳兵団』『サムライ・ウィズ・ダンジョン』『狂信者たちの時代』『この手の中で孵る蛇たちへ』『怒髪天成』『ゴールデン・スピット・ファイア』『異世界ストーカー殺人事件』『血魍のはばたき』『番鳥は巣に帰らない』『拝啓、銀の海』『バッド・ガールズ・エントリー』『ラック・アバター』『フライ・ライフ』『ダンサーたちは暁に眠る』『今宵の呪い』『ギオウ徘徊者』『シリシリシリシリシリリアン』『エルボット呪術伝』『電子ちゃん』『呪学戦禍』『鬼血な人々』『叫びの姫』『ラガンフェルドの真実』『署中お見舞い申し上げます』『二人だけの惑星』『臣下の法』『妬きつけろ地獄』『コンセント・ラヴァーズ』『ハザードランプに口づけを』『炎猿』『びるじんぐ』『教師の教室』『オーケスト・ラ』『サスペンスフル』『廃棄宇宙』『ロボットの夏』『スクリプト・ドクター』『きのう、クジラが落ちた』『ハルジオン』『壁と卵』『林の中の象のように』『ハイイロオオカミなんかこわくない』『セブン・ローリング・エイト・アウェイキン』『驚威』『失われたゆりかご』『星植地』『スクール・バサイバー』『先生のブレーンバスター』『はじまりはエピローグ』『ガーランドの聖なる衣』『科学者たちは剣を抜かない』『ケルベロス・タイド』『都市戦争』『山愛』『街の果て』『マルドゥーク』『八虚』『無名なる虎』『ディアブロたち』『電脳詐欺師ミケランジェロ』『ケンタウロス』『蒼茫、北に』『天理様に訊いてみろ』『棄民怪獣』『ぼくたちの呪い』『流された世界』『仮想送別会』『迫りくる方舟』『騎士団長の、妻の妹の夫の息子』『スーパーミーム』『すべてまぼろし』『バビロニア・スクランブル』『バブルガムの初恋』『ボリフェ・ポリフェ』『岬の水族館』『エゴン』『瞼の紋章』『ろくでなし』『くすぐりプロブレム』『ジェリー・フッシュ・ガン』『サイケデリック・ロブスター』『マリス・ワールドー絶海の救世主―』『おかしな神々』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・プロメテウス』


……ひとつとして、知っているタイトルがない。


 ブランドンは「小説を読む生活」という習慣が根付いていない。彼の母親は教育熱心なタイプではなく、夫が優秀な稼ぎ手である家庭に特有の、常に目の前の人生に対して、どこか余裕を感じさせる女性だった。ピアノや編み物を趣味にしていたため、家にある本らしい本といえば、ピアノの練習本や手芸関係といったものばかりだった。父親の書斎には市警が発刊している犯罪白書や犯罪発生率の統計をまとめた学術書ばかりで、小説の類は一冊もなかったと記憶している。


「選びきれない」


 知の番人を前に屈したブランドンが、苦笑を漏らす。


「すまないが、俺に合いそうな小説を選んでくれないか?」


「ダメです」


 ぽってりした目元に、うっすらと剣呑な雰囲気が出ている。これはまずい。地雷を踏み抜いてしまった――どう言い繕うべきかブランドンが迷っていると、エックスが諭すような口ぶりで言う。


「あのね、ブランドンさん。自分が読みたい本は、自分で選び取らなきゃ」


「そう言われても……わからないんだ。それに、見たところ君は読書のエキスパートだ、俺が選ぶより君が選んだ方が――」


「だから、それじゃ意味がないの。よく、自分に合う本を探して欲しいって言われるときがあるんだけど、困っちゃうのよ。だって、わたしはその人じゃないし。その人の人生を実際に体験したわけでもない。さっき、小説を読むと心がほぐれるって言ったけど、小説の役割はそれだけじゃないんだよ。小説を読むっていうことは、物語を通じて自分自身と向き合うことなの。だから、自分の責任の下で本を選ぶ必要があるの」


 エックスの訴えには熱が込められていた。たかが「本」に何をムキになっているのかと思うその一方、彼女にとって本とは、小説とは、いや物語とは、それほどまでに豊かで色褪せない、人知の結晶なのだろうとブランドンは思った。


「物語と人の出逢いに偶然なんてない。一見偶然の出逢いのように思えても、それはあらかじめ約束されていた、必然の理……そう、わたしは考えてる。なんとなく手にした小説でも、それに惹かれた理由が、選んだ本人でも気づかないところにある。そんな貴重な出会いのチャンスを、みすみす誰かに委ねるなんて、わたしからしたらありえないことなんだよ。誰だって、夜空に輝く星を見るチャンスがあったら、それを手放さないでしょう? 同じことなのよ」


 いや、だからそう言われても――となおも抵抗を試みようとしたが、これ以上何かを言おうものなら、本格的に虎の尾を踏んでしまいそうな予感がしたので、ブランドンは慌てるように本棚へ視線を巡らせた。だが、いつまで経っても「これ」という小説がどれなのか、三十分近くかけて探してみても、いまいちわからない。登り方の分からない山道に迷い込んだような感覚だった。


「もう、仕方ないなぁ」


 痺れを切らして、エックスは居並ぶ本棚のうち、ドアの側から数えて三番目の棚の一番下の段に収められていた文庫本を手にした。


「はい! ブランドンさんと出逢う運命にあった本は、これですよ」


 その独特の言い回しに引っ掛かりを抱きつつも、ブランドンはしげしげと渡された本を眺めた。結構な年月が経過しているせいか、ページのあちこちが日に焼けている。表紙には、夜景に沈むどこかの都市をバックに、仰々しいフォントでこう書かれていた。


「灼熱の丘」


 タイトルを口に出してみると、なにかしっくり来るものがあった。失くした人生の地図が手元に戻ったような。いままでに体験したことのない、新たな知覚が産声を上げたような気がした。ブランドン自身、驚きと戸惑いがあった。


 灼熱の丘――もういちど声に出してみる。


 それだけで、言葉があるべき場所にストンと収まる感覚が芽生えた。昨日と今日に実感した清濁混交の記憶が丁寧にろ過されてゆく。そうして抽出された感情の上澄みが、全身の神経や血へ行き渡る。声帯から生まれ直して、部屋に散らばった音の欠片たちが、仕えるべき主を見つけた拍子に、整然と足元に居並ぶ清廉さ。大袈裟に言うなら、まるで自分はこの本のタイトルを口にするために生まれてきたのではないか、と思えるくらい、刹那に震える。


「気に入ってくれたみたいですねぇ」


 生まれて初めて天然記念物指定(ハイ・ナチュラル)の動物を偶然目撃した少年のように目を輝かせるブランドンを見て、エックスが口角を上げた。


「それ、わたしのお気に入りでもあってね。ジャンルはハードボイルド・サスペンスなの」


「どういう話なんだ?」


「……ブランドンさんってさぁ」


 エックスが額に右手の人差し指を当てながら、まるで値踏みするかのように目を細めた。柔和な印象がまたもや消えた。本当に表情が良く変わる女だと思うのと同時、また地雷を踏んでしまっただろうかとブランドンは焦った。人の心を和らげる力もあれば、緊張感も滲ませてくる。もしかしたらこのギルドのメンバーで、最も一筋縄ではいかない性格をしているのは、彼女ではないかとすら思えてくる。


「晩御飯に出された料理で、最初に好物から手をつけるタイプでしょ?」


「……なんでわかる」


「自分で読む前に内容聞いてくるタイプはそうなのよ。わたしの経験上。まぁいいけど……んー、ネタバレにならない範囲で言うなら、物語の舞台はここなんですよね」


「プロメテウス最下層? すると、この本の表紙は最下層の街並みか……」


「あくまでイメージ絵だと思うよ。物語の主人公は市警勤務の警官で、成績優秀だったんだけど、同僚の罠に嵌められて懲戒免職にされちゃうんです。で、食い扶持もなくなって路頭に迷っていたところを、かつて自分が追っていた犯罪ファミリーの親玉に才能を見込まれて拾われて、紆余曲折あってファミリーの仲間になる。けど、ファミリーには主人公に恨みを抱いている人物もいて、さらには親玉の愛人が、自分を罠に嵌めた同僚と裏で通じてるってな具合で……組織の内と外に溢れる敵を前に、主人公がどう切り抜けていくのかってところが面白いポイントのひとつなの」


「同僚の罠を中層の市民大量死事件に、ファミリーをギャロップ・ギルドに置き換えたら、まるでいまの俺だな」


査頭(コーチ)に愛人がいるのが発覚したら、この甲斐性なしがッ!……って叱ってやらなきゃね」


「事実をバラされたくなかったら、給料アップと交換条件だッ!て脅してやるのもひとつの手だぞ」


「あ、それいいねぇ。妙案」


 お互いの冗談に軽く笑い合ってから、ブランドンは疑問に感じていたことを尋ねた。


「さっき、俺と出逢う運命にあった本といっていたけど、つまり俺が心の底から望んでいた本が、この『灼熱の丘』なのか?」


「そう」


「たしかに、これはなんだかしっくりくる。まだ読んでない時点で言うのもヘンな話だが」


「直感でわかっちゃうんだよ」


「直感って……」


「釈然としないよね。わかりますよ。でも、そういうものなの。その人と話しているとわかるの。あ、この人が深層意識で出逢いたがっている本は、これだなってカンジで、ピンとくる。わたしはこれを《逢力(コネクト)》って名付けている。人と本を引き合わせて、繋げる力。それ以外に使い道なんてなにもないけどね。直感って言ったけど、これも何かしらの『力』なんだと思うの」


 エックスは、自分を取り囲む大量の紙の住人たちを見渡しながら口にする。


「この部屋にある本の総数は六百冊。そこに記されているすべての物語の詳細な内容が、わたしの頭にはインプットされてます。ちょっと自慢みたいになっちゃうけど、起承転結を具体的に語ることもできるし、登場人物の台詞ひとつひとつに至るまで宙で言える。小説限定の完全記憶能力、みたいなものかなぁ」


 まるで、今日のお昼になにをどこでどうやって食べたかを、ひとつひとつ丁寧に話して聞かせるような口ぶりだったので、ブランドンはどう反応してよいかわからなかった。


「簡単に言うんだな……そうとう凄いんじゃないのか、それ」


「そうですかねぇ」


 謙遜ではなく、本気でたいしたことじゃないと信じ切っているのが、態度でわかる。更新強化人(エキスパンダー)でもなければ、《カセット使い》でもない。サイボーグ手術も受けてなければ、呪学療法士でもない。電脳化手術以外に加工痕のない身でありながら、とんでもない能力を授かっていることに変わりはない。それにも関わらず、エックスが自らを特別視している様子はなかった。つまり彼女にとっては、人と小説を引き合わせるのは、不思議だと思う方が不思議に思えるくらい、当たり前のことなのだ。


「ルルちゃんやマリオのほうがよっぽど凄いですよ。彼らの方が仕事に貢献しているし。そういう意味で言うなら、スーパーコンピューターみたいな高性能頭脳が欲しかったな」


「仕事がスムーズに進むからか?」


「その通り。会計業務なんて、ちょちょいのちょいだよ」


 その実利的な考えに、ブランドンは拍子抜けした。さっきまで小説や物語について熱く語っていた彼女にしては、一見すると似つかわしくない発言に思える。すると、先回りするようなかたちで、エックスが口にする。


「もちろん、小説は好き。でなきゃこんなに集めないもの。物語を読んでいると、ここではないどこかへ連れていってくれるし、心がとても健康的になる」


 でも、と断りを入れてエックスは続ける。


「小説はあくまでフィクション。嘘話。一方で、わたしたちは現実を生きている。現実で辛いことがあったら物語が助けてくれる。でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。どれだけ素晴らしい物語と巡り合うことができても、現実に作用を及ぼすような力はどこにも存在しない。それが、六百冊以上の小説を読んできたわたしの結論」


 だから今日は丸一日かけて調べていたの、と続けて、エックスは事務机に置かれたパソコンの中身を見せた。マウスを操作し、伝票計算処理のソフトウェアウインドウを閉じて新たに開いたメモページには、なにかのタイトルと思しき文章が羅列していた。


「これなら知っている」そう口にするブランドンの表情が、厳しいものになっていく。「FO技術の被験者たちが浴びている、高情報洗浄(エンターシャワー)。それに使われている映像作品のタイトルだ。ネットに出ているものばかりだな」


「中身は観たことある?」


「きみは、半年も放置されたカレーの入った鍋の中身を、進んで確認するタイプなのか?」


「そうは言っても、やっぱり気になるし、好奇心には勝てないよ」


 ブランドンがぎょっとした表情になるが、のほほんとした調子に戻って、エックスがはにかむ。


「だいじょーぶ。わたしも含めて、ギルドのみんなはFO手術受けてないから。だからわたしにとって、あれはただの映像。観ても心がどうこうなるわけじゃない。現にいまもなんともないし。それに、ちょっと気になっていたんだよ。今朝にフューリーオーグのことについて、いろいろと話してくれたでしょ? 気になって仕事の合間に調べていたの」


「なにかわかったのか?」と、即座にブランドンが問い質した。


 フューリーオーグとピート・サザーランド殺害事件。双方の繋がりは一見すると希薄に思えるが、ふたつを結び付ける要素はある。エンブリオ・ナノマシンだ。かつて己の身に打ち込まれた狂気の科学結晶が、フューリーオーグの基盤技術に応用されているという仮説。それがいま、ピートの最期の息吹に運ばれるかたちで手元に残されているという事実を、ブランドンはどうしても無視できなかった。


「具体的なことはなにも。でも、ひとつだけはっきり言えることがある」


「なんだ?」


高情報洗浄(エンターシャワー)に採用されている映像作品には、明確で強固な物語構造があるの」


「構造……あぁ、起承転結ってやつか」


「それを、もっと噛み砕いたものだね。セットアップ、プロットポイント、サブコンテクスト、ミッドポイント、セイヴ・ザ・キャットの法則を前提にした類型の多用。そしてキャラクター・アーク……まだまだ他にもたくさんあるけど、どれも物語を語るうえでの基本的な技術だよ。それが、どれも極めて高いレベルでふんだんに使われているの」


 物語を語る技術――エックスは当たり前のように口にするが、ブランドンにはすぐには理解できなかった。技術と耳にしてまず思いつくのは、科学工学に代表される理数分野の世界だ。物語を書くという行為とは、対極に位置している概念のように思えた。


「物語ってのは、作者が感覚的なもので書くものじゃないのか」


「それもあるけど、感覚を活かすには技術を磨かないとどうにもならない。とくに、娯楽作品の場合はね」


 間髪入れずに、エックスが言い切った。


「物語の基盤は技術で支えられている。そして、小説も映画もドラマも、娯楽作品としての作り方はどれも似たようなものだから、媒体が異なっていても、構造を見抜くのはたやすいの」


 さながら批評家のような客観的目線で物語を語るエックス。彼女はパソコンのメモページに視線を向けると、わずかに声を震わせた。


「でも、構造が単純だからこそ、とてつもない驚きがある」


 エックスがキーボードを叩いて、無料配信サービスにアクセスした。フューリーオーグたちが好んで使うサイト。そこにラインナップされている映像作品のひとつをクリックし、詳細情報を確認する。ジャンルは映画(ホロ)だ。監督名も脚本名も、役者の名前もわからない。ただひとつ載っている情報があった。製作欄に記載されている《E集団》という名前だ。


「《E集団》……おそらく、ここが監督も脚本も兼任している。集団ってあるけど、本当にそうかはわからないわ。けど、制作者が超一流なのは間違いない。とにかく脚本が凄いの。映像的な部分では、わたしはなにも語れないけど、脚本が見事すぎる」


「つまり、よくできた作り話ってことなんだろ?」


 あまりにもエックスが褒めるので、ブランドンはつい不満げな態度を取った。


「映画やドラマとして、よくできている。だから人々は熱中する。人は高揚感や快感を覚えると、脳内からドーパミンやエンドルフィンが放出されて、一種の興奮状態に陥る。その状態を長時間に渡って維持する力が、FO技術被験者には備わっているから、彼らはカフェインの過剰摂取にも近い状況になり、不眠不休で働くことができる……それが俺の予測なんだが」


「でも、だったらどうして、ここまで完成度の高い物語を作る必要があるんだろう」


 エックスは両腕を組んで、顎に右手の親指を押し当てながら、考え込むように呟いた。すぐ隣にはブランドンがいるにも関わらず、物語の世界に完全に入り込んでしまったような雰囲気でいる。


「もしFO技術被験者にブランドンさんが言ったような機能が備わっているなら、放出される脳内麻薬の濃度や量を自在に調節することだってできるんじゃないかな。企業が絡んでいるのだとしたら、わざわざここまで完成度の高い物語を作るなんて、脚本開発のコストに見合ってないよ」


 それに、とエックスが続ける。


「ドーパミンとかエンドルフィンとか、そういう生理学的な領域の話じゃないと思う。もしそうなら、薬物を合法化させて配ったほうが早いじゃない。この都市なら、そういうことのひとつやふたつ、平気でやりそうなもんだけどな」


「企業側のコストを考えれば、それがいちばんの正解かもしれない。だが企業というのは、コストや効率だけで動くものじゃない。とくに、レーヴァトールのように一握りの重役が絶大な権力を握っている独裁企業は、トップダウンの極致だ。上の奴らが白と言えば、黒いものも白になる。おおかた、レーヴァトールのトップは物語の中毒者なんだろうな」


「たとえそうだとしても、わたしにはわからない」


 途方に暮れたように、エックスが溜息をついた。


「まるで、現実を切り拓く力を、苛烈なほどに物語に求めている気がする。純粋な物語の力で、世界を変えてやるんだって、そういう意気込みを強く感じるのよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ